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月の行方

【第十三話 月が満ちる夜】 3.もがけばもがくほど

 奇妙な浮遊感。五感の全てが、どこかあいまいなものになっていく。
 どこにいるんだろう? どこにいくんだろう?
 ……これからどうなるのだろう?
 急に訪れた不安。それに反応したかのようにふわりと何かが鼻をくすぐった。
 爽やかでいて、ほんの少しだけ甘い。慣れ親しんだ香り。
 ポーリーがくれた香のかおり。
 嗅覚が戻ったせいなのか。とたんにいろんなものが感じられる。
 焼け付くような太陽の熱。靴の裏の砂の感触。周りから聞こえる仲間のもらした吐息。
 いつの間にか閉じてしまっていた目を明ける。
 濃い青の空と砂の黄色。そして朽ちかけた木々と崩れかけた柱のようなもの。
「ここどこだ?」
「アルカの西、ファンの遺跡だな」
 思わずついて出た疑問に応えたのはミルザム。
 かなり疲れたのか、横倒しになった柱に腰掛けて、深呼吸を繰り返している。
「何でこんなとこに来てるんだッ?!」
「悪いね、お嬢さん。
 あいにくアルカの近くで俺が知ってるところとなると、ここしかなくってね」
 今にも掴みかからんばかりのユーラに、彼は片手を上げて何でもなさそうに応える。
 そうか。さっきのは転移魔法だったんだ。
 転移魔法は術者のよく知っている場所でないと、その効果が薄れるという。
 そう、下手をすれば空間の狭間で戻れなくなるという話もある。
 もっとも、その術を人の身で扱えるなんて話も聞いたことはないのだけれど。
 アルカの西と彼は言った。
 つまりそれは、先程倒した赤鬼たちの言葉を信用したという事で。
「ミルザム。鬼は本当にいるのか?」
「嘘は言わないだろうよ」
 何気なく聞いた問いに、何故かミルザムは視線を逸らして言った。
「何で分かるんだ?」
「勘かな。星読みとしての」
 おかしいとノクスがさらに疑問を重ねようとしたが、別の声がそれを遮る。
「でも……いるみたい」
「ポーリー?」
「何故それが?」
 言葉で応えず、ポーラが一点を指す。
 皆釣られてそちらに視線をやり、納得した。
 白々と太陽が照らす黄色い砂地。思ったより近くに見える真っ白なアルカの街。
 そのあちこちから煙が上がっていた。
「あ……」
「こりゃまた派手に」
「落ち着いてんなミルザム。他人事だからか?」
 絶句するユーラや暢気なミルザムとイアロス。
「ティア!」
 慌てて走り出すラティオ。
 しかしその背に不思議そうな声がかかる。
「理君?」
「なんだっ」
 いらいらしながらそれでも振り向くラティオ。
 邪魔をするなと文句を言う前に、声の主が浮かべている表情に虚をつかれる。
 ミルザムは困惑した様子でおずおずと口を開いた。
「祝君はクルクスの街の神殿に居られることをご存じないのですか?」
 固まってしまったラティオに、居心地の悪さを感じつつもミルザムは続ける。 
「スピカがお守りしてますから大丈夫でしょう」
「……何故ソレを早く言わない?」
「麦の君からお聞きになられませんでした?」
「聞いてない」
 一気に疲れが来たのか、不満顔で吐き捨てるラティオ。
 ミルザムもため息を禁じえない。
 二、三回大きく呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻しただろう。
 ラティオが再び口を開いた。
「だが、ティアがいないなら別に急がなくても」
「良い訳あるか!」
「うんそうだね。さすがユーラはやさしいね」
「ヒトとして当然だろっ」
 今の状況を把握しているのだろうか、ぎゃいぎゃいを言い合いを続ける二人。
 止めてくれと視線で懇願されて、仕方なくイアロスは口を開く。
「夫婦漫才もいいけどよ」
「誰が夫婦だっ」
 速攻で噛み付いてきたユーラを無視して親指でくいとアルカの方角を示す。
「ノクスと嬢ちゃん、もう行ってるぞ?」
「え」
 ユーラが慌てて振り向くと、確かに二人の背中は結構遠くなっていた。
 煙が上がっているのを確認した瞬間に走り出したんだろう。
「ちょっ 置いてくなよポーラッ!」
 慌てて走り出すユーラ。
 彼女に続いて走り始めるだろうと思われたラティオは、一拍おいて振り向いた。
「ミルザム」
「はい」
「ティアを頼む」
「畏まりました」
 真摯な言葉に深く礼をするミルザム。
 顔を上げた時には、既にマントを翻し走り去っていっていた。
「若いって良いやねぇ」
 そんな彼らを見守り、朗らかに笑うイアロス。
「さっさと追いついて露払いをしていただけませんかね、イアロス殿?」
「ああっ 俺ってば働き者!」
 ミルザムに蹴られて、イアロスはやけくそ気味にえっちらおっちらと走り始めた。

 簡単に崩れていく壁。逃げ惑う人々。
 そんなものはどうでもいい。
 逃げるなら逃げろ。向かってくるものだけ排除する。
 ここにもいない。居られない。
 黒鬼はただ一人を捜し歩く。
 ここに居られるはずだ。あの方の大切な大切な……せめて、お救いせねば。
 『救う』?
 自らの思考に、その矛盾に気づいて鬼は笑う。
 なんと言う皮肉か!
 かつての昴を殺すためにこの地へ来て、今度は救うためにここに来た。
 結局自分は道化でしかない。
 のろのろ動かしていた足を止める。
「見つけたぞ」
 声と同時に右手の壁をぶち破り、そのまま奥にいた人物をも弾き飛ばす。
 ただし、死なないように手加減をして。
 弾き飛ばされた人物が咳き込みながらよろよろと身を起こす。
 埃まみれになった鮮やかな金髪と豪奢な神官服。
 ソール教の法王。
 彼は憎悪に満ちた青い目で鬼を見上げてきた。
「おのれ魔王めっ」
 うめく法王の胸倉をつかみ、片手で持ち上げ鬼は問う。
「言え。『ソール』はどこだ?」
「なん……だと」
「二度も言わせるな」
 ぴしゃりと言い切ると、戸惑うような声で法王は聞いてきた。
「聞いて……なんとする」
「知れた事を」
 一つしかない目を細めてにやりと笑う鬼。
 恐怖を煽られたか、はたまた罵詈雑言を浴びせようとしたのか。
 法王は大きく口を開け、直後に激しく咳き込む。
 先程の攻撃が強すぎたのだろうか?
 だが、今すぐに命にかかわるものでは在るまい。
 そう判断して、鬼はことさらゆっくりと言い聞かせるように告げる。
「我を『魔王』と呼んだな。ならば貴様はどうだというのだ?
 親子を引き裂き、心を壊し、躯すら利用する……貴様らはどうだというのだ?
 その内に潜むものは、我に劣らぬであろうよ」
 (おもて)の裏に隠したものは誰にも見せられぬ。
 『裏を見られる』故の『恨み』。
「神よ……ッ」
 絞るような声で法王が救いを求めた、その時。
 鬼の絶叫が響き渡った。

 一瞬だけの激しい痛み。直後にがくんと力が抜けた。
 そのまま膝をついたノクスに最初に気づいたのはポーラ。
「どうしたの?!」
 どうしたかなんてノクス自身にも分からない。
 声に不安の色が濃いポーラ。
 だけど安心させようにも、力が入らず立ち上がれない。
「なんだ?」
「いや……なんか急に力が抜けて」
 声が出たことに少しだけほっとする。
 なんなのだろう、この虚脱感は。
「走りすぎたのか?」
 やわだなと文句を言いつつもユーラも心配そうに近寄る。
 神殿の正門前。今から鬼に挑もうというところで主戦力がかけるのは痛い。
 ちなみに、主戦力の一人だったであろうイアロスは、神官兵の皆々様とともに街に侵入しようとしている魔物を必死に食い止めている。
 これ以上の戦力損失は避けたい。
 だがノクスは膝をついたまま立ち上がらない。上がれない。
 理由なんてわからない。
 だけど、傷んだのは左手の甲。つまりは――『奇跡』。
 俯いたまま起き上がらない彼の傍らにポーラがしゃがみこむが、言葉をかけられずおろおろするだけ。
「ノクス」
 何かに気づいたのだろうか? ラティオの呼び声は酷く硬い。
「お前まさか」
 多分に含まれた畏れの色にぎくりとした。
 気づかれた? 俺が『奇跡』を持つことに?
「剣の副作用か?」
「は?」
 予想外の事を言われて思わず顔をあげる。
 しかしラティオの顔はいたって真面目で、おまけに横からもわしっと腕をつかまれ、揺さぶられた。
「本当なの?! 剣のせいでそんなになっちゃったの?!」
「いやそれは……どうだろう?」
 多分違うと思いつつも、それを言えば理由を問われることは明白なので、あいまいに言葉を濁す。
 とはいえ、これ以上立ち上がれないとなると彼女が今以上に騒ぎ出すのも明白。
 掛け声をかけて膝に力を入れると、先程までの虚脱感が嘘のように、普段どおりに立ち上がれた。
 手を握ったり開いたりしても違和感はない。……多分、大丈夫。
「足止めしたな、悪い。さ、早く行こう」
「でも」
 早々に納得して背を向けるユーラと違い、ポーラは未だ不安げな眼差しで彼を見上げてくる。
 安心させるように笑って付け加える。
「大丈夫だって……約束、したろ?」
 彼の言葉に瞬き一つして、ポーラはこくこくと頷いた。
 そう。約束した。必ず自分が守ると。
 彼女に笑みを返し、ノクスはラティオたちを追ってまた走りだす。
 決戦の場所――神殿に向かって。
 迷いなく前を進む彼の背をしばし眺め、ポーラは決意を新たに杖を握り、走り出した。

 身の内を吹き荒れる奔流。それは赤い色をしていた。
 赤い光を確認した瞬間に、とてつもない虚脱感が鬼を襲う。
 力が抜けた手から法王が落ちる。
 そのまま手を壁について荒い息をつき、何とか倒れる事は免れる鬼。
 息を整え、未だ光を放つそれを――石を手にした人間に問い掛ける。
「貴……様……何を……」
「ただ返していただいただけですよ?」
 あまりにも軽いその受け答えは、金の髪と琥珀の瞳の青年のもの。
 ソール司祭――バァル。
 左の掌には見慣れぬ文様が彫られており、鬼から湧き出た赤い光が浮いていた。
 くるくると回りながら光放つ、赤い宝石。
「『奇跡』?」
 呆けた法王の言葉にゆっくり頷いて、バァルは慈しみの眼差しで『奇跡』を見る。
「これは元々あの方のもの。ならば、返していただくことこそが道理」
 そうだ。そのとおりだ。
 喜びの感情そのままに法王は声を出しかけ。
「モノ、だと?」
 地に響くような低い声がそれを遮る。
 闇そのものの色をもつ鬼が、ゆっくりと立ち上がった。
「モノと呼ぶのか!!」
 怒声とともに風が吹き荒れる。
 法王は壁に打ち付けられたが、バァルは目を閉じるだけでそれを難なく耐えた。
 多少勢いがあるとはいえ、ただの風。
 鬼が操るにしてはかなり弱弱しいもの。
 力の大半を『奇跡』とともに持っていかれた。
 それを悟って鬼は歯噛みする。
 この体たらくでは今ここで挑んだとて返り討ちにされるだろう。
 徒人に負けるつもりは毛頭ないが、『奇跡』を手にされていては……!
 ここは退くか? いや……今更退いてどうなる?
 思考し、その必要はないと悟る。
 時間が来た。
「まあよい」
 歓喜の色が混ざらぬよう細心の注意を払って言葉を紡ぐ。
「先にあやつらから血祭りにあげてくれよう!」
 言ってそのまま壁を破壊し、下へ……中庭へと落ちていった。

 あまりの光景に、彼女はうめいた。
「うわ……」
 白亜の宮殿とも見紛うた――そんな神殿が今は見る影もない。
 柱は壊され、壁は砕かれ。煙や粉塵が舞っている。
「また派手に壊されてんな」
「そうだな」
 ラティオの声が沈んでいるのは、多少なりとも愛着があるからだろうか?
 同じように辺りを伺いつつ、ノクスは奇妙な事に気づいた。
 あまりにも人がいない。こんな状況だから、怪我をして動けない人や逃げ遅れた人がいて当然と思っていたのだが。
 できうる限り慎重に歩を進めて大神殿へと急ぐ。
 あとはこの中庭を抜ければ。
 そう思った瞬間、上から破壊音。
 ハッとしてそれぞれ獲物をかまえ、ポーラやラティオはすばやく呪文を唱え始める。
「来たか」
 土煙の向こうから、闇色の鬼が姿を現した。