【第五話 一条の闇 一条の光】 6.闇の中の希望
きしんだ音を立てて扉が開かれる。
窓から入る朝の光の中、男性が一人粗末なベッドに横たわっていた。
その姿を認めた途端、ユーラは先頭にいたノクスを押しのけて部屋へと入る。
「っ 父さん!」
悲鳴のようなその声に応えは無い。
顔をこわばらせてポーラも彼に近寄る。
傷を慮ってか、体をゆするような真似はせずに何度も呼ぶ。
少々驚かされたものの、ゆっくりと室内に入るノクス。
少し離れた位置で怪我人を観察する。
眉間にはしわが寄り、時折上がるうめき声。年はソワレと同じくらいだろう。
鈍い金髪で、確かにユーラに少し似ている感じがした。
包帯に滲む暗い色が彼の怪我を物語る。
幾度目かの呼びかけに、そろそろとまぶたが開かれた。
鮮やかな翠の瞳が宙をぼぅっと眺め、呼びかけに応じて枕元へと移る。
「ユーラ……ポーラ様も……」
「ユリウス……」
「父さんっ」
かすれた呼びかけに、ポーラは青い顔のまま、ユーラはうるんだ瞳で返事をする。
さて、ここで自分は何をすれば良いんだろうか?
部屋の片隅に立ち尽くしたままノクスは思う。
怪我を治しに行った方が良いか? でもあの術は怪我を治す代わりに体力を消費する。この状況で使っていいものやら。
う~んと考え込んでいると、後ろ頭を思いっきり叩かれた。
こんな事をするような人は一人だけ。
痛みをこらえて振り向き犯人をぎっと睨むと、彼は面白そうに口の端を上げた。
「無事に揃ったみてぇだな」
その声にはっとしたように振り向く少女達。
振り向く際に手はすでに剣をつかんでいるあたりが今までどんな暮らしを送ってきたかを伺わせる。
「よ、ユリウス」
「イアロス殿」
気安い呼びかけに返るのはかすれた声。
ぽりぽりと頭を掻きつつ、大またでベッドに近寄り呆れたようにイアロスは言う。
「ったくざまあねぇなぁ。だから一人でつっぱしんなって言っただろーが」
「申し訳……」
律儀に謝ろうとするユリウスを抑えて、イアロスはノクスを手招きする。
「とりあえずこいつ治してやれ」
「でも俺の知ってる回復魔法は怪我を治すかわりに体力を」
「どーせしばらくは動けねぇんだ。治しとけ治しとけ」
意見を遮られてしまっては仕方ない。
完治させるんじゃなくて適当なところでやめればいいかと思い直して呪を紡ぐ。
手のひらに生まれる仄かな光が少しずつユリウスの怪我を癒していく。
その様子を不安げな眼差しで見つめるユーラ。
父親の怪我の様子が気にならないはずは無いだろう。だが。
ぱんぱんと手を打って注目を集め、イアロスは出来る限り優しい口調で言う。
「嬢ちゃんたちは少し休みな。何も食べてないだろう?」
それでも怖かったのだろうか、ユーラは一瞬泣きそうな顔になって父親とイアロスとを見比べる。
子供の相手はやっぱり苦手だと思いつつ言葉を重ねる。
「枕元に人が多いとユリウスが休めねぇだろ?」
「でも……」
「ここで嬢ちゃんたちまで倒れちゃ意味がねぇだろ?」
再度の言葉に少女は俯いて唇をかみ締める。
そんなユーラの腕を、ポーラがそっとつかんだ。
不安そうな親友を安心させるように微笑んで。
「ユリウスは大丈夫よ」
だからここは任せましょう?
諭すように言われてユーラは力なく頷き、二人は連れ立って部屋を後にした。
扉が閉まってからもしばらく続く沈黙。
治癒魔法が効いてきたのだろう。ユリウスの顔色は大分良くなった。
ふっと掻き消える治癒の光。
息をついてノクスが立ち上がると、イアロスが代わりに近づきこう言った。
「ま、生きてたから良しとするか。
ユリウス。あっちの事は俺に任せろ」
「しかし……」
「お前がのこのこ帰ってってどうする? すぐに捕まるだけだろうが」
だから俺に任せろと胸を叩くイアロスに、ユリウスは不安そうな眼差しを向ける。
そばで聞いてるノクスにとってはまったく話が見えないが、聞いたとて説明してはくれないだろう。おとなしく話が終わるのを待つことにする。
「ですが、イアロス殿ばかりに」
申し訳なさそうなユリウスに対し、待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべて。
「頼る訳にゃあいかねえってんならコイツ頼まれてくれるか?」
そう言って親指で示された先にいるのはたった一人。
手持ち無沙汰に話が終わるのを待っていたノクス。
「は?」
「イアロスっ?!」
抗議の声を無視してカラカラ笑い、イアロスは続ける。
「動くのは一人のほうが便利なんでな。
それにコイツ意外と小器用だから便利だぞ?」
「いえ、そういうわけではなく」
疲れた様子の……いや確かに疲れ果てている後輩に対し、先輩にあたる人物は自信満々に言い切る。
「身元なら保証するぞ? 口も堅いしな」
その言葉に納得したか、していないのか。
ユリウスの視線がしばしイアロスとノクスの顔を行き来して。
「イアロス殿のご子息ですか?」
「冗談でも止めてくれ」
とぼけた質問にぐったりと返す。
こんな父親持ったらすごく苦労しそうだとか失礼な事を思うノクス。
イアロスもイアロスで嫌そうな顔のままに反論する。
「俺の息子がこんなに口うるさい訳ねぇだろうが。ソワレの倅だ」
「ソワレ殿の?!」
飛び起きそうなくらい過剰反応するユリウス。
まじまじと見つめられて、ノクスはなんだか居心地が悪い。
母が有名人だと言う事はよく知っている……つもりだった。
でもそれは自国だけの話で、他国ではそんなことは無いだろうと思っていた。
イアロスに預けられてあちこち旅をするまでは。
ノクスの予想とは裏腹に『アージュの戦女神』として、母はかなりの知名度を誇っていた。野盗退治や魔物退治など、ソワレの実績といえばその程度なのだが『初の女性の士官学校卒業生』ということで、あちこちで噂が尾ひれをつけまくって流れている。
この人もそんな噂を聞いている人なんだろうか?
「確かに……言われてみれば面影がありますね……」
「母をご存知なんですか?」
「こいつは俺達の後輩だからな」
しみじみと言われたので質問をぶつけてみると、答えはイアロスが教えてくれた。
「後輩って……士官学校の?」
「おうよ」
なるほど。
母は士官学校在籍時から色々と派手な事をしていたと聞く。
ならば同時期にいた人たちには顔を覚えられていて当然か。
納得してうんうん頷くノクス。
そういう癖もソワレ殿と同じだな。
微笑ましい気持ちで先輩の息子を見て、ユリウスは目の前の先輩に疑いの眼差しをむける。
「何故イアロス殿がソワレ殿のご子息と? まさか誘拐」
「お前なぁ。ソワレがいきなり預けてきたんだぞ。俺ぁ被害者だ」
心外だと言うイアロスに苦笑して、ユリウスはゆっくりと上体を起こす。
傷の痛みはもう無い。回復魔法というものは便利だなと思いつつ、右手を胸に当てて名乗りをあげる。
「セラータの雪花騎士団に所属しているユリウス・レアルタと申します。お見知りおきを」
挨拶を受けて、礼をしそうになって慌てて止める。ミルザムから受けた影響はこんなところにも出てしまいそうになって、時折自分でも困惑する。
お辞儀の風習なんてこの地には無いというのに。
「ノクティルーカ・ミニュイ・ジュールです。お会いできて光栄です」
「ノクティルーカ殿は何故ここに?」
あくまでも生真面目なユリウスにはあとため息ついて、イアロスは弟子の頭をぽんぽんと叩く。
「こらこらユリウス。そう畏まんなよ。
コイツがこの辺ふらふらしてるってのもばれたらまずいんだぞ」
いや確かにそうなんだけど。
反論したいのをぐっとこらえてユリウスに笑いかける。
「俺の事はノクスで。敬語も使わないで下さい」
そう。ちゃんと名前を呼ばれると、ポーリーが自力で思い出したことにならない。できれば早く思い出して欲しいところだけれど、こっちだって二度も忘れられたままって言うのは悔しい。絶対に自分から明かしたくない。
何かを感じたのか、それとも諦めたのか。
淡い笑みを浮かべてユリウスも応えた。
「それではノクス。私のこともユリウスと呼んで欲しい」
「うんわかった」
「さてと」
話が終わるのを待って、イアロスはノクスをそのままドアへと追いやった。
「こっからは大人の話だ。お前も下行ってなんか食って休んどけ」
「へいへい」
言われなくても朝から走り通しでお腹のすいているノクスに反論は無い。
おとなしくそのまま部屋を後にした。
階段を下りれば、きゃいきゃいと話す声が聞こえてくる。
「ねー、どっちが坊やの恋人なの?」
「何でそうなんだっ?! 今日初めて会ったばっかだっての!」
女って、こーゆー話好きだよなあ。
半ば呆れたまま厨房を覗き込む。
案の定、テーブルに座る二人を取り囲んでいるのは数人の女性達。
商売の時間にはまだ早いから暇つぶしをしているのだろう。
「悪いけど俺にも何か食べさせてくれるか? 代金はイアロス持ちで」
その言葉に、獲物を見つけた猫のように一斉に振り向く女性達。
……正直怖いんですけど。
「いいわよぉ」
「ただし、本当の事教えてくれたらね♪」
「本当のことも何も、イアロスが急に受けた仕事で知り合ったんだぞ。
まだ紹介もされてない」
空いてる椅子に腰掛けつつ言う。
金髪の少女はユーラという名前で、ユリウスの娘らしい。
でもこれは本人から聞いたわけじゃないから、先ほどの発言は嘘じゃない。
「あらそうなの? つまんないわねぇ」
そういうこと言われるから本当のことは絶対に話さない。
パンを取りつつ視線をやってもポーラはなんとなく微笑を返すだけだし、ユーラには睨まれるし。
女性達は何やかんやと聞いてくるけど、それらを適当に受け流しつつ食事を進める。
どうやらイアロスは一人でどこかに行ってしまうようだ。なんだか厄介な仕事のようで、邪魔だからという理由で今度はユリウスに預けられるらしい。
ってことは、ポーリーと一緒に旅をする事になるんだよな。
スープを飲みつつ、未だに意味のないやり取りを繰り返している彼女達を見る。
『強くなったら一緒に旅ができるかな』
昔、そう聞いた自分。
彼女に置いていかれないくらい。自分は強くなれただろうか?
『いつか一緒に旅、しようね』
そう応えてくれた彼女は今、目の前にいる。
あまりにしつこい女性達に腹を立てて、掴みかからんばかりの友人を、困ったように、でもどこか楽しそうに宥めながら。
そう。せっかく回ってきたチャンス。
一緒に旅のできる時間なんてそれこそ限られている。
なら精一杯楽しまなきゃ、きっと損する。
そう結論付けてノクスは食事に集中する。
その先に何が待っているとも知らないまま。
備え付けの椅子に行儀悪く座ってしばし、相手は一向に話を切り出さない。
話しづらいことだということは分かっているが、このままでは日が暮れてしまう。
仕方無しにイアロスは口を開いた。
「……セラータはそんなに悪いのか?」
ユリウスの体がこわばる。
聞いて欲しくない。でも聞いて欲しい。
そして一緒に考えて欲しい。真実を、教えて欲しい。
心の中のごちゃごちゃしたものを何とか押さえつけようとする。
目を閉じて、深い深呼吸。体の力を抜いてベットに身を委ねる。
「確認はしていませんが、流れてくる噂は悪いものばかりです」
「なるほどねぇ」
思ったよりもしっかりした声に、イアロスは一応納得してみせる。
「王が傭兵を集めているとか、凶作続きだとか、王妃が死んだとか……
農業が主なあの国で凶作続きとあっちゃあ、戦の準備のために傭兵を集めてるってのも事実臭いよなぁ」
そう。
かつてネクリアがいっていた通り、セラータに関する噂を集めれば集めるほどに、その内容は物騒なものになっていく。
「ポーラ様は王妃様を慕っておられましたから……自分を逃がしたせいで王妃様が」
「アリアになんかあったら……アルタイルが黙っていられるとは思えねぇな」
独り言のように呟いて、ユリウスに負けず劣らず根は真面目な友人を思う。
元々身内を大事にする奴だ。
いとこの事は妹のように思っていると言っていたし、同じく妹のようなソワレへの態度からも彼がいとこを大事にしていた事は察せられた。
自分の娘を逃がしたがために、いとこが処罰されたとあっちゃあ。
「イアロス殿? 王妃様に何かあったら……とは?」
思考に沈むイアロスに、ためらいがちな問いがかけられる。
ユリウスは必死の形相でこちらを見ていた。
かすかな反応からでも情報を掬おうとする様に。
目の前に差し出された、かすかな希望を確かなものにするかのように。
真摯に応えるべく断言する。
「アリアは生きてる」
「本当ですか?!」
「確かな筋からの情報だ」
太鼓判を押してやれば、ユリウスは顔を隠すかのように反対側へと寝返りを打った。震えるかすかな声で何度も、よかったと繰り返している。
「とはいえ、あまりのんびりともしてられねぇ可能性も高い。つう訳でだ。お前はおとなしく養生した後、今まで通り嬢ちゃんのお守りをしてろ。
おっと、ノクスも一応見てくれな」
気楽に告げれば、今度はしっかりとした応えが返った。