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月の行方

【第十一話 希望の行方】 3.何から話そう

 はらはらと舞い落ちる雪。
 室内から見ているだけなら、単純にキレイだと思えるんだろうけれど。
 人から見たらきっと馬鹿だといわれるだろう。こうして雪の中を進むなんて。
 最初の頃はノクスもラティオもよくこけた。
 足跡のついてない雪の上を歩くのも大変だけど、一度溶けて再び固まった雪の上を歩くのも難しい。
 この国で生まれ育ったユーラは難なく歩くし、セラータ出身でも雪にはあまり慣れてないだろうポーラも、バランス感覚がいいのかこけるまではいかなかった。
 なれない道を歩くのは時間もかかるし体力もいる。
 そういう訳で自然とゆっくり進むことになる。
「ほら。もうすぐ次の町だぞ」
「わかってる」
 急かすユーラに投げやりに返す。
 剣やら鎧やらのせいで足が雪に沈み、歩きにくいことこの上ない。
 額の汗を腕でぬぐって、後少しと言い聞かせて歩く。
 体調を取り戻してからはユーラはもう生き生きとしている。
 逆に元気がないのが暖かい地方で育ったラティオ。
 普段はものすごく滑らかな口の動きが悪いのは、やっぱり元気がないせいだろう。もしかしたら、それがユーラの機嫌にも関わっているのかもしれない。
 常と変わらないのはポーラ一人。時折会話に混じりながらも黙々と歩いている。
 知らず辺りを見てノクスはため息ひとつ。
 吐く息は白く、手もかじかむ。
 この雪深い地に住む人たちはたくましいと思う。
 周囲がすべて白で彩られ、景色の変化の乏しい場所。
 街道はとうに雪で隠されていて、正しい道を進んでいる感覚も酷く薄い。
 頼りになるのは太陽のみといってもいい。
 特徴的な形の山か何かあれば、それも目印になるだろうに。
「日が暮れる前に次の町に着かなきゃなんねーのに、こんな調子じゃ間に合わねーぞ」
「ちょっと無理があったんじゃないの?」
「いや……昼前にはつけるはずの距離だったんだが」
 一旦足を止めてノクスは考える。
 進むのが遅いのは分かりきっているから、ルートだって余裕を持って選んでる。
 だから、太陽が中天を過ぎた今の時点で着いてないのがおかしい訳で。
「道間違えたのか?」
「ンな訳あるかッ」
 まさかと思いつつ、今日は先頭を行くと宣言したユーラを見やると憤慨された。
「ちゃんとネーヴェを目指してる!」
「ちょっと待て! 今日の目的地はブリーナだろ」
 慌てて聞き返す。
 今朝出立したルジアーダから北北東にあるのがブリーナ。真北にあるのがネーヴェ。確かに先を急ぐ状況ならブリーナに寄らず、ネーヴェを目指すべきなのだろうが……
「さっさと行った方がいいだろうが」
「ちゃんと歩ける距離計算してんだよ! 町につけなきゃ凍死だぞ!」
「着けば問題ないだろ。このくらいの距離なら前にも歩いたじゃないか」
 ぶうたれるユーラに構わず、ノクスは懐から地図を取り出し確認する。
「ネーヴェに向かって直進ってことは……ヴァランガ平原かここ!?」
 思わず叫んでしまった彼に、ユーラは瞬き一つして。
「……へ?」
「ヴァランガ平原……?」
 ポーラもまた信じられないといったように問い返す。
 冬のセラータを知らないというと、誰もが皆同じ事を言った。
 『ヴァランガ平原には近づくな』と。
 目印が少なく、土地勘のないものが入ると必ず迷うといわれている場所。
 足跡を目印にしようとも、思い出したように吹く強い風が上質のパウダースノーを舞い上がらせ、それを隠してしまう。
 太陽が隠れてしまえば、何一つ目印となるものはなくなる。
「……ヴァランガ平原だって?」
「……その可能性が高い」
 一人遅れて近づいてきたラティオに、ノクスはそうとだけ返す。
 今更ユーラを責めたって事態が良くなる訳じゃなし、どうせラティオが肩を持って自分の方を悪者に仕立て上げるに決まっている。
 口は災いの門とも言うし、余計な事は言わないに限る。
「もう少し進んで町が見えるなら良し。
 見えなきゃ……かまくらでも作って今日はそこで明かすか」
 諦めを含んだラティオの言葉に頷く二人。
「え?」
 奇妙な声をあげたのはポーラ。
 どうかしたのかと視線を向けられても、彼女は戸惑うようにきょろきょろ辺りを見回す。
「ポーラ?」
「どうしたポーリー?」
「え、あ……うん」
 答えになっていない言葉を紡ぐポーラの耳に先ほど聞こえた声がまた響く。
『もう三十歩ほど北へ向かえ。隠された小屋が見つかるだろう』
 山彦のようにどこか輪郭のない。落ち着いた大人の女性の声。
 聞き覚えなどまったくないけれど。
「かくされた……小屋?」
 確認するように繰り返すポーラの額にぺたりと暖かいものが触れた。
 それでようやく彼女の意識がこちらに戻ってくる。
「何?」
「それはこっちの科白だ。……熱はないみたいだな」
 手を離しつつ、少し難しい顔をして応じるノクス。
 ユーラも心配そうにこちらを見ている。
「突然どうしたんだ?」
「え……と。知らない声が聞こえて。幻聴だと思うんだけど」
「どんな?」
 言い難そうに答えるポーラに、ラティオが先を促す。
「もう少し北に、小屋があるみたいなことが聞こえたんだけど」
「なんだそれ?」
 不思議がるノクスにポーラも首を振って分からない事を意思表示する。
「まあ……行ってみるか」
「え?」
 どこか納得したような言い方をするラティオに、残る三人が不思議そうな目を向ける。
「本当に小屋があるならそれでいいだろう。
 無くても今ここで何かできるわけじゃない」
「それもそっか。じゃ、いこーぜポーラ」
 そうして進んで、声の通り三十歩ほど。
 小屋の姿など無い。けれど、ユーラを除く三人はその場に立ち止まった。
「何してんだよ。さっさと小屋探そうぜ」
「いや……何か」
 戸惑うように辺りを見るラティオ。
「違和感がある……ような」
 感じた違和感が自分だけでない事にほっとしつつも自信なさそうなノクス。
「魔法がかけられてる」
 断言したのはポーラ一人。
「魔法?」
「分かるのか?」
「うん、このあたり何か変だもの」
 逆に分からないのと問い掛けたそうにポーラは視線をやる。
「なら解いてみればどうだ?」
「私が?」
 びっくり顔のポーラにラティオは突き放すように頷く。
 最初にここの話をしたのはポーラだし、魔法がかけられていると断言したのも彼女。だというのに、何故そんなに不思議がる。
「えっと……じゃあやってみる」
 両手で杖を構えなおして、魔法がかけられていると思しき場所を見据える。
「在るべきものを在るべき姿へ。
 相殺せよ(コンペーンサー)魔力消去(デーレーティオー)
 泡がはじけるような小さな音。それと同時に陽炎のように小屋が姿をあらわす。
「本当にあった」
 信じられないように呆けた口調で言って、ユーラは呆然と小屋を眺める。
 屋根の角度が急で、使われている様子は無いものの朽ちていない。
 石は一切使われておらず、すべて木製。
 見た事無い建物だなと思い、ふとなんとなく地図を取り出して確かめるノクス。
 すると、今自分たちがいる辺りに小さな丸が描かれている。
 ミルザムから聞いたところによると、彼らの国の建物はほとんど全て木で出来ているという。
 この地図を作った人……アースに縁の人がこの建物を作ったんだろうか?
「あったならいい。今日はここで休もう」
 ラティオが扉に手を伸ばした時、まるでタイミングを計ったかのように開いた。
 ガラっと音を立てて、木製の戸が横にスライドする。
 思わず動きを止めた彼らの目の前に、一人の少女が現れる。
 年はグラーティアよりも幼いくらい。
 雪のように白い服に所々が赤い糸で縫われたひらひらした上着。
 鮮烈な赤いくるぶしまでのスカート。
 くすんだオールドローズの髪は後ろで一つに束ねられ、ぱっちりとした赤紫の瞳が驚きでさらに大きく開かれる。
「……どちらさまですか?」
『計ったかのようなタイミングだな。麦の娘』
 少女の問いかけに、知らない声が応える。
 言葉を確かめるように唇だけを動かしたポーラに少女が視線を向けて、納得がいったように満面の笑みを浮かべた。
「あら丁度いい。お迎えに上がるところでした」
 そうして雪の地面に座り込み、軽く頭をたれる。
「父の命によりお迎えに上がりました。
 はじめまして(しるべ)君。従姉のガーネットと申します」

 冷たい木の床に座布団をひいて彼らを座らせ、ガーネットは囲炉裏の準備をする。本当なら一刻も早くお連れせよといわれているが、今すぐ連れて行っても母の準備が終わってないだろう。
 それに、ここの寒さでもつらそうなのに、これ以上寒いところへ今すぐ連れて行くのも酷だ。
 せめて少しくらい暖を取ったって文句無いだろう。
「あ。暖かい」
 ほっとしたようなユーラに微笑みかけて、ガーネットは炭をつつきつつ問い掛ける。
「貴女がユーラ・レアルタ様。そして(ことわり)君に……ノクティルーカ様」
「何で知ってるんだ?」
「ミルザムやサビク、カペラから常々お話はお聞きしていましたもの。
 それに……導君は現叔母上によく似てらっしゃいますし」
 警戒気味のユーラに少女はこともなげに返す。
「しるべって私のこと?」
「はい。貴女様のことです」
 恐る恐るといった感じで聞いたポーラに即答するガーネット。
 この従姉妹達はあんまり似てないなとか思いつつ、ノクスはそれとなく様子を伺う。
「星家の者はいくつもの名前をもつものですから。
 わたくし達の叔母上でしたら、外では『アース』。
 三番目の姫という意味で『三の姫』。末の姫でしたので『末姫』。
 宮中の呼名である『現』。ほら、たくさんあるでしょう?
 それでも、この中に真の名……真名はないのですけど」
「ふーん。なんかめんどそうだけど面白いな。
 ガーネットはないのか? 他の名前」
「ええ。わたくしも星家の血を引いておりますけど、星位はございませんわ」
「そうなのか?」
「わたくしの生まれる前に父は星家の身分を棄てましたから」
「身分を棄てた?」
 突っ込んでくるユーラに、内心ではどうしたものかと考えつつにこやかに笑う少女。
「詳しい事はわたくしには……父にお聞きくださいな。
 もう少し休憩したらご案内いたします」
「え。今から出発して間に合うのか?」
「ご安心ください」
 好奇心のままに問いただすユーラに、表面上は穏やかに返すガーネット。
 話し相手を取られて少々不機嫌そうなラティオ。……後少ししたら何かしでかすかもしれない。
 ま、いいか。とにかく暖を取ろう。
 それだけ考えて、ノクスは囲炉裏にもう少し近づいた。

 結局休憩したのかしないのか分からないが、それでも体がある程度温まったのを見計らってガーネットは立ち上がった。
「ではそろそろ参りましょうか」
 火の始末はちゃんとして、入口ではない方の戸に手をかける。
「あれ、そっちから出れるのか?」
「出るというよりも、こちらが繋がっているのです」
「繋がる?」
「体験してみればすぐに分かります」
 答えを示さず、笑顔だけ浮かべてガーネットは戸を開く。
 戸の向こうは先ほどと変わらぬ雪原。しかし明らかに先程よりも寒い。
「なんか、寒いんだけど?」
 早くも震え出したラティオに構わず、ガーネットが左手を示す。
「あちらがわたくしたちの家になります」
 所々に見える木々の幹と枝。冬山に唯一示された道は長い階段。
 こんなものはさっきまで無かった。
「不思議でしょうけど、わたくしは上手く説明できませんから父に質問してくださいね」
 先手を取って疑問を封じ、ガーネットは石段を登り始める。
 顔を見合わせユーラとラティオもそれぞれ後に続く。
「ポーリー?」
 呼びかけにその場に立ちすくんだままの彼女が顔を上げる。
 迷子になった子供のような不安そうな、すがるような眼差し。
「叔父さんなんだろ? 何もそんなに緊張する事」
「会った事ないもの」
 呆れたような言葉にポツリと返す彼女に再度促しても動く様子は無い。
「ほら行くぞ」
 仕方なく腕をとって引っ張れば、ようやくゆっくりと歩き始める。
 そうして石段を登り終えた頃に楽しそうな会話が聞こえた。
「父様。サダクビアは?」
「ん? まだだぞ。お前が予想以上に早かったからな」
「確かにそうですね」
「さて、お嬢さんは初めまして。
 で、君が(おもい)のひ孫か。あんまり面影ないなぁ」
 親しみを感じさせる声に、そっと視線を上げてポーラは声の主を見る。
 ガーネットと同じ、袖のゆったりした白い服。くるぶしまであるスカートのような服は水色で、膝に届きそうなくらい長い深い海の色の髪は、娘と同じように後ろで一つに結われていた。
 片手に竹ぼうきを持ったまま、にこやかに笑っていた彼がこちらを向く。
 とてもじゃないが、ガーネットのような娘がいるとは思えないくらい若い。
 ラティオより一つ二つ上の優しそうな面立ちをした青年。
 本当にこの人が叔父なんだろうか?
 だが、すぐにその考えを取り消す。叔母のアースだって若いじゃないか、と。
「兄者の子孫って聞いてたけど……
 あれれ。兄者ってより心に似てるなぁ……血は大分薄まってるだろうに」
 楽しそうに笑って彼はこちらに近づいてくる。
 きゅっと腕を掴んだことでノクスに呆れたように見られるけれど気にならない。
 なんて言えばいいんだろう? 初めまして叔父上。でいいのかしら。
「えっとあの」
 ようやっと顔をあげて挨拶しようと決意し、口を開いたポーラを見て何故か青年の動きが止まった。
「……あの?」
 ノクスの呼びかけにも応えず、ポーラを凝視する青年。居心地が悪くなり、おろおろしだすポーラとは逆に青年は感極まった声をあげた。
「ちい姫! なんとまあ可愛くなって! 妹にそっくりだな!」
 ほうきを投げ捨て突進してきそうな叔父に対し、ポーラは迷わずノクスの背に隠れた。
「……ちい姫ー?」
 淋しそうな叔父の声に、こそっとノクスの肩越しに様子を伺うものの、視線が合うとすぐに隠れる。
「ポーラ!」
「ポーリー」
 咎めるような諭すようなユーラとノクスの声にも応えず、張り付いたまま離れない彼女。
「……ちい姫にきらわれた」
「当然ですよ」
 がっくりと膝をつく父に、娘は呆れながらも容赦ない一言をくれる。
「まああなた。ちい姫様に嫌われてしまったの?」
「ナシラー」
「母様」
 くすくすと笑いながら先ほどの小屋と似たような建物から出てきたのはラティオと同じくらいの年頃の女性。娘と同じ服装で、蘇芳色の髪は肩より少し長い程度。
「だから言いましたのに。初めて会う姪なのだから、少しは遠慮なさいって」
「そう言ってもだな。てっきり姉者似だと思ってたら妹によく似てるんだぞ?」
「末姫様がお大事なのは存じてますけど、あまりしつこいとちい姫様みたいに嫌われてしまいますよ?」
「それだけは! 妹に嫌われてしまったら立ち直るのが難しいじゃないか!」
 大袈裟に嘆く夫を楽しそうに見て、ポーラの叔母にあたる夫人はにっこりと微笑む。その笑みはガーネットが浮かべるものとよく似ていた。
「初めましてちい姫様。こちらが貴女のお母上の弟、アルクトゥルス様。
 私が妻のナシラ。そして娘のガーネット。これからよろしくお願いしますね」
「えっと、わたしこそ……よろしくおねがいします」
 まだ緊張は取れていないものの、ポーラはようやくそれだけ言った。