【第八話 変わりゆく世界】 2.迷路の始まり
耳を疑った。
いま、なんといった?
「すまない、ちょっといいか?」
内心の動揺を押し殺し、先程の会話をしていた者たちへと向かうユリウス。
突然の行動に、ユーラも父をぼうっと見上げる。
「ん? なんだぁ?」
酔っているのか、多少とろんとした目をして聞き返す男。
仕事帰りにいっぱいひっかけに来たのか、ささやかなつまみとエールを手に、胡散臭そうにユリウスを見上げてくる。
なるべく不審がられないように微笑んで、ユリウスは問い掛ける。
「先程の話を詳しく聞かせてもらえないか?」
追加のエールを注文し、運ばれてきたそれを男たちに渡す。
こげ茶の髪とひげの男とレンガ色の髪の男は顔を見合わせ、ひとまずユリウスに席を勧めた。
「ま、おごってくれるってんならな」
「ありがたい」
「さっきのっていうと、アレか?
あちこちできな臭い噂があるってやつか?」
「ああ」
ただ酒が嬉しいのか、カップを受け取った途端に相好を崩す男たち。
「っていっても詳しい事は知らないんだがな。
こないだ隊商から聞いただけだしな」
「アレか? 旅してると大変だもんな」
「ああ。些細な噂でもいいから教えて欲しい」
会話を聞いてか、ノクス達も食事をしつつ、神経は会話に集中している。
「フリストが軍を上げたって話と……こことタルデで戦がおきるかもってのと。
アージュで魔物が増えてきたってのと」
「ッ」
突然の事に付け合せの野菜を取り落とすノクス。
故郷で魔物が増えてきた。きっと被害もう増えてることだろう。
いや……母上がいるし、きっと大丈夫。
そうやって自身を落ち着かせようと務めていたところ。次の衝撃が来た。
「セラータの王様が暗殺されたんだろ?」
「な」
思わずうめくユーラ。ポーラも息を呑む。
「なんだ? もしかしてあんた達セラータの人か?」
「ああ。辺境だがね」
ユリウスは平気そうな顔をして嘘を吐く。
「妻の両親が王都の近くに住んでいて……町のこととかわらかないか?」
「さあねぇ」
「俺も聞いた話だしなぁ」
真剣なユリウスに、すまなそうに応える男たち。根が善人なのだろう。
こういう時、禄に知ってもいないくせにさらに酒をねだる者とて多い。
「いや……こちらこそ話を聞けてよかった」
そういって切り上げる。
この後、別の手段でも噂を集める事は出来るから。
そんなユリウスの背中を、ラティオはどことなく居たたまれない様子で眺めていた。
「父さん」
「ああ……単なる噂とも取れるが。内容が内容だけに」
厳しい表情のまま黙り込むユリウスを眺めて、ポーラはかつて会ったことのある王の姿を思い浮かべる。
話したことはない。
ただ、妃であるアリアの元によく訪ねていたので顔だけは知っている。
北国特有の淡い金の髪に同じ色のひげをそなえた、いつも厳しい顔をしている人。
ゴメイザを怖い顔で睨んでいるところとか。そんな事だけは覚えてる。
そして、ミュステス狩を進めてきた人。
正直好きではない。でも、アリアの事を思うと……
「それに噂だ。事実とは限らないしな」
「だが」
そうやって話をしめようとしたユリウスに、ラティオが言う。
「その噂の発信源は教会だ」
こわばった顔で。あるいは虚をつかれたように。
四対の瞳に見つめられ、吐き出すように告げる。
「フリストの軍備増強やアージュでの魔物発生。
これは確かに資料に基づくものだ。
そしてセラータは……」
ちらとポーラの様子を伺う。
その隣のノクスは奇妙に緊張しているから、奴は事情を知っているのだろう。
「少なくともそういう噂は現地の教会が把握している」
それだけを言って食事を再開する。
動揺しているのだろう。ユリウスは軽く顔を覆ってため息をつく。
そしておもむろに席を立った。
風に当たってくると独り言のように言い捨てて宿を出る彼に、ユーラもポーラも困惑したまま、けれど立つことも出来ずにその場に留まった。
何をすればいい?
何が事実だ?
何故――
そればかりを考えて、足の向くままに町を歩む。
ユリウスは騎士の家に生まれて、ずっとその忠誠を王家に誓ってきていた。
……はずだった。
騎士見習としてついた相手が、ポーラの父のアルタイル。
彼のようになりたくて、彼を目標として生きてきた。
王に疑問を抱いたのはいつからだったろう?
初めての御子がはやり病にかかった頃からか。
元々子煩悩な方だった。
だからこそ病を治すために奔走し……だけど、間に合う事はなかった。
その後、王は少し変わられた。何かに取り付かれたように教会に足を運び、ミュステス狩にもなんの躊躇もなく賛同された。
ユリウスは知っている。
王が、王なりにポーラを気にかけていたこと。我が子の姿を重ねていた事。
あの子が生きていれば、よき友になれたろうな。
慈しむように紡がれた言葉は、忘れようもない。
だけれど、ポーラ様がミュステスだと判定された瞬間、それは簡単に翻された。
幸いにもポーラ様はアリア王妃のお陰で難を逃れたが……
一体、誰が……
息を吐いて壁に背を預け、空を見上げる。
憎たらしいくらいの青い空。
真実を確かめたい。だけど、どうすれば確かめられる?
「もし」
鈴がなるような声がした。
「もし、そこの方」
声のほうに顔を向けると、顔のほとんどをヴェールで隠した女性が立っていた。
黒にも近い、紫の服。同色のヴェールが顔はおろか、足元まで覆っている。
手には水晶球。紅を引いた唇が、笑みの形に変わる。
「見れば何かに迷われているよう。道を示す導など如何?」
こういう輩に捕まりたくはない。
「いや。生憎私は」
断りを入れようとすると、彼女はすっとヴェールをかきあげる。
その隙間から見える、今日の空のような綺麗な青。
はっとして見つめ返せば、ヴェールの奥の瞳が笑う。
「導なき道を彷徨うは苦難……占いなど如何?」
「……頼もう」
樽を即席のテーブルにして、その上に恭しく布と水晶球が置かれる。
「祖国に広がる動揺」
紡がれる言の葉。
「ふとしたきっかけで崩れた均衡」
ただの占いではない。なぜならこの占い師は、かつてポーラを守っていた。
「筋書き通りに進む混乱」
だからこそ。これは占いに見せかけた情報提供。
「濡れた衣を乾かすため、貴方の尽力が不可欠」
私にどうしろというのか?
目だけで問う。
何者かのシナリオ通りに動いているというのなら、最近の自らの状況だってそうだ。
突然の、かつての先輩からの頼み。
そしてポーラ様の身内の登場。
彼らが出てきた事こそ、何者かの思惑に沿ったものではないのか?
「策に囚われた鷹を救うべく、尽力をせよ」
ぴくんと眉を跳ね上げる。
鷹……つまり、アルタイルにかかわっているという事か?
「すべては……太陽に一矢報いるため」
言い切られる言葉。
分からない事だらけ。一体何を信じればいい?
「私に、何をしろというのだ?」
「祖国を思うならば来た道を戻れ。
星の宿命に地の果てまでも付き合うというのなら、このまま進め」
いっそ突き放すような鋭い言葉。
リン。
小さな鈴の音が響く。
ふわりとヴェールが外される。
「お久しぶりです。ユリウス殿」
「……お久しぶりです。カペラ殿」
周囲はいつの間にやら闇に閉ざされ、音もまったくしない。
これならば秘密の話も出来るということだろうか?
「先程の占いはどういう意味か?
あなた方は、一体私に何をさせたい」
「何も」
威圧するように睨んでも、目の前の女性には意味をなさない。
かつてとまったく変わらぬ容姿で淡々と紡ぐ。
「余計な事はして欲しくありませぬ。故に、道を示します」
そう言って、伏せられていたカードを返す。
「我らの望みは、星をあるべき場所へと戻す事」
現れたのは『星』のタロットカード。
「我らの昴を取り戻し、かつてのように安らかに暮らす事。
正当な昴を立てるため。奪われた星を取り戻すため」
昴というのが彼らにとって王と同じ意味を持つということは、以前に聞かされた事。
故に、とカペラは続ける。
「この地でどれほどの混乱が起きようと、我らには関係ない。
国か北の姫か。選択を迫られた時、貴方はどちらを選びますか?」
予想外に厳しい声で問われて、答えに詰まる。
「何故そんな二択が」
「十分にありうる可能性だからです。国が心配ならお戻りなさい」
「しかし……」
「心が定まらぬままに続けられるほど、この旅は甘くありませぬ」
キッパリと言い切るカペラ。
「貴方達は何を知っている。何を企んでいる?
この地の騒乱を起こしているのは」
「分からぬのは我らとて同じ。ただ抗っているだけ。
悔いのない選択をなさいませ。ユリウス殿」
それだけ言い捨てて、また鈴の音が鳴る。
同時に周囲に戻ってくる音。
目の前にすでにカペラの姿はない。
分からない事だらけだ。
どうしようもない思いだけが胸に渦巻いて、ユリウスは空を仰いだ。
「セラータでそんな事が起きたんだ」
ぽつんと言ってポーラはまた米を口に運ぶ。
もくもくとよく噛んでから飲み下し、隣のノクスに問う。
「王様がいなくなったら大変よね」
「……大変どころじゃないぞ。
っていうか、随分落ち着いてるな。もっと驚くかと思ってたのに」
「なんだか実感もなくって」
ノクスのほうが慌ててるみたいと思いながら、彼女は続ける。
「セラータには確かに住んでたけど……なんだかね、違和感があったの。
だからどうしても遠いところの話みたいで」
「ふぅん」
そういえば、彼女が実際にセラータに住んでいた時間はあまりなくて。
ならそう思うのも仕方ないかもしれない。
そう納得していると、控えめな呟きが彼女の口から漏れた。
「父上は大丈夫かな」
ぽつんともれたそれに、胸が痛む。
告げていいことじゃ、多分ない。
後で、何故教えてくれなかったのかと責められるかも知れない。
それでも……告げることは出来なかった。