Vol.1「sensus impotentia」 9.やり残したこと
ルビーサファイアに先導され、連れて行かれたのは町の入り口。
そこまで来てみれば、明らかに黒い群れがこちらに向かって飛んできていることが分かった。
先ほど見た虫の大群。姿かたちまでは判別できないが、それでもやはり嫌悪感が出てくる。
もう一度『遠見』の術をかけなおせば、虫の群れの奥に大型の影がいる様子だけは分かった。
「これが、ここに残った理由ですか?」
「ああ」
納得し――けれど呆れた様子の後輩に、ルビーサファイアはすんなりと返す。
『飛び鮫』はその名のとおり空を泳ぐ鮫だ。行く手を阻むものや目の前のものを襲う凶暴な魔物。故に第一級の危険モンスターに指定されている。
とはいえ、強さで言えば魔法を習得しているもの――【学院】でいうならば大多数――にとってはそう怖い相手ではない。
あれはそこまで高くは飛ぶことができない。剣や槍などの武器では届かない高さには逃げられても、魔法は届く。
四人もいれば『火の矢』あたりを連続で唱えるだけでもなんとかなるだろう。
とはいえ、いくらなんでも町を主戦場にするわけにはいくまい。
魔物の影の来る方角へ向かって走り出す。ぎりぎり、町の出口に間に合うだろうか?
「飛び鮫は私がやる。周辺の守りと……露払いを」
どんどんと近づき大きくなっている影を見やり、宣言するルビーサファイア。
「町への被害は心配するだけ損だぞ。なんせ守りの化け者がいるんだからな」
「あの程度の魔物に砕けるわけないわね」
そんな彼女に肩をすくめて、フェンネルとディアマンティーナは挑発的に返す。
「なら、いい」
口元だけの笑みを浮かべ、ルビーサファイアは向かい来る敵へと目をやった。
すっと伸ばされる右手。淡く光を纏う、額の宝玉。
凝縮する魔力にフェンネルが興味深そうに目を注ぐ。
大きく振られた腕が描く弧を追うように数条の炎が空を裂いて、飛び鮫に命中した。
【塔】の魔法は、呪文を唱えることなく大仰な動作も必要なく発動するのかと感嘆する。
厳密に言えば、【協会】式の魔法だって呪文は必要ないし身振り手振りもそこまで必要とはしないが、やはり術者の力量による。
効果が似ているとはいえ、系統の違う術は興味深い。
それは相手側にしても同じことだったらしい。
呪文を口ずさみつつ、何気ない仕草で町を振り返るディアマンティーナ。
たん、と足を踏み鳴らすのと同時に、淡い光のヴェールが町全体を包み込む。
ニーノは息を呑んで敷かれた結界と彼女とを見比べた。
一言言わせてもらえば、誰でも彼でもこんな術を使えるわけではない。
先ほどフェンネルが言ったように、ディアマンティーナは防御の術に並々ならぬ自信を持っている。かなりの実力を持った魔導士なのだ。
「そうだ」
思い出したといわんばかりに口を開くルビーサファイア。
「虫は出来る限り、傷つけないでくれ」
「はあ?! お前さっきおもいっきり巻き添えにして燃やしてただろう!」
「……失敗?」
「知るか!」
怒鳴るだけ怒鳴って、フェンネルはとりあえず術を紡ぐ。
火系の魔法では広範囲に巻き込んでしまう。なら自身が使える術の中では風系を使うしかないだろう。
ディアマンティーナはにまにま笑いながら傍観に徹している。
お前も働けと言いたいが、彼女はすでに自身の仕事を終えているし、万一集中が途切れて防御が消えてもまずい。……彼女に限って、それはないと分かっているけれど。
ニーノが放った雷撃に続き、再び火の矢が飛び鮫を襲う。
このまま当て続ければ、距離を保ったまま倒せそうだ。
そう計算しつつ、フェンネルも術を放った。
「お疲れ様、先輩」
ニコニコと笑うディアマンティーナは妙に機嫌が良い。
両足をそろえてしゃがみこんで、地面に寝転がったままのフェンネルを覗き込んでくる。
「てめぇ、自分だけちゃっかり逃げやがって」
どこかまだ揺れているような感覚が抜けない。
全身の重さを無視して、無理やり体を起こせば、フェンネルと同じく辛そうな様子のルビーサファイアとニーノの姿。
なだらかな稜線を描く沿道を見やれば、あちこち焦げ付き完全に事切れた様子の飛び鮫たち。
計三体の飛び鮫を相手にする羽目になろうとは思いもしなかった。
とはいえ、戦闘がきつかったということはない。
こっちに向かってやってくる飛び鮫に、ひたすら攻撃魔法を打ち込めばいいだけだったのだから、的に当てれば良いという点では楽とも言えた。
問題だったのは――
「なんだったんだあの虫。……まだ耳がおかしいぞ」
飛蝗と見間違えるほどの大群でやってきた虫たちは、かなりの騒音を持ってきた。
群れは町を通り過ぎてどこかに行ってしまったが、通り過ぎるその間がとても長く感じた。虫の羽音とはいえ、あそこまでの大群だとここまでの騒音になるのかと思い知らされたくらいだ。
飛び鮫を退治する際に巻き添えを食らった虫たちもあちこちに落ちている。
掃除が大変そうだなんてぼんやり考えて、ふと気づく。
虫の形に見覚えがあった。
「偽クルミ?」
「え?」
口をついてでた単語に、不思議そうに問い返すディアマンティーナ。
「そうだ」
首肯したのはルビーサファイア。
地面に腰を下ろしたまま、ぼんやりと周囲を見ながら彼女は続けた。
「偽クルミの原料――というより、魔物としての名はウィーギンティーアピス。約二十年周期で大量発生して大移動する虫だ」
「約二十年……」
引っ掛かりを覚えて問い返せば、はっとしたようにニーノが口を開く。
「もしかして先輩」
「ああ」
ふっと息を吐いて、ルビーサファイアはひどく静かな声で告げた。
「私はこの近くにあったレウィスの村出身だ。二十年前の『渡り』で滅んでしまったがな」
それだけを言って立ち上がる。
「戻るぞ。村長を安心させてやらないとな」
話は追々してやる。
そう告げて、彼女は踵を返す。ためらうことなく。
通常――魔物を倒して町に戻れば英雄扱い、宴を開かれて大いに持て成されるものだと思いがちだが、今回の場合は、村人のほとんどが避難――本人達はそうと知らずに――しているから、豪奢にもてなせというのも無理だろう。
出された食事は決して豪華とはいえないが、村の規模を考えれば十分に豪華なものだった。宮廷勤めのニーノはどう思ったか知らないが。
気遣った村長が引き上げてから、ルビーサファイアは口を開く。
「酒の肴にもならないだろうが」
そう前置きして話が始まった。
昔から、このあたりでは飛び鮫による被害が言い伝えられていたらしい。空に虫の大群があわられると飛び鮫が来る、と。
先ほどの様子を見てもウィーギンティーアピスは飛び鮫の良い餌なのだろう。餌が大量にいれば、追いかけてくるのは当然だ。
「エブル草の花が咲く周期とウィーギンティーアピスの大量発生の周期は一致する……今回のことで証明された」
カップを揺らしながら、ルビーサファイアは言葉を紡ぐ。
小さな子供に言い聞かせるように優しい声で。教会で司祭に告白をするように苦しげに。
「私が、セルフィーユ師匠と会ったのも『渡り』の時だった。見慣れない大人がいたから、こっそり後をつけた。小さな子供にはあることだろう? 結果的に、それが私の命を救ったのだが」
当時ロイック・セルフィーユの研究対象が飛び鮫だった。
本来の生息地から、かなり離れたこの地まで移動する理由、それを調べるためにやってきていた。
「飛び鮫が来た理由は分かったわ。でも、どうして対策してないの?
そこそこの魔導士一人いればなんとかなるでしょ?」
理解できないといった様子のディアマンティーナにルビーサファイアはため息交じりに答える。
「今回で、ようやく証明できたことだ」
「ことが起きてからじゃあ呼ぶには遅すぎる。常駐させておくには金がない……ってとこか」
「そういうことだ。パラミシアのように魔導士の絶対数が多い国なら別かもしれないが」
ちらりとニーノを見やれば、彼は複雑そうな顔で黙り込んでいる。
反論したいけれど出来ないといったところだろう。
「宮廷魔導士一人いれば事足りるし、騎士団がくれば十分すぎる程度……辺境故にそんなものを望むべくもないが」
「だから……だから先輩は魔法を学び宮廷魔導士になったんですか? 今日のこのときの為に」
ふっとルビーサファイアが笑う。普段の様子からは想像できないほどに儚く。
思えば、彼女が笑うところを始めて見た気がする。
「飛び鮫を呼ばないためにはウィーギンティーアピスが来なければいい。もしくは『渡り』の通り道に町を作らなければ良い」
諦めきった口調。きっとそのどちらの道も選べないのだろう。
『渡り』の通り道が毎回同じとは限らないし、同じだとしても見極めるには観察する必要がある。二十年は、長い。結果が出るのはかなり後のことになる。
そして、ウィーギンティーアピスを追い払うことも出来ない。
まず、方法をどうするかという問題もあるだろうし、ウィーギンティーアピスは偽クルミなのだ。
偽クルミは高値で売れる名物。もし仮にウィーギンティーアピスがまったくこの周辺に近寄らなくなったなら、町は貴重な収入源を無くすことになる。
ここにきて、ようやく分かった。
ルビーサファイアが宮廷魔導士を辞めた理由も、ニーノをわざわざつれてきた理由も。
がたりと音をさせてルビーサファイアが席を立つ。
「今日はもう休む。出発は」
「明後日で良いわよ」
途中で口を挟んだ雇い主に、彼女は驚いたように視線を向けた。
「村の人がちゃんと帰ってくるの、確認したいでしょ? わたしは別に急がないもの」
ただし、契約金の上乗せはなしだからねと念を押すディアマンティーナ。
「恩に着る」
「……ありがとう」
口元だけを綻ばせるルビーサファイア。ニーノもぼそぼそと礼らしきものを呟いている。
学生時代からこいつには――彼女達兄妹には振り回されてきた。けれど、こういうところがあるから、まあいいかと思わされてしまう。
ぐしゃぐしゃと頭を乱暴に撫でる……というよりも振り回そうとするフェンネルに対し、いつもなら嫌がって逃げるディアマンティーナはされるがままにしていた。