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月の行方

【第三話 小さな祈り】 1.出発の日

 ざわめき、喧騒。
 酒場……いや、酔っ払いは大抵うるさいものである。
 例えば安酒をご機嫌な様子で煽る目の前の男性がいい例だ。
 本当にこの人なんだろうかとルカはうろんげな眼差しを向ける。
 年のころなら母よりは上、父よりは下。多分四十代くらいだろう。
 どっかりと椅子に座る大柄な男性。
 短く刈られた赤錆色の髪。
 人を小ばかにしたような瞳はセピア。日に焼けた濃い色の肌。
 着ているものは薄いシャツと丈夫そうなズボン。
 腰に下げられた使い込まれた剣だけが唯一安心する材料か。
「おーい。何ふてくされてるんだ?」
 そう言ってくるミルザムを横目で睨む。
 ひくりと口元を引きつらせた後、ミルザムは目の前の人物をじっと観察してうめいた。
「気持ちはわからんでも無いが……」
「なーに二人して陰気くさい顔してんだぁ?」
 男性がそう言ってミルザムのカップに酒を並々と注ぐ。
「ほらもっと飲め飲め。兄ちゃんかなりいけるクチだろ?」
「……酔っているな、イアロス殿」
「そりゃー美人の酌だからな」
 給仕をしていた女性が嬉しそうに微笑むのを見てイアロスは不敵に笑う。
 修行をしたいと希望したルカに、ソワレが紹介したのがこの男性だった。
 なんでもフリストの士官学校の同期らしい。知り合いでそこそこ剣の腕の立つ人物で暇そうだから。それだけの事で白羽の矢が立った。
 こんな人に預けられて大丈夫なんだろうか。
 早くも先行きに不安を感じるルカ。
 修行に出してもらえるのは正直嬉しかった。
 彼はもうすぐ十三歳。本当ならまだ旅立ちは許されない年。
 だからこそ『知人に預ける』という口実、そしてミルザムもついていくということで一応の許可がでた。
 ルカは今着慣れない旅装を纏い、邪魔な髪は後ろで一つに括っている。
 ミルザムもいつものずるずるしたローブではなく、動きやすさを考慮した服。
 目立つ事を嫌ったのか、フードは目深にかぶったまま。注がれたカップをわきへやる。
「酒は飲まれるものではないぞ。
 それに子供の前だ。大人ならもっとしゃんとしろ」
「かてぇなあ。別にいいよなぁ」
「知りません」
 猫なで声で聞くのをルカは突っぱねる。
 うわなんか昔のソワレみてぇとか言ってイアロスはまた笑う。
「いーぢゃないかよ。最初の一日くらいハメ外しても。
 だいたいヤローと旅なんてむさくるしいのはゴメンだってのに」
 預けられるなら他の方がよかったですとは口に出せないので、ルカはおとなしく黙っておく。案の定、呆れたようにミルザムが諭してくれた。
「文句を言えた立場か? ソワレ殿に負けたんだろう」
「それをいわんでくれ。まったく口まで達者になって」
「槍を持たれても良かったと?」
「それはご免こうむりたいな」
 その部分だけは真顔になって言う。
 どうやら母は本当に強かったらしい。
「で? 俺は何をすれば良いんだ?」
 ようやく本題に入った事に安堵する。
「ノクティルーカに剣と、処世術その他を教えて欲しい」
 ミルザムの言葉に一瞬虚を衝かれた顔をして、イアロスはルカをまじまじと見やる。
 ぶしつけなその態度に睨みつけるように視線を返すルカ。
「剣ねぇ。騎士の剣なら国でも十分に学べるだろうに」
「それだけで済まぬから貴殿が必要とされたのだろう」
 ふぅんと返し、イアロスは探るような視線で見る。
「で、あんたは?」
 友人の息子が懐いている事から極端には警戒してはいないようだが、怪しむのは当然だろう。
 フードから僅かにのぞく、人にはありえない深い青の髪。そして紫の瞳。
 彼の立場なら絶対警戒する。だからこそ無意味に胸張りミルザムは返す。
「もちろん保護者だ」
「保護者つきで修行の旅かい」
 呆れたようなイアロス。
 確かに普通はそう思うだろう。
 ルカだってまさかついてくるとは思わなかった。
 だというのにミルザムは飄々と言ってのける。
「念のため、とソワレ殿は言っていたな。
 それに心配せずとも私は戦いは不得手だ」
 自ら志願した事を悟らせぬまま胸をはる。
 次期昴の婿候補を守り抜く事。それが追加された彼の役目。
 本当のことをソワレもオーブも、ルカも知らないだろう。
 もっとも知ることもないだろうけど。
 まったく引く気がないのを見て取って、イアロスは大きく息を吐き出す。
「仕方ないか……よろしくな。ノク……」
 思い出せないのか、視線がしばし虚空を漂う。
「ノクティルーカです」
「長いだろそれ」
 そんなこと言われても名前はどうしようもない。
 むっとするルカを無視してイアロスはぶつぶつ呟く。
「髪も目も黒いし……そうだな」
 考えがまとまったのかぽんと手を打ち、そのまま左手を伸ばしてわしゃわしゃと彼の頭を撫でた。
「よし。俺はお前をノクスって呼ぶ」
(ノクス)?」
 不服そうに呟いたルカにデコピンをかましてにやっと笑う。
「あとはその物言いも何とかしないとな」
 最悪だ!
 そう心の中で叫ぶけれど。ノクスと呼ばれることになったルカは、痛む額を押さえつけて睨み返す事しか出来なかった。

 酔っ払った人間の行動は大抵パターン化している。
 そして、年をとったものの行動も。
 案の定昔話に突入したイアロスの元にノクスを置いたまま、とりあえず入用のものを入手するべくミルザムは酒場を後にした。
 ノクティルーカはノクティルーカで母親の昔の失敗談とかを面白がって聞いていたし。ま、いいだろ。
「さて、何がいるかな」
 呟きつつ店を探す。
 武器・防具の心配はないが、非常食や薬草の類はいるだろうし……
 また当分米が食べられないとなると少し悲しいものがあるが。
「おに~いちゃあ~んっ」
 白々しい掛け声と共に腰のあたりに何かがぶつかる。
 ぎこちない動きで見やれば、同じようにフードをかぶった一人の子供の姿。
「もー待ちくたびれちゃったよっ」
「あ……ああ。悪かったなぁ。兄ちゃんも忙しくて」
 自分でも白々しいなぁとか思いつつも応えて子供の肩をぽんと叩く。
「こんなとこで立ち話もなんだから……どこか入るか?」
「わぁい。ごはん~」
 子供――プロキオンはいじわるそうにニコニコ笑い、ミルザムの手を引っ張って適当な店に入った。

「ちょうどお腹すいてたんだよね~。やっぱり甘いの美味しいね。
 ま、たまに食べるから美味しいのかもしれないけどさ」
 ご満悦な様子でデニッシュをほおばりつつプロキオンが言う。
「でも飲み物がジュースはいただけないな。
 こういう甘いのにはあっさりとお茶かお水のほうが良いのに」
「こっちは水は高いんですよ」
 水は本来貴重なもの。特にそのままでも飲める水は。
 故郷は水の豊富な国だった。その感覚が抜け切れないのだろう。
 諭すように言えば、分かってるけどさと最後の一欠けを口に入れて飲み下す。
 その様子がなんとも微笑ましくて思わず口元が緩む。
「笑ってる場合なの?」
 ジト目で言われて慌てて咳払いして真面目な表情を取り繕う。
「……来るならスピカだと思っていたんですが」
「ボクで悪かったね。スピカは君専用の伝令じゃないんだよ」
 何も専用とまでは思っていないけど、とりあえず反論はやめておく。
「北の姫はどうなさってます?」
「アルナイルとシーがごまかしてるよ。コカブも出てるし多分大丈夫でしょ」
 指先がべとつくのか、ぺろりと舐めつつ答えるプロキオン。
「末姫様もおられるし当分は大丈夫。
 ただ……いつまで一緒かどうかはわかんないけどさ。
 お前の報告が終わったら僕もとんぼ返りだよ」
 肩をすくめて不満そうに言うついでに、タルトの追加注文をちゃっかりしてたりする。
 ……買い物をするつもりだったから多少多めに持ってきてるものの、たかられまくっている気がひしひしとする。
「昼間に星読みに聞かれても困るのですが……」
 せめてもの反抗の言葉に、プロキオンは運ばれてきたタルトにかぶりつく事で応える。
 つまり聞く気はないってことか。
 ため息ついて言葉を紡ぐ。
「遅くとも、二年」
 食べるのをやめてプロキオンは真面目に聞き入る。
「別たれた翼はめぐり合い、炎が芽吹き、大地を覆う……
 ただ黒点が出てくるにはもうしばらくの時が要る」
 こうしていつも真面目に読んでいれば扱いも違うだろうとは言わないけれど。
 残りのタルトを一口で食べてジュースで飲み込む。
「その報告、確かに受け取った。また使いをやるよ」
 席を立って彼は一応少しのお金をテーブルに置く。
「それまでしっかりと守れよ。『予告するもの(ミルザム)』」
 小柄な姿が外に消えるのを待ってミルザムは席を立つ。
 外はすでに茜の色に染まり始めていた。
 家路へと急ぐ人々をぼんやりと眺め、視線を空へとやる。
 夕焼け空に早くも上り始めた月。それを見上げてそっと呟く。
「もっとも……それまでに月が満ちることが出来なければ意味がないのだけどな」
 そうするのもまた、自分の仕事なのだけど。