【第二話 幽囚】 3.囚われの姫と逃れられぬ人
今の現は公には他者との接触を禁じられている。
でも、だからといって接触できないこともないし、頭を使えば公にだって会うこともできる。
通常は難しいごり押しも、年若い鎮真相手なら使えなくもないし。
そして今回、真っ当な文句のつけようがない理由で部下がやって来た。
長々と口上を上げる文官姿の若い男は、名を橘正告という。
能登たちと同じくらい昔から仕えている星読み。
星読みというのは、星を使った占いを得意とする陰陽師で、正告は中でもとびきり優秀。なんと言っても、指差すように未来を当てる「指すの神子」って呼ばれるくらいだもの。
彼がわざわざ来た理由は一つ。
「見つけて参りました」
そう言って差し出された桐の小箱には親指大の緑の石。
『奇跡』。かつて壱の神が集めるよう命じた、姉上のかけら。
現が手を伸ばして、すっかり白くなってしまった指で石をつまむ。
ちらちらと光を弾く石は、現の左手に乗せられるとあっという間に溶けていった。まるで、雪のように。
ふ、と現が息を吐く。
「伝承の通りなら、これで半分ですね」
「ようやくここまで揃えました」
しみじみとした言葉が互いの口から出る。
現が今もっている『石』は六つ。伝承では、『神』が『奇跡』を十二に分けたとなっているから、確かにようやく半分。
『壱の神』が言うには――約束を守るなら――石をすべて集めれば姉を助けてくれるらしい。
それでも……全部見つけることは出来ない。今は。
確実に『奇跡』を持っている相手が行方知れずだから。
ポーリーがあんな決意をした原因ともいえる『彼』。
『彼』を守りたくて――ポーリーはあんなことを決意して、現が頼みを聞いてしまった。
当時はそれはそれは大騒ぎになったことだし、今だって大問題だけれど。
『壱の神』が彼らを守ると確約し、正告の占いでも三年後――考えてみれば、こちらも残り半分だ――に戻ってくると言うからこそ、言ったことなのだけれど。
彼が再び表に出てくれば、ポーリーも復活出来るし、ひいては姉上も助けられる。
「正告」
「は」
「占いを頼みます」
「は」
突然の現の言葉。けれど正告はそれを予想していたかのように、自身の後ろへ置いていた包みを動かし、中から道具一式を取り出した。
いっつも思うけれど、占いの道具ってよく分からない。たくさんあるし。
というか、どうやってここまで道具を持ち込めたのかしら?
鎮真が見逃しても、周りが見逃さないはず。
何を持ち込まれるか分かったものじゃないし。
荷物を改められてるとは思うけれど……一回なら占ってもいいとか言ったのかしら?
正告は本当にすごい星読みだから、何とかして占って欲しいことがあったのかも。
「さて、何についてでございましょう?」
「そうですね。可愛い姪の子について」
「畏まりました」
小さく笑って、それから正告が集中するのが分かった。
これは、何度か繰り返されたこと。
誰かが使いできているとき、現は常に聞いていた。
『可愛い姪っ子について、正告は何か言っていた?』と。
でも、今回は姪『の』子……つまりは現在の昴、明について。
現の姪は何人かいるけれど、子供がいるのは朧だけだから。
「何かに迷われておいでのようです」
考え事をしていたから、一瞬何のことか分からなかった。
ああ、そっか。明のことか。
「相談相手もおらず、困っていられるようですね」
「……誰も、いないのですか?」
「占いではそう出ています」
現はしばし沈黙した後、おもむろに別の話題を切り出した。
「そういえば、星の御子がお生まれになられたとか。
兄上は私の代わりにちゃんとお祝いしてくださいましたか?」
「それはもう」
「ならばいいのですが。大きくなられたのでしょうね」
現の問いに、何故か言葉は返らない。
確かに、生まれてから半年と考えるならば、あまりたっていないと思う。
でも、赤ちゃんはすぐに大きくなっちゃうし、小さい子の成長はめまぐるしい。
それに……その子は『明の子供』なのだから成長は早いはずだ。
『外』で育ったポーリーほどではないにしても、わたしたちが言う『半年』があれば、明は五歳になっているはず。
正告は何を思っているのか、かちゃかちゃと道具をいじくる――占いを続けている。
かちりと小さな音を最後に正告の手が止まった。
占いが終わったんだろうけれど、彼が黙ったままでは分からない。
結果の見方が――占いはどう読み解くかが一番難しいと言う――分からないわたし達には待つことしか出来ない。
「太陽の後を追う」
ぽつりと紡がれた言葉。それにぞっとする。
『太陽』と言われて連想するのは『ソール』のこと。
囚われたままの姉上の息子――わたしたちの、甥っ子。
同じ過ちを繰り返さぬように……彼と同じ道をたどる者がないように、これまでも気をつけてきていた。
一番危険が高かったのが、『ソール』自身の子供と孫。
子供たちは救うことが出来なかったけれど、孫達はポーリーの尽力もあって何とか逃れている。
あちらの手にはもう駒になるような人を残していないはず。だから安心していた。……なのに……
悔しいけれど、これではっきりとした。
内部に、『ソール教会』と繋がっている者がいる。一連の出来事に手を貸した――もしかしたら、糸を引いている者が。
本当なら問い詰めてじっくり話したいことだけれど……どこに『敵』の耳があるか分からない。
それから後は、ごく普通の世間話に戻り、半刻もせぬうちに正告は帰って行った。
事実の確認も出来ないまま、時間だけは過ぎていく。
動きようがない……こともない。本当に逃げようと思った現をとどめることなんて出来ないから。
一定以上の術士が使えるもののなかに転移の術がある。
どんな遠く離れた場所でも瞬時に移動できると言う便利な術。もちろん現はこれが使える。正告だって能登だって使えるし。まあ、これに関しては術を封じる方法があるから、対策は取っているのだろうけれど。
でも現は星家の姫。
星家の役割の一つに、この世界に迷い込んできたものを帰すという任務がある。
他の世界に比べ、境界があいまいなこの世界は迷い人が多く来る。父上だってそうだったし。
そうした人たちを帰すために空間をつないだり、迷い人が出ないように閉じたりするのも大切な仕事。
現だって何度も行ったことがあるし――この術を使って父上に会いに行った事だってある――これに関しては封じる術がない。
逃げようと思えばいつだって逃げられる。それが分かっている相手がどれだけいるのだろうか。……現はここに留まっているからそれでいいと思っているだけかもしれないけれど。
どうにもならない苛立ちにもいい加減慣れて、正告の来訪から一月は過ぎた頃……予想もしなかったことが起きる。
それは、今では馴染んだ光景だった。
最近、なんだかんだで食の細くなった現が好んで食べるのは、鎮真から差し入れられた団子。
甘いものを好まない現が、唯一好んで食べるのは団子の類だし、ここに来るときには必ずといっていいほど食べているお団子は、小さなときに一緒に遊んだ町の子が作っているという。
小ぶりの団子を二口三口かじっていた彼女が、ふと動きを止めて考え込むように中空を見上げた。
どうしたのかしら?
お茶を頼んで侍女たちの目が離れた隙に、現は掌に何かを吐き出した。
まさか何か盛られてた?!
嫌な予感に覗き込めば、それは小さな丸い……いや、勾玉。
翡翠かな? 淡い緑の石は綺麗だけど、団子に入れるようなものじゃない。
けれど現は何を思ったのか、お茶を持ってきてくれた侍女――茜って名前だったと思う――に告げた。
「このお団子を持ってきてくださった女性に会いたいのですが」
現の言葉に、慌ててすっ飛んできたのは鎮真だった。
何か問題があったのか、ヘンなものでも入ってたのかと戦々恐々と聞く彼に現はのらりくらりとかわして、いいからとにかく連れてきなさいと強制する。
「どういったご理由で」
しつこく理由を問いかける鎮真――彼の立場からすれば当然なのだろうけれど――に対し、現は済ました様子で答える。
「なら、文を届けてください。義姉上と真琴に」
返された言葉に、鎮真はがくりと肩を落とす。
どんな脅迫だと思ってるんだろう、きっと。
叔母と、姉のような従姉に何を言いつけられるんだと思っているんだろう。
そして……そうまでして会いたい『その相手』は何者なのか、と。
仕方なく了承した鎮真は、どうやら自身の目で確かめることにしたらしい。
下級武士の服に着替えて城を抜け出そうとする彼に近づけば、いつ気づかれたのか逆に問いかけられた。
「誰にどういった理由でお会いしたいのですか?」
言葉につまり、返事をしないままでいると、諦めたように鎮真が続ける。
「まぁ、俺には話してくださらないんでしょうね」
『……分かってるじゃないですか』
なんだろう。なんだか少し、腹立たしいのは。
『ちゃんと連れてきてくださいね』
それだけを念押しして帰る。現の元へ。
どうも鎮真と話していると調子が狂うから……いや。
胸に生まれた不快感は、気にしたくないからさっさと忘れることにした。
なんだかんだ言っても鎮真はちゃんと相手を連れてきたらしい。
今、現の前に座して頭を垂れているのは、年嵩の女性。
能登は自分よりも年上の彼女に少し困惑しているみたい。
「久しぶりですね?」
「はい」
現の問いかけに、少し震えた様子で応える声。
顔は見えないけれど……声も少し違う気がするけれど、なんだかどこかで聞いた声と雰囲気。
「少しやせられました? ちゃんと食べなきゃ駄目ですよ」
現の言葉に思わず半眼になる。
あなたが言えることじゃないでしょ。自分こそちゃんと食べなさい。
そう思っているのはわたしだけじゃなかったみたいで、能登も何か言いたそうな目を向けている。
「よくここまでこられましたね」
「……どこに行けばいいか分からなくて、ここに」
「そうですか」
現に応える言葉も声も見た目にそぐわぬ心細そうな……迷子のよう。
でも、それで分かった。彼女の正体が。
「少し二人にしてもらえる?」
主の命に能登は素直に引き……戸惑うようだった真砂側の侍女も、ためらいがちにだけど結局は従った。
衣擦れの音が遠ざかり、しばらく落ちる沈黙。
人払いをしたからといって話が聞かれないとは限らない。
どうしようか戸惑っている様子の相手に、現は問いかけた。
「何があったのか聞いても?」
「分かりません。どうしてこうなったのか」
待っていたかのように返る答えは、悲痛の色に染まっていた。
全部吐き出してしまいたい。でも他の誰に聞かれているか分からない。そんな葛藤が手に取るように分かる。
「どうやってここまで?」
「連れ出してくださった方が。何故ここだったかまでは」
「そう」
ため息のような現の声に、彼女は恐る恐る顔を上げた。
十分大人の女性と言っていいはずなのに、その眼差しは変わらない。
寄る辺のない、小さな迷い子のような……すがりつく目。
「わたくしはここに居ても?」
都合がいいと思わないのかと……撥ね付けたい気持ちはある。
何を逃げ出してきているのかと叱りつけたい気持ちだって。
でも……
「龍田というのはどうでしょう。ちょうど秋も深まる頃ですし」
朗らかに現は肯定する。
「鎮真に文句は言わせません。もう一人くらい、直属の侍女が欲しかったところです」
「いいのですか?」
戸惑うように――喜びを隠すことも出来ないくせに――問い返す『龍田』。
「ここにいてもいいと貴女が望むなら。私としても心強いですし」
「ありがとうございます」
涙を浮かべて頭を垂れる『龍田』。
美しいといわれる光景なのかもしれない。
でも……やっぱり現は甘い。
すべていいようにされたのに、何故庇うのか。
ただ、何故『明』がここにいるのかというのは気にかかる。
明の話から新しいことが分かるかもしれないし、反撃の駒が増えるのはいいこと……だと思う。
先行きの険しさに、ますますため息が出るのはどうしようもなかったけれど。