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月の行方

【第四話 邂逅の時】 6.『奇跡』の代価

 中空には円に近い、明るい月。
 酒場から洩れ聞こえる喧騒を背に、夜道を行くは二つの影。
「つい二日前にあーんな目にあったってぇのに」
 そうぼやくのは赤錆色の髪の壮年の男性。
 ぼりぼりと頭を掻いて、左下を見やる。
「勇敢だねぇ。ネクリアちゃんや」
「好きで遅くなったんじゃないものッ 気がついたら日が沈んでたんだもの!」
 言い切るものの、ここまで声が震えていては強がりにもならない。
「あーはいはい。おぢさんがいて良かったなぁ」
 ぽんぽんとあやすように頭を叩けば、むきーっと文句を連ねてくる。
 そんな彼女の怒りを適当に受け流して、イアロスは思う。
 この位になっていただろうか?
 ソワレにはノクスが、アルタイルにもノクスと同年の子供がいると聞く。
 ネクリアより一つ二つ下、くらいだったろう。
 生まれる前に旅立ってしまった、あの子は。
 道行く影は少ない。
 月夜なのだから、本来はこんなに人が少ないことは無いのだが、先日までのかどわかしの件があってのことだろう。
 イアロスとて腰には剣と、懐などにいくつか武器が忍ばせてある。
 あの一件の犯人は捕まっていない。犯人の目星すらついていない。
 警戒を解いて浮かれるにはまだ早い。
 と、一つ先の交差点から人影が出てきた。
 大き目のかばんを手にした旅装の青年。
 月の光をちらちらと弾く金の髪。
 見覚えのある容姿だなと思っていると、ネクリアが声を上げた。
「マリスタ! どうしたのこんな時間に」
「ネクリア……」
 今はじめて彼女に気づいたのか、狼狽したような淋しそうな、複雑な表情でマリスタは振り返る。
「すごい荷物ね」
 気づいているのか無視しているのか。
 そんな彼にお構い無しに、にこやかに近づくネクリア。
 ほっとくわけにも行かず、イアロスも近づく。
 今の状況であまり他人を信用する事は出来ない。いくら、顔見知りといえど。
 楽しそうなネクリアに対し、マリスタは困ったように微笑み返す。
「うんちょっと……故郷に戻らないといけなくなって」
「え?」
 ゆれる瞳。
 ぼうっとする頭で考える。
 マリスタの故郷。どこだって言ってたかな。
 うん覚えてる。フリストだ。
 この国(エスタシオン)から遥か北にある国だ。
「行っちゃうの……?」
 幼子のような問いかけ。
 情けないけど、そんな言葉しか出てこなかった。
 故郷に帰る、なんて。別段珍しい話なんかじゃないのに。
「急だけど、ね。
 顔、出さないわけにはいかないし」
 そう言ってさりげなく視線をそらす。
 言いにくい事があるとき、そうやって誤魔化すクセがあるのは知ってる。
 だって見てたから。五年前に知りあって、それからずっと見てたから。
 でも引っかかったのは別のこと。
 顔を出さないわけには。
 そして、とても悲しそうな顔。
 そこから考えられるのは。
「ああああのねっ
 落ち着いてね。元気出してね! 無事に帰らなきゃ駄目よ?」
 ネクリアが勘違いしてくれた事にほっとするマリスタ。
 正直に、逃げ出すなんて言えようはずもない。
 無論ミルザムの報復を恐れての事ではない。
 石を渡したとしても、敵はそのことを知らない。彼らが追っているのはマリスタだ。
 譲り渡したことを話すつもりはない。
 ノクスに押し付けておいて、それをするのは躊躇われた。
 だから逃げる。前と同じように。
 今はもう、失えるものは少ないから。
 別れを惜しむネクリアの様子に、イアロスはそっと呟く。
「微笑ましい事で」
 ノクスをいじるよりも、ネクリアを冷やかす方が楽しいかもな。
 彼の口元が、それはそれは楽しそうに笑みの形をとったのはいうまでもない。

 若干微笑ましいあちらとくらべて、マリスタ捜索中のこちらはといえば。
「ほらほらキリキリ探せ探せ」
 妙なテンションのままミルザムがノクスを引っ張りまわしていた。
 呪い師の店を訪ねて居場所を聞いて、家を訊ねた時には遅かった。
 それから大家を訪ねていけば、故郷に帰るらしいという事が分かった。
「急がねば高飛びされる可能性が高いぞ!」
 そう言って町を駆けずり回って、どのくらい経ったろう。
「随分おーぼーだな」
「横暴で結構。これで逃げられたら怒りのぶつけどころがないだろうが」
 げんなりとしたノクスには見向きもせずに、当然といった口調で返すミルザム。
「……何でお前の方が怒るんだよ」
「弟子が詐欺にあったのも腹立たしいが、長生きしてるとあちこちで恨みを買うし、持つんだな。これが」
 それだけじゃないだろーと思ったが、口には出さないでおく。
 どうやら、今回の帰郷でよほど面白くない事が会ったらしい。
 それより何より気になるのが。
「待て。俺いつ弟子になった?」
 その問いに、大仰に肩をすくませて。
「星読みを懇切丁寧に教えてやったろうに。
 ああ。悲しいなぁ、昔はあんなに熱心に星の事を聞いていたというのに。
 やっぱり自慢できる相手がいないと集中力もこんなものか」
「自慢って……俺何もあいつに自慢したがったわけじゃ」
「はっはっはっ。照れるな照れるな」
 ばしばしと背中を叩かれる。
 筋肉なんてさほどついているようには見えないのに、イアロスよりも力が強いのはどういうことだろうと常々思う。
 いつかツッコミで骨折するんじゃなかろうか。
 いやそれはあまりにも情けなさ過ぎる。
 と、ミルザムの笑いがやんだ。
 不思議に思って様子を伺えば、怪訝な表情で建物の屋根あたりを見つめている。
「あいつ……?」
「ミルザム?」
「まさかな……いや、俺は何も見なかった」
「いきなり何を言い出すんだ?」
 問いかけにいきなり目を手で覆って首をふるミルザム。
 はたから見てると怪しい事この上ない。
 ノクスのもっともな言葉にも。
「静かにしてろノクティルーカ。俺は嫌な幻を追いやってる最中だ」
「嫌な幻って」
 まぼろしなのか、それ。
 それを口に出すより早く、大声で噛み付かれる。
「ああもう胸糞悪くなるくらいやな奴だ!
 あいつが来てるってことは」
 叫んでおいて、何かに気づいたかのように押し黙る。
「ミルザム?」
「来てるってことは……」
 考え込むように、手が口元にやられる。
「何かを仕組んでる……? いや、仕組まれていた?」
「おーい」
 もはや反応なし。
 呼びかけても、目の前で手をひらひらさせてもまったく気づかない。
 ぶつぶつ呟きながら、目は虚空を睨みつけている。
「ノクティルーカ!」
「うぇ?」
 やおら突然名を呼ばれて、まともに返事も出来なかったノクスに構わず、ミルザムは走り出す。
「追うぞ! 野放しに出来ん!!」
 一人で考え込んで、納得して。
「な……」
 ミルザムの行動には大分慣れているつもりだったけど。
「なんなんだよっ」
 文句をいいたい気持ちを抑えて、ノクスはミルザムの後を追った。

 轟音、そして土煙。
 それから、人々の悲鳴とざわめき。
「面倒な事だ」
 そうぼやくのは純白のローブを纏った男。
 月の夜闇に映える、太陽の白。
 派手になりはしたが、ターゲット以外は傷つけていない。
「そのあたりはお咎めなしだろう」
 言って、にぃっと笑う。
 怪しいほどの赤い口元。
 そして。
 その手にある、黒く染まったもう一つの……

 こほ。
 せきが出た。どうにもここは埃っぽい。
 体中が痛い気がする。
 何を、していたんだっけ。
 回転の遅い頭を不思議に思いながらも、マリスタは思い出そうとする。
 逃げようと町を歩いている最中にネクリアに見つかって、別れの挨拶をしていて。
 突然起こった爆音。
 気がつくと、彼女の頭上に大きな瓦礫が。
 そうか。僕は……
 どこか定まらない思考で彼は思う。
 体中が痛い。そして、何かが抜けていく感覚。
 結構血、出てるな。
 のんきな事だと自分でも思う。
 何が『奇跡』だ。
 あんなものに関わったせいで、今の自分はこんな姿だ。
 いや、自分だけじゃない。
 自分に近しい、どれだけの人に災いが訪れただろう?
 ようやく押し付けられたと思ったけど。
 そう簡単に『呪い』は解けないということか。
 周りで誰かが何かを言ってる。
 その中に、聞き覚えのある声があった。
 泣き声で自分の名を呼んでいる。
 ああ、良かった。
 ネクリアは助かったんだ。
 良かった。本当に、巻き込まずにすんで。
 今度は守れた。
 そう。あの時は……
「守れなかった」
 出た声はあまりにもか細いものだった。
 少しずつ体の上から重いものが除かれていく。
 でも、心にはよりいっそ重いものが積み重なっていく。
「守りたかったのに、守る事ができなかった」
 帰れる場所なんてない。
 そう。自分のミスのせいで。
 『奇跡』を継い……押し付けられて。
 事の重大さもわからずに。
 自らの無知さから、それがばれてしまった。
 マリスタが『奇跡』を持っていると。
 彼の家系は魔法の才があるものが多かったが、それを生業にしては生きてこなかった。だから、知らなかった事も多いかもしれない。
 本気にする人間が、どれだけいるかなんて、深く考えようとしなかった。
 おとぎ話だと、自分が受け取るまではそう思っていたから。
 他人もそうだと思っていた。
 だから、すべてが始まった時には遅かった。
「こうやって、守る事ができたのに。
 できた、はずなのに。あの時」
 ネクリアを見ると思い出す。
 ちょうどあのくらいで別れた、自分の半身。
 重い石がどかされて、まぶたの向こうに感じる、ほんのりとした明かり。
「いたぞ!」
「医者呼んで来い医者!」
「回復魔法使える人間いないか?!」
 飛び交う怒声の中、耳慣れた声が聞こえた。
「マリスタ!」
 涙交じりの声。
 この声は違うのに。あの子じゃなくて、ネクリアのものなのに。
 はっきりとしない瞳には、あの子の姿でしか映らない。
 だから、ついこんな事を言ってしまった。
「ごめん」
 ネクリアに言ったって意味がないのに。
 ばかだなぁと思いながらも、マリスタはそれ以上意識を保つ事が出来なかった。