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ナビガトリア

【第五話 賢きもの】 5.再会

 室内は綺麗に整頓されていた。
 壁には一面の本棚。
 開かれた窓からは柔らかな風が入り淡い色のカーテンを揺らしている。
 中央に置かれた机は使い込まれた感があって、並べられた数枚の書類から顔を上げたのは一人の女性。
「お疲れ様ですリアトリスさん」
 挨拶はにこやかに。歌うかのような優しい声。
 とても懐かしく、聞き覚えのある声。
 そうして彼女はあたし達に目を向ける。
 その瞳は翠玉と碧玉。色の違う左右の瞳。雪色の銀髪がさらりと揺れる。
「はじめまして……って言うのは変ですね」
 はにかんだようにふわんと笑う。その柔らかな微笑み。
 この微笑みはとてもよくなじんだもの。小さいころから何度も見てきたから。
 あたしは驚きで声も出ない。アポロニウスのかすかなうめき声。
 そうして、団長さんの困ったような笑み。
 一人沈黙の意味の分からない薄は困ったような視線を投げかけてきているけど。
 あたしは内心大混乱。
 なんで? どーして? のオンパレード。
 しばし待って彼女は少し困ったような笑みで問い掛けた。
「いらっしゃい。どうされたんです? こんなところまで来られるなんて」
「姫……」
『……師匠……?』
 呆然としたあたしの呟きにどこか陰鬱な響きを持ったアポロニウスの声が重なる。
 よーやく声が出たよ……
 だってだって!
 まさかこんなとこでいきなり姫が出てくるなんて思ってなかったしっ!?
 いや……そりゃ確かに魔法使い――しかも凄腕――だから、ここには属してるんだろーなー……ってか属してない事ないとは思っていたけどっ
 てゆーか師匠? 今師匠って言った? アポロニウスが!?
 こほんと咳払い一つ、団長さんが手で姫を示す。
「こちらが四賢者のお一人、銀の賢者様だ」
「そう呼ばれるのはあまり好きじゃあないんですけどね」
 苦笑する姫。
 つまりは……現実なわけで。
 あーそーか……あの日の帰り道……妙に大叔父さんが楽しそうにしてるとは思ってたけど……こーゆーことか。
「銀の賢者って……姫の事だったの?」
「何で知らなかったんですか」
 かすれた声でした疑問は、きょとんとした声で返された。
 ……今までの付き合いを考えれば分かってそーなもんなのかなぁ?
 年数でいけば結構長い付き合いだけど……全然気づかなかったよ。
 いや、そういや姫の髪は確かに銀だけどさ?
 つーか半人? 古代種ってそういう扱いされるの?
 それとも本当に半人?
 疑問は尽きないけど、でも姫が優れた魔法使いってことだけは確かだし……長生きしてるからその知識だって半端なものじゃないだろうし。
 とはいえ、賢者って響きにありがちな『威厳』とか『厳格』とかがないような。
 混乱したまま沈黙したあたしに代わってアポロニウスが口を開く。
『師匠……まだ生きてたんですね』
 やっぱり師匠って言った……
 なに? アポロニウスも姫の事知ってたの?
 じゃあ隠すことなかったんじゃない……あぅ。
「それが久しぶりに会う師に言うようなセリフですか……」
 姫はあきれたように言った後、はぁと長いため息をつく。
 確かに再会を喜ぶような言葉じゃない。間違っても。
 というか弟子にそんな物言いされたら怒るでしょ普通。
 さらりと流れる銀の髪が妙に物悲しさを助長してみえるのは気のせいだろうか?
「昔はそんなことなかったのに。
 そういうところはラティオに似なくていいんですよアポロニウスさん」
『って師匠私のこと』
「もちろん。よく覚えていますよ」
 にこりと微笑む。
 その表情からはとてもとても数百年生きているとは思えない。言葉尻だけなら年取ってみえるのだろうけど、ほわわんとした容姿と物腰で、単純に『おっとりとした少女』に見えるからなぁ。
 もともとの種族が違うから寿命も違うんだけど……エルフもそうだけど、人とあんまり変わらない姿だから正直忘れちゃうんだよね。
「私も長生きしてる割に弟子はそんなに取ってませんから。
 なんといってもラティオとユーラのご子息ですし。
 アポロニウスさんはラティオに似て真面目で、ユーラに似て素直でしたから教えるのも楽でしたねぇ。
 ただ、魔法の覚えはよかったですけど、両親と比べると体術方面が……」
『師匠!!』
 ぺらぺらと話し出す姫をアポロニウスがさえぎった。
 でもあたしの方は逆に興味津々。
「え。止めちゃうの?」
 人の昔話って面白いのに。
 アポロニウスが狼狽するのって珍しいし。
「もっと聞きたいな~ねぇ薄?」
「はい公女」
 同意を求めれば答えてくれる薄。
 ふふふ。お主も悪よのう。
 しかしアポロニウスは慌てず騒がずこうのたまった。
『師匠。彼女の小さな頃はどうでした?』
「アポロニウス!!」
 こういう返しワザでくるか!?
「ああ。ぜひお聞きしたいですね」
「くぉら薄!!」
 ああああっ やっぱりあんたはそー言う奴か?!
「コスモスさんのですか? そうですねぇ」
「姫もストップー!!」
 慌てて遮る。
 だってだってさ?
 ちっさいころの思い出話って、今になっては恥ずかしい事だらけでしょ?
 何より本人覚えてない事をばらされるのはっ ああもうヤブヘビっ!
 にしても男ども。そんなにあたしを困らせて楽しいか? 楽しいのかっ!?
「ええ。すごく」
「しょーじきな感想ありがとうねぇ」
 火花を散らすあたし達に対し、師弟コンビも。
『というか師匠』
「はい?」
 固い声のアポロニウスに、相変わらずの柔らかな姫。
『いつから気づいてたんです?』
 そうですねぇと前置きして視線を宙に彷徨わせ。
「コスモスさんのお見舞いに行ったときに、似た気配はすると思ってましたけど」
 ほへ? お見舞いって……ほぼアポロニウスと出会ったときじゃない?
「そんな前からっ?」
『気づいてたならなんで』
 言い募ろうとするあたし達に、姫は苦笑して。
「こういうのも嫌ですけど……また会えるなんて思ってみませんでした」
『それは……そうかもしれませんけど』
 一気にアポロニウスがトーンダウンする。
 そりゃそうだよね。奇跡の再会って言ってもいいくらいだもん。
 暗くなった空気を変えるように、やおら姫がぽんと両手を叩く。
「お客様なのにお茶もお出ししませんでしたね」
 どうぞと招かれてあたし達は姫に続いて隣の部屋に行こうとして、唐突に姫が立ち止まる。
「姫?」
 呼びかけに、彼女はくるりと向き直って。あたしのよく見慣れた――でもどこか少し感じの違う――微笑を浮かべ、こういった。
「おかえりなさい」
 かすかに息を呑むような気配。
 一番近くにいるあたしにしか聞こえなかっただろうけど。
 戸惑いと、喜びと。
 いろんな思いがあるだろう。それでも彼はこう答えた。
『……ただいま戻りました……』
 かすかに震える。とても小さな声だったけど。