【第一話 星月夜】 6.流星雨
今日も今日とてミルザムは、えっちらおっちら塔に上る。
何とか上って頭上を仰ぎ見るも、目に映るのは雲に遮られたかすかな星明り。
「これでは星がどう動くか……」
「どう動く?」
独り言に返事が返った。その懐かしい声にほっとして答える。
「簡単に分かれば苦労はしない。もういいのか?」
振り向けば、在りし日のように彼女はそこに立っていた。
「流石に一年休養すればの」
ミルザムの問いかけに苦笑を漏らし、肩をすくめるスピカ。
一年もの休養。基本的に体力のある『彼ら』がそれほどの休養を必要とすることはほとんどない。どれほどの怪我であったかは推して知るべし。
もっとも見た感じでは怪我の痕も無いから安心したが。
久しぶりに見るスピカは以前と比べ少し態度が軟化したように思える。
「届け物じゃ」
そっけなくいって封書を手渡され、とりあえずミルザムはそれを確認する。
「このお手は……末姫様か」
目で許可を取り、そのまま封書を開いて中を一瞥する。
「姫はなんと?」
「近況と……北の姫のことだな。これはあいつにも読ませてやるか」
その言葉にスピカはちょっと呆れた顔をして。
「ずいぶんと気に入っておるようじゃの」
「まぁな。仮にも弟子だし?」
「ほぅ。弟子を取るような余裕があったのか?」
前言撤回、やっぱりコイツの一言はカミソリ並にキツイ。
「分かっている急かすな」
「そなたが大らかに構えすぎておるだけじゃ」
「仕方ないだろう見えないのだから」
上空では風が強いのだろう。
見る見るうちに雲が流れて行くが、それでも空の大半は隠れたまま。
この状況で占うにしても辛いものがある。
「まったく星読みも役にたたぬの」
「天気に言え天気に! 曇ってたら俺にはどうしようもない」
「多少は読めておるのか?」
「近々局面が大きく変わる、とは出ているな」
「それは……『我ら』に都合が良いように、か?」
探るようなスピカの視線を受け止められず、下を向く。
言わずともわかったのだろう。深いため息が聞こえた。
「……準備はしておこう」
これで用は済んだとばかりに床を軽く蹴りスピカは宙を舞う。
「そうしておいてくれ」
あえて軽く告げると、スピカの姿はもう消えていた。
もう一度空を振り仰ぎ、諦めてミルザムは塔を降りていった。
大きな本を両手に持って、つっかえながらもルカは文章を読む。
「ウティナ……ム……シント……デ……デアーティ?」
今書かれている文字とは違うもの。一般的に古代語と呼ばれるものである。
父が父だけにこの手の本来貴重な本が、ここでは無造作に転がっている。
読み方を問えば教えてもらえるし、ミルザムがいるのだから分からないものは無い。
そんなルカに呆れたような声がかけられた。
「小難しいの読んでるなあお前」
その声にパッと破顔してルカは問う。もちろん本は丁寧に床において。
「ミルザム! 星出てた?」
「いや。曇ってた」
「なんだぁ」
途端にがっかりしたルカに、にやっと笑ってミルザムは言う。
「手紙があるんだけどなぁ?」
「手紙? ミルザムに?」
きょとんとしたままのルカ。動いた拍子にさらりと黒髪が揺れる。
年をとった分髪も伸びて、今では腰に届きそうなくらい。
顔立ちが母親似のせいもあり、女の子のようにも見える。
「『吟遊詩人』殿からだが?」
「本当?! 読んで読ませて!」
言うなりルカはミルザムのローブを思い切り引っ張る。
ここ最近ソワレに鍛えられていたせいで、流石に数年前と違い、体勢が悪ければこけそうになる。
「わかったから引っ張るな!」
どっかと座って読む体勢に入ると、ルカもおとなしく座って手紙の内容に耳を傾けた。
見張りはいない、今なら抜け出せるだろう。
慎重に辺りを見回し、彼女はそっと窓から外へと身を乗り出し、張り出している木の枝へと飛び移る。
動きやすい服に身を包み、黒いマントで体を覆った自らの姿を見て満足する。
これなら見咎められる事も無いだろう。……曲者扱いさえされなければ。
するすると木を降りて、ゆっくりゆっくり足を忍ばせてその場を離れ、光の届かぬところまでたどり着いた途端にダッシュで走り出す。
いつもいつもおてんばだといわれていたけど、こんなところで役にたつのならそれもいいかと思える。
暗がりに潜み、追っ手が来ないのを確認して息をつく。
かすかに覗いた月が彼女の顔を照らし出す。
この城の……いや、この街のものなら誰でも知っているであろう、その顔。
月の光を弾く、淡いプラチナブロンド。空色の瞳ははっきりとした強い意志を秘め、それとは逆に美しい顔は焦燥に彩られている。
急がなければ。
抜け出るのには成功したが、気づかれぬうちに見咎められぬように戻ってこなければならない。
アリアは慎重に歩みを進める。ポーリーのいるカルケル修道院に向かって。
そこは救済府と孤児院が併設してあり、司祭もアリアと顔なじみであるからこんな風に夜に忍んで会いに行く事が出来た。
城に自分の居場所は無いと、アリアはそう思っている。
第二妃に男子が生まれて三年になる。次の世継ぎは多分その子になるだろう。
正妃といえど子の無い自分に対する風当たりは強く、そんな状況で力強かったのは従兄のアルタイル。そしてその娘のポーリーの存在。
彼女はまるで在りし日の自分を見るようで、できる限りの事をしてあげたいと思った。
熱心なソール信者である王は、何も疑うことなく『ミュステス』を迫害する。
人よりも優れている、才能がある――だから許せない、と。
今の王の様子を見ていれば、口実さえあれば国内のミュステスを排除しかねない。
それだけは絶対に止めなくては。
周りに言われるがままに王家に嫁ぐ事しか出来なかった自分が、絶対に奪われたくないと思うもの。
決意を新たにアリアは修道院へと道を急いだ。
ちらちらとした光。夜空にまかれた色とりどりの光。
「晴れたねー」
手すりにしがみついて、ルカは感嘆の声をあげる。見事な星空。星読みをしなくても眺めているだけで楽しい。
「さっきまでの雲が嘘みたいだな」
ルカの隣でミルザムも星を眺める。こちらは無論きちんと仕事をするためだが。
急速に変わる状況――何者かの思惑によって――始まる。
星の位置から断片的な情報を繋ぎ合わせて。
「あ! 流れ星!」
ルカの声に一気に現実へと引き戻される。
どこでどのように流れたのかを聞こうと思って拍子抜けする。
ルカは両手を組んで一心になにやら祈っていた。
「何してるんだ?」
「お願い事。星が消えるまでに三回言えたら叶うんだって」
にっこりというルカにミルザムも微笑を浮かべる。
そうか、こっちの方ではそんな風習があったな。
星が消えるまでなんてほんの僅かな時間しかないのに、何だかすごくいじらしい。
「何をお願いしたんだ?」
「内緒!」
言い捨ててぷいと横を向く。
「へ~内緒ねぇ……北の姫をお嫁にとかっていうんじゃないのか?」
暗闇でも分かるほどに顔を紅くするルカを見て大笑いする。
このネタで当分からかう事が出来そうだ。
まめに手紙のやりとりはしているし、初恋はいまだ継続中といったところか。
無論ミルザムたちが『刷り込んで』いる結果でもあるのだが。
大笑いするミルザムから目をそらして、ルカは再び空を見上げ。
「あれ?」
「どうした?」
笑いながらも問うてくるミルザムに少々困惑しつつ答える。
「また星が流れたんだ」
「何?」
一気に真剣な顔になってミルザムが空を見る。
別にどうと言う事無い夜空。それが。
とある一点を起点にして次から次へと星が流れる。
「なっ」
あまりの眩さに夜であったことも忘れるかのよう。
この状況に城内はおろか、町のほうからも騒ぎの声が聞こえる。
「ミルザム! これってどういう意味?!」
何か恐ろしい事が起きたのだろうか、不安交じりに問い掛けるも、ミルザムは空を見たまま動かない。
「ミルザム!!」
問いかけに答えぬまま、ミルザムは空を見続ける。
星は次から次へと落ちていく。
「……どう、なるんだ……」
かすれた呟きは、喧騒にかき消された。
足がすくんだ。
なんなのだろうこの状況は。
人々の思いなど知らぬように星は降り続け、まるで真昼のように辺りを照らしている。
これはとてつもない凶兆の前触れだろうか?
そう考えて、はっとする。
王がこの機を逃すだろうか?
見咎められようとかまわない。アリアは全速で走り始めた。
空はだんだんと夜の静けさを取り戻し、しかし街はいまだ止まぬ喧騒の中。
「終わった……ね」
「ああ」
ルカの呟きにミルザムは小さく答える。
元通りの静かな星空。それが、酷く恐ろしい。
途端に大きな足音がして複数の気配。扉が乱暴に開かれる。
「ミルザム! 今のはなんだ? 何か災いが」
「落ち着けオーブ」
「これが落ち着いてられるかっ」
気持ちはよく分かる。世界が燃えたかのような錯覚を受けるほどの流星雨。
これほどのものはミルザムとて数度しか見たことは無い。
とりあえず落ち着くようにと深呼吸をさせて厳かに告げる。
「予兆だ」
「予兆?」
「今は詳しくはいえん。だが……平穏は崩れるだろう。そう遠くない未来に」
「なんだ」
「だからこそ!」
抗議の声をそれ以上の音量で遮って。
「今慌てては何もならん。そうだろう?」
相手の目を見てしっかりと言う。
オーブもミルザムを見返し、自らに言い聞かせるように呟いた。
「あ……ああ。そうだ。そうだ……な」
翌日。
セラータのカルケル修道院が焼け落ちたこと。
ポーリーたちの行方が知れぬことを。
そしてソール教が本格的にミュステス狩りに取り組む事を。
ミルザムはスピカから聞くことになる。