【第七話 遭遇】 8.たったひとひらの言の葉
翌日の午前中は、セティが動くことを誰も了承しなかった。
大丈夫だと言い張っても、聞く耳を持ってくれない。
曰く、回復魔法は自然治癒力を促進するものだから、自覚症状はなくとも疲れるもの。らしい。
昨日のリゲルも同じような状況だったと言われても、しなければならないことがある。必死にそう訴えたおかげか、代わりにクリオが行ってくれるということで落ち着いた。
そして現在――セティは部屋から出ることが出来た。
とはいっても行き先は階下の酒場兼食堂。遅くなったが昼食を取るために。
今日のメニューは変わらず具沢山のスープとパン。
野宿のときにもよく作るものとはいえ、雨風しのげて暖かい場所で食べることが出来るのはやはりありがたい。
「そうそう、昨日話しそびれたことなんだけれど」
クリオが切り出したのは、あらかた食事も終えた頃だった。
「昨日……いえ、一昨日通った町のことなんだけどね」
「何か分かったの?」
あの破壊しつくされた町を思い出しながらセティが問う。
「魔物に襲われたらしいわ」
「やっぱりっ」
「人的被害はないけどね」
悔しさに拳を握り締めるセティを見ながら、けれども素っ気ないくらいにリカルドが続きを言った。
「どういう、こと?」
「神官や神官戦士が来て、魔物が来るから逃げろって言われたんですって」
「で、素直に逃げたってわけ。ある程度離れたところですごい爆音がして、町が壊されてたんだって」
「そうなんだ」
怪我人とか出なくてよかったとセティは胸をなでおろす。
「じゃあ、この町に神官が多かったのもそのせいか」
「ふぅんそんなにいるんだ?」
「昨日すれ違った」
ブラウの漏らした言葉にリカルドが素直に感嘆の声をあげる。
いつもの素っ気なさで彼は答えて、飲み物を口に運ぶ。
なんか、気になることでもあるのかなとセティはブラウに視線をやるが、あまり見ていると睨まれるので、すぐ移す。
嫌々ながらも長年幼馴染をやっていれば、ある程度は相手の事は分かる。
無理に聞いたって答えてくれるような性格じゃないし、本人が言いたくなったら言うだろうと自身を納得させた。
「教会が、か」
ふと、視線をそらした先の人物はブラウ以上に不機嫌だった。
周囲の気温が下がったような気がする。
それを分かっているのかいないのか、妙に勢い良くフォークを突き立ててラティオは干し肉を口に入れた。
この人にとってソール教会の文字は禁句かもしれない。
「ラティオさんって本当に教会が嫌いなんだねぇ」
「俺の立場なら、誰でも毛嫌いするぞ、確実に」
「なら、貴方の立場で見て、今回の件はどう判断するの?」
「自作自演」
揶揄するようなクリオの言葉に、問われた彼はこともなげに返す。
「……え?」
素っ頓狂な声を上げたセティに一瞬だけ全員の視線が集まる。
「事前に行われたという避難勧告。人的被害はないが、魔物に襲われたという心理的な被害は得られる。もっとも、町を襲ったという魔物は誰も見ていない。『魔王』と同じくな」
つらつらと言われる言葉に、クリオは苦笑しリカルドは同意を示しつつテーブルに肘をつく。
「疑えばきりがない。それが嫌になって辞める奴も多かったしな」
獅子身中の虫を貫く奴もいたがと付け加え、エールを飲み干し彼は息をついた。
それから両手を合わせて何事か呟く。
食事の前後にラティオもリゲルも手を合わせるが、これは彼らの風習だろうか?
「さて、では引き続き護衛を願おうか。勇者殿?」
聞きたいことはまだあった。
けれど。依頼人にそういって席を立たれてしまっては、これ以上話せない。
未練がましくラティオの背を見送ってため息をつく。
テーブルにリゲルの姿はない。
それだけ、彼女は傷を負っていたということだろう。
「セティ」
「え、なに?」
思考に沈みかけていたところを呼ばれて、彼女は慌ててクリオへと向き直る。
「頼まれ物だけどね。はい、これ」
「あ、ありがとう!」
クリオからセティに手渡されたのは、一振りの剣。
「あれセティ、剣換えるの?」
「えっと、わたしのじゃなくて」
「ああ、りっちゃんのか。派手に壊れてたもんねぇ」
納得したようにふむふむと頷くリカルド。
「わたしのせいで、壊れちゃったようなものだし。
せめて、新しいの買って、お礼しようかな、て」
あの時リゲルがいなければ、セティは死んでいたかもしれない。
そのために剣を駄目にさせてしまったのだから、せめてこのくらいはしなきゃあいけないと思ったのだ。
クリオが選んでくれたのだから、きっと大丈夫だろう。
「でもさセティ。せっかく買ったんだったら、はやく渡しに行けば?」
「え?」
「そうね。お礼を言うなら、早いうちがいいわね」
くすくすと笑いながら言われて、困惑する。
うん、たしかにお礼とお詫びを兼ねて買ったものだけど。
渡すのって、わたしがしなきゃいけないんだよね……?
途端に難しい顔をするセティを見やって、年長者の二人はこっそり顔を見合わせ苦笑した。
小さな音を立てて扉が閉められる。
一足早く食事を終えたラティオはリゲルの部屋に乗り込んでいた。
「怪我はどうだ?」
「大事ありません」
打ては響くように返ってくる声。事実、彼女は平気な顔で起き上がっていた。
とはいえ、まだ本調子ではないのだろう。備え付けの椅子に腰掛け、不要な言葉は無用とばかりにラティオは直球を投げつけた。
「お前が戦ったのは『太陽』だな」
「理君はお顔をご存知でしたか」
はぐらかす様なリガルの問いに、当たり前だとラティオは返す。
「何度忍び込んだと思っている。見つけられた覚えはないが、バァルあたりにはばれていたかもな」
「左様ですか」
相変わらず淡々と答える娘だと思う。
実際は、ラティオよりもはるかに長生きしていると知ってはいるのだが……
「理君は……どうなさるおつもりですか?」
問いかけに、ラティオは剣呑な目を向けた。
リゲルは相変わらず読めない目で彼をまっすぐに見つめている。
「彼の方を、どうされるおつもりです?」
「それを言うならお前は……お前の上司は、どういうつもりでいるんだろうな?」
互いに牽制しても、あまり意味がないのかもしれない。
ラティオは当事者でありながら決定権はなく、リゲルは当事者ですらない。
他の誰かの指示によって、関わることしか出来ないのだから。
にらみ合いから先に目を逸らしたのはラティオだった。
「それはそうとして、武器はどうするんだ?」
目で示したのは、備え付けのチェストに置かれた折れた刀。
大きな破片は拾ったものの、どう見ても使い物にはならないだろう。
唐突な話題の変換に、少々首を捻りながらもリゲルは答えた。
「一度溶かして打ち直しをしますので、捨てはしません」
「それはいいが。武器はあるのか?」
問いかけに、リゲルは少しだけ唇を曲げる。
事実、代わりとなる武器はない。今彼女が持っている武器といえば脇差くらい。これだけで戦うというのは辛すぎる。
「後で代わりになるものを買ってこようと思います」
しぶしぶといった様子で言う彼女。しかし。
「その心配は、なさそうだぞ?」
くくっと笑ってラティオは立ち上がり、おもむろに扉を開けた。
そこには、ノックをしようと手を振り上げたままに固まっているセティの姿。
もう片方の手にはしっかりと剣が掴まれている。
「ほら、な」
リゲルからセティがよく見えるようにラティオは身体を引く。
ひくりと縮こまった様子を見せるセティを室内に引っ張り込み、ラティオは扉を閉めた。
自らは、廊下に出るようにして。
「ラティオさん?!」
「邪魔者は退散しよう」
楽しそうに言われるのに、セティは胸中で絶叫する。
邪魔者じゃないから、むしろ二人っきりっていうのが嫌だから!
けれどすでに部屋には二人きり。救いの手はどこからも来ない。
「なにか?」
怪訝そうに呼びかけられて、ゆるりゆるりとセティは相手に向き直る。
「怪我、大丈夫?」
「癒していただきましたので大事ありません」
「えと、その」
言わなきゃ。
助けてくれてありがとう。
武器を駄目にさせてごめんなさい。代わりにこれを使って。
頭では分かっているのに、口をパクパクとさせることしか出来ない。
「はいこれ!」
結局、動転したままに両手で突き出すことしか出来なかった。
「武器駄目にしちゃったでしょ! 買いに行かなくてこれ使って!」
「はぁ」
駄目押ししたのがよかったのか、リゲルは差し出された剣を受け取ってくれた。
直刃で両刃のブロードソード。
セティにとっては使い慣れた剣だが、リゲルにとってはどうだろう。
興味津々、不安半分といった様子で見てくるセティに対し、リゲルはベッドの上で座りなおして頭を下げた。
「ありがたく使わせてもらいます」
「あ、うん」
こくんとセティも頷く。
言うなら、今しか多分チャンスはない。
「助けてくれて、ありがとう」
「お気になさらず。ただ、見過ごすことが癪だっただけです」
素っ気なく言うリゲルには、変わった様子は見られない。
でも、ラティオは言っていた。
リゲルが急に走り出して、追いついたと思ったらセティと二人そろって倒れていた、と。
だから、彼女はわざわざ助けに来てくれたということになる。
「明日の朝に出発するから。それまで休んでて」
それだけを言って、返事も聞かずにセティは部屋を出た。
父を馬鹿にされたとはいえ、セティはリゲルに散々いろんなことを言った。
なのに、彼女は助けてくれた。身の危険も顧みず。
ああ、なんか。
「わたしって、だめだなぁ」
漏れた弱音は、セティ以外の耳に入ることなく消えていった。