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月の行方

【第十話 取り戻したい時間】 3.すべてと引き換えても

 動く事が出来なかった。
 一つしかない大きな目に映っているだけで、ノクスは体の震えが止まらない。
 勝てないと、そう思った。これは人の敵う相手じゃない。
 寒気を伴うくらい怖い。恐怖に思考が染め上げられ、ふと気づく。
 寒くてたまらない。こわくてたまらない。
 同じモノをかつて感じた。
 それは長い時間だったのか、それとも一瞬だったのか。
「北の皇女よ」
 鬼の放った一言で、また時間が動き出す。
 地から響くような重い声に身震いする。
 呼ばれたポーラは息を詰めて鬼を見返すのみ。
「上意により、都までお越し願いたい」
「みや……こ?」
 震えていても小さなものでも声を出した。
 そんな彼女を少し羨ましく思う。
 か弱く見えても、ポーラは肝が据わっている。
 そんな彼女の前で、これ以上の失態を演じる訳にはいかない。
 意地を総動員して鬼を見る目に力を込める。
 勝てなくても、負けない。
「ご決断を。無理強いはしたくありませぬ」
 否というならば、力ずくでも連れて行く。
 その意志を感じて、先ほどまでの震えが嘘の様に止まる。
 あとから考えれば不思議なくらいの俊敏さだったと思う。
 冷静になったのは、ベッドの脇に立てかけていた剣と杖を引っつかみ、空いている方の腕でポーラを抱きかかえるようにして、窓から身を躍らせた後だった。

 雲の手から逃れた満月が辺りを照らし出す。
 木の上でこちらを呆然と見るラティオやユーラと目があった気がした。
 けど、今考えなきゃいけないのはそんなことじゃあない。
風よ(ウェントゥス)!」
 一言だけの簡単な呪文に応え、風がノクスたちを包み、ほんの小さな衝撃だけで地面に降り立つ。
「逃げて!」
 ノクスの腕から逃れつつ、木の上の二人に警告を送るポーラ。
「逃げろって、え?」
「良いから早く!」
 不思議がるユーラを道連れに、先ほどのノクスと同じ手法で地面に降り立つラティオを確認してから一目散に走り出す。
 何故か鬼が追ってくることはなかった。

 月明かりの差し込む宿の一室で、向かい合うのは二つの影。
 闇の肌を持つ、巨大な一つ目の鬼。それと相対するのは一人の美女。
 露草の色の髪は動きやすいように後ろで一つにまとめられ、動きやすい忍び装束。あやめ色の瞳が苛烈に相手を射抜く。
「まさか、こんなところで鬼に相対するとはね」
 ポツリともれるのは本心からの言葉。
 思わず口に出してしまうくらい、余裕がない。
 ともあれ、自分の立場は後星の守護。そう――かつて都でベガの侍女をしていたときのように、守るためにここにいる。
 ならば自分のする事はただ一つ。
「姫様をならって鬼退治でもしてみましょうかね」
「豪語したな」
 どこか愉しそうに応じる鬼に、内心を悟らせずカペラは返す。
「あら。自我があるのね、珍しい」
「怖気づいたか?」
「まさか。相手にとって不足はないわ」
 言葉と同時に鬼の体が絡めとられる。細い――しかし鋭い糸。これがカペラの武器。昴に謀反を働こうとするものを、時には暗殺者を撃退してきた。
 この部屋にはすでに糸を張り巡らせてある。故に瞬きの内に倒してみせる。
 ――人であるならば。
「流石は能登といったところか。だが、生憎この身は鋼に勝る」
 揶揄するように鬼は言って、いとも簡単に束縛を破る。
 糸を破られた事は不思議ではない。
 だが、何故この鬼は自分の『名前』を知っている?!
 思わず凍りついた表情に、鬼は何を思ったのか。
「退け、能登。皇女の御身を汚す気は毛頭ない」
「鬼の言う事を信じろと?」
 自然と口調に棘が混じる。
 つまり、この鬼はかつてあの都で共に働いていたということ。敵と相対するには何よりも冷静でなければならないと、それは分かっているけれど。
「上意によりと言ったな。何を企んでいる?」
 カペラの問いに鬼は答えない。彼女とて答えを望んでいるわけではない。
「関係ない、な。お前たちが何を企もうと。北斗が何を謀ろうと」
 糸を操り鬼に仕掛けるが、その体を傷つける事は叶わず、寝台の一部や椅子が切り刻まれる。
 自分では敵わないことは分かっている。見逃してくれる可能性もないことはない。だけど、これで僅かでも時間を稼ぐ事が出来るなら。
「私は姫様を守る」
 言い切ったカペラに鬼は目を細める。
「ああ、そうだ。お前達はそうすると分かっていた」
 糸で無理なら短刀でとばかりに挑むものの、それもあっけなく弾かれる。
「だからこそ、ここで舞台を下りてもらおう」
 振るわれる腕。軽々と飛ばされる細い体。
 決着は、あっけないほどについた。

 目的など特になく、ただ闇雲にとにかく町の外へと走り出した四人は、すぐにまた足を止める事になる。
 誰も言葉を発しなかった。月明かりに照らされて門前に佇むは、二本角の赤鬼。
 慌てて進路を変更し、別の門を目指す。
「なんなんだよアレッ」
「俺が知るか!」
「アレから逃げてきたんじゃねーのか?!」
「黒い一つ目のがいたのよ」
「なるほど。あれが鬼か」
 全力疾走しつつも会話する。
 完全武装のラティオたちは良いにしても、着の身着のまま逃げ出したノクスとポーラは辛い。かろうじて武器だけは持ち出したが、靴すらはいていないのだから。こうなると泥棒警戒のために、荷物をラティオに一任していた事が救いともいえる。
 次の門は青い鬼に阻まれていた。
「こっちもか」
「あっちはどうだ?!」
 今現在の状況で戦うのはかなり不利。とにかく逃げるしかない。
 次に向かった北門に鬼の姿はなく……ノクスたちは町をでた。
 そう、鬼たちに誘導されるように。

 痛い……
 朦朧とした意識でカペラは何とか目をあける。

 ――相容れないわけではない――

 命に代えても、足止め程度は。
 それでも力は入らず、指一本動かす事も出来ない。

 ――目的は同じでも、取る手段が違うだけだ――

 ぼやけたように聞こえる声は誰のものだろう?
 いつかどこかで聞いたような。

 ――小さな姫は無論のこと、三の姫もお守りする。何に代えても――

 その呼び名に引っかかった。
 三番目の姫という、ただそれだけの呼び名。
 だが、その姫はずっと別の名で呼ばれていた。『末姫』と。
 だから『三の姫』なんて呼び方をするのは一人しかいなくて。
 まさか……まさか。
源助なの?」
 紡がれた言葉に、息を呑むような音がして。
 カペラはそのまま意識を失った。

 荒い息をついて、彼らは地面を体を預ける。
「もう走れねぇ……」
 肩で息をして座り込むユーラ。言葉を発する事すら苦しいのか、無言のままにラティオも膝をつく。基礎体力の違いか、ただ一人元気なポーラはせっせと地面に魔法円を描いている。
 杖を枝代わりに自分たちの周囲に描かれる文様をみるともなく眺めるノクス。
 確かにこんな疲弊しきった状況で、そこらを徘徊している魔物に襲われたらひとたまりもない。昼にからかわれた事が悔しかったのか、四人が寝転んでも十分すぎるほどの大きな魔法円。
 完成したのか、ポーラが小さく何かを呟くと、魔法円が淡い光を放った。
 それでようやく安心してノクスは寝転がる。
 走って火照った体に夜風が心地よい。
 気が緩んだのか、だんだんと足が痛くなってきた。
 見たくないのは確かだけど、見ない訳にもいかず土にまみれた足を確認する。
 茂みを通った時に草で切ったのか、足首には無数の切り傷。
 途中小石なんかも踏んだせいで、足の裏も多少痛い。
 次の町で靴買わないとな。
「とりあえず……今日はもうこのままここで野宿だな」
 疲れの色濃いラティオの言葉に、沈黙で肯定する。
 一仕事終えたポーラもノクスにならってごろんと横になった。かと思えばあっという間に規則的な寝息。
「珍しく寝付き良いなー」
「そりゃ疲れてるだろ。というか、今の内に休ませとけ。
 また後で結界張りなおしてもらうことになるだろうし」
 彼女の代わりに起き上がって、たいまつを使って焚き火を起こしているラティオの手伝いをする。
 適当にがむしゃら走ったから今どこにいるのか分からない。
 それでも、休息だけは取っておかないと。
 すうすうと休む少女二人をちらと眺め、ノクスは左手をぎゅっと握る。
 あの鬼と見えた時の寒さ。あれは……
 託された『奇跡』と同種のものだった。