【第二話 幽囚】 4.反動と焦燥
今まで言いたいのをすごく我慢してきた。
そううかがわせる口調で能登が言った。
「姫様。龍田殿は今まで宮仕えをされたことがないのでは?」
ある意味、当然の言葉に現はなんでもないように笑み返す。
この演技っぷりは、我が妹ながら毎回感心させられたけど……正直、誤魔化しきれないだろう。
突然増えた侍女に不信感を抱いたのは、鎮真だけじゃなく能登もだった。
『龍田』こと明は、この数日でそれはもう……すごい間違いを繰り返していたから。
現にと用意された食事を自分のものと勘違いしたり(直前で気づいたらしく、食べることはなかった)、能登に命令してみたり(言うまでもないが、彼女の主は現。「明」なら命令は聞くだろうけれど、能登にとって龍田は同僚に他ならない)枚挙に暇がない。
今まで世話をされる側だった明が何も出来ないのは当然。
でも侍女としてここにいる以上何も出来ないのはおかしいことで。
元服前の子供ならともかく、成人。まして三十路の人間がこうでは不信がられて当然のこと。
以前、現が侍女に扮して明に近づいたことはあったけれど……あの時は本当にまったくこれっぽっちも疑われなかった。
役目上あちこちを回り、時に別の人物に成りすますことを必要とされる現にとっては当然のことなんだろうけれど。
いうまでもなく、一般の『姫』の反応は、もちろん明が正しい。
わたしだって分かってる。現が規格に沿った『お姫さま』じゃあないことはっ
「龍田は、とある古い家の出ですよ。
以前も仕えてもらっていたのですけれど……また仕えたいと言ってもらったので」
にこにこと、悪びれなく答える現。能登は言うまでもなく不満そう。
でも、ここにいるのは能登だけじゃない。だから。
問い詰められない事を知っているから、現はいくらでもはぐらかせる。
性質が悪いと言うかなんと言うか……まあ、ここで明を追い出すことも出来ないのだけれど。
もし仮に、追い出したとして彼女が利用されないと言い切れない。
下手を打って厄介ごとを起こされるのが一番拙いもの。
明は利用されやすそうな気がするし、現に害を成さないとも言い切れない。前科があるもの。
それに、明が持ってきた情報についてはこっちだって欲しかった。
大分前から明が軟禁されていたことや、結婚を強いられたこと。男の子を産んだけれど亡くなってしまったことなど、驚いたり頭が痛かったりすることばかり聞かされたのは……知らないよりはマシなのでしょう。きっと。
「突然、すべてが変わってしまった」
ポツリと紡がれるのは明の独白。
「でも……そう思っていたのは私だけだったのかもしれません。すべてが、用意されすぎていたから」
零れ落ちた言葉を恥じるように、明は集中して茶を立てているようだった。
部屋にはたった二人だけ。それでも小さな茶室では十分すぎるほどに思える。
ややこしい話を周りの人間には聞かれたくない。
それは現も明も共通している想い。
だからこそ、現はこれまでほとんど……まったく言わなかったわがままを言った。
龍田が立てたお茶を飲みたい。小さな茶会を催したい、と。
もちろん鎮真は渋ったのだけど、能登の尽力によりこうやって茶室へと案内された。
初めて通る躙口が明には新鮮だったみたい。身体を縮めないとは入れない入り口に、戸惑っている様子だった。まあ、本来なら頭を下げる程度でいい貴人口から入るものね。もちろん現はこちらから入ったのだけど。
外には警護の人間や能登がいるけれど、中は二人だけ。
部屋の隅では、以前正告から献上された音を遮断する道具が淡く光を放っている。
内緒話をするなら今しかない。そういう状況。
途切れながらも、何とか続いた明の話は――大体予想通りだった。
あの後、ほぼすぐといっていい時期に明は子を身篭ったという。
しかも父親は、風兄上の嫡子である心。
彼は少し前に罪人として囚われていた。明の命によって、現の手で。
容疑は……実を言うとはっきりしていない。
ポーリーを狙っていた『鬼』を使役していたから、ということなのだけど。
よりによって昴が罪人と結ばれていいのかと聞きたい。本当に。
現は基本、起きてしまったことには淡白なのでさらっと流してしまった。ちゃんと理由まで聞きなさいと叱りたい。
でも……現には、というより星家の一族には他者の感情が流れ込むという能力があるみたいだから、分かってるのかもしれないけど。
生憎、わたしはわからない。肉体がないせいかもしれない。
とと……話がそれた。
ともかく、生まれた子は男の子で、明本人と同じように『わたし達』の常識では考えられない速さで成長していった。
ポーリーをみているから、現やわたしは実感できるけど、都の人にとっては刺激が強いだろう。明という前例があっても。
ただ……生まれたのが男子だったことで問題が出てきた。
次の昴をどうするか、という大問題が。
明とわたし達の時間が違うのは純然たる事実。
後どれだけ明が『持つ』か、それを怖れる者達は多い。
彼女に群がり、利権を狙っていた者達は、特に。
そもそも、ここ数代の昴はいつも後継者問題に悩まされてきた。
跡継ぎがいなかったからこそ、星籍を離れた祖母の子である母上が昴になることになったのが発端。
娘が二人いたものの、一人失踪してしまったし、後に一人……現が生まれたとはいえ、今度は母上が亡くなられてしまった。
昴になれる人間は限られている。
明がいなくなったら……現状ではもう現しか残っていないのだ。
それが分かっていて、現に星位を渡したくない者達が仕組んだのだろう。
「わたくしを名乗る、娘を用意されていたのです。
最初は、わたくしが疲れたときの代わりだと……そういって政務を負担してもらい……ついには」
乗っ取られた、ということだろう。
高貴な人間は人前に姿を現さないものだという概念の元、昴は大抵の者には御簾越しにしか謁見しない。
姉上は七夜の長たちには姿を晒されていたが、朧はしなかったし……明ももちろん。
対応を変えられた七夜も、特に不審がってはいなかったみたい。
生涯夫以外の異性には姿を見せなかったと言う昴もいたことだし、誰にまで姿を見せるかを判断するのは昴自身だから。七夜が嫌いだからといわれてしまえば、それで終わり。
もちろん、嫌味やなんかは言われるだろうけれど。
ただ、朧も明も姿を見せなかったのは意図したことだろう。
年老いていく様子を見せないため……寿命の違いを気取られぬように。
そしてきっと、相手のもくろみはうまく行っている。
このまま都に戻ったとして、明が身分を明かしても……どれだけの人間が信じるだろう?
寿命のことを知っているのは中枢にかかわる者達だけで、敵の息がかかったものか、張本人である可能性が高いのだから。
昴を語るなど不届き千万と、間違いなく極刑を科せられる。
「導様がもっと早くに生まれられていたら」
零れ落ちた言葉は、とても自分勝手なものだった。
「導様が都にお戻りになられていれば、こんなことにならなかったのに」
「今現在よりも悪くなっていたかもしれませんよ」
流石に先程の言葉は聞き逃せなかったのだろう。やんわりと現が言い返す。
ひとは、あの時こうしていればと後悔するとき……きっと良くなっていたと思うけれど……そうとは限らない。
もしポーリーが都に戻っていたならば、最悪の事態になっていた可能性だってある。
候補者が複数いるということは、後継者争いが激化するって事。
今以上にいろんな謀略が練られていたのは確実。正直なところ、今のほうが相手の動きを読みやすいもの。
言われてから始めてその可能性に気づいたのか、しょんぼりと明は俯く。
「もういっそ、あなたがあの座に……」
「後星はあの子ですよ」
諦めきれない愚痴に返す現の声はどこまでも軽く、明の表情は重い。
そんな明に歯がゆくなる。
現は出し惜しみはしているけど、ちゃんと明に知らせてる。
なのに、明は気づかない。
今までにもたくさんたくさん……小さな欠片を与えてきたのに。
まだ、足りないのかしら。明が気づくには。
なら……待つしかないんだろう。その時を。
ポーリーが復活する、その日を。