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終の朝 夕べの兆し

Vol.2「progressus」 6.利用価値

 夜も更け、辺りは闇に包まれる。それは屋内であろうと大差ない。
 ところどころにある明かりの数は僅かで、明るさも乏しい。
 おまけに魔導師の基本的な服色は黒。時間帯故に出歩く人数は少ないものの目立つはずもなく、おとぎ話の影の国に迷い込んだかのよう。
 ――ゆらゆら揺らめく影に捕まったら、二度と戻ってこれない。
 そんな内容を思い出しながら、フェンネルは口を開く。
「今晩は」
 かけられた挨拶に、影たちは明らかに動揺した。
 三人そろってそこまで驚かなくてもいいだろうにとも思うが――部屋の扉の前で人が座り込んでいたのなら、やはりびっくりするだろうか。
「……貴方は?」
 問いかけに笑って返す。
「ここに宿泊してる人の護衛ですよ」
「護衛?」
 どこか不穏な響きを見せた相手に、フェンネルはめんどくさそうに言う。
「不埒な輩から可愛い妹を守ってほしいと、先輩直々の依頼を断るわけにいかないでしょう?」
「そうですか。……では」
 フェンネルをどう見たのか、彼らはしばし沈黙したのちに、一言だけ告げて去って行った。
 やれやれと口には出さずに思う。
 まったく、夜這いしようとは恐れを知らないというか。
 ディアマンティーナは見目がよろしい。大変よろしい部類になる。おまけに血統的にもかなりよろしい。
 そんな彼女にアプローチをかける者は多い。母数が多くなれば、まっとうでない方法をとる者の割合も増えてくる。ガイウスが心配していたのはそのためだ。
 学院は全寮制だが、もちろん男女の寮は別で監視もされている。
 しかし、協会での宿泊施設に男女の別はない。
 そもそも宿泊施設自体そう数がないので、混んでいる場合は相部屋が普通だ。
 年頃の異性ということでフェンネルは違う部屋を用意されているが、ディアマンティーナとルビーサファイアは同じ部屋を使っている。
 ちなみに、簡易ベッドを入れればいいのにとか言い放った後輩の頭には軽く拳骨を入れておいた。
 ここで見張りをしていることで諦める輩なら、まだ問題ない。
 無論、顔はしっかり覚えておいたので、名前を把握してガイウスに報告はしておくが。
 あくびをかみ殺し、フェンネルは薄い毛布にくるまって夜明けを待つ。
 乗りかかった船とはいえ、後払い分に上乗せしてもらわないと割が合わないなどと考えつつ。

 朝のやわらかい日差しは葉を通すとさらに優しいものになる。
 ざわざわとそれなりににぎわい始めた道のそば、食事処のテラス席に陣取ってカリカリとレポートを書き続ける後輩を見つつ、フェンネルは何度目かのあくびをかみ殺した。
「フェンネル先輩お疲れ?」
「まーな」
 良く晴れて、けれど暑くはない。
 そんな気持ちのいい空気の中、眠気覚ましにフェンネルはコーヒーを啜っていた。
 向かいに座るディアマンティーナは昨日までのだらだらが嘘のように、熱心にレポートを書きあげている。ペンが進まないとうるさかったが、とりあえず環境を変えたことが良かったらしい。
 ちなみに、ルビーサファイアは食事を終えて買い物中である。
 ここ数日寝不足が続いているせいで、フェンネルの瞼はかなり重い。
 テーブルに肘をついて頭を支える。軽く目を閉じてしまえばすぐにでも夢の国に旅立てそうな様子だ。
 適度なざわめきと程よい気候。まどろみに身を任せたくなるのも当然のこと。
 それを留めたのはディアマンティーナ。
「こんなところで何してるの?」
 大きな声での問いかけにフェンネルは顔を上げる。
 どうやら、いつの間にか目を閉じていたらしいことに気づいて顔をしかめる。
 ぼやけた視界に映るのは、呆れ顔の後輩の姿。そういえば、先ほどの呼びかけも呆れを多分に含んでいた。
 けれど、はっきりしだした目に映る彼女はこちらを見ておらず、視線はフェンネルの後ろへと向かっている。
「ケイン先輩」
「ディアマンティーナ、君か」
 懐かしい声。どっと疲れたような声音で彼は呟いた。
 とても見目のよい男だった。
 流れる髪は金糸のようで、肌は白く、宗教画に描かれた天の御使いのよう。
 ディアマンティーナの兄ルキウスとは違う、穏やかな美貌。
 ルキウスが人を糾弾し、裁きを下す天使ならば、彼は人をかばい守る側だろう。
 そして、そんなケインの周囲には人相の悪い男が二人。
 ディアマンティーナを認めて一瞬浮かれたものの、フェンネルに気づいたのか苦々しい顔をする。
 ということはつまり。
「よぉ、まーたトラブル巻き込まれてんのか薄幸美人」
「君もかフェンネル」
 からかい半分のフェンネルにケインはげんなりした様子で返す。
「先輩のお友達……じゃあないですよね。人相悪いし」
 ディアマンティーナが二人組をじっと睨めば、彼らは白々しくケインに声をかけながら去っていく。
「なんだ、また知り合いを見つけたのか?」
「おかえりなさい。ええ、先輩よ」
 言いながら近寄ってきたのは荷物を抱えたルビーサファイア。
 額の石が光を弾いているにしては強く輝いているのを見て取って、彼らは悟る。
 彼女が脅していたから、不埒者たちはそそくさと去って行ったのかと。
「それで、ケイン先輩はこんなところで何していたの?」
「ちょっとね」
 濁らせつつもケインは空いていた椅子に座る。
 なにかもう諦めの表情だった。見つかったら最後、とでもいうような。
 そんな彼を上から下まで眺めて、ディアマンティーナは不思議そうに言う。
「ケイン先輩、まだ就職されてないんです?」
「ああ……よくわかったね」
「だって旅装じゃないですか」
 確かにケインは旅装だが、だからといって就職していないと決めつけた根拠はどこだろう。任務で旅に出ているとは思わないのだろうか。
 そんなことを考えるフェンネルだったが、すぐに考えを改めた。
 基本、任務なら一人だけで行動をとらせるはずがない。
 ケインは、フェンネルと同じく学院時代にこの兄妹に振り回された一人だ。
 振り回す側に回ることも多かったフェンネルと違い、ほぼ振り回される側だった彼が一番の被害者かもしれない。
 とはいえ、ケインは別に魔導師として優れていないわけではない。
 むしろ一部が尖っていたからこそ、彼らと行動を共にしていたともいえる。
 その証拠に、もったいないと言わんばかりにディアマンティーナはため息をつく。
「ケイン先輩ほどの腕なら、宮廷魔導師として雇いたいってところたくさんあるでしょう? 先輩の好きそうなきれいなお嬢さんたくさんいますよ?」
「君はどういう目で僕のことを見ているのかな?」
 多少ひきつった声で返すケインだが、フェンネルはにやにやとした笑みで二人を眺めるのみ。
 学院在籍時の自身の所業を思えば、そういわれても仕方ないだろうに。
「だってケイン先輩なら、宮廷でもそつなくこなせるでしょう?
 フェンネル先輩は反抗的だって周りからいろいろ言われそうだし、本人も宮仕えなんて向いてなさそうですけど」
「そりゃそうだな」
 諸手を挙げて同意する。ああいう畏まった場所は合わない。
「確かにフェンネルは向いていないだろうけど、僕だって嫌だよ宮廷なんて」
 宮廷が似合いそうな雅やかな彼が本気で嫌がっているのを見て取って、ディアマンティーナは少し考えるそぶりを見せる。
 その様子に付き合いの長い二人は直感する。ろくなこと考えていないと。
「先輩方、みんなうちで雇えばいいのに」
 紡がれた、本音だととれる言葉に反応が遅れたのは、予想外すぎたためだ。
 一呼吸、二呼吸。たっぷりと間を取ってからフェンネルは何とか言葉を絞り出す。
「やめろ洒落にならん」
「君の家のお抱えって、宮廷よりもランク高くないかい?」
「そうですか? なにかと魔導師はうちに来たがりますけど、実際に来た人少ないですよ。すぐに帰っちゃうし」
「そりゃ、あんな伏魔殿じゃあなぁ」
「なんですかその言い方」
「危ないもんゴロゴロ転がってるんだから、実力がない奴は逃げ帰るしかないだろうよ」
「うち以外に管理できる場所がないから仕方ないじゃないですか。それに、先輩方は平気でしょう?」
「ルキウスの下につくのが気に入らねぇ」
 そう言ってやれば、それもそうですねと納得して、彼女は再びレポートに向かう。
 フェンネルとルキウスはライバルである。本人達以外からは悪友と認識されていても、ライバルなのである。
 目的や利益が合えば手を組みもするが、基本的に敵対するものだ――手を組む回数が多い故に悪友扱いされていることは一応認識しているが。
 面白くなさそうに答えたフェンネルを見やって、美貌の魔導士は問いかけた。
「それで、君たちはどうしてここに?」
「こいつの卒業試験。俺とそっちは護衛」
「ルビーサファイアだ」
 指さしてやれば、残っていた付け合せの野菜をつまみつつ挨拶をする彼女。
「初めまして。僕は彼女の先輩で、フェンネルと同窓のケイン・ブーセ。現在求職中です」
 そう答えた彼をじっと見つめるルビーサファイア。あまりにも強い視線に、困ったように笑うケイン。
「ええと……なにか?」
「随分お綺麗だろ?」
 茶化すようなフェンネルの言葉に彼女はこくりと頷く。
「そうだな、フィニアスの天使像のようだ」
「それは光栄ですね。あなたもボルテアの女神像みたいですよ」
 さらりと褒め言葉を返して、ケインはディアマンティーナに向き直る。
「卒業試験って、まだ一年くらい残っているだろう?」
「だって、もう楽しくないのですもの」
 書く手を止めずに彼女は返す。
「講義も知っていることばかりでつまらないし、興味のある資料は全部読み終わりましたし……在籍して得られるメリットがなくなったんです」
「そこで素直に時間を待って卒業しようと思わないのが君らしい」
 呆れたように呟いて、けれど優しく笑うケイン。
「それはどうも……終わり、と」
 カリカリと音を立てていたペンが置かれ、ディアマンティーナは席を立つ。
「じゃあ先輩、これのチェックお願いします。ルビア、買い物行きましょ」
「待てコラ」
「行ってきまーす」
 口を挟むまもなく、ニコニコと去っていく女性陣。
「相変わらずだね」
「残念なことにな」
 取り残された男性陣は深い息をついて残されたレポートに目をやる。
「……二重チェックするか」
「巻き込んだなフェンネル」
 恨みがましそうなケインに、フェンネルはそ知らぬ顔でレポートを差し出した。