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月の行方

【第五話 一条の闇 一条の光】 2.消えない絆

 話は少し前に遡る。
 満ちるには僅かに早い月の下、ゆったりと歩く一つの影。
「夜も大分冷えてきたな」
 そう呟くのは軽鎧に身を包んだ壮年の傭兵。
 月を見上げてイアロスは一度視線を後ろへやる。
 マリスタが運び込まれた医者の家のあたりに。
 ま、俺がいても役には立たんだろうし、あの二人はまずあそこから動かんだろうから問題ないか。
 そう判断して再び夜道を歩く。
 月夜だというのに人影少ないのは、やはり誘拐騒ぎの影響だろう。
 もっとも、内緒の話をするには都合がいいが。
 指定されていた酒場に入り、酒を頼んで相手を待つ。
 今回の誘拐騒ぎは特に首を突っ込むつもりは無かった。最初は。
 そう。たまたまあいつに再会しなければ……
「お待たせしました」
 性格は声にもよく出るものだと思いながら、視線を上げる。
 ノクスの保護者のように頭からすっぽりとフードを被った男性。
 傭兵というには少々上品過ぎる身なりと物腰。
「ったく。俺を使うたぁいいご身分だな」
「申し訳」
「あー。いちいち謝るこたぁねぇよ。ほんっと真面目だよなぁ」
 もっとも、この真面目さのお陰ですぐに分かったのだけれど。
 良いから座れと席を勧め、ようやく男性の姿が分かる。
 少しくすんだ金の髪に緑の瞳。イアロスの視線に気づいてややぎこちなく笑う。
 イアロスのほうが年上だというのに、久々に再会した彼はかなり老け込んで見えた。
 旅疲れか……それとも気疲れのせいか。
 根が真面目なだけに、色々溜め込んでそうだしなぁ。
「本当にありがとうございました」
 深々と頭を下げる彼に、イアロスは気の無い返事を返す。
「いや? 俺がしたのは壊しただけだからな。
 ちゃんと逃げれた嬢ちゃんが偉いぞ」
 それだけで通じるのか、しばし二人は無言のままに酒を飲む。
 酒場は賑わっており、誰もこちらの話になど耳を傾けているとは思えない。
 が、用心に越した事は無い。
「まあなんだ。礼が言いたかっただけじゃあねぇんだろ?」
「ええ。まあ」
 イアロスの問いかけに、申し訳なさそうに頷く男性。
 絶対厄介事だ。培ってきた傭兵としての勘はそう告げている。
 ここで頼み事をされても、否といえばそれでいい。
 だというのに。
 多分、断れねぇよなぁ。
 苦笑しつつ酒をあおる。
 友人が苦境に陥っていると知るとどうしても手助けしたくなる。
 そんな訳は無い。
 ただイアロスは友人達に――それは無論ソワレにも――多大な借りがある。
 それこそ一生かかっても返せないような大きな借りが。
 そんな恩人達を裏切るほどには堕ちていない。
「で? 何をすりゃあいいんだ? ユリウス」
 問いかけに、ユリウスは息を一つ吐いて口を開く。
 彼の口から発せられた『願い事』の内容に。
 やっぱり聞くんじゃなかった。
 そう思ってももう遅すぎて。

 オルトロス。
 夜明けを意味する言葉を冠する国は、なんだかとっても平和だった。
 畑仕事が一段落して、冬篭りの準備を始める時期だからかもしれないけれど。
「にしても平和すぎるだろ」
 独り言はあまりいうものではないし、愚痴を独り言で呟き続けるというのも如何なものかと思うけど、言いたくなるのは仕方ないと思う。
 エスタシオンの国境に近い街ヒューレー。ここにやってきて一月近く。
 請け負った仕事といえば、ゴミ漁りの野犬退治や子供に読み書きを教えるだとか、『なんでも屋さん』のようなものばかり。
 仕事を選べる状況じゃない懐具合が悲しい。
 決して……決して以前のように人様に公言できない仕事の方が良いなどという気は無いけれど。
 そう思いつつノクスは拠点にしている宿の扉をくぐる。
 ここの宿は隊商が利用する事もあるらしく、かなり大きい。
 一階の酒場などは吟遊詩人や旅芸人のためのステージまであるくらいだ。
 酒場の奥、ステージの左手の席。そこにいつもの姿で居座ってる駄目大人がいた。
「よ。おかーえりー」
「ただいま」
 多少つっけんどんになるのは仕方ないと思う。
 なんせ、この国に来てからイアロスは一度も仕事を受けていないのだから。
 『独り立ちのための準備』と言われてしまっては反論のしようが無いが、せめて自分の分の宿代くらいは稼いでもらいたいと常々思う。
 ワインをちびりとやりつつイアロスは言う。
 にやにやと意地の悪い笑顔というおまけつきで。
「今日も頑張ったみたいだなぁ。ノクス君や」
 言われたノクスのほうはぶすっとしたまま応えない。
 ……顔に描かれた三本の線が彼の頑張りようを如実に物語っているが。
 迷子のネコを探して欲しい。
 これがまたすばしこいわ、人に懐いてないわ。
 後で消毒しておけばいいやとか思わずに、さっさと魔法で治しておくんだったと思っても後の祭りだ。
 ぶうたれつつ席についたノクスを笑いつつ、機嫌をとるようにイアロスはテーブルの上を示す。
「まあ頑張ったご褒美……っつーわけじゃねえが、食え。ドンと食え」
 テーブルの上にはカゴに入ったパンやイノシシのワイン煮、レンズ豆のスープなど複数の料理が並んでいた。運ばれてからまだあまり時間がたっていないのか、まだかすかに湯気が漂っていて、いかにも美味しそう。とはいえ。
「どういう風の吹き回しだ?」
 並べられた料理は豪華……とはいかないまでも、いつも食べてるものからすれば少し贅沢なほどの量。
 仕事をしてる訳じゃあないから、節約しないといけないのに。
 それとも自分に内緒で割りのいい――早い話が怪しい・危ない――仕事を請け負っていたのだろうか?
 警戒の目を向けるノクスにイアロスはつまらなそうに言う。
「前金が入ったんだ。ちぃとハードになるから体力つけとかねぇとな」
「前金?」
 そしてハードとくるか。
 あんまりそういう仕事は受けたくないんだけどな~。
 自分のせいで両親の名に傷をつけたくはないし。
 そう思いつつも手袋を外して、空の容器に水を生み出し手を洗う。
 生まれも育ちのアージュのノクスだが、周りにいたのがミルザムをはじめ綺麗好きな面々だったせいか、こういう習慣はすっかり身についてしまっている。
 メインディッシュのイノシシのワイン煮をとりあえず真っ先に切り分け、自分の分を確保する。気持ちが落ち込んでいようが、成長期というものはとかくおなかがすくものだ。
 いただきますと挨拶して早速一口頬張る。
 うん、おいしい。
「毎度ながら思うが……器用なもんだよなぁ」
 あきれたように言うイアロスの視線はノクスの手元に向けられている。
 この国の……いや、この大陸の一般人が食事の時に使う道具といえば、切り分け用のナイフくらい。フォークなどというものは一部の王侯貴族しか使わない。
 今ノクスが使っているのは二本の棒……『箸』。
 イアロスに預けられた当初、ノクスはどうしても手で食べるのを嫌がった。
 アージュの王族がフォークを使う『一部』に入っていたためといえよう。
 そこで同じく道具を使って食事をとる風習のあるミルザムが器用にも箸を作ってやったのが始まり。今では自由自在に扱っている。
「下手に目立つんだがなぁ」
「今更そんなの言うなよ」
 言いつつもイアロスの目の前でイノシシの肉は一口大に分けられ、箸できれいにはさまれてノクスの口に消えていく。
「パンは手で食べるくせになぁ」
「……パンは家でも手で食べてた」
 口の中のものを飲み下してから返事をして、気になっていた事をイアロスに問う。
「それより、その仕事ってなんだよ」
 前金が入ったからこのご飯が食べれるという事は、もう断る気はないってことだろう。
「人探しだ人探し」
「人探し?」
「ああ。孫娘を探して欲しい、だと」
 そう言って懐から羊皮紙を取り出し、ノクスのほうに向ける。
「駆け落ちした娘夫婦が事故で死んだらしくってな、あの時許してやればと後悔して、せめて残された孫娘の世話をしたいってじーさんからの依頼だ」
「へー」
 一旦箸を置き、羊皮紙に描かれた姿絵を眺める。
 年はノクスと同じか少し下くらいだろうか。ロングヘアのなかなかに可愛らしい子だ。
 もしこの絵そっくりなら会うのが少し楽しみかもしれない。
「年は十五。誕生日はコンウォルウルスの月の15日。
 お前と同じ年で同じ日の生まれだな」
「……偶然ってあるもんだな」
 同じ日生まれの人なんて滅多にいないと思ってたけど。
 そういえば、ポーリーも同じ日だったっけ。
「ちなみに銀髪。瞳は紫らしい」
「紫?」
 怪訝な顔をするノクスに一瞬イアロスは不思議そうな顔をして、ああと手を打つ。
「そーいやお前の幼馴染もそうだって言ってたよな。
 案外いるもんなのか、それとも当人か?」
 からかい混じりのイアロスの言葉。
 だけど。なんとなく、なんとなく嫌な予感がした。
 手元の姿絵に目をやる。
 これが似ているかどうかなんて分からないけれど……やわらかそうな髪に大きな瞳。特徴は、似ているかもしれない。
「会ってみないとわかんねぇけど……」
 どうしても歯切れは悪くなる。
 銀の髪と紫の瞳。
 ポーリーを探してるなんて思うのは、被害妄想だろうか。
 でも、彼女は狙われている。
 そして仮に彼女を探しているのだとすると、真っ先に思いつくのが。
 ミュステス狩り。
 力が強かったり、魔力が強かったり……そんな風に、人より強い力を持つ者。
 仮にこの少女がポーリーだとして、彼女を探している老人がソール教と係わり合いが無いと言い切れるだろうか?
「ほー。会えば分かるか? 成長期の二年は長いぞ~?」
「まったく面影なくなるわけじゃねぇから分かるだろ? 多分。
 それに俺が分からなくったって、向こうが分かる可能性も」
 言いかけて言葉に詰まる。が、イアロスはそれで納得したかのように頷いた。
「ま、それもあるやな」
 そういうわけだと締めくくって、イアロスは再び食事に集中しだした。
 その姿を見てノクスものろのろと箸を手に取り、食事を再開する。
 言葉に詰まったのは他でもない。
 果たしてポーリーは、再会してすぐに分かってくれるだろうか?
 そこに思いっきり不安を感じてしまったから。
 いやいや分かってくれるはずだと思う反面、髪をばっさり切ったし、この一月で声変わりもしたし……何より彼女には前科がある。
 あんまり、期待しない方が良いかもしれない。
 もぐもぐこくんと肉を飲み下し、姿絵をちらと横目で見る。
 もし仮に……これがポーリーのことだとしたら。
 この依頼人は間違いなく『敵』だ。
 一度だけ見たことがある。ミュステスの認定を受けた人。
 罪人であるかのように腕に押された烙印。
 ソール教から逃げてきたのだといっていた。
 『あんなところに戻るくらいなら』
 絞り出すような細い声に、色濃い憎悪と嫌悪。
 この子がポーリーだとしたら。
 ソール教なんかに渡したりしない。
 アースが一緒なら俺なんておまけにしかならないだろうけど。
 それでもきっと、少しくらいは役にたてることもあるはず、だから……守りたい。
「ま、探すのは明日からだ。いいな?」
 言い聞かせるように確認するイアロス。
「ああ」
 頷いたノクスに、 珍しく満足そうにイアロスが笑った。
 それが妙に気になったのは何でだろう。
 その理由は、後々わかることになるのだけど。