【第十二話 漆黒の憎悪】 2.顔をあげて挑む
泣いて泣いて泣いて、泣き疲れて眠って。
ぼんやりと意識が浮上してくる。
ばたばたとした足音とか、ほんの少し漂ってくるいい香りとか。
そういえば、おなかすいたなぁ。でもまだ眠たい気もする。
このまま眠ろうか、それとも起きようか?
ぼんやりした意識でポーラは考えて、食欲よりも睡魔が勝り、もう一度意識を手放そうとした時にそれは来た。
カラカラと障子を開ける音。
冷たい空気が入り込んできて体が縮こまる。ほんの少し意識が戻る。
頭のほうに複数の気配。
起こしにきてもらったんなら、起きなきゃいけないかな。
ぼんやりとした頭で考えていると、とてもたのしそうな叔父の声が聞こえた。
「ナシラー♪ 赤飯の準備はしてるか~?」
「麦の君! そんな大声で!」
「起きちゃいますよッ ほら静かにっ」
慌てた声と障子を勢いよく閉める音。
それを境にまた静寂が訪れ、結局彼女は再び眠りに落ちた。
久しぶり……と言っても二、三日だが、それでも我が家に帰るとほっとする。
はずだったんだがなぁとアルクトゥルスは虚ろな目で天井を仰いだ。
ラティオとユリウス・ユーラ親子。義兄と姪にその許婚。
連れ帰ったのを含めれば部下は三人。
それに鬼が置いていったというイアロスという戦士。
自分の家族を含めればさらに人数は増える。全員が揃っている訳ではないのだけれど、それでもこうも一気に人口密度が増えるとは。
「それで……鬼が挑発してきたって?」
「ええ」
確認すれば妻が重々しく頷く。
「アリア王妃を人質にとって……義姉上を手にかけた、とも」
「なるほどなぁ」
思ったよりも動揺していない夫に、ナシラは不信の目を向けるが、彼は淋しげに微笑んだ。
理解してしまったから。鬼の望みを。
つまりそういうことなのだ。
鬼は……あいつは裁かれる事を望んでいる。
人質たるベガがいなければソール教はこちらにちょっかいを出しづらいだろう。
それに玉がちい姫――導に譲られた以上、姉も居続ける理由を失った。
先の昴を殺した鬼を討つ。
それを成し遂げた姫の即位を阻むことは難しい。――いくら北斗であろうと。
北斗は七人。その意志が統一されているとは言いがたい。
明を冠した現状維持を望むもの。
意気消沈している民に光を与えるべく、導の即位を望むもの。
――本来もっとも相応しい、現を座に据えようと目論むもの。
「あなた?」
思考は妻の声で遮られる。
「なあナシラ。私は、本当にどうしたら良いんだろうな」
「どうしたらもなにも」
聞かれて、妻は呆れたように問い返す。
「いきなり聞かれても私にはわかりません。
貴方は何もお話してくださっていませんもの」
「ああ、そうだったか?」
「そうです」
神妙に頷いて、それからナシラは笑った。
「ですから、話してくださいな。
みんなで考えればきっと、良い考えが浮かびますから」
同僚を目にして気が抜けたのか、プロキオンはいきなりミルザムに殴りかかった。
「って感じで鬼が出てきたんだよっ
なんで僕が居るところに鬼なんか出てくるんだヨーっ」
「そんなこと私に言われましてもッ」
殴りかかるといっても相手は子供。とりあえず殴られる前にひょいと避ける。
体格差から押さえつけるのは簡単だが、子供というものは八つ当たりにも一切の容赦をしない。
故に、痛い思いをしたくないので逃げるに限る。
「それにカペラも鬼と対峙したんですから」
「改めて姫様すごいって思ったわ、本気で」
病み上がりゆえに少々顔色は悪いものの、調子は戻ってきたのかげんなりというカペラ。彼女を見て落ち着いたのか、プロキオンも気になっていた事を聞く。
「でもさ。どうして二人がここに? 心君のとこいなくていいの?」
「それがどうも、その心君が怪しく思えてきましたから」
「なんで? ちい姫の即位に一番積極的だったじゃない」
きょとんとした彼に顔を見合わせる二人。
「だってそうでしょ? もう昴位を継げるのってちい姫しかいないじゃない。
今上には御子が居られないんだから」
どこが間違っているのかと胸をはって言い切るプロキオンに、カペラが聞いてみる。
「星家には末姫様も居られますけれど?」
「それはそうだけど」
不満そうに呟いて、それからはっと顔をあげる。ミルザムとカペラの顔を交互に見つめ、プロキオンの顔にも理解の色が広がった。
「そういうこと?」
問いかけに頷かれ、少年はため息を吐く。
「なーるほどネ。鬼が『本気で人間を守ると思ってるのか』って言ってたけど、別の意味でも守ってくれてそうにないよー」
アリアはポーラの恩人だ。
セラータに居るはずの同胞が、こちら側ならば守るだろう。
だが、別の場所に立っているならば……
「あーもうヤダ! 暗い話題ばっかり!! 明るいのが欲しいッ」
「欲しいといわれましても」
先ほどまでの態度と違い、最初の駄々っこ状態にもどったプロキオン。
ミルザムは呆れ果て、カペラも苦笑をもらす。
「どんなのが欲しいんですか」
「ミルザムが吉日を占えばいいんだよ!」
吉日を占う理由はいくつかある。だが今の状態で思い浮かぶのは一つしかなく、現時点でそれ以上の慶事もまたない。
「そういえば……同衾されてましたね」
「あ、それボクがお手伝いしたんだよ♪ ちい姫様がしがみついたままお休みされたから、婿殿にも強制的にお眠りいただいたんだ」
得意そうに言うプロキオンだが、果たしてそれは正しい姿だろうか?
疑問を抱くものの、ミルザムは考える。
まあいいか。後でノクティルーカをからかってやろう、と。
「一息ついたらお腹すいちゃったー。
奥向きの方お手伝いに行ったほうが良いかな?」
「私が行きますからプロキオン殿はお待ちください」
「今日のご飯は何かなあ?」
「あー。お赤飯じゃないですか?」
沈痛な空気の漂う屋敷で、ここだけが明るい空気を醸していた。
周りを囲まれて、彼がまず最初にいった言葉は。
「とりあえず、お前ら恨む」
すかさず視線をそらせた辺り、心当たりは多いにあるらしい。
かみすぎて赤くなった鼻は笑いを誘うが、据わった目が怖くて笑えない。
「雪ン中に落とされた人間をいつまでほっとく気だったんだ?
凍死するだろうがッ!」
があと怒鳴って、素焼きのコップをちびりとかたむける。
体は温まり喉も潤せるし一石二鳥。味も文句はない。
「で? 俺の話を聞くのはこの人数で良いのか?」
「あまり大人数で囲まれるのも嫌だろう?」
「そりゃそーだけどな」
苦笑するミルザムに笑い返し、イアロスは玉子酒を飲み干した。
「アルは聞かなくて良いのか?」
セラータは彼の故国だ。まして従妹の安否も気になるだろう。
だがその問いかけに返るのは苦い顔。
「父上は、その」
「義兄上は今ちょっと」
言いにくそうに娘が目を逸らし、義弟だという家主も視線を彷徨わせる。
「それはともかく、なんでイアロスが鬼に連れてこられたんだ?」
「理由なんざ知るか」
ノクスの問いかけには面白くなさそうに返し、イアロスはとりあえず話をする事に決めたらしく座りなおした。
「そもそもユリウスの代わりに旗色悪そうなアルのとこに行ったわけだが、戦をやめろやめられねぇでアルと王が言い争って、逆上して斬ったんだよなー」
少女が肩を震わせるが、それに気づかないふりをしてイアロスは続ける。
「でもなんか仕組まれてた気がすんだよなぁ」
「仕組まれていた?」
「ああ」
気安く頷いてイアロスはそのときを思い出す。
気になったのは二つ。剣を抜いて王へと向かうアルタイルを、近衛兵は誰も止めようとしなかったこと。
皆が戦を進める王に反感を持っていたかもしれない、だが。
斬られた王が満足そうに笑っていたのはどういうことか?
「アルには大して追っ手がかかったようにみえねぇし。王殺しは大罪だぞ?
セサル王子がクーデター起こしたせいかもしれねぇけどよ」
「クーデターの首謀者はセサル王子なのですか?!」
「あ? 知らなかったのかユリウス?
知らねぇ奴もいるだろうから説明しとくな。セサル王子ってのは先代のレナート王の庶子で、現王マウロ一世の甥にあたるんだ」
「つまりマウロ一世は王弟だったということですか?」
「政争じゃ多いことだろ?」
「イアロス殿!」
「俺ぁ他国の人間なんでね」
咎めるようなユリウスにもイアロスはどこ吹く風で笑い飛ばす。
「あー、何かどこも同じだなー」
遠い目をして呟くアルクトゥルスを不思議そうに見たのはノクスとポーラ。
流石にこの状況で話そうとは思わないが、いずれ告げることにはなるだろう。
「でもって俺が終われる羽目になったのはアリアに関係してんだよな」
「アリア様は無事なんですか?!」
「落ち着きなって嬢ちゃん。アリアは生きてるし元気だ」
安心させるように笑うとポーラは安堵の息を吐いた。
「そのアリアの頼みで城内うろついてたら、見つかっちまってねー」
「誰に?」
カラカラと笑うイアロスに鋭く問いただすのはアルクトゥルス。
「誰っつってもなー」
「鬼を使役するものとなると『我ら』に近しいものと考えられる。
詳しく聞かせていただけませんか?」
「つってもなあ」
なかなか口を割らないイアロスに、アルクトゥルスは笑う。
義兄は良い友を持っている。
イアロスは情報を提供しているようで、重要なことは話していない。
だが、どうしても聞かねばならない。
「仇の名を教えていただけませんか?」
「仇?」
不思議がるイアロス。またちい姫に嫌われてしまうなと思いつつもアルクトゥルスはそれを口に乗せる。
「貴殿を襲った鬼に、姉は殺されました」
「姉って……」
言いたい事を理解したのだろう。イアロスの口からうめきが洩れた。
「なるほどな。そりゃ……アルも平常じゃいられんわ」
ふうとため息一つ。
「つっても名前までは知らん。相手もそんな迂闊な真似はしなかったしな」
「ええ」
「たいした事じゃないかも知れねーが、文句は聞かないぞ」
前置きしつつ、イアロスはそのときの状況を話し始めた。
「確か『娘とて、切羽詰った状況でなければ棄てることもない』だの、『正当な理由があって追放した』、『禁忌の手段を持ってして国を混乱に陥れた』だの話してたな。王子の側近か何かしらねーが、銀髪の男と金髪に褐色の肌の男が」
「なっ」
突然の叫びに、皆が驚いて彼を見つめる。
「どしたユリウス?」
「金髪に、褐色の肌?」
「なんだ? 知ってるのか?」
犬猿の仲のミルザムに、揶揄するように聞かれても応えはなく。
幾度目かの呼びかけの後に、ようやくユリウスは口を開いた。
その方こそ、セサル王子だ――と。