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ソラの在り処-蒼天-

【第九話 襲来】 4.仇と敵

 怖い。
 ゆっくりと恐怖が背を這い登ってくる。
 知らずに身震いしたセティを庇うようにリカルドが立ち上がり、短剣を構える。
 けれど、それしかできない。
 クリオも手を出しかねているし、相手は疑いようもなく格上。
 苦しそうな呻き声を出しながらも、反対側ではダイクロアイトが立ち上がる。
 利き腕をやられたのか、左手で剣を構えて『青年』に突きつける『勇者』。
「何者だ」
『かえして?』
 誰何には答えず、赤い青年は言葉を繰り返す。
 妙に幼く聞こえる声。
 ラティオと見た目は似ているのに、声はぜんぜん違う。
 彼はしっかりとした自我を持ってるのに、この青年は茫洋としていて計り知れない。よく耳を澄まさなければ、聞き逃してしまいそうな印象を受ける。
 なのに、両者の声はどこか似た響きで人を惹きつける。
「セティ」
 諌めるように名を呼ばれて、セティは慌てて立ち上がり剣を構える。
 呆けている場合じゃない。目の前にいるのは『敵』だ。
 それも、とても強力な。
 荒い呼吸を繰り返していても、ダイクロアイトの戦意は衰えていない。
 傷つけられた腕には赤い筋がたれていて、決して平気そうには見られないのに。
 勝機は見えない。勝率は――果てしなく低い。
 セティだって、以前対峙した時にはなすすべもなく倒された。
 でもだからって、戦わずに負けるなんてこと出来ない。
 臨戦態勢をとるセティたち。
 青年は首を傾げてみせて、それから一言呟いた。
『Tonitrus』
 その瞬間奔った光を避けることが出来たのは、運が良かったしか言いようがない。轟音で耳がおかしい。強い光のせいでくらんだ目もまだ回復していない。それでも、大地に走る焼け焦げた窪みと直撃したであろう木々の倒れる音が分かった。
「……魔法」
「あの短さで……」
 うっそぉと軽く聞こえるリカルドの声。
 普通、強力な魔法になればなるほどに呪文は長く複雑になる。
 魔法には疎いセティにはよく分からなかったが、街を守る際に街門付近で放たれた術、あれだってもっと長々と唱えられていたし、術者の女性――ダイクロアイトの仲間――は両腕を動かして身振り手振りを必要としていた。
 今使われた魔法はたった一言。身振りもまったくなしのもの。
 だというのに、威力は女性の使った魔法と同等に見えた。
 どうしよう。どうしたらいい?
 こちらから仕掛けることは出来ない。
 悔しいけれど、返り討ちにあうことが目に見えている。
「セティ」
 いつの間に近づいていたのか、クリオがそっと呼びかけてきた。
 視線は青年から外さないままに続ける。
「隙を見て逃げなさい」
「え」
「このままじゃ全滅するのは分かるでしょう?
 一人でも多く逃げて……街の人に伝えなきゃいけないわ」
「で、でも」
「そうだね。応援呼ばなきゃね」
 戸惑うセティに代わって答えたのはリカルド。
「魔法使いに対抗するには魔法使い。こっちは一人もいないんだもん。
 だからさセティ。ひとっ走り頼むよ」
 言ってウインクを寄越す。
 その軽さが……とても怖い。
「な、なんでそんなこというのさ。走るのならリカルドが一番」
「くじいちゃったんだよね、足。だからセティ頼むよ」
 言葉をさえぎって言われる事実。
 くじいた理由なんて考えるまでもない。
 足手まといになっているセティを庇ったから、だ。
 でも、逃げるわけにはいかないとセティは思う。
 自分は勇者なのだから、最後に残る役目はセティが負うべきだと。
「早く」
「セティ」
 余裕のない声で急かされるが、セティの足は動かない。
 今膠着しているこの状況がいつ動き出すとも知れないのに。
 言うことを聞いて応援を呼ぶべきだ、ひとまずここから逃げなければと思う理性と仲間を置いていくなんてことは出来ないという気持ちがせめぎ合う。

 ガシャリという金属音が聞こえたのはそんなときだった。

 一つ二つではないその音に、青年が視線を上げた。
 うっかり視線の合ってしまったセティは、跳ね上がりかける肩を何とか押し留める。以前見たときと同様に、感情のない人形のような瞳。金と銀という現実味のない色のせいだけではない、強烈な違和感。
 しかし青年はそのまま首をめぐらせて、ダイクロアイトへと向き直った。
 ほっとする反面、それでどうすると自らを叱咤する。
 青年の視線を追えば、木々の向こうから白銀の鎧を着込んだ人間が数人向かってきているのが見えた。
「随分、注目されていたようだな。『勇者』ダイクロアイト」
 ダイクロアイトへと問いかけられる渋い声は先頭の騎士のもの。
「聖騎士?」 
 訝しげな問いかけは傷を負わされたダイクロアイト。
 ぴかぴかに磨かれたフルフェイスの兜と、盾に描かれた太陽紋。
 確かに聖騎士の装束をしている。
 でも――引っかかりを感じたのは何故だろう?
「御自ら登場とは……」
 皮肉気な口調は誰に向けられたものか。
 全部で三人の騎士は油断なく剣を抜き放ち、青年に相対する。
「――『魔王』シャヨウ」
 投げかけられた言葉に返事はない。
 息を飲んだのは誰だったろう。
「まおう?」
 構えられた剣先には赤い青年の姿。
 再度、セティが青年を見たときに恐怖はもう感じなかった。
 代わりに湧き出てきたのは――怒り。
「こいつがっ」
 父さんを、お兄ちゃんを殺した仇。
 今もなお人々を苦しめる存在。
「何をもたもたしている」
 叱咤のような声にセティは剣をきつく握る。
 そうだ。わたしがもたもたしていたから、魔物はたくさんの人を襲った。
 逃げるなんてこと、考えなくていい。
 刺し違えてでも魔王を倒す!
 気合を入れて切り込むセティは何も考えていなかった。
 せめて一撃でも『魔王』に食らわせてやろうと、ただそれだけで動いていた。
 上段から袈裟懸けに斬り下すセティの剣を弾いたのは白銀の色。
「え」
 防がれることは予想していなかったわけじゃない。
 『魔王』相手にリゲルは奮戦していたものの、その刃は一度とて届くことはなかった。だから。
 けれど、今阻んだのは――剣。
 『魔王』との間に割って入った、白銀の騎士の剣。
 騎士を挟んで、セティと『魔王』視線が絡む。
 セティの名を呼ぶ悲鳴と騎士の剣が振るわれるのはほぼ同時。
 いや、呆けてしまっていたセティは動くことすら出来なかった。
 防がないと。
 頭では思っていても、渾身の一撃を阻まれた後で隙だらけの状況。
 構えるよりも早く騎士の剣がセティを傷つけるだろう。
 覚悟をする暇もない――はずだった。
 突如、周囲に風が集まり爆発するかのように四方に弾けた。
 あまりにも突然のことに、踏ん張りきれなかったセティは後ろに飛ばされる。
 やがて来るだろう衝撃にか、それとも急に受けた圧力にだろうか。
 背中に感じた予想よりもやわらかな衝撃――誰かに受け止められたのだと気づいて、はじめて目を閉じていたのだと気づく。
「間に合った……か?」
「ぎりぎりもいいとこじゃろうが……まあ、間に合ったようじゃな」
 こんな場所だというのに、妙にのんきに聞こえる声。
 上を向けば、こちらには視線すら向けず『魔王』を凝視している男と、数歩先でやはり仁王立ちしている女性らしき姿。
 自身を受け止めた男性の姿を見て思い出す。
 以前会った時、彼は白い鎧を着ていた。
 そこでようやく先程感じた引っかかりに気づく。
 『聖騎士』の登場――いつかどこかで見たような気がしていたのは間違いではなかった。
 『警句(アダギウム)』の時と、似通っていたのだ。
「サビク……さん?」
「りっちゃん!」
 リカルドの声に視線を前へ転じれば、白銀の騎士と刃を合わせているリゲルの後姿が見えた。
 ああ、また助けられちゃったんだ。
「何者だ!」
「お前らの敵だよ」
 白銀の騎士の誰何に、サビクは剣を抜き放ち向かっていく。
 まだ動ききらない頭のままに、セティは全体を見渡す。
 『魔王』は先程の位置から動かずにぼうっとしたまま。
 そのほぼ眼前で、リゲルが先程セティと対峙した騎士相手に戦っている。
 最後の白銀の騎士はダイクロアイトと戦士へと向かっており、クリオが加勢に入った。
 リカルドは足が痛むのだろうか、じりじりとこちら側へ下がってきている。
「ちっ こう分かれておっては逃げれんではないか」
 舌打ちをした女性の髪は浅葱色。
 リゲルと同じ色彩に――あの街に住んでいた人だとここでようやく気づく。
 助けに来てくれたのだろうか?
 今度は……本当に味方なのだろうか?
 呆けている場合ではない。
 そう頭では分かっていても、セティは中々立ち直ることが出来なかった。