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月の行方

【第六話 神の啓示】 2.五感が告げる不安

 届いた手紙を慎重に封を切る。
 共通語でかかれた手紙。
 無論検閲があるからはっきりとした事は書かれていない。
 だからこその暗号。
 取り留めない手紙の中に世界の情勢、そして娘の事が書かれているのだから。
 目の前で手紙を広げれば玉にも文字は読める。
 自らの意思を持つ神器は簡単に暗号を救いだし、言葉にかえる。
『月が極にたどり着き、星への道を歩み始めた』
 それはそう遠くない未来の再会を示す。
 悪くない知らせにほっとして先を進める。
 これより先の知らせには、多分良い事などないと思いながら。

『大火は静かに灯り続けている』
 諳んじるのは手紙の中身。
 地元の民が恐れる深い森の中。
 少女は一人、そんなことは気にした風もなくさくさく歩んでいる。
 元々彼女は森に縁深かった。
 時折吹き抜ける優しい風や木漏れ日。
 動物達の気配。ぴんと身が引き締まるような一種の緊張感。
 獣道を苦にする気配もなく、その歩みは至極軽い。
 そしてまた、山彦のようにエコーする声が響く。
『明かりはか細いものとなり、七つの夜は過ぎ行くばかり』
 厳しさを感じさせるアルトの声。
「堕ちた者は数知れず、その数を増やしていく」
 それに答えるソプラノは少女の口から洩れたもの。
 黒の外套をしっかりと羽織い、容貌はおろか髪の色すら伺えない。
『そして黄昏時が火種となる』
 締めくくるように告げるアルトの声。
 ふぅとため息とも呆れともとれる言葉の後に、疲れを滲ませた声が洩れた。
『よくもここまで最悪の事態が続くものよの』
「最悪でもいいの。そうなれば後は上がるだけだから」
『そなたは楽観的なのか悲観的なのか、時折分からぬな』
「その時の気分次第でどっちにもなりますよ?」
 行く先に大きめ岩を見つけて少女はそこで座り込む。
 荷物の中から水筒を取り出して喉を潤す。
 少し休憩をはさむつもりなのだろう。
 一気に通過してしまうにはこの森はあまりに深い。
 目深に被っていたフードをはいで、ようやくその顔があらわになる。
 雪のような白い髪。森の翠と空の蒼の二色の瞳。
 成長した姪と違い……変わることのないその容姿。
「明後日にはここを抜けられますよねぇ」
 独り言なのに何故か丁寧なのは、もう癖になってしまったからだろうか。
『さて、これからどうするのだ天?』
「レリギオに向かうわ。
 ポーリーが辿り着いた時に、私たちがいなかったら大変だから」
『それはそうだが。わかっておるのか? 天、そなたも危険なのだぞ』
 肩をすくめて返す少女に苦言を呈するアルトヴォイスは、彼女が腰に佩いた剣から洩れたもの。
 『天』と呼ばれた少女は楽しそうに言い返す。
「そんなの、今更すぎるよ。それに日影がいて負けるなんてないでしょう?」
『む。当然だ。我が負けるはずがない。天がいるのだからな』
「なら何も問題ないでしょ?」
『ぬ』
 『天』の言い分に日影が言葉を詰まらせて。
 空気が変わった。
『天』
「ええ」
 先ほどまでののどかな雰囲気は一変し、森は奇妙な静寂に包まれる。
 鳥の声も虫の音も、一切がぴたりと止み。
 それは現れた。
 少女の背の二倍ほどの大男が音もなく湧き出でた。
 オーガのように引き締まった体躯を鎧に包み、静かな面で顔を隠している。
 獲物らしきものは見当たらないが、その腕で殴られれば少女の華奢とも言える体では耐えることは出来ないだろう。
「北の皇女よ」
 腹に響くような問いかけに、日影が不貞腐れる。
『みてみろ。いらんことするから間違われてるぞ』
 それが思惑だったとは流石に言えずに、『天』は黙ったままに異形を睨む。
「上意により、都までお越し願いたい」
「何故?」
 警戒は怠らず『天』は軽く身をひねる。
 いつでも剣を……日影を抜けるように。
「それは『(あきら)』の(みことのり)? それとも北斗の命?」
 『天』の言葉に、異形はその気配を変じさせる。
「上意は上意。お越し願いたい」
 断れば力ずくでも連れて行くと暗に言われて『天』は軽く息をつく。
 間違いなく北斗の命だろう。
 北斗の中の、誰かまでは分からないけれど。それでも。
 何かに耐えるように『天』は瞳を閉じる。
「何故『それ』をしたんです?」
 問いかけに異形は応えない。
「それは決してしてはいけないこと。
 一人や二人ならば、自浄作用が働くと見逃されもするでしょう。
 けれど、これだけの者が『鬼』と化せば、見逃すはずはないというのに……」
 閉ざされた瞳が開かれた。
 先ほどとは打って変わって冷徹な色を宿すそれは、リンドウの花の色。
「なに?」
 訝しむ異形の前で、『天』は日影を抜き放つ。
 黄金色に輝く剣。
 それが再び鞘に収められた時には、すでに異形の姿はなかった。
『こうも増える一方では、後手後手に回るの』
「私たちはいっつもそうでしょ」
 さりげなく聞こえる声音には、悔恨の色。
 再び森を歩きつつ、『天』は疲れたように空を見上げる。
 その瞳は先ほどと同じ色に戻っていた。見上げる空と同じ蒼。行く森と同じ翠に。
 神と人との橋渡しをする穢れなき昴。
 その守護たる自分達の役目が『鬼退治』。
 力に溺れ魔力に惑わされ、堕ちてしまった――同族(オニ)たち。
『ところで天』
「何でしょう?」
『「北の」にわざわざ間違われるように行動してるのは、まさかこのためか?』
「そんなことないですよ? たまたま、偶然です。
 おんなじ銀髪で、叔母と姪ですから多少は似てるでしょうけど」
 そう応えるものの、『天』の声のトーンは明らかに高くて、普段日影には使わない敬語を使っている。痛みを感じる事などない体だが、こういう時日影はものすごく頭が痛くなるような気がする。
『そなたの嘘は分かり易すぎるわ! このたわけ!』
「たわけって」
『じゃあうつけ! わざわざ狙われるように動いてどうする!!』
「『後星』のポーリーが狙われるよりマシでしょう!?
 『星々の守護』が私たちの役目なんだから!」
『今までの天日(てんじつ)ならいざ知らず、そなたもその『星』だということをいい加減自覚せい!!』
 ぎゃいぎゃい騒ぎつつ、剣と少女は森を行く。
 行く先は騒ぎの中心となるであろう、『黄昏』の名を関する国々。

 じっと自分の手を見つめているノクスに気がついたのはポーラだった。
「どうしたの?」
 日が落ちきる前に、と野宿の準備を始めてからの事。
 食料やら薪やらを探しに出かけて、食べられそうなキノコを取って戻ってきてみれば、かまど作りを任されていたノクスは仕事をせずに神妙な顔で手を見つめていた。
「いや、なんでもない」
 そう応えるものの、ノクスの目は手から離れない。
 先程、ちりっと痛みが走った。
 ほんの一瞬の事だったから気のせいかもしれない。
 それでも、気のせいで済ませてしまうのはなんだか怖かった。
 痛みが走ったのは左の手の甲。
 『奇跡』を宿している場所。
 これを宿してから特に変わったことはない……と思う。
 魔法の威力が上がった訳でもないし、力が強くなった訳でもないし、知識が増えた訳でもない。
 でも、それなら何故これを欲しがる奴がそんなにいるんだろうとも思う。
 本当のことを知らないから欲しがっているのかも知れないけれど、それなら何故これをそこまで守り抜かないといけないんだろう?
 今更ながら何も知らない自分に嫌気がさすし、聞くに聞けないこの身が恨めしい。
「ノクス、かまど……」
 おずおずと言われてようやく気がつく。
 確かに準備をしておかないと後で文句を言われるだろうし。
 即席のかまどを作って、火を熾す。
「レリギオって宗教都市なのよね。ノクスは行った事ある?」
「いや。俺はイアロスに連れまわされてただけだからな。
 エスタシオンかオルトロス、クネバスくらいだ」
 火をつつきつつ応えるノクスの左隣に腰を下ろしてポーラは問いを重ねる。
「そんなにあちこち行ってたんだ?」
「……お前も旅してたんじゃないのか?」
「この大陸に帰ってきたのって半年前くらいなの」
 適当な枝にキノコを刺して薪の周りに並べつつ答えるポーラ。
 そうこうしているうちに仲間達も返ってきて、ささやかな夕餉が始まる。
「レリギオまでは距離があるからな。
 このままオルトロスを進んでいると、手配書が広まっている可能性がある」
 食事をしつつのユリウスの言葉に神妙に耳を傾ける子供達。
「じゃあ海路を使うとか?
 どっちにせよレリギオは内地だから陸路を考えなきゃなんねぇけど」
「船は嫌だ!」
 ノクスの提案にすぐに否を唱えるユーラ。
 いつものようにただの嫌がらせかと思って視線をやれば、その顔色は悪い。
 訳がわからず他に視線をやれば、困った顔で返された。
「ユーラは船酔いすごいのよね」
「ああ。なるほど」
「それに路銀もあまりかけたくない。ひとまずタルデへ抜けて北上しましょう」
 ユリウスの言葉に頷き、地図を広げてルート確認をして。
 その日の夜は静かにふけていった。