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月の行方

【第三話 小さな祈り】 4.ちっぽけな自分

 少し早まったかも。
 頭の中の冷静な自分がどこかでそう唸るのを聞いた気がする。
 水桶から顔を上げて、ノクスは大きく息を吐く。
 それから恐る恐るといった感じでゆっくりと吸う。
 鉄臭いような気が、した。
 右手で先ほどまで顔をつけていた桶を取り、ためらうことなく頭からかぶる。
 どうしても慣れない。慣れたく、ない。
 冷たい水を浴びて、少し頭が冷えた。
 こんなでどうする?
 母は『戦女神』との異名すらとったほどの騎士。
 その子がこんなでどうする?
 ぽたぽたと髪から雫が零れ落ちる。
「強く……ならなきゃ」
 かすれる声で言い聞かせる。
 こんな事で負けていられない。
 強くならなきゃ置いていかれる。
 それは――嫌だ。
 母に剣を習い始めた頃。
 ノクスが上達していく事が母はとても嬉しそうだった。
 あの子が一緒にいた頃。
 たまに彼女も剣を教えてくれた。
 剣を持つことに誇りを持てと騎士()は言った。
 剣を持つための覚悟を持てと彼女(アース)は言った。
「持てて、ない」
 誇りなんて、持ててない。
 覚悟だって足りてなかった。
 魔物なんて言ったって。動物だって。
 血が、赤いんだ。
 戦う事は怖くて。手が、体がどうしようもなく震えるけれど。
 それでも剣を手放せない。
 もう一度井戸から水をくみ上げてかぶる。
 気持ち悪い。
 それを何とか落としたくて。

「何でこんな時期に、しかも夜に水かぶるなんて真似するんだお前はっ」
 荒々しい手つきで頭をわしゃわしゃ拭かれるのに、ノクスは反抗も反論もしない。いつもなら子供扱いするなとうるさいというのに。
 部屋が仄かに暖かいのはきっとミルザムの仕業だろうとぼんやり思う。
(みそぎ)には良いやも知れぬが……」
 呆れた口調はスピカのもの。
 何度目かに水をかぶった瞬間を発見されて、部屋に連れ戻された。
 着替えさせられた後は親のごとく世話を焼くミルザムにされるがままになっている。
 あの長い髪では乾かすだけでも一苦労だろう。
「風邪をひかせぬようにの」
 スピカの言葉に動きの止まるミルザム。
 振り向いた彼の顔は文句を溜め込んでますって感じ。
 今にも舌戦が始まりそうな雰囲気だが、ため息をついてミルザムはうなだれる。
 伊達に付き合いが長い訳じゃない。
 言い合いをしても敵わない事を身をもって知っている。
「……俺、そこまで面倒見なきゃならんのか?」
 それでも愚痴がこぼれてしまうのが、彼のうかつなところだろう。
 瞳を瞬かせ、愉快そうにスピカが笑う。
「保護者であろう?」
「保護者なのか」
「何を今更空々しい」
 軽口の応酬に思わず笑みが洩れる。
「落ち着いたか?」
 優しい問いかけ。
 父親がわが子をいたわるかのような響き。
 それが昔を思い出させて、素直に頷くノクス。
 しかし顔色は酷く悪い。
 青白い顔で強がるその姿は、風邪をひいて寝込んでいる幼子のよう。
「言ってくれれば風呂くらい即席で作れるんだがな」
「どうやって?」
 苦笑するミルザムに、好奇心から問い返すノクス。
 少し調子が戻ってきたのかもしれない。
「それはもちろん。魔法で穴を掘って水を喚んで火を入れる」
「魔法ってそうやってつかうもんか?」
「何を言う。魔法は道具のようなもの。
 道具は人々の生活の向上のために作られるもの使われるもの。
 理にかなってるじゃないか」
 絶句しかけるノクスにいたずらっ子の表情で返す。
「妙な言い逃れはうまくなったの」
「誰かさんのお陰でな?」
 誰じゃろうのと言いつつも、さりげなく視線をそらすスピカ。
 その存在にようやく気づいた訳ではないが、とりあえず口を開くノクス。
「えと、久しぶり……スピカ」
「ご機嫌麗しゅう。ノクティルーカ殿」
 艶然と微笑み優雅に礼を返す彼女。
 その表情でほっとする。
 最初気づいた時には正直誰だろうと思ったのだ。
 いつもは結い上げてある髪が珍しく下ろされていたせいかもしれない。
 髪形一つで印象が変わるものとは聞いてはいたけれど。
「と、そういえば今回は何だスピカ?
 またミイラ連中が横槍入れてきたのか?」
「そなたもさらりと毒を吐くようになったの」
 呆れたように言われて押し黙るミルザム。
 ああ。なんかどう頑張っても口で勝てそうに無いのが悲しい。
「そなたに招集がかかっておる」
「は?」
「え」
 怪訝そうなミルザムと、不安を滲ませたノクス。
 それに気づかぬ振りをしてスピカは先を続ける。
「五日くらいでよいから、とにかく一度戻って来いとのおおせじゃ」
「微妙に切羽詰ってる言い方だな」
 二人の会話に、知らず安堵の息が洩れる。
 ……安心しててどうするんだよ。
 一人立ちしなきゃいけないのに。
 うつむいて唇をかむ。
 イアロスに預けられてから、どうも貧乏くじを引いているような気がしてならない。
 自分は子供で。本当に無力な子供で。
 ああもう頼むからこれ以上惨めな気分にさせないで欲しい。
 そんなノクスを無視してミルザムとスピカは軽口の応酬を繰り返す。
「五日も顔つき合わしてなきゃならんのか? 三日にまからんか?」
「わらわに言うてもしょうがなかろう?」
「パッと行って帰る、じゃ駄目なのか」
「誰が使うんじゃ、誰が」
「頼む。今度よさそうな反物贈るから」
「……けんかを売っておるのか?」
 揶揄するような声。
 上品な笑顔が妙に怖い。
 ふと思いついた、と言わんばかりの口調でスピカは言う。
「そうさのう同期同士。そろそろ集うのも良かろうの」
「ああああだからカペラと二人でタッグ組むのは止めて欲しいって言うかッ
 悪かったから! 何かおごる!! だから頼む!」
「ま、よかろう」
 ふっと息をついてノクスを見やる。
「あまり離れる訳にもいくまいし」
「くッ 相変わらず足元見るの巧いな」
 悔しそうにうめいてようやくミルザムはノクスのほうを見る。
「てな訳だノクティルーカ。
 明日から……そうだな、三日ほど留守にする。イアロスが羽目を外すのはいいが……お前に降りかかりそうな火の粉からは全力で逃げろ」
 その言い方は如何なものかと思うが口には出さない。
 確かに自分はまだまだ本当に弱いから、逃げるのに徹した方がイアロスの負担にならないだろうし。
 ミルザムも意外に強かったりするから……
「そういえばミルザム」
「ん?」
 返事してから質問しろと言わんばかりの不機嫌な声。
 こういうところが頑固親父っぽいとか思ったりするのは秘密。
 ともあれ今は浮かんだ疑問を先に解消すべく口を開く。
「あの時使ったの、遺失術法(ロスト・アーツ)だろ」
 ノクスがようやっとゴブリンを倒したと思った後に走った光の奔流。
 おぼろげながら呪文らしきものを聞いたから一応問い掛けてみた。
 その名の通り、今は失われたとされる魔法。
 威力が桁違いだとか、発動するのに洒落にならないくらい魔力が必要だとか、そういう逸話に事欠かないものでもある。
 ノクスの言葉にミルザムはぱちくりとまばたきしてみせて。
「それが?」
「……ずいぶんあっさりと認めるんだな」
「いやそりゃお前達にとっては遺失(ロスト)かも知れんが、『俺達』にしてみれば普通に使える術なんだが」
「そっか。違うんだもんな、当然か」
 さすが平均寿命五桁の種族。
 成人と認められるのが一千歳とかいうのも昔聞いたときには笑ったものだが、案外事実かもしれない。
 そんなことを思いつつ問い返す。
「俺も使える?」
「どうだろうな。
 お前にはやっぱり今の魔法のほうがあってると思うが」
 興味持つのはいいが、器用貧乏になるなよとか失礼な言葉も付け加えられる。
「なんで?」
「お前達が効率よく使えるように長年に渡って研究・改良されてきたものだろ。
 それが合ってないはずが無い。
 確かに『俺達』の魔法は強力かも知れんが、それは馬鹿みたいな量の魔力があってのことだ。代を重ねて研究を尽くしてきたわけじゃないから燃費は悪い」
 多少不機嫌さがにじみ出た言葉に返ったのは理路整然とした応え。
 こう言われてはそういうものかと納得してしまう。
「ふむ。ミルザムの説明にしては筋が通っておるの」
「どーいう意味だスピカ?」
「非実戦型の術師が言える台詞ではなかろう?
 もっともわらわとてそなたのことは言えぬが」
 あれだけの魔法が使えて非実戦型。恐るべし。
 じゃあアースはどれだけの術を使えるんだろう?
 もしかしてホントに天から雷が降り、地が割れるなんてことが出来るかもしれない。
 ……見たくないけど。
 恐ろしい幻想を首を振って吹き飛ばそうとするノクスに、不思議そうに問い掛けるミルザム。
「でもどうしたんだ? 積極的に魔法の事を聞くなんて」
「覚えておいて損は無いんだろ」
「まあ……な」
 そういうミルザムの顔がにやけていたのは気のせいなんだろう。多分。
 っていうか俺は見なかった。
 自分にそう言い聞かせてノクスは二人を追い出し、寝るしたくを整えた。

 流石にこの時間帯になると人は極端に減るらしい。
 宿の一階、酒場も兼ねる場所とはいえ、いまや静かに飲む人間ばかりが残っている。
「……む。去年の出来は良くなかったようじゃの」
 カップを傾け、しかめ面するのは止めて欲しい。
 宿の主人の視線がそこはかとなく怖いし。
 明日転移魔法で連れて行ってもらうためにこうやって彼女におごっている訳だが。
「ワインは余り好かぬのじゃが」
「ならエールかリンゴ酒か? 言っとくが清酒は無いぞ」
「そんな無茶は言わぬ」
 文句を言いつつもスピカは結構の量を飲んでいる。
 『彼ら』は元々大酒飲みが多い。
 自分も飲まなきゃ損とばかりにミルザムも一口含み。
 ……確かに出来が良くなかったっぽい。
「乾杯してなかったな。そういえば」
「遅いわ。第一何に乾杯すると?」
「そうだな」
 手の中でコップを回して、考えるのは一瞬。
「もちろん我らが昴と斎の皇女、北の姫に。そして……」
 軽くスピカの持つコップにぶつける。
「これから始まる波乱に、だ」