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月の行方

【第四話 邂逅の時】 2.欠けた月の出る晩は

 ぺたんと床に座り、様子を伺う。
 特に対して作戦があったわけじゃない。
 単純に、イアロスが騒ぎを起こすからその間に逃げるように言われているだけ。
 つめたい床の上に、一応の心遣いなのか敷かれている薄い布。
 とはいえ、長く座っていては寒さで動きが鈍くなるだろう。
 さてどうしようかなと思う。
 ここで攫った奴が出てきて目的その他を全部話してくれればいいのだが、そんなことがあるはずがない。
 見張りもいないようだし、ならば囚われている人たちから情報を得るしかないのだが。
「怪我とか……ない?」
 結局聞けたのはそんなことくらい。
 少女達はそれぞれ頷き。
「貴女こそ大丈夫?」
 そう聞いてきた。
「うん。みんな、攫われたんだ?」
 意識して荒っぽい言葉を言わないようにする。
 初めて声変わりしてなくてよかったと心の底から思う。
 声を変えるなんて魔法はノクスは知らない。
「……そうよ」
 忌々しそうに頷く金の髪の女性。
 俯くだけの茶色の髪の少女。
 ネクリアも沈黙を守り、赤茶の髪の少女は一度も顔を上げていない。
 そして一人離れている金髪の少女。
「……何であたしが攫われ……柄じゃないのに……こういう役割は……」
 何かぶつぶつと呟いているのが少々不気味なので、かまわない事にする。
 しかし、行方不明の人数はもっといたはず。
 別の場所に囚われていると考えるのが妥当か。
 あからさまに聞くのもあれなんで、独り言よろしく呟いてみる。
「こんなに攫われてたなんて」
「……ちょっと前に、何人か連れて行かれたわ」
 ビンゴ。
 こんなもの、あたっても嬉しくないけれど。
「多分、助けは来るわよ」
 元気付けるように明るくネクリアは言う。
「チャンスがあったら逃げましょ」
「そうだな。
 一発殴ってやらないと気がすまないけど」
 応えたのは先ほどまでぶつぶつ呟いていた金の少女。
 右手の拳を左掌の打ちつけ、不敵な笑みを浮かべる。
 濃い緑の瞳は眼前には居ない敵を睨んでいるのだろうか。
 顔立ちの整った少女だった。
 年のころは大体ノクスと同じくらいだろう。
 飾り気の無い服に身を包んでいても彼女の溌剌とした魅力は減る事は無い。
 やっぱり『売る』ための誘拐か。
 心の内だけで嘆息するノクス。
 腹立たしいし、嫌悪感もある。
 それでも、ソレが商売として成り立っているのは……事実。
 他の子達もそれぞれ魅力的だと思える容姿をしているし。
 とりあえず情報は入ったし、脱出準備のために室内を伺う。
 壁はレンガで出来ている。窓は高いところにある明り取りがひとつきり。
 あそこからの脱出は難しいだろう。
 仕方なく部屋を歩き回って壁を叩いてみる。
「何してるの?」
「どこが薄いかなって」
 薄い場所ならノクスの知ってる魔法でも穴をあけることくらいは出来るだろう。
 派手な音はするだろうけど、そればかりは仕方ない。
「成る程。じゃ、手伝う」
 言ってネクリアも立ち上がり反対の壁を叩き始める。
 宿の娘ともなると多少の度胸はついてくるんだろう。
 冒険者と荒くれ者は同義に扱われる事も多い。度胸もつこうというものだ。
 むしろ、やけっぱちになってるだけかもしれない。
 そんな事を考えつつ、ノクスは丁寧に壁を調べた。

 月明かりを頼りにイアロスは慎重に準備を進める。
 ザリアーで手に入れた『火薬』。
 教会からは禁忌と呼ばれるシロモノだが、これが使われるようになれば、間違いなく『戦』が変わる、物騒なもの。
 教会近くに大量に盛り、少し距離をとる。
 腰の小さな袋から火打石を取り出し、あらかじめ用意していた枝に火をつけて。
 枝を投げて、自身は逆方向に逃げ、壁を背にする。
 爆音、そして衝撃。
 少々聞き取りづらくなった耳に、かすかに聞こえる荒っぽい怒声。
「さあて、やりますか」
 冷たい刃が月の光を受け、戦いの始まりを告げた。

 始まった。
 にしてもイアロスは一体何をしでかしたんだろう。彼自身、魔法は使えないはずだが。
 先手必勝・一撃必殺・不意をつく。
 確かに彼の持論に当てはまる始め方ではあるけど。
 でも始まったなら、自分のやる事は一つ。
 響き方の違った壁に両の手のひらを押し付け、低く唱える。
「我が腕に宿る力は我が力に非ず。
 砕け(ディールンペ)! 振衝掌(コンスッシオーニス)!」
 先ほどに勝るとも劣らぬ大きな音。少女達から悲鳴が上がる。
 ……あらかじめ説明してたほうが良かったと今更ながらに思うが、後悔しても遅い。
「早く逃げろ!」
「行こう!」
 誤魔化すためもあって怒鳴ると、いち早く立ち直ったネクリアが先導してくれた。
 少女達についで、自分の空けた穴から出ようとしていぶかしむ。
 てっきりここに誰か来ると思っていたのに……
 けれど迷っている暇はない。彼女達の後を追ってノクスも外に出た。
 壁の向こうはどこかの部屋、なんてことはなくすぐに庭に出た。
 閉じ込められていたところは鐘楼の一角だったらしい。
 見れば、建物を囲っているはずの塀の所々が一部壊されている。
 イアロスの仕業だろうか。流石、下準備を怠っていない。
 にしても。
 追っ手が来ないのはどういうことだろうか?
 少女達はすでに塀の向こう、夜の町へと逃げ出している。
 敷地内から逃がすまでがイアロスの受け持った仕事。
 外に出れば別働隊がそれぞれの家へと送り届ける事になっている。
 もしかして。
 聞いた話を思い出す。
 ちょっと前に、何人か連れて行かれた、と。
 攫いたかったのは一部だけ、とか?
 それを気取られぬように、あれだけの人数を攫った?
 確かめないといけない。それに、出来ればイアロスと合流したい。
 邪魔なテーブルクロスを剥ぎ取り、隠していた短剣を手にして再び建物へと戻った。

 建物は奇妙な静寂を保っていた。
 時々する爆音はイアロスのせいだろうか。
 人気はなく、時折砕けた骨が散らばっている。
骸骨兵(スケルトン)か?」
 出会いたくないな。剣は殆ど効かないし、魔法だってどれだけ通用するか。
 慎重に歩みを進める。と、誰かの声が聞こえた。
「どこー? 返事して!」
 少女のもの。必死に誰かを探す声。
「やっぱりまだ残ってたのかッ」
 思わず大きな声が出た。
 声のほうへと走って向かう。廊下を折れたその先に、一つの人影。
 先ほどのノクスの声が聞こえていたのか、影はこちらを警戒していた。
 暗いのと、すっぽりと纏っているローブのせいもあり、まったく表情が読み取れない。
「逃げろ!」
「え?」
 誰何の声を上げるより早く言い切る。
 ノクスの言葉に拍子抜けしたのか、きょとんとした声を出す(多分)少女。
「あ。でも友達が」
 こんなところでモタモタしてたら、いつ襲われるかわからない。
「捕まってる奴は全員逃がす! だからさっさと逃げて」
 思わず言葉に詰まる。
 突然少女が手に持った杖を、こちらに向かって振りかぶる。
 殴られるにしては間合いが遠いが、条件反射で身をかばう。
 衝撃はない。だが。
 後ろで鋼が打ち合う音がした。
 反射的に、大きく前に――少女の方に跳びすさり、振り向けば。
 闇に浮かぶ白い影。剣を引きずる骸骨兵。
 悪夢に出そうなシチュエーションに、つぅっと嫌な汗が背中を流れた気がした。
 うっかりするにも程がある。
 彼女が気づかなければ、背中からばっさりやられてるところだ。
「大丈夫?」
「お陰様で。サンキュ。魔法使いだったんだな」
 気遣うようにかけられた声に軽く返す。
 相手は自らの意思を持たぬ、しかし強力な敵。
 廊下は戦うには十分な広さがあるが。出来る事なら牽制しつつ、逃げたい。
「走れるか?」
「無理よ」
 小さな問いかけに応えたのは絶望的な言葉。
 怪我でもしているのだろうか。
「後ろの部屋もたくさんいたから、扉を強化して鍵かけたの」
 怪我よりまずい状況だった。
 退路はない。ここは協力して撃退するしかなさそうだ。
 少しずつ後退って少女の横に並び、短剣を構える。
「「攻撃魔法使える?」」
 同時に同じ事を聞き、同時に沈黙。
「って事は使えないのか?」
「苦手なの。貴方は他の武器は?」
「生憎これだけだ。攻撃魔法は初歩のなら何とか」
 事態は最悪。撃退ではなく逃げることに専念するしかなさそうだ。
「足止めしてる間に壁を破って逃げるか」
「壁を壊せるのね?」
 確認の意味をこめて問い掛けてくる少女。
 冒険者かな。自分と同じくらいの年だろうに、こんなにしっかりしてるなんて。
 余計な考えを押し込めて頷く。
「だったら足止めは任せて」
「分かった」
 間を詰めていた骸骨兵。牽制の為に前に出る。
 息を整えて短剣を構える。
 倒す必要はない。必要なのは、時間稼ぎ。
 それだけでも大分気が楽になる。
 直接剣を交わすことなく、これ以上近寄らせないように剣を振るう。
 神経を集中させて骸骨兵と向かい合う。それでも耳だけは少女の詠唱を拾う。
 周囲に満ちる濃厚な魔力。
 詠唱の終わりを読み、ノクスが大きく退く!
 その瞬間に、完成する魔法。
阻め(オブター)! 氷の檻(カウェア・グラキアーリス)!」
 言葉と共に地面から氷が生み出され、骸骨兵の自由を奪う!
 それを見届けぬまま、ノクスは片足を軸に方向を変え、壁に両手をつく。
 唱えるは、つい先刻と同じ呪文。
砕け(ディールンペ) ! 振衝掌(コンスッシオーニス)!」
 砕ける壁。崩落に伴う土煙に構わず少女の手を引っつかみ、先に穴へと押し込んで自分も外へと脱出する。
 一瞬振り向いた時に目にした骸骨兵は、その身の半ばほどまで凍り付いていた。

「もう一回行かなきゃ」
 その言葉を聞いて、ノクスは本気で目を丸くした。
 敷地内から何とか脱出して、壁に背を預けて息を整えていたところ。
 全力で走ったせいで、二人ともまだ少し息が上がっている。
 絶句したせいでまた少し息が乱れたけど、深呼吸してなんとか整える。
「何馬鹿な事言ってるんだ? 骸骨兵相手に勝てるのかよ」
「だって友達が捕まってるんだもの!」
 呆れたようなノクスにムキになって返す少女。
「とりあえず、五人ほど逃がした。
 後何人いるか分からねーけど、仲間って言うか……強い戦士がまだあそこにいる。俺達が戻ったって足手まといなだけだ」
「……本当?」
「本当」
 不安そうな声。だから元気付けるために顔をあわせようとした。
 この距離なら互いの顔も見える。
 大切な事は、相手を信じさせるなら、必ず目を見て話せと。そう教わった事だし。

 月が、出ていた。
 そのお陰でようやく互いの顔がわかる。
 目立たないためだろう。頭からすっぽりと被ったフード。
 それからこぼれた、その髪の色。
 揺れて見開かれる、大きな瞳。
 思わず息を呑んだ。
 時が、止まったような気がした。
 ありえない幻を見た気がして。

 そして……爆音が響いた。

 音のほうを振り返ると、白く浮かび上がる煙を見つけた。
「……派手すぎるだろ」
「……ゴメン。おとなしく帰る」
 その言葉にもう一度ノクスは少女を見る。
「運良く逃げてるかもしれないし。
 ……わたし一人じゃどうしようもないし」
 詰まった後に、ちらりとなおも煙の上がる建物を見やる。
 確かにあれを見て、まだ行くと言われていたらどうしようもないけど。
 思い直してくれてよかった。
 イアロスをほっといて良いんだろうとか思うけど。
 合流は諦めて宿に戻ってしまおう。うん。
「じゃ、気をつけてな」
 聞きたいことはあったけど、間違っていたらまずいし。
 何よりここにこのまま居るのもまずい。
 少女はノクスの言葉に頷き、二三歩行った所で振り返る。
「えっと、ありがとう」
「なんで礼を言うんだ? それ、こっちの台詞だろ」
「助けてくれたし、止めてくれたでしょ。だから、ありがとう」
「……こっちこそ」
 正面きってこんな風にお礼を言われると、照れる。
 礼くらいまともに言えなくてどうするとか思うけど。
 くすりと楽しそうに微笑んで、今度こそ少女は去っていった。
 それを見届けてノクスも宿への道を行く。
 帰ったらとりあえずイアロスに説教をしようと決意を固めて。

 闇を思わせる黒髪。
 月を思わせる銀髪。
 夜空のような深い青眼。
 宝石のような淡い紫眼。
 それは、あの日別れた彼の人に良く似ていて。

 夜の闇の中。
 道を月の光が優しく照らす。
 一陣の風。
 首元からふわりと漂う香のかおり。
 とっくの昔になじんだそれを、今日は妙に強く感じた。
 懐かしい思い出に捉われて、足が止まる。
「まさか……」
 つむがれた言葉は、淡い期待とともに風に消える。
 こんなところに居るはずないのだから。
 頭を振って思考を追いやり、そうして二人は歩き出す。
 それぞれの『仲間』の元へと。