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ナビガトリア

目が覚めたら

 夜中に不意に目が覚めた時、いつもする事があった。
 大丈夫。あの子は鈍いから、あたしの事なんて気がつかない。
 眠るあの子の顔を見て、恐る恐る手を伸ばす。
 規則正しく、かすかに上下する肩。
 伸ばした手に感じる空気の流れ。
 すやすやと。安らかな寝息をたてて眠っている。
 そう。眠ってる。
 そこでようやくほっとして、あたしはまた眠りに戻れる。

「何してるんだ?」
 唐突に沸いた声にゆっくりと首を回す。
 不思議そうに問い掛けたのは赤い髪の……アポロニウス。
 手には暖かそうな毛布が一枚。
 眠っているシオンにかけようとわざわざ持ってきてくれたんだろう。
 確かに今の自分の状況は変だと取られるだろうなとは思う。
 寝起きだからパジャマのままで、テーブルに突っ伏して眠っている弟の傍らに座り込んでいるのだから。
「ちょっとね……夢見が悪くって」
 アポロニウスから毛布を受け取って、シオンにかけてやりつつ答える。
 まったく幸せそうに寝て……
「牛乳でも温めるか?」
 気遣うように言うアポロニウスの言葉。だけど。
「……あんたガスレンジ使えるの?」
 見かけで言えばあたしと同じくらいだけど、こいつはつい最近まで石になってた大昔の人間だったりする。
 だから機械の類はきっと操れない。
「何回かやったからできる」
 あたしの予想はあっさりと覆されて、そのままアポロニウスはキッチンへと向かっていった。
 なんだか変な感じ。
 リビングにシオンと二人取り残されて。
 でもキッチンに立つアポロニウスの背中は見えて。
 普通の家の子は、こうやってキッチンで働いている人の姿を見るものなのかな?
 生憎我が家は城だし古いしで、こんな風景には縁が無かったけど。
「んぅ」
 どこか不満そうな唸り声に視線を下ろせば、鬱陶しそうに毛布を払う我が弟。
 ……人がせっかくかけてやったっていうのに。
 もう一度毛布をかけなおしつつも、腹立たしさはそんなに沸かない。
 それもやっぱり、あんな夢を見たせいだろうか?
 ことんとテーブルにカップを置かれて、不満そうなアポロニウスにようやく気づく。
「ありがと。でも香りつけくらいほしいわね?」
「蜂蜜なら入ってるぞ」
「香りつけって言ってるでしょーが」
 ぶつくさいいつつもカップに口をつける。
 暖かいものを口にすると、やっぱりほっとするものなのね。
 しばし会話も無く、ただ温かいミルクを飲む。
「後で運ばないとな」
 言われた言葉に、わざと大仰に返す。
「いいわよ。こんなところで寝るシオンが悪いんだから。
 明日になって風邪引いても自業自得」
「軽口にキレが無いぞ」
「……やっぱり?」
 アポロニウスとはかれこれ三年以上も付き合いがある。
 見破られるかなーとは正直思ったけど。
「悪夢は人に話したほうがいいと聞いたこともある。
 どんな夢見たんだ?」
 相談に乗るつもりなのか、それともただの好奇心か。
 どっちにせよ答えないとしつこく食い下がられそうだ。
「凄くヤな夢よ。だって……」
 言葉を区切りしばし口を噤む。
 カップを持っていないほうの手を伸ばして、さらりと金の髪を梳く。手入れしてるようには見えないけど、それは絡まることなくあたしの手から落ちていった。
「シオンが死んじゃうんだもの」
 触られたのが不満なのか、眉を寄せつつも決して起きない弟。
 よく眠っているのだと思う反面、こうやって表情が変わることに酷く安堵している自分がいる。
 大丈夫。この子は生きてる。ここにいる。
「そうか……」
 応じたきり、アポロニウスは何もいわない。
 こんな仕事をしているから、シオンにはいつも危険が付きまとう。
 だから不安からそんな夢を見てもおかしくない……なんて思ってるんだろう。
 でもね。
 本当はそうじゃないの。そうじゃないかもしれないけど。
 未来への不安じゃないの。
 それは……あったかもしれない未来。
 小さいころに。
 まだ赤ちゃんだった頃に、家の裏手の池で溺れたシオン。
 窓から落ちるその姿が。着水するその瞬間が。
 もがき泣き叫ぶその表情が。
 何年経っても消えない、傷跡。
 それが、あたしがしばらく光を失ったきっかけ。

 嫌な夢を見て、暗闇の中目が覚めて。
 どちらが夢か現か分からなくなる。
 そんな時は、確かめないと平常でいられない。
 いつの間にか時計の針は進んで、丁夜を過ぎたあたりであたしはようやく再びベッドに戻る。
 今度目が覚めるときは、幸せな夢で目覚めたい。
 そう、かすかな望みを抱いて。

希望をもたせるようなタイトルにもかかわらず、えらく暗いシリアスど真ん中な作品をお届けします。
本編では口を割らなかった「コスモスが一時期目が見えなくなった理由」です。
ナビガトリア番外編5「そしてはじまる腐れ縁」で子どもが溺死したという噂話を耳にしたとき、彼女が引きつっていたのはこういう理由です。

お題提供元:[もの書きさんに80フレーズ] http://platinum.my-sv.net/