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終の朝 夕べの兆し

Vol.1「sensus impotentia」 7.赤の花

 宿泊すると決めた以上、特に急ぐことはない。
 ニーノはよほど疲れたのか、食事後はすぐに部屋に引っ込み、ルビーサファイアは散歩だといって出て行った。
 残されたフェンネルは愛剣の手入れでもしようかと思ったのだが、にっこり笑顔のディアマンティーナにつかまってしまい、現在は彼女に付き合っている。
 すなわち、条件の一つのレポートを手伝っていた。
「にしてもエブル草ねぇ」
「どうかしたんですか?」
 フェンネルのつぶやきに、ディアマンティーナは視線を上げることなく問い返す。
 ペンは羊皮紙の上で止まったまま、動くそぶりさえ見せない。
「実際に取って来いって言われたんだろ? なんか使い道があったか?」
「さあ? 研究してる人がいれば、いるでしょう?」
「そりゃそうだが」
 どうにも腑に落ちない。
 エブル草はこの辺りでのみ自生する植物ではないし、魔法薬やハーブとして使うようなものでもない。毒こそないが、ヨモギと間違えて医者に駆け込む者が年に二、三人はいるという。
 ディアマンティーナが言うように、研究するものがいればサンプルとして手元に置きたいだろうとは思う。が、研究畑の魔導士は自身の研究を他に知られるのをひどく嫌う。
 発表前の研究成果を他者に知られてしまうことは、研究を盗まれることに等しい。
 だから、こういったサンプル採取の場合も、自身で出向くか冒険者を雇うことが多い。
 ディアマンティーナは学院の卒業試験の一環としてこの仕事を請けた。卒業試験だから、試験内容および結果はすべて学院へ報告義務がある。つまり卒業試験生にやらせる訳がないのだ。
「単純に、周期だからじゃないですか?」
「あ? ……ああ」
 言われて気づいた。
 ヨモギによく似たエブル草だが、違いはもちろんある。
 例えば、ヨモギは葉の裏が白いが、エブル草はほんのり赤みがかっている。毎年目立たない花を咲かせるヨモギに対し、エブル草は約二十年周期でしか花を咲かせないなど。
「目当ては花の方か?」
「可能性としては高いと思いますけどね。周期もずれることがあるみたいですから、行ってみないと咲いてるかは分かりませんけど」
「へぇ?」
「実際、前々回はずれてたみたいですよ」
 すんなりと返ってきた答えに目を見張る。
 なんだ、ちゃんと勉強してるんじゃないか。
 興味のあることについてはとことん調べるが、逆に興味がなければスルーする後輩――とその兄の気質には苦労させられたものだ。
「逆なんじゃないんですか?」
 一向に進まないペンを置いて、ディアマンティーナは意味ありげに笑う。
「逆?」
「先輩は、どうして卒業試験生にこんなことさせるのかって思ってるんでしょうけど」
「卒業試験生だから選ばれたってか?」
 問いかけに、彼女は答えずただ肩をすくめるだけ。
 真意は読めない。この女はすべてを知ってる「ふり」をすることが巧い。そして、知らないふりをすることも。
 分かることは、ただの卒業試験と思わないほうがいいことだけだろう。
 その後まもなくルビーサファイアが戻ってきて慎ましい夕食が始まり、フェンネルが明日の出発は早めにすることを告げて、解散となった。

 翌朝、宣言どおりに早い出立。昨日以上に無口な旅路は、不思議と息詰まるものではなく、ほぼ予定通りに目的地――エブル草の群生地へと到着した。
 事前にディアマンティーナが調べていたとおり、ささやかな川の流れに沿って群生する緑の草々。そこに奇妙に赤い花がぽつぽつと咲いていた。
「エブル草の……花?」
 訝しそうに呟いたのはニーノ。
「だろうな。周期ばっちりだったわけだ」
 ということは、やはり目当ては花なのだろうか?
 ディアマンティーナは早速そこらの草を引っこ抜いている。
「待て、待て待て。採取するなら周囲の土をまとめて抜け」
「えー? 草なんだからこれでいいでしょ?」
「採取ってったら根も要るもんだ。もう一回取りに来たいのか?」
「それは嫌ね」
 しぶしぶといった様子で両手を使って地面を掘り起こし始めるディアマンティーナ。
 時折手を止めてじっと見上げてくるが無視をする。
 そもそも、手伝って欲しいといわれたのはレポートに関してだ。周りに頼る癖をこれ以上つけるのは良くない。
 視線をそらした先にたまたまいたのはルビーサファイア。
 彼女はエブル草の赤い花を眺め、それから南の空を見上げた。
 何かあるのだろうかと視線を追ってみるが、青い空に白い雲がたなびいているばかり。
 もう一度、フェンネルは視線を地面へ――そこに咲いている花へとむける。
 一面に広がるエブル草と点々と咲く花。
 緑と赤のコントラストは鮮やかすぎて――ひどく心をざわめかせた。

 花を含めたエブル草を一株なんとか掘り起こし、麻袋につめ終わった頃には太陽が中天に差し掛かる頃だった。
 なんとものんびりな……のんびり過ぎる旅路。
 とはいえ、急ぐ用事もないとばかりに、ディアマンティーナはのんびりと歩く。
 ちなみに採取したものをつめた袋は押し付けられた。一応忠告はしたが聞く気はまったくなかったらしい。
 それなりに重い荷物を押し付けられたフェンネルはとりあえず意識を切り替えた。
 こういう理不尽は今に始まったことではないし、やったらやり返されるのはディアマンティーナもわかっているだろう。仕返しは何も今すぐでなくていい。
 群生地から少し北上すればすぐにヴェンティの村が見えた。
「あそこか」
「そうだ」
「小さな町だな」
「大して産業もないからな」
 フェンネルの感想に返すルビーサファイアの声はそっけない。
「細々と農業で暮らしている町だ」
「……なあ」
 その言葉に嫌なものを感じて問いかける。
「もしかして、宿はないのか?」
「ない。が、村長宅に泊めてもらえる」
「どうして?」
 素朴な疑問はディアマンティーナから上がった。
「宮廷魔導士が来るんだから、村長がもてなすのは当然でしょう」
「私の人徳だ」
 そろっているようで微妙に違う二人の言い分に、ディアマンティーナは眉を寄せる。
 しかし追求はしなかった。そこまで興味を惹かれなかったのだろうか。
 そんな話をしている間に町の入り口へと差し掛かる。と、見張りだろう若者が嬉しそうに手を振ってきた。
「魔導士様! お久しぶりです」
「ああ。村長は?」
「ご自宅にいらっしゃいますよ」
 随分と親しげだ。何度か訪れたことがあるのだろうか?
「お連れの方ですか?」
「ああ」
 ルビーサファイアへ向けるものとは違って、こちらへの視線は鋭い。
 不審を隠そうともしない態度は、人の移動が少ない田舎故だろうか。
 その後も二、三言葉を交わし、ルビーサファイアが先頭になって足を進めた。
 足取りは迷いなく、数回通った程度とは思えない。
 道を行く間にも魔導士様魔導士様と親しげな声がかかる。
「ずいぶん人気者だな?」
「だから言っただろう。人徳だと」
 からかいに返される言葉は先ほどと同じもの。
 けれど、様子を伺ったニーノはかなり動揺している。
 この事態を予想していなかった、と見るのが正しいだろう。
 対してディアマンティーナはつまらなさそうないつもの表情。
 知っていたのか、単に興味がないだけか。
 まもなくたどり着いた村長の家でも丁重に迎えられ、宿泊の件もあっさりと了承された。
 村長いわく「魔導士様には世話になっている」からだそうだ。
「すまないな村長。こんな人数で押しかけて」
「いえいえ。魔導士殿の頼みとあれば」
 予想よりも若い――とはいっても、フェンネルの父よりは年かさの――男性はにこやかに返す。
「礼といってはなんだが、隣町で祭りがあるだろう?
 王からの褒美でこの村のもの達全員を祭へ招待なさった」
「なんと」
「先輩?!」
 突然のルビーサファイアの申し出に村長は目を見開き、ニーノが声を上げる。
 が、彼女は黙殺し、言葉を続ける。
「馬車の用意もしてある。夕方には迎えが来よう」
「なんとそこまで」
 言葉を途切れさせ、村長は視線を落とす。あまりの高待遇に気後れしたのだろうか。
 なにかを決意したのか顔を上げた村長は言葉を発しようと口を開き、そのまま動きを止めた。
 向かいに座るルビーサファイアがどういう表情をしているのか、後ろで立ったままに待たされているフェンネルたちには伺えない。
「今夜はあちらで一泊し、明日の夕方まで思う存分楽しんでくれ」
 強く言い切った彼女。村長は口をいったん噤み、彼女の名を呼ぶ。
「ルビーサファイア殿」
「どうした村長?」
「……かたじけない」
 ただそれだけ。言葉のやり取りとしては特におかしくない。
 が、二人には分かる――二人にしか分からないものが込められていたのは確かなのだろう。
 そして、そういったものに厄介ごとがくっついてくるのもまた、お約束なのだ。