【第十二話 漆黒の憎悪】 4.惨劇の始まり
雪を握って小さな雪だるまを作りつつポーラは愚痴る。
「なんだか次々いろんな事おきちゃうね」
「情報が多すぎて整理しきれないよな」
応じるのはユーラ。
大人達が忙しそうに動いているため、子供達は外の雪かきなどをしていたのだが、それも終わってしまい暇を持て余していた。
何せラティオは手にした槍を思いつめた顔で眺めているだけだし、ノクスはミルザムに引きずられて行った。
なので、残された少女二人はガーネットとサダクビアの雪遊びに参加している。
雪像作りをすると言う二人に、ユーラはノリノリで協力しているが、ポーラは見学する事にした。
考え事は止まる事がない。
鬼を倒すとまでは決めていないが、相対することは疑いようがない。
一匹だけでも怖い鬼が三体もいる事実。
自分たちは本当に勝てるのかと不安にもなる。
でも、これだけは決めた。
『誰も死なせない』。
そのために、持てる力はすべて使う。
決意を新たに前を向けば、横から凄い衝撃が来た。
声をあげる事も、むしろ何かを考える間もなく、鼓膜に響く大きな声。
「ちい姫様ぁっ よくご無事で!」
懐かしい声にはっとしたのもつかの間、あっという間にカペラの胸に抱かれていた。
「さぞ心細かったでしょう。カペラが来たからにはもう安心ですからねっ」
「か、カペラ。そのあの、痛いから」
ぎゅーっと力の限り抱きしめてくる侍女に待ったをかける。
元々頑丈で力のある『彼ら』に遠慮なく抱きしめられると苦しくて仕方ない。
もっとも、ポーラ自身がノクスに対して同じ事をしてるとは気づいていないのだが。
「これは失礼を。
でも……本当にお可愛らしくなられて……」
ポーラの顔をよく眺めて、カペラは目じりに涙を浮かべる。
そんな彼女に対し、ポーラはようやく疑問を持つ。
「カペラ、どうしてここに?」
今までまったく姿を見せなかった彼女だというのに。
そんな思いが顔に出ていたのか、申し訳なさそうにカペラは頭をたれた。
「本来ならおそば近くでお守り致したかったのですが……遅れてしまい、申し訳ありませんでした」
「えっとそういうことじゃなくて」
「ですがご安心ください。カペラがちい姫様をお守りいたします」
「えっとそういうことでもなくて」
妙な漫才は、縁側を舞台にしばらく続いたという。
一方連れて行かれたノクスはというと。
「うん、そこでそのまま振ってみて下さい」
言われたとおりに剣を振り、突き、払う。
さっきから所謂『型』をずっとやらされている。それも実剣で。
その様子を眺めているのは自分より二つ三つ下の子供。
川を流れる水の青の髪は首の後ろで無造作に束ねられていて、エリカの花のくすんだ紫の瞳がじっと剣の動きを、そしてノクスの動きを見つめている。
「うーん、やっぱりおんなじに作ったほうがいいのかなー?」
「同じに作る?」
剣を振るのを止めて問い掛けると、子供――プロキオンは大きく頷いた。
「だって普通の剣で鬼に傷なんてつけられないんですよ。
だからやっぱり何とかできる剣を作るしかないでしょ?」
えへんと胸を張る彼。
その理屈はわかるが剣なんて簡単に作れるものなんだろうか?
「って訳だから、それ貸して頂きますね」
にこにこ笑って両手で催促。
とはいえ、これは長年愛用していた剣でもあるし、剣士なのに手放す訳にもいかない。
「お願いしますよ月の君ー。ちい姫様のためを想って」
「月の君?」
「そうですよ? お名前の意味が月ですから『月の君』です。
貴方様もまた星家の方なのですから」
キッパリ言い切られてはそうなのかと納得してしまうが、どうも『彼ら』の風習やらは分かりづらい。
「新しく剣を作るってことは魔法剣なのか?」
「……そうです」
一瞬だけ昏い瞳で応じるプロキオン。
「ですから楽しみにしていてくださいね。凄いの作ってもらいますから!」
言いたい事だけいって、ノクスの剣を引っ手繰るように奪ってあっという間に姿を消した。
「……今襲われたらどうするんだよ」
がらんとした土間に、ノクスの声だけが響いた。
ぴょこんぴょこんと飛び跳ねながら、燻は都を移動する。
顔なじみのもののけや幽霊と会話を交わしつつ、目指す先は宮殿。
大きく跳ねて塀を飛び越え、不恰好ながらも着地する。
「えーと、昴のとこはどこだっけなー?
お姫にもなんか食わせてもらえるかなー?」
わくわくしつつも回廊を跳ねて回る。
『彼ら』がヒトよりあやかしが見えるといっても、皆が皆見えるわけではない。
徒人を気にせず、ぽよんぽよんと跳ねて、何とか目的の部屋に移動した。
「お姫ー、お姫ー入れてくれよぅ」
流石に宮殿内でも昴の居室は強固な結界が張られている。
とはいえ、相手の許しがあれば入ることは出来るのだけれど。
御簾の向こうに見える影は昴かアースのものに違いない。
「オイラ燻だよー。お嬢に頼まれてきたんだぁ」
その場でぴょこぴょこ跳ねて訴えるものの、応えはない。
「大事な伝言ー」
「伝言?」
ようやっとあった反応は、燻のよく知った声ではなかった。
「あれ? お姫じゃないのかぁ。ってことは昴かー?」
不思議そうな問いかけに、明は身を震わせた。
小鬼とはいえ、またあやかしの声に応えてしまった。
どうしよう、どうしたらと身を硬くする明の耳に、暢気な鬼の声が届く。
「まぁいいかー。お嬢は昴にも言えっていってたしー。
黒鬼を操ってちっこい姫を狙ってた奴の正体だけどなー」
紡がれた名に、体中の血が凍った気がした。
「なん……ですって?」
「だからー鬼を操ってちっこい姫にちょっかい出してたのは、お姫を昴にしたかったからなんだとー」
のほほんとした小鬼の声が遠く聞こえる。
そう思うものがいる事は知っていた。
自分だってそう思うし、実際そう訴えた。
でも……明は知っている。彼女が昴になれない理由を。
導が生まれて、ようやくこの苦しみから解放されると分かって、どれだけ嬉しかったか。
「私は早くこの座から降りたいだけ。どう考えても導様こそが相応しい」
知らず言葉がこぼれる。
本来、昴の座を継ぐ『後星』となるには『星継の礼』を行う必要がある。
だが母も自分も儀式を行うことなく昴にされた。
過去にも星継の礼を行わぬままに昴となった例もあるにはあるが、それは先の昴の突然の崩御だったり資金不足だったり、何がしかの理由があった。
その辺をつつきだすとこちらとしても都合が悪いので話すことは無いけれど。
私がこの座から降りれるならいい。
だけど、それを画策した相手がよりにもよって。
「ところで昴ー。お姫はどこだー?
お姫にも知らせなきゃ、お嬢が餅くれないんだー」
「現さまにはわたくしからお話しておきます。安心してお帰りなさい」
不思議と、声は普通のものが出た。
「でもよぉ」
なおも何か言いたそうな小鬼は、もしかしたら義理堅い方なのかもしれない。
ちょうどそばに置いてあった菓子を、鬼に届くように思いっきり投げてやると、大口を開けてそれを受け取った。
「うっめえー。菓子ってこんなにうまいのかー」
「さ。もうお帰りなさい」
「わかったー。お姫によろしくなー」
ぴょんと小鬼が跳ねて消える。
それを見届けて明はこぶしを握り締めた。
許せないのは、自分をここから引き摺り下ろそうとした事ではない。
自分の思いを知っていて、それを利用した事。
「許せない」
唇をかみ締めて、明は考える。
どうすれば一番自分の望みに近いかを。
早く導にこの座を渡したくとも、後数年はどうしようもないだろう。
昏い笑みが浮かぶ。
ならばその数年間を報復にあてよう。
一生忘れる事などない傷をつけてやろう。
自分が持つ二つの切り札、全てを使ってでも。
暗い夜空に満天の星。
冬の空気は澄んでいて、星を見るのには最適だけど。
もっと着込んだ方が良かったか?
鼻を啜りつつも熱心に星を読むのはミルザム。
今ここで読み解いておかないといけない事は数多い。
鬼の動きや北斗の動きは勿論のこと。
この大陸の各国の情勢などなど。
「どうだ? 何か読めたか?」
静かな問いかけは着流し姿のアルクトゥルスのもの。
振り返りつつ答える。苦笑いが浮かんでしまうのは仕方がない。
「春に一波乱ありそうです」
「春か。ならば時間はあると言う事だな」
「そうなりますね」
「なら、それまでに何とかするしかないだろう」
鬼の正体を知って、やりづらくなったことは確か。
だが、かといって許せるような所業ではない。
「セドナはラティオに託せたし、姉者の遺骸で剣を作りノクティルーカに託して……
ちい姫は兄者の杖を持っているし、これで何とかなるだろう。
アイツが本気でかかってくるとも思えないしな」
「そう、ですね」
頷きながらまた空を見上げる。
鬼となった彼が望む事はきっと、自分を討ち取ってもらう事。
あのときの事を、今もまだ悔いているのだろう。
ふと、星が一つ輝きを変えた。
「麦の君」
「なんだ?」
急に硬くなったミルザムの声にいやなものを感じ取ったか、アルクトゥルスが顔をしかめる。
「時間は……少ないようです」
急速に輝きを、そして動きを変える星。
事態は、より混迷を深めていく。誰にとっても望まぬものへと。
後から思えば燻の一言が引き金を引いたのだろう。
しかしそれらはいつも、終わってから分かる事。
まして、そのときの彼女にはそれに抗う理由もなければ、反論すら許される立場ではなかった。
来訪を告げる声。
それが一層の混乱を招くものになったとしても。
門をくぐったところで待つ事少々。
あわただしい足音とともに、屋敷の主がまろびでてきた。
「現!」
「お久しぶりです。心君」
喜びを隠せない心に対し、アースは普段どおり……いや、変わらぬ表情のままで応じる。
「何を他人行儀な。よく無事で」
「ええ」
答えは短い。
その様子にサビクは首を傾げた。
末姫は普段笑顔を絶やさない方だ。
相手が気に入らないからといって、それを顔に出すような方でもない。むしろ、幼いころから後星として感情を表に出さぬようにとしつけられてきていた。
それに服装も変だ。
前に来られた時のような市女傘はかぶっておらず、狩衣を着て男装している。
しかも、なぜ浄衣とされる白の衣を?
心とて違和感を感じていない訳ではないが、会えた喜びのほうが先にたつ。
「ともかく良かった。積もる話もあるし中に」
「いえ。ここで結構です」
立ち止まったままにアースは顔をあげて、はじめて心と目を合わせる。
夜により光を集める雪のような銀の髪。
心を見つめる紫の瞳は、冷たい光を宿していた。
「今日来たのは『現』としてではありませんから」
「どういう意味だ?」
「心……いえ、レグルス」
問いかけに答えず、アースは告げる。
「大人しく縛についてもらいます」
「何?」
「畏れながら!」
眉を寄せる心に代わり、サビクが声を上げる。
「心君は星家のお方! いくら末姫様と言えど先ほどの暴言は」
「あなたの星位は剥奪されました。よってレグルスを罰する事は可能です」
「なっ」
淡々と述べるアースにサビクは息を呑む。
「何故!」
「昴の勅命です。それとも、心当たりは何もないと?」
「当たり前だ!」
感情が消えたかのようなアースの振る舞いに、レグルスは吠えるように答える。
「鬼を使役し、我が姪であり貴方の従妹でもある導に害を成そうとした」
告げられた真実に、何とか表情は変えずに済むことが出来た。
どこの誰が裏切ったのかは分からない。
だが、今はなんとしてもこの場を誤魔化さなくては。
「そんな不届き者がいるのか?」
白々しい問いかけに、一瞬だけアースの瞳が揺れる。
誤魔化しても無駄な事は知っているだろう。
それとも、実感できていなかったのだろうか。レグルスは。
星家の者は他者の感情に共鳴する。
「最初に言いましたよ。『現』として来たのではない、と」
静かな動作でアースは剣を抜く。
レグルスの見慣れた太刀でも刀でもなく、両刃の剣を。
「現!」
呼びかけつつも、レグルスはサビクに視線で指示を出す。
『破軍』の突然の訪問後に、屋敷の警護のために何人も戻しておいて良かった。
こうなってしまったからにはしばらく現を軟禁する。
そうして昴位を継ぐ準備を万端に整えてしまえばいい。
現は多少武術に通じているようだが所詮は女。
この人数相手にいつまでも我を張る事は出来ないだろうと考えて。
だが、レグルスが指示を出すより早く、金の光が闇を裂いた。
術を使ったわけではない。
だというのに、さきほどまで星明りを弾いていただけの剣が光を発していた。
白き衣と黄金の剣。
それが意味するものを――みなよく知っていた。
「わたしは、三種の神宝の一『日輪の剣』天日」
それは、神より賜った昴のための武器の名。
昴のための武器が昴に成り代わる事などあってはいけない。
よって、現が昴になることは――ない。
「歯向かうならば、昴の名に於いて成敗します」
あくまでも静かな『天日』の声。
先ほどまで僅かに残っていたものが音を立てて崩れていく。
今彼女に逆らうことは、昴に敵対する国賊となることを意味する。
項垂れるレグルスとその一派は、遅れてやってきた兵たちに一人残らず捕らわれた。
赤い光の奔流が収まった。
こんなものかと拍子抜けした。もっと何か副作用でもあると思っていたのだが。
ふっと浮かぶのは苦笑。
今更この身に何か変化があるわけもない。
だが、このタイミングで忌まわしい束縛が解けたのは重畳。
目の前の亡骸に、少しの黙祷を捧げる。
と、閉じたまぶたの裏に、見たことのない情景が映し出された。
「そう……言う事かッ」
抑えきれない感情に反応するように風が渦巻き、周囲の壁を傷つける。
「あの時もその時も……すべて手を引いていたのかっ」
感情のままに吹き荒れた力が部屋を破壊し、塔そのものが崩れ行く。
爆発音に気づき兵が駆けつけるが、犯人を見つけたとたんに動きを止める。
天に向かって一声吠えて、黒い鬼は空を駆けた。