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ナビガトリア

lycoris-radiata
【第二話 花の都のとある怪談】 1.再会の布石

 日に日に青みを増してくる空は、確実に夏の訪れを告げている。
 もう少し経てば正午に広場で食事、なんてことは暑くて出来なくなるだろう。
 地元民にとってはすでに暑いのか、屋台の数多集まる広場で昼食を取っているのはほとんどが観光客だ。オープンテラスはすでに一杯で、ベンチにはぽつぽつ空席がある。
「はー」
 さわやかな空に似合わない、憂鬱そうなため息。
 嫌で嫌で仕方ない。そんな思いがこもった様子に、少年はむっとした顔で言う。
「何だよ」
 両手に屋台で買った食事を持って、ベンチで席取りをしていた青年に向かって言い募る。
「せっかく人が買ってきたのにさ」
 ぶつぶつと文句を並べる彼に、座ったままの姿勢で青年がへらりと返す。
「いやな、食事に文句があるわけじゃなくって、昼休みを一緒に過ごしてくれる女性が欲しいな、と」
 答えるのは黒髪黒目の桜月人。
 ぱっと見、少年と年が変わらないように思えるが、実際は五つも年上だ。
 最初年を聞いたときにはびっくりした。
 桜月人は童顔だと聞いていたが、彼に会って初めて分かった。
「だったらはやく彼女作ればいいじゃないか」
「それができりゃあな。
 食事の件に関しては、ソティルのお勧めの店はどこも旨いぞー」
「あ、そ」
 にかっと笑う姿は同年代よりも下に見えるくらいで、なのにどうやっても自分よりは大人で。ソティルはいつも困惑する。
「はい、どーぞ」
「お、うまそう。いただきまーす」
 器を差し出せば、待ってましたとばかりに食べ始める姿なんか、絶対年上に見えない。
 今日のお昼はもつ煮込み(ランプレドット)
 この広場にいる屋台が一番美味しいと思うし、ソティルのお気に入りだ。
 そういえば、最初にここを教えてくれたのはあの子だった。
 ちくりと胸を刺す痛みを無視して、ソティルも腰を下ろしてランプレドットをはさんだパニーノにかぶりつく。
「んで、どうしたんだ?」
 食べる手を止めて問いかけたのは青年の方。
「何が?」
 そ知らぬふりをしてソティルはもくもくと食事を続ける。
「何か話、あるんだろ? お兄さんに話してみなさい」
「……なんで」
 ちろりと彼の顔をうかがえば、なにやら苦笑している姿が目に入る。
「わかりやすしなー、お前」
「そ、んなこと」
「いいから、ほれ」
「う、たいしたことは」
 何でこの人にはばれてしまうんだろう?
 聞いてくれる事は分かっているけれど、どうにも言い出しづらくて言葉を濁す。
「で?」
「すっごく個人的なことだし」
 なおもごねると、青年は添えられたパンでモツを掬ってぱくりと食べて、気のないように呟いた。
「ま、そうだなぁ。別に聞きたいことじゃないし」
「む」
 口をもごもごさせながら話されて少し腹が立つ。
 でも、食事はしなきゃいけないから文句は言えない。
 彼は貴重な休み時間を使ってくれてるんだから。
「話したいんだったら話していいし、聞いて欲しいなら聞くさ」
「むぅぅ」
 聞いては欲しい。でも言いづらい。
 悶々としているソティルの横で、青年は彼を気にしながらも食事をすすめていく。
 そんな風に悩んでいるだけでも時間はあっという間に過ぎて。
「悪いソティル。今日は午後あるんだ」
 申し訳なさそうな青年の声でソティルは意識を彼に戻す。
「学校?」
「そういうこと。また夜に聞くからさ、ちょっと奮発してあそこ行こう」
「あ、うん」
 慌てて頷くソティルだが、それを確かめることなく彼は行ってしまった。
 しばし彼の後姿を見送って、ソティルは半分にも減ってないパニーノにかぶりついた。
 口の中でとろりと溶けるモツは美味しくて、ほんの少しだけ気持ちが上向く。
 でも。
「占いってあてになんねぇ」
『導きの星が現れる。勇気を持って一歩を踏み出せ』
 先ほど自称占い師という老人に言われた言葉。
 ただの言葉と受け流せればよかったのに。
 しかも勝手に占っておいて、お代は要らないとはどういう了見だあの爺。
「一歩。踏み出してないもんな」
 少年らしくない自嘲の笑みを浮かべて、ソティルは黙々とパニーノを食べる。
 思い出してしまった。今はもういないあの子のことを。
 一番の話題は美味しいお店のことで、彼女のおかげでソティルの舌が肥えたといってもいいくらい。
「あーあ。帰ってきたらいっぱい教えようと思ってるのにな」
 あの子の知らないカフェは何件増えたんだろうと考えかけて、止めた。
 それだけ彼女と会っていないという証になるから。
 忙しいのは分かってる、でも……もうそろそろ帰ってくると思う、帰ってきて欲しい。
「……待ってるんだからな」
 小さな呟きをパニーノと共に飲み込んで、暗い気持ちを置いていくように、勢いよくソティルは家に帰っていった。
 そこは広場で、観光地でもあり屋台も出てる人通りの多い場所で。
 だから誰も気づかなかった。
 先ほどまでソティルの座っていた場所で、淡い光がはじけて消えた。
 (待ってる)
 その言葉に魅かれたように、ほのかな光が空気に溶けた。

 何を言いたかったんだろな。
 正直、他の事を考えてられるほど授業は簡単なものではないのだけれど、ついつい思考がそれてしまう。今日は座学でよかった。実技だったら絶対に手につかない。ただでさえ絵画の修復というものは神経を使うのだから。
 昼のソティルの様子はどう考えても変だった。
 帰ってからまた聞いてみようとは思うけれど、他人に聞かれたくないのならばそれも難しいかもしれない。
 授業の終了を告げられると、青年は早めに帰り支度を整えた。
「あれ? ケイ、もう帰っちゃうの?」
「遊びに行かないのかー?」
「悪いっ また今度な!」
 声をかけてくれたクラスメイトに片手を上げて帰路を急ぐ。
 なんとなく……なんとなくだけど急いだ方がいい気がした。
 急がないと何かが起きてしまうような、そんな気が。
 予感は当たっていた。
 なるべく急いで校舎から出て校庭を突っ切り、校門をすぎたところでそれは現れた。
「よう圭。久しぶり」
 とても懐かしい言葉。思わず足が止まる。
 桜月語なんてずいぶん久しぶりに聞いたな、とか妙な感慨が胸に広がる。
「おーい。固まるな」
 もう一度聞こえた声に、ぎこちなく首を動かした。
 壁にもたれかかってくすくす笑っているのは黒髪黒目の桜月人。
 年頃は圭と同じくらい。長い前髪に隠れかけている瞳が楽しそうに細められる。
 その姿にものすごく見覚えがあった。
「忘れたのか? セカンダリ・スクールのクラスメイトを」
「す、す、すすすっすっすきーッ?!」
「気色悪い呼び方するな圭」
「本音?! 何だよっ 卒業してからまったく連絡寄越さなかったくせに」
 突然の再会に驚きつつも喜ぶ圭は遠慮なくバシバシと薄の肩を叩く。
 彼の攻撃から逃れるように薄はひょいと肩をすくめた。
「連絡先は把握してたさ。こうやっていつ役立つか分からないしな」
「さり気に、打算にまみれた話を聞いた気がするが?」
「気にするな。聞き流せ」
 へらっと笑う薄。
 彼が腹黒と呼ばれる理由はここにあるのかも知れない。
「突然押しかけてごめんねー」
「コスモス?! うっわー久しぶりだなぁ」
 ひょっこりと顔を出したコスモスに、険悪になりかけていた圭の顔がほころぶ。
「セカンダリ・スクールの卒業以来だもんね。何年ぶりかな?」
「四、五年ってとこか? なんかありきたりだけど綺麗になったなー」
「あははありがと。よく言われるわ」
「それで流すのかよ」
 笑顔で返すコスモスに肩を落として圭は答えて、彼女と薄に順番に視線を向けた。
「お前ら、そういう関係?」
「まごう事なき主従関係よ」
 探るような問いかけに、コスモスははっきりと答えた。
 隣で薄も重々しく頷いている。
 薄とだなんて冗談じゃない。想像すら脳が拒否する。
「主従って」
 圭は一瞬だけ訝しげな顔をして、すぐに理解の色が広がった。
「ああそっか。コスモスってそうだったな」
「そーゆーこと」
 あえて口にしない圭に感謝をする。
 こんな往来で貴族なんて単語が出たら、厄介ごとに巻き込まれかねない。
 とはいえ、薄が公女公女言ってる時点で無駄かもしれないけれど。
「で、いきなりどうしたんだ? 旅行にしたって突然すぎるよな」
「まあ詳しい話は歩きながらでも。下宿先に案内して欲しいだけだからな」
 きっぱり言い切る薄に胡乱気な視線を向けるコスモス。
 列車内でホテルうんぬん言ってたのはやはり嘘かと顔に書かれている。
 そしてやはり胡乱気な顔で薄を見る圭。
「……ホテルとか取ってないのか?」
「旅は節約が基本よっ」
 ごくごく当然な彼の台詞に、仕方なく答えるコスモス。事実は事実だし。
「なんていうか、本当庶民的だよな、お前の家」
「なんだったら今度同窓会でもする? 家で」
 コスモスの家は正確に言えば城だ。
 だからして広いし部屋は余ってるし、町一番の観光名所にもなっている。
 しかし代々魔導士なんて商売をしているスノーベル家。
 逸話や怪談には事欠かない。
 それを良く知っている圭も案の定首を振った。
「止めてくれ。俺も命が惜しい」
「失礼ねぇ」
 言われ慣れているのだろう。
 苦笑したコスモスは機嫌を損ねているように見えなかった。
 立ち話してても時間が過ぎていくだけと思ったのか、ゆっくりと歩き出す圭。
 その隣にコスモスが並び、一歩遅れて薄が従う。
「で、下宿先に案内って事は、お前らもそこに泊まるのか?」
「当然。二部屋きっちり空いてだろ?」
「さあどうだろ」
 あいまいな返事しか出来ないが、仕方ない。
 圭だって下宿している一人で、大家ではないのだから。
「まあ、一部屋空いてれば別に圭の部屋に押しかけても」
「……頼むからたかるな薄。
 っていうか俺のいるとこ、貸し部屋(アッフィッタ・カーメラ)だから、大家に先に話し通さないと突然行っても」
「電話で予約は済んでる。そちらの野上圭って下宿人は友人だから、彼に連れて行ってもらうってことで了承済みだ」
 馬鹿にするなと胸を張る薄に、二人はジト目で応戦する。
「……お前、それはある意味用意周到すぎるぞ」
「そっちの根回ししてたのね」
「当たって砕けろ的勢いで、常に突き進まれる公女のために下調べを欠かさないだけですよ」
「無鉄砲言うな」
「コスモス、お前偉いよ。こんなの雇い続けてるなんて」
 わいわいがやがやと思い出話や近況を話しつつ辿り着いた建物は、こじんまりとした家だった。一階は大家さん――家主が住んでいて、二階の四部屋を貸し部屋として提供しているとの事。
 今日は空き部屋が一つしかないが、明日になれば空くということで、今晩だけ薄は圭の部屋にお邪魔することになった。
「荷物置いたら玄関に集合な。まだどこも観光してないんだろ?」
 どうやら案内してくれるらしい。圭の申し出はありがたく受けることにした。
 コスモスに割り振られた部屋は二階の一番奥。もらった鍵を開けて入る。
 壁とカーテン、机や椅子といったインテリアは白。
 病院のようにどこか冷たい感じではなく、やわらかさを感じる部屋。
 備え付けの家具はところどころ補修の後は見られるものの、それがかえって丁寧に使われているんだろうと察せられる。照明はフロアスタンドとテーブルライトが一つずつ。
 一つしかない机の横にカートを置いて、必要なものを街歩き用のバッグに詰め替える。
 現金とペンにメモ。それから地図とハンドタオルをもう一枚。
『先ほどの男は知り合いか?』
「そーよ。クラスメイト」
 万一にでも聞かれたらまずいと思ったのか、珍しく黙っていたアポロニウスの問いかけに、コスモスは軽く答える。そんな彼女に少し憂鬱な色を宿したテノールが訴えた。
『あまり人を巻き込むのはどうかと思う。今までの例を省みて』
「……それ言われると弱いけどね」
 実を言うと、アポロニウスは狙われている。
 彼は古い時代……魔法協会の創成期の人間だ。今では失われてしまった技術や魔法を知っているため、その知識を狙われることがある。
 そのためコスモスは装備を怠らない。身分証明も兼ねる杖は無論のこと、常に身に着けているペンダントと右手首のビーズ細工に見えるブレスレットもすべて魔封石だ。
 コスモスは杖を使った魔法――属性魔法よりも、魔封石を使う魔法――魔導法が得意なので、魔封石のストックはたくさん持つようにしている。
 単純におしゃれや着飾っていると思われるような格好でも、その実かなりの重装備なのだ。
「やっぱり気になる?」
『何かあったら寝覚めが悪い』
「まあ、大丈夫だと思うわよ? 圭は悪運強いし」
 しゃべりながらも準備を済ませ、彼女は二人の待つ玄関へと急いだ。