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月の行方

【第六話 神の啓示】 4.眠りさまたげる者

 ぱちんと音を立てて火がはぜた。
 ただそれだけのことが、妙に気になった。
 時刻としては暁降。空から少しずつ星の輝きが失せていく。
 もう少ししたら夜が明ける。仲間が起きる時間になる。
 あくびをかみ殺してノクスは意識を集中させる。
 寝るな寝るなと言い聞かせていないと、ついうとうとしてしまいそうになる。
 揺れる炎は、なんだか厳粛な気持ちにさせる効果がある。
 だが同時に安らぎを与える効果もあるらしく、困った事に眠気を誘発させてくれる。
 ぽいと薪を放り込んで、少しでも体を動かす事で眠気がおさまればなと思う。
 そんなとき。
 火が、はぜた。
 ついで一瞬。
 本当に一瞬だけ、冷たい空気が降りた。
 夜明けは冷えるものだけれど、この冷たさは少し異常だ。
 暦でいえば今は秋。
 だというのに、感じた冷気はもっと冷たい。
 冬の朝の凛としたような空気。
 気のせいかと頭をひねると、火をはさんで向かい合っていたポーラが身じろぎした。
 起きたのか?
 そう、声をかけようとしたけれど。
 座ったまま眠りについていた彼女がゆるゆると頭を上げる。
 先程感じた冷たさを纏ったかのような瞳に射抜かれた瞬間、口を開く事すら出来なくなった。
「ふむ……予想よりは聡いようだな」
 ポーラの姿で、その声で。紡ぐ言葉は異質のもの。彼女が浮かべる事のない冷笑。
 すっとその場に立ち上がる姿は、彼女の持つ色彩と相まって妙に神々しい。
 不快ではない寒さ。身の引き締まるような冷気。
 それでも目の前の少女の豹変振りに消せない違和感。
 何者かとの誰何の声が出ない。
 視線を外す事も出来ず、かといって口は動かぬまま。
 ただ、頭の……心のどこかが警告を鳴らしている。
 逆らってはいけない。
 動けないノクスを面白そうに眺めて、ポーラの姿をしたそれは言う。
「見抜くか。そうでなくては来た意味がないが、な」
 楽しそうに喉の奥で笑って動けないノクスに近寄り、その白い手を彼の顎にあてて上を向かせる。
「確かに……面白い相をしている」
 くっくっと笑うそれに、先程まで感じていた寒気は吹っ飛んだ。
 確かに、目の前の相手は得体が知れない。
 それでも姿はポーラなわけで、彼女の手が自分の顎に触れてて、しかも顔を確かめるように近寄ってきててっ!
 内心の大混乱振りとは裏腹に……いや、さらに拍車がかかったような感じで体が動かない。
 楽しそうに笑っていた彼女が表情を改める。
「あまり無理は出来ぬか……」
 ひとりごとの様に呟いて、再び視線をノクスに合わせる。
「私は……コレを気にかけている」
 そう言って、彼女はノクスの顎に添えていた手を自らの胸に当てる。
「故に、もしコレを裏切るような真似をしてみろ。末代まで祟ってくれよう」
 そういってまたにやりと笑う。
 言われたノクスのほうは訳がわからない。
 コレというのはポーラのことだろうか?
 彼女を裏切ったら祟るって、あんた一体何者だ。
 突っ込みたい事柄は山ほどあるけれど、体は脳の命令を一切聞かない。
「あれらは狡猾だ。退路は全て断っている。
 自らの意思で選んだと、そう思わせることに長けている」
 くすくすと楽しそうに笑って、彼女の姿をしたものは言う。
「北は、随分と騒がしくなった」
 その言葉にはっとなる。
 北といわれて一番に思いつくのはセラータ。最近物騒な噂の多い国。
 それを指しているのだろうか?
「混乱はいずれこの地全てを覆うだろう。
 子供よ。そなたは惑うことなく歩めるか」
 そう言われても、何を言っているのかさっぱり分からない。
 というか、一体この状況はなんなんだろう?
 体は緊張しきっていて、それでも頭はどこかとぼけたことを考えていて。
 だからかもしれない。声が出たのは。
「それは、無理です」
 その答えにポーラの眉がぴくんとはねる。
「私はまだまだ子供です。分からない事、知らないことはたくさんあって……いつも正しい事をしているなんて思いませんし、出来ないでしょう。
 今までも……きっとこれからもたくさん迷うと思います」
 何故か丁寧に受け答えねばと思った。
 口から出た言葉は嘘じゃない。
 周りにはすごい人がたくさんいて、自分の無力さやなんかは嫌というほど思い知らされて。でも、その人たちは迷いなんてないかのように振舞いつつも、ノクスに言うのだ。
 迷っていいと。むしろ、思い切り迷えと。
 たくさん迷ってたくさん考えて、それから答えを出せと。
 冷たい眼差しを受け止めて答えた言葉。
 しばらくして、彼女は面白そうに口の端をゆがめた。
「面白い」
 くっくっと瞳を閉じて楽しそうに笑い。
 すっと……冷たい空気が和らいだ。
 そう思った瞬間に、まるで糸が切れた操り人形のように傾ぐポーラの体。
 慌てて身を起こして抱きとめる。
「ポーリー?!」
 呼びかけに応えはなく、規則正しい寝息が返るのみ。
 とりあえず無事というか……何もなさそうだけど。
 なんとなく空を見上げる。
 あの冷たい空気。それが綺麗に消えている。
 あれはなんだったんだろう? まるで、ポーリーに何かが憑いていたような……
「ん……」
 どこか不満そうなうめきに視線を戻す。
 居心地が悪いのか、もぞもぞと動こうとするポーラの姿が目に入った。
 先程受け止めたのだから当然の事だが、眠ったままの彼女がいるのは自分の腕の中で。
 それを自覚した瞬間、彼は三度固まった。
 ノクスの硬直は結局解けることなく、しばしの後にひと悶着あったのはいうまでもない。

 ゆらりとろうそくの火が揺れる。
 まぶしいほどの光の中、それでもその赤は健気にその存在を証明していた。
 それに向かい合うのは一人の青年。白一色にしか見えない法衣はいたるところに細かい刺繍がなされており、上等なものだと見て取れる。
 丁寧に櫛を通された、衣装に映える赤い髪がふわりと揺れる。
 顔は病人というほどに白く、瞳もまた生気がない。
 虚ろに開かれた金と銀の瞳はただただ目の前の火を眺めている。
『火……』
 唇がただそれ一言を紡ぐ。
 確かそれはそういう名を持っていた。
 それを確かめるかのような響きに、応えるかのように火が揺れる。
 ざわりと。周囲の気配が変わる。
 白に紛れて集まっていたのは十二人。それぞれに白いローブを頭からすっぽりと被っている。
 そのうち一人がろうそくの前の人物の隣に立ち、厳かに告げる。
「聞かれたか皆のもの。
 神意は下った」
 ため息のような声が唱和する。
 それは何かを欲しているような、そんな、暗い欲望を秘めていた。
「神はかつて我らに『奇跡』を与えたもうた。
 しかし、人の手にそれは余るもの。そんなものは神にお返しせねばならぬ。
 全ての奇跡をそろえるために……火をもたらせ」
 拍手が沸き起こる。
 その音に紛れて聞こえなかったけれど、赤の青年は確かに呟いた。
 奇跡、と。

 しばしの時が立ち、完全に熱狂が消えたその後。
 最後に残った先程の演説をしたものが、赤い髪の人物に近寄る。
 先程までの明るさは今は失せ、少し薄暗い程度の室内。
 そこで、真実が見える。
 白い糸と白い紙で作られた簡素な――そして何よりも強力な結界。
 それに青年が囚われている事が。
「お勤めご苦労様でした『ソール』神」
 にやりと笑って最後の一人が部屋を出て行き、一人残された『ソール』は変わることなくろうそくを眺め……口を開いた。
『奇跡。
 守って。
 渡さない。
 誰にも』
 壊れた機械のように単語を並べる『ソール』。
 虚ろだった瞳が、ほんの少しだけ意志の光を灯す。
『奇跡。
 僕にも。
 大切。
 神。
 終わり』
 瞳に灯った光が色を変える。
『終わらせる。
 こんな事。
 もう。人間』
 ろうそくの火が何かにあおられて消える。
 紙がかさかさと音を立てて、糸が大きくたわむ。
 力の奔流がふっと消えた。
 どこからか聞こえる。どこからか感じる。
 優しい言葉。優しい声。どこか懐かしいものを感じさせるそれ。
 苛烈な光を宿していた瞳が和らいだものになり、『ソール』は切なそうに瞳を閉じた。

 白い装束に身を包み、ベガは祈りを捧げる。
 聞きたいことはたくさんある。
 それでも何とかその思いを押し込めて、ただただ祈りを捧げる。
 無事でいますように。健やかでありますように。心穏やかでありますように。
 『我ら』の祖の大神に。
 祈りが終わり、ベガの意識がこちらに戻ってきたのを感じたのか。
 てててと軽い足音を立てて、小さな体がしがみついてくる。
「ベガさまっ」
「どうしました? ティア」
 呼びかけにグラーティアはベガを見上げていつものようににっこりと……笑うことなく、悲しそうな眼差しをむける。
「なんだかここがきゅうってしますの」
 しがみついていた手を片方外して、自らの胸を示し必死に言う。
「助けてって、淋しいって」
 続けられた言葉に、ベガは顔をこわばらせる。
 この子は妹のひ孫に当たる。
 彼女達の血脈は巫女としての素質を強く持っている。自分もそうであるように。
 自分の祈りは届いているのだろうか? それに彼が応えたのだろうか?
「大丈夫」
 そう言ってグラーティアの小さな体を抱きしめる。
「大丈夫。必ず、助けるから。だから安心なさい」
 願わくは、この想いが彼にも……『ソール』にも届いていますように。
 彼が『神』になっていませんように。

 社の掃除を終えて彼はため息をつく。
 こざっぱりとした白の着物に水色のはかま。
 肩をぐるぐる回してうなる姿はふけているが、年のころは二十後半といったところか。
 セラータの首都セーラからさらに北。東大陸の北の果てともいえる場所に鎮座する大きな山。
 人が訪れることなどないそこに彼が移ってから、どれだけの年月が流れたのか。
 もうそれすら憶えていない。
 ここにいるのは彼とその家族の数人だけ。
 この社に祭られた神を守るために……その怒りを鎮めるために、彼らはいる。
 山の奥、頂に近い場所にその巨石はある。
 まるで動物のような……見方によっては人の王が座る玉座のような石に、座る事が許されているのはただ一柱。
 『神』の直々の御呼びとあれば、祭るものが参らぬ訳にはいかないだろう。
「来たか」
 揶揄するような低い声に、彼は畏まって頭を垂れる。
 遅れた事をとがめられるかと思ったが、『神』の意識は別のところに、彼が携えてきた土産にいっている。
 挨拶もそこそこに命じられるままに酒をそそぐ。
 満足そうな顔で『神』は頷き、楽しそうに言葉を紡ぐ。
「逢って来たぞ。なかなかに面白い子供であった」
 誰の事か、なんて聞くまでもない。
 彼のことならばこの神官とて、かつての部下からよく聞いている。
 無論その内容は包み隠すことなく『神』に報告しているのだが、『神』はそれでは満足しなかったらしい。
 しかし気になるのは……
「逢ってきた、とは?」
 恐る恐る聞いた言葉に『神』は楽しそうに口の端をゆがめる。
 人型をとっている『神』の姿には正直少し困る。
 『神』は本来姿など持たぬもの。姿を変える事など造作もないというのに、この『神』は何を思ったか、神官の兄の姿を好んでする。
 すでに鬼籍に入っている兄の面影を見れるのは嬉しい反面、すごく困る。
 いくら兄と同じ姿をしているといっても相手は『神』。
 兄と同じ態度で接する事など出来ようはずもない。
 しかしまたこの『神』は祖霊神でもあるが故に、兄でもあるのだ。
 祖霊というのは言葉どおり『祖先』の『霊』。
 自分の血に連なるものを見守るために、また災いから遠ざけるためにいる『神』。
「言葉の通りだ。なんだ? もう物忘れが始まったのかアーク」
 兄の事もよく知っていて、たまに彼をからかうためだけに兄そっくりのしぐさでそっくりの言葉を述べてくれる。
 逢ってきたということはその場に行ったということだろう。
 『神』はその場を動くことなく、遠くの場所の様子を知ることが出来る。
 だというのに逢ってきた。
「よりましは……ちい姫ですか」
「流石は大神の血筋よ」
 満足そうにいって再び杯をあおる『神』。
 空になったそれに酒を注ぎ込みつつアークは内心で頭を抱える。
「あの方は我らにとって大切なお方。あまり無理はさせないで頂きたい」
 せめてもの抗議にも『神』はそ知らぬ顔。
 仕方ないといえば仕方ない。人に『神』の心が計り知れるものではない。
 『神』はいつだって傍若無人。
 こちらはいつだってご機嫌を損ねないように必死にならないと。
「荒れるな」
 暇乞いをして帰る際に、なんでもないことのように『神』は言った。
「この地は荒れるぞ。……当分、な」
 にやりと笑った『神』に深く礼をして、アークは家へと戻っていった。
 アークの姿が完全に見えなくなって、『神』はぽつんと呟いた。
「これでも、案じているのだぞ?」
 アークから見ればそうは見えないかもしれないけれど。
 神は決して万能ではない。
 ましてまだまだ『新米』なこの『神』に出来ることなどたかが知れている。
 人に干渉することは本来許されていないけれど。
 それでも身内の情には抗いがたくて。
 兄として(アーク)に接してやりたくて、それでもできなくて。
 そんな思いは身内にはして欲しくないから。
 それでも……救いの手を差し伸べる事など出来はしない。
「だから『ソール』よ。お前はこちらに来るな」
 軽く言われたその言葉が、とても切実な響きを持っていたとしても。