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月の行方

【第五話 一条の闇 一条の光】 1.さすらい

「という訳で、後は頼んだ」
 ねぼけ眼でテーブルについた途端そう宣言されて、イアロスは少々反応が遅れる。
 悪びれもなく彼に言うのは、寝癖だらけの紺色の髪をフードで隠した青年。
 二十歳前後に見えるが、物言いは年寄りくさかったりするから、見た目よりは年がいってるのかも知れないと思っている。
 士官学校の同期の友人が『息子を鍛えて欲しい』といって預けてきて二年が経った。
 その時にくっついてきた自称・保護者。胡散臭いところはあるものの、保護者としての本分は抑えてきていたから何も口出ししなかったが。
「何がという訳で、だ」
 もっともな問いに返るのは苦笑。
「ノクティルーカも無事元服したことだし、そろそろ保護者がついて回るわけにもいかんだろう?」
「それを今更言うのか?」
 うんうん頷きつつ最初から分かっていた事を言われても。
 その態度が伝わったか、急に真顔になって手をパタパタと振る。
「いや、これは立派な仕事として頼んでいる」
「仕事ぉ?」
 ちなみにその友人は息子を預けるにいたって『友達だもんな』の一言で、特に報酬などは用意しなかった。
「しばらくノクティルーカの面倒を見て欲しい。
 そうだな……後二ヶ月ほどしたらどこで放り出しても構わん。
 ただし、二ヶ月過ぎるまでは絶対に一人旅はさせないで欲しい。
 過ぎぬうちに別れるならば、信頼あるものに委ねる事」
 二ヶ月とは何かのキーワードだろうか?
 口に出すより早く、ミルザムは人差し指を立てて自らの口元にもっていく。
 それは『秘密』のゼスチャー。
「理由は言えぬ」
 聞くな、ということ。
 こういう商売、首を突っ込んだことで逃れられなくなるケースも多い。
 好奇心は猫を殺す。
「で、報酬は? それによって受けるか受けねぇかを決めさせてもらう」
 開き直って問い掛けるのは別のこと。
 ノクスの面倒を見るのは友人の頼みであるから特に問題は無い。
 いつ独り立ちさせるかの判断はイアロスに任されていたし、少なくともあと二ヶ月ではとてもじゃないが追い出せない。
 だから本当は断る理由など無いのだけれど。
「報酬は……情報だ」
「情報?」
「北の鷹の情報」
 表情を変えずに済んだのは僥倖といえるだろう。
 だというのに、目の前の青年はどこか楽しげな笑みすら浮かべて問い掛けてくる。
「買うか?」
 『北の鷹』――
 それはノクスの母ソワレの幼馴染。
 そして……イアロスの仕官学校時代の親友の二つ名。
 昨日ネクリアが言っていたように、今彼がいるセラータは物騒らしい。農作物の不作が続いただの、王妃が身罷られただのと暗い話題ばかりが聞かれる。
 噂は噂。
 しかしその中に欠片の真実を含んでいる事もある。そして噂に真実がまぎれているなら、親友の立場は非常に危ういものになっているだろう。
 欲しいに決まっている。
「てめぇ……何者だ?」
「しがない星読みだ」
 常人ならば震え上がるだろう眼光も、目の前の青年には意味をなさない。
 余裕すら感じさせる微笑で言葉を返し、少々困ったように言い直す。
「ま、そう言っても信じぬだろうな。
 あまり話すなといわれているが、致し方あるまい。
 何。ただ単につがいの鷹の縁者なだけだ」
「……ほぅ?」
 つがいということは、親友夫婦という事だろう。
 そういえば一度だけあったことのある親友の妻もまた、ミルザムと同じ青い髪に紫の瞳をしていた。
 縁者だから。それは気を許す理由になりはしない。
 ならば頼りになるのは自分の勘。
「その話、買った」
 そう言って不敵な笑みを浮かべたイアロスに、ミルザムは安心したように息を吐いた。

 じー。
 穴があくほどに見つめているのは、鏡の中の自分の姿。
 真面目な顔を取り繕って、ため息を吐く。
 容姿はそんなにすぐには変わらない。
 髪を切ることが許される。それは大人の仲間入りを示す。
 けど、『大人』と呼ばれる年になっても、そう簡単には変わらないらしい。
「もっと強そうになるとか格好良くなるとか。
 そう思ってたんだけどなー」
 愚痴ってみても仕方ない事は分かっているけど。
 あーあと言って、ノクスは鏡からはなれ、ベッドに寝転がる。
 やっぱり首がスースーする。
 これから寒くなる事だし、風邪なんてひかないようにしないと。
 そんなことを考えていると、ノックもなしに戸を開けられた。
「おーいノクス。ここを出るぞ」
「え?」
 あまりに唐突な話に、起き上がり発言の主に聞き返す。
 だというのにイアロスは不思議そうな顔もせずに、逆になんで分からないんだとでも言いたそうな顔で言ってくる。
「だから。ここを出るってんだ」
「また急だなー」
「バカヤロ。今回の事で使ってないとはいえ教会壊したんだ。
 留まってたら厄介ごとに巻き込まれるだろーが」
 そういえばそうか。
 でも、誘拐騒ぎで教会を壊したのはイアロスであって、自分では……
 そういえば壁壊したっけ。
 本当ならこういう逃げ出すような真似はしたくないけれど、生憎イアロスと付き合ううちに諦めが先に来てしまうようになっていた。
「で、どこ行くんだ?」
「ほとぼりが冷めるまではオルトロスだな」
 すんなりはかれた言葉にちょっと目を見張る。
「エスタシオンを出るのか?」
 オルトロスはエスタシオンの北に位置する隣国。
 両国の仲は険悪とまではいかないという感じ。
 逃げるだけなら別の街に行けばいいだけじゃと思うのは当然だろう。
「いろんな国を見て回るのも大事だからな!」
 反論を許さぬように言い切って、イアロスは旅立つ準備をし始めた。

 街道を旅の二人連れが行く。
 一人は壮年の男性。赤錆色の髪と日に焼けた濃い色の肌。
 軽鎧に身を包み、ベテランの風格を漂わせる傭兵。
 もう一人は大分小柄な人影。
 壮年の傭兵の胸ほどの高さの背に、傭兵というにはまだ頼りなさそうな体格。
「あら」
 思わず声が洩れ出る。
「あらあらあらあらまあまあまあまあ」
 手に持った遠眼鏡で少年の容姿をよく観察する。
 場所が木の上というバランスの悪い場所だけに少々難しい。
 傍らの同僚のため息が聞こえてきたが、あえて無視。
「可愛い子じゃない♪」
「お前のその基準は分からんなぁ」
 視線を同僚に向けて感想を述べれば、あきれたようにため息をつかれた。
「だって艶やかなぬばたまの髪。意志の強そうな瞳。
 武者人形みたいよ?」
「それがどうして可愛いなんだ?」
「まだあどけない様子がなんとも♪
 頑張る男の子って大好きよ♪」
「お前の好みは聞いてない」
「ま、ひどーい」
 ぽんぽんと言葉の応酬をして、彼女はまた遠眼鏡を覗く。
 可愛いものを可愛いといって何が悪いのか?
 まあ男のほめ言葉じゃないと何回か言われたことはあるが。
 そんな楽しそうな彼女を見て、ミルザムはもう一度ため息をつく。
 頼む相手、間違えたかもしれない。
 自分達の主とも言うべき琴の君の一粒種である北の姫。
 最近北斗の一派が北の姫を『昴』の後継である『後星』にたてようという動きがあるが、その姫の夫に自分達の都合の良い者をと考えているに決まっている。
 ノクティルーカ本人には言っていないが、北の姫の婿候補である以上、北斗一派から暗殺される可能性が高い。
 そんな状況で護衛の一つもつけないでいられるわけが無い。
 だからこそ護衛の交代を頼んだ彼女は、あやめ色の瞳を和ませて、露草の色の髪をなびかせて、心から楽しそうに笑う。
「ちい姫様にはぴったりじゃない? 色合い的にも」
「色合い的、か」
「並んで絵になるっていうのは重要な要素よ♪」
 態度は軽いし、見た目は本当に手弱女然としているこのカペラだが、実は結構強かったりする。
 伊達にかつて都で先代の昴――琴の君の侍女をしていた訳ではない。
「それで、あれが婿殿で間違いないのよね?」
「そう。名はノクティルーカ」
「ちい姫様に相応しくなかったらどーしてくれようかと思っていたけど。
 まあ合格ね。手塩にかけてお育てしたちい姫様だもの。泣かせたら許さないんだから」
 そういえばカペラは一時期修道女に扮して北の姫の世話をしていたんだったか。
 ノクティルーカの態度いかんによっては、北斗一派よりもカペラに抹殺されないともいえない。
「今更だが、本当に頼んで良いのか不安になってきたよ」
「何言ってるの、本当に今更ね」
 あきれたように言って、片手で遠眼鏡を持て遊びつつカペラは言う。
「特にちょっかいなんて出さないわよ?
 分からないように監視して、危なければ守って。
 それで良いんでしょ?」
「まあ、そうなんだが……」
「少なくとも私のほうがスピカよりはそういう任務には向いてるもの。
 あんたはせいぜい狸相手に頑張って♪」
「それを言うなよな~」
 今から戻って海千山千の古だぬき達に囲まれる事を考えると頭が痛い。
「で、どうなりそうなの?」
 一転して真面目な顔で問うカペラ。
「何とか、なるかしら」
 彼女が望むこと。そして自分が望んでいるのも多分同じ事。だから。
「するために、頑張るんだろ?」
「そうね」
 ふっと微笑んでカペラは胸を叩く。
「婿殿とちい姫様は任せなさい。どんと大船に乗ったつもりで」
 星は……
 星が示す、これからの道のりは。
 けして平坦でない事を次げているけれど。
「頼りにしてるさ」
 そういい残して、ミルザムは帰還のための呪を紡ぐ。
 オルトロス。
 夜明けの意味を持つその国で、分かれた翼はめぐり合う。