【第四話 痛手からの回復】 5.その手をとる勇気
「まぢですか……」
呟けたのはただその一言だけ。
アポロニウスは発言せず――知らないんだからしょうがないか――薄も珍しくぽかんとしている。
こんな条件ありですか?
話は少し前へと遡る。
悪戯めかした口調で――でも目だけは真剣そのもので――レンテンローズさんは言葉を紡ぐ。
温かなコーヒーを一口含み、その香りと味を堪能してもう一度。
「さて、もう一つの方法だけど」
はてさてどんな方法だろうか? 何とかなるものなのだろうか?
「四賢者って知ってる?」
「ええ。今の世界で比較的多い四種族の中で一番魔道に長けた方達の事ですよね」
いきなり何の話になるのかと……いや分かってるけどっ
この話の展開は分かってるけどっ!!
「そうそう。竜族の金の賢者。半人の銀の賢者。
エルフ族の銅の賢者。そして人族の鉄の賢者」
何で金属の別名がつけられているのかは知らない。
でも……この話の流れは……
「この中の誰かの紹介状があればばっちり入れるよ♪」
嗚呼やっぱり。
「……さっきより条件難しいじゃないですか……」
胡乱とした目で見据えれば肩をすくめて投げやりに言われる。
「探すだけの根性があるならの話だけどね。
彼らの紹介状なら流石に無視するわけにはいかないし」
「そりゃあそうでしょうけど……」
そんなこといったって、居場所が分かってるヒトなんているのか?
竜族なんて見た事もないし、エルフに至っては今の状況を鑑みれば一目瞭然。
半人の銀の賢者なんて姿自体が予想もつかないし。
会長に紹介状もらう方がきっと早いよなぁ。
「……会長に面会するにはどうすれば?」
「あ、やっぱりそっち選ぶ?
んとね。まずこの申請書の指定箇所の記入お願い。後で提出してあげるから」
半ば予想はついていたのか、軽い口調で言って手にしたファイルから用紙を数枚引っ張り出す。
ため息を押し殺して記入するあたしを見やって明るいエルフはトドメを差す。
「半年くらいかかるだろうけど」
「半年……」
「まぁそれでも早い方だよ」
呆然と呟けば多少いたわりをこめて励ましてくれる。
でもそんな励ましいらない。
「そういわれても、それまでの期間どうすれば」
滞在するにはやっぱり先立つものが心もとない。宿泊費に食費に……
「認定証もあるし協会の宿舎で寝泊りすればいいよ」
「いえそれもあるんですけど」
確かにそれを狙って認定証を取得したんだけどねぇ。
それでも食費はいるし、今回ここに来るまでに貯めていたお金は交通費で結構使っちゃったしなぁ……
旅って、やっぱりお金いるんだなぁ……
「そうだね。時間ありすぎるもんね」
あたしの沈黙をなぜか『暇です』と捕らえたのか、少し唸って再び口を開く。
「だったらさ。ちょっとバイトしない?」
「バイト?」
いやそれは正直ありがたい申し出だけど、あたしバイトってしたことないんだよねぇ。
だって故郷じゃ誰も雇ってくれなかったし。だからこそ自分で商売立ち上げたんだから。
「ボクねこの国のインスラトゥム支部の支部長なんだけど」
「そうなんですか?」
意外に……と失礼。偉いヒトなんだなぁ。
おかーさんと同年代だって言ったから多分五十前後くらいでしょ?
それってエルフとしてはかなり若い部類に入るよねぇ。
「うちって下手に本部と同じ国内にあるもんだから魔道書って少なくってね」
「はぁ」
基本的に一つの協会が魔道書を独り占めすることはない。当然の事だけど。
でも印刷できるレベルのものはともかく、魔道書っていうのは悪用されると大変厄介だ。
それ故に一定レベルの本は昔ながらに人がいちいち写本を作っている。
「ぜひとも写本をお願いしたいんだけど」
「え? でも……」
「あるレベル以上の魔道書って、写すのにすっごい規制があるって知ってる?」
「そりゃあまあ」
中には呪文の丸写しだけで使えちゃうような危ない術もあったりするし。
昔からある鍵開けの魔法とかは誰でも使える低レベルな術だけど世間に広まるとすごくまずいモノの代表。
「確かに資料によると君はまだ『魔導士』だからたいした本が写せる訳じゃないけど」
あーやっぱりあたしの経歴やらなんやらはすぐに調べ上げられてたか。
読める本が本棚の色で識別されているように、もちろん写せる本も規制される。
あたしのレベルじゃ正直たいした本は写す事出来ない。
「自分の家の本って読んでた?」
「それはもちろん」
唐突な問いに一応答える。
うちは代々こういう商売やっているだけあって魔道書の類はものすっごく多い。
その他にも昔の当主に本のコレクターでもいたのかその時代時代のありとあらゆる本がたくさん置いてあって、蔵書量・質共にかなりのレベルにいっている。
研究機関やら大学やらからの貸し出し要請も結構あった位だし。
本が身近にあるっていう条件に加え。
おかーさんがボランティアの旅に出かけ、おとーさんが遺跡発掘の旅に出かけ、おじーちゃんはPAの仕事で世界各国を回り、おばーちゃんもそれに同行する事がたびたびあった。
周りに大人たちがいない状況がすっごく多かった場合あたし達がする事は。
外に遊びに行く。仕方なく家の中で探検。これでもかと置かれている数々の本を読み漁る。の三つくらい。
ちなみに家で無造作に置かれていた本の数々が世間一般では貴重な――モノによっては幻呼ばわりされる――魔道書だと知ったのは、ある程度大きくなってからの話。
「協会本部の魔道書って三割は写本だって知ってた?」
「え? だって珍しいものも多くて」
現に今回の旅で寄った場所でもたくさん多かったし?
「そりゃあ新しいものはいっぱいあるけどね。
本当に貴重な古いオリジナルは一ヶ所にまとめられないんだよねぇ。
でも例外的にすごい量が集まっているのが」
「もしかして、うちですか?」
「そう。だって今ある魔道書の半分ほどは、その基礎を書いたのはスノーベルとブルーローズだよ? 直系の子孫のとこが一番多いに決まってるじゃない」
そーだったんだー……そりゃ家で読む本よりよそで読む本の方が読みやすくって当然だよね……思い返せば家にあった本のほとんどは古代語で書かれてたような気がするし。
「すでに知っている知識なら問題ないし。古代語の読み書きも問題なさそうだし。
腱鞘炎や肩こりになるかもしれないけどやってくれない?」
写本かぁ。どうかなあ。
悩んでるあたしの顔を覗き込んで、とてもそうとは見えない支部長は指を一本立てる。
「日給十アルゲンでどう?」
十アルゲン!?
「っていってもずっと働く訳にもいかないからやっぱり時給かな?
じゃあ時給一.五アルゲンで」
「やります!」
「公女!! 何でそんなに簡単に決めるんですか!?」
何よ薄! 即決しちゃダメだって言うの!?
「だって旅してるとお金は要るもの! 身元はしっかりしてるし!」
「いくらなんでも騙さないよ……
君らの一族、敵に回したら協会の運営が怪しくなっちゃうし」
エルフの呟きを聞き流してあたしは叫ぶ。
だってだって!!
「家への一泊も二食付きで十アルゲンなのにっ」
「「いやそれ安すぎ」」
二人から突っ込まれた……
ってことはあたしの金銭感覚っておかしいのかなあ?
いやいやそんなことはないはず。十アルゲンっていったら大金だもの。そのくらい大金なのに結構家の城に泊まる人が多いあたり、お金持ちって多いんだよねぇ。
「桜月でスミレ様のお家から協会までの交通費、覚えてらっしゃいますか?」
「四十アルゲンよね。アレは高すぎると思うわ」
料金表見てめまい起こしかけたもの。元々桜月は物価が高いのよきっと。
飛行機が高いのは仕方ないとは諦めつくけど――国内線ならともかく国際線だしね――電車であんなにするとは思わなかったからよく覚えてる。
「なんていうか、ずいぶん庶民的な公女様だね」
「別にお城に住んでるからお金持ちとは限りませんよ」
「いやそうなのかもしれないけど。
君のその魔封石、一粒だけでも八百アルゲンはするんじゃない?」
指差されたのは右手首の細かなビーズアクセサリーのような腕輪。
大きさはもちろんビーズ並。普通は魔封石だからってこのサイズじゃそこまでしないと思うけど。
いやそれより何より。
「石を売るわけにはいきませんよ。器がないとリサイクルできないし」
「リサイクルって……魔力、自分で込めれるんだ……?」
「はい。使った魔力は寝れば簡単に回復しますし」
あたしの受け答えに長くて深いため息。
「……世間一般とはズレれてるよその感覚」
いやズレがあるんだろうってことは分かっていたけれど。
そんなに変なのかなぁ?
でも自分じゃどこがどんな風にずれているのかは分からないし。
「ともあれ受けてくれるのはありがたいよ。
あ。スペルでかかれた本は一冊につき百五十アルゲン。
古代語のものなら三百アルゲン。ボーナスつけるよ」
「ありがとうございますっ」
やったー! ここでこれからの旅費分働こうっと!!
「じゃあこれからよろしく」
差し出された手を軽く握り返したあたしを、盛大なため息を吐きつつ薄は黙って見守った。