【第一話 星月夜】 5.呪われた烙印
とことこと人気の無い廊下を歩き、塔へと登る。
真昼間から塔に何の用があるかと聞かれれば答えようが無いのだが、ミルザムは基本的に空を見るのが好きだ。
とはいえ彼の姿を見咎めるものもいないだろう。元々この離宮側は人の数が少ない。
城の一部ではあるし、一応は大切な建物なのだが、王族が幽閉されていた事があるなど悪い噂のせいもあるだろう。
オーブが好んでここに住んでいるのは、たくさんの書物があって研究に没頭できるからという理由だ。王位争いにまったくの無縁という訳ではないが、兄姉が多いだけに今のところその火の粉は飛んできていないのは幸いともいえる。
「はー。にしてもこの階段は急だわ暗いわ狭いわ。
もう少しなんとかならなかったものかねぇ」
ぶつくさ文句をいいつつ最上階まで上り、扉を開けると。
「遅いよ」
と、文句を言われた。
慌てて顔を上げれば先客がいた。年はルカの兄のエルくらいだろうか。
「プ……ロキオン殿?」
「僕以外の誰に見えるのさ?」
言って少年は肩をすくめる。川を流れる水の青の髪は首の後ろで無造作に束ねて、エリカの花のくすんだ紫の瞳が、どこか痛みを持ってミルザムを見つめる。
「いえその、まさか貴方がいらっしゃるとは思っていなかったもので」
なんでいっつも俺の苦手な人ばっかり来るんだと思いながらもミルザムは応える。
ネコのかぶり方も昔に比べれば多少は慣れたとはいえ、これは心臓に悪い。
昔の……都での話だが、プロキオンはミルザムよりもずっと位が上だった。
上位の人間が苦手というのは珍しい事ではないだろう。
「まったくもう来るのが遅すぎるよミルザム!」
「お待たせしてすみません……ですが、お約束していましたか?」
「ううん。この時間ならいるだろうってスピカから聞いただけ」
「……そうですか」
急に来られて遅いと文句言われても困る。しかしそんなミルザムにかまわず、まあそれはおいといてと前置きして、プロキオンは二通の手紙をひらひらとさせた。
「婿殿どこ? 北の姫から手紙預かってるんだけど」
目を輝かせて受け取って、見知らぬプロキオンのことを気にすることなくルカは手紙を読みふける。
「へー。この子が婿殿なんだ。黒髪黒い目、北の姫とは対照的だね」
真剣に読みふけるルカにはお構い無しにプロキオンは観察する。
「それはそれとして。何故プロキオン殿が?」
「ん。ちょーっとややこしい事になって、ネ」
言って目で扉を示す。ここでは話しづらいという事だろう。
「ノクティルーカ。ちょっと私達は塔に上ってくるからな」
「いってらっしゃい」
顔すら上げずに見送られ、ミルザムはちょっと肩を落とす。
あーあーそうですか。姫が第一ですか。
まったく子供の癖にとぼやくミルザムをプロキオンがせっついて、再び二人は塔を上ることになった。
「それで何が起きたんですか?」
軽く肩で息をしながらミルザムは聞く。この塔に何度も上がると流石に疲れる。対してプロキオンは息もあがってない。
「まさか『婿殿』を見るためって訳じゃあないでしょうね」
笑い混じりに聞いてみたが、言っててなんだかしゃれになってない事に気づいた。
プロキオンは来た瞬間にルカを『婿殿』呼ばわりした。と言う事はゴメイザかスピカあたりが漏らしたのだろう。
物見高い連中が多いだけにそのためだけに来ないとは言い切れない。
「やっぱりそこらの変なのに北の姫を任せるわけにはいかないって年寄り連中がうるさくってネ。一応僕が見てくるって事で落ち着いたんだ。今回は」
「今回はですか」
「でも今更遅いよね~。姫が教えちゃったんでしょ? 真の名。
成長した後も覚えていれば婿殿をどーにかするかしかなくなるし。
流石にそんなのは寝覚めが悪いからすんなり結婚してくれたほうが良いよネ」
年寄りくさい物言いを不思議に感じるかもしれないが、『彼ら』はもともと寿命が恐ろしいほど長い。このプロキオンですら数百年は生きている。
「で、もう一個の理由は今ちょっとスピカが動ける状況じゃなくってネ」
「動ける状況じゃない?」
こくんと頷くと、プロキオンは真剣な目で言った。
「襲われたんだ」
何度も何度も読み直して、丁寧に手紙を折りたたむ。
ポーリーはこんな字を書くんだ。僕ももっと練習しなくちゃと決意を固める。
ふと、もう一通手紙があることの気づいて、ルカは不思議そうにそれを見る。
宛名には丁寧に『ノクティルーカさま』と書かれていた。
さっきの手紙とは明らかに違う流麗な字。
「ん~」
自分の名前が書いてあるからこれは開けて良いんだろうけど。
差出人は……ゴメイザとある。
あのおばあさんの名前。
ちょっと考えて封を開けて、ルカはゆっくりと読み始めた。
「襲われたって……スピカが?!」
声が大きくなるのを何とかしてこらえる。
伝言なんて危険な役目を負うだけに、スピカはあれでそこそこ強い。強いというよりは引き際を見極めるのがうまい。
襲ってくる敵を迎え撃つよりも、最初から相手にしないで逃げる事の方がいい。
そう簡単に割り切れるスピカはいままでも面倒な役目をこなしてきた。
「そうなんだよ。あのスピカが怪我したんだよ」
沈痛な表情で言って、すっと指をミルザムの胸辺りに突きつける。
「読んではいたんですけどね。あいつの周りに妙な影があったんで、今日会ったら忠告しようと思ってたんですが」
言葉を飲み込む。
今更言ったところでなんになる。
先の事が読めなくては自分のいる意味が無いではないか。
深呼吸をして告げる。ためらっている場合ではない。
「影が何かは正直わかりません。ソール教のものであることは間違いないでしょう。それに、スピカだけではなくほかの方々にも」
――このことは他の方には決して知らせないようお願いします。
ないしょのおてがみ。
こくんと喉を鳴らして思わず辺りの様子を伺う。
うん。だいじょうぶ。
――ノクティルーカさまは『ミュステス』をご存知でしょうか?
――ソール教が決めたもので、力や魔力が普通の人より少し強い人々のことです。
――北の姫もそのお一人です。
ミュステスのことはルカも一応知っていた。前に父や母が話していた事がある。
強い力や魔力は、きっと困ってる人たちのために使うようにって神様がプレゼントしたモノなんだよとオーブは息子達に教えていた。
――セラータではミュステスが嫌われていて、
――北の姫もノクティルーカさまのほかにはほとんどお友達がいません。
その一文を読んでルカは本当にびっくりした。
友達がいないのは淋しい。それにポーリーには兄弟もいない。
そういえばと別れの時を思い出す。あの時本当にポーリーは悲しそうだった。
――ですからどうか姫と仲良くしてください。
――老い先短い年寄りの、たっての願いでございます。
ついと視線をそらしてミルザムは続ける。
「奇妙な影はここに潜む『我ら』のほとんどを取り巻くようにありました。
特に濃かったのはスピカと……ゴメイザ殿」
ぴくんとプロキオンが肩を震わせた。何か心当たりがあるのかもしれない。
数ヶ月前に会ったゴメイザはお世辞にも元気そうには見えなかった。
無理な事はさせたく、ない。
「特にゴメイザ殿はお年も召してらっしゃいますし……
北の姫の護衛は別の方にお願いしては如何でしょう」
自分が口出しできる問題じゃないのかもしれないけど。
そういうミルザムにプロキオンはゆっくりと首を振る。
「ゴメイザ殿は……」
「信じられない」
ポツリと女性が呟く。
年は二十歳前だろうか。
黒いドレスに身を包んだ、淡い金髪の美しい女性は侮蔑すらこめて言う。
「この子が、一体何をしたというのです? 何もしていません! だというのに」
「此度の事はすべてその娘が引き起こした事です。
ミュステスはその存在自体が忌むべきもの」
女性の言葉を遮って、初老の男性が言う。
まるで詩の一篇を読むかのようなよどみない口調で。
「その娘がいる限り、王宮に災いが起きるでしょう。
ですからどうぞその娘をお引渡し下さい、アリア王妃」
「お断りします」
ソールの司祭を睨みつけ、アリアは迷いのない口調で言う。
「ポーリーはわたくしの従兄トラモント将軍の娘。これ以上の冒涜は許しません!
乳母を無くしたばかりの小さな子供に何をしようというのです!」
同じように黒いドレスを着てポーリーはアリアのドレスの裾をつかんでいた。
ポーリーはこの司祭が、いや、ソールの白いローブを着た人たちが嫌いだった。
会うたびに怖い言葉を、ひどい言葉を投げつけられるから。
「どうぞワガママを申されずに。さぁ」
「無礼者!」
伸ばされた手をはたいてアリアは怒鳴る。
「この子は渡しません!」
「分かりました。今日のところは引き下がりましょう、今日は」
頑固なアリアに司祭は気をそがれたのか、それで帰っていった。
ほっとすると同時に、ドレスをくんと引っ張られて我に返る。
今にも泣き出しそうな表情で自分を見上げているポーリーを抱きしめてアリアは言う。
「大丈夫よ。大丈夫」
でも、どれだけ守る事が出来るだろうか?
王はミュステスを狩るソール教を肯定している。
「大丈夫だから」
不安な気持ちを追いやって、アリアはそればかりを繰り返した。
立ち尽くす事しか出来なった。
どうしていつも、肝心なときに自分の占いは役にたたないのかと。
「こうなったからには奴らは自分達のとこ……教会に姫を連れ去るだろうね。
まったく味方がいない分苦労するよ、本当に」
吐き捨てるように言って、プロキオンはミルザムを見上げる。
「ちょっとしっかりしてよね、大人なら」
「あ……すいません」
「僕は伝言伝えるくらいしかできないんだから……これからちゃんと作戦練ってよね。ただでさえ『僕たち』人数少ないんだから。
誰かが死ぬのなんて、もうヤだよ」
「はい。分かってます」
実際の年齢がどうあれ、『彼ら』の常識ではプロキオンはまだまだ子供だ。
その前で情けない格好をしすぎたかもしれないと気を引き締める。
「そうそう。何とかカペラが潜り込んだみたい。
今回の事でとうとう末姫御自らが」
「出て来られますか……ますよね」
末姫は『守る』ことに長けている。
幼い頃の守人としての修行と彼女の役目を考えれば当然の事だが、それは最後の手段だった。
「数年の内に逃れる事はこれで確定ですね」
人と違って数年では成長しない末姫に、周囲が疑問を持たぬうちに。
「うん。だから」
「分かっています」
プロキオンを遮りミルザムは言う。
「わかって、います」
「ふってきちゃった」
ペンを握り締めたままルカは窓に近寄って外の様子を伺う。
あまり激しいものではないけど、今日は星が見れないと思うと少し残念だ。
気を取り直してもう一度机に向かう。
返事を早く書かないと。ポーリーにはこっちの様子とかそういうの。
そしてゴメイザには心配しないでと書くのだ。
泣かせたりなんかしないし、ポーリーが怖いと思うものや傷つけるような奴からは守ってあげるから心配しないでと、思いつく限りの言葉で手紙を書く。
「はやくへんじがくるといいな」
そう言ってルカはペンを走らせた。
この後、ポーリーが孤児院に連れて行かれることを誰も止めることは出来ず、またその事を遠く離れたアージュに住むルカは知る由も無かった。