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空の在り処

【第二話 幽囚】 1.分かる嘘と分からない本当

 現の行動はすばやかった。
 周囲に害あるものが近づけぬように結界を張り、さらに人避けの結界を追加してからセラータを出立し、すぐさま都へと戻った。
 突然の帰還に能登や眞珠はびっくりしていたようだけれど、あの子は気にした様子もなく服を着替えた。
 能登たちが慌てて着替えを手伝い、単衣や袿が重ねられ、あっという間に裳唐衣装束姿になる。
 現の髪を丁寧に梳りながら、驚きつつもどこか楽しげな女房達と違い、着せ替えられている現の顔は真剣そのもの。
 今日は確か北斗たちとの会合があるはず。
 つまり――そこに殴りこみにいくんだろう。
 正確に言えば、自分がしたことと今のポーリーの状況を話に行くだけ。
 でも、昴や北斗からしたら殴りこみに近いと思う。
 それに現の心積もりも殴りこみをするようなものだろうし。
 着替え終わったらさっさと部屋を後にする現。
 廊下は走ってないし足音も立っていないけれど、衣擦れの音が妙に大きく響く。
 すれ違う女房達はびっくりして道を開いているし、後ろから能登たちの呼び声も追いかけてくるのに、現は止まろうとしない。
 気が急いているんだろう。
 わたしだって冷静じゃない。冷静でいられるわけない。
 警護の近衛たちもぎょっとした顔をしてる。
 当然だろうなと思うのは他人事だから。
 現の顔を知っているものは少ないけれど、禁色の衣を纏っている時点で身分は一目瞭然。妨害するものはなく、むしろ妨害できる者などいるわけもなく、現は歩みを進めた。

 ざわめきに、室内の全員が一斉に視線を彼女へ向ける。
 突然現れた無礼者をなじろうとしたのだろう、口を開いたままに固まっている北斗の貪狼(とんろう)。一番立ち直りが早かったのは予想通り破軍。
 それでも、彼らが立ち直る前に現はずかずかと室内に入り、昴の御前で頭を垂れた。
 丁寧にさばかれた裾は、座した際にふわりと広がり、袿の色目が綺麗に見える。
「昴にはいつに変わらぬご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ上げます」
「現姫」
 呟きのように小さな声は、どこか恐怖の色が感じられた。御簾越しだから顔は見えないけれど、あの時以来昴はこの子を苦手としているんだろう。
 本来とっても失礼なことなのに、誰も咎めるものがいない。
 ここにいる皆が、彼女に後ろ暗いことがあるから。
「卒爾ながら、火急の用にて参りました」
「火急の用とは?」
 昴の問いかけに現が答えた。
「後星を――星継ぎの御子で在らせられる(しるべ)姫をこの手で封じました」
 沈黙が降りた。
 誰かが息を呑んだ音が、妙に大きく聞こえた。
 ことばの意味を図りかねだのだろうか。誰一人問いかけをするものは無い。
 そっと半身の顔を覗いてみる。
 何の感情も無い能面のような顔。
 宮中(ここ)では見慣れた顔。けれど、しては欲しくない顔。
「いま……なんと、申した?」
 ややあってようやくそれだけ言えたのは昴ただ一人。
 掠れた声での問いかけに、現は常と変わらぬ声音でもう一度同じ言葉を紡ぐ。
「お世継ぎたる後星をこの手で封じました」
「馬鹿なッ」
 常に冷静たれとされている昴が心のままに言葉を紡ぐ。
「何故そのような嘘を申す!」
「畏れながら、昴に嘘は申しませぬ」
 感情のままにはかれる声に返す感情のない声。
「後星の父方……北国セラータに、その証拠が。氷に封じてございます」
「嘘を申すな! そなたが……そなたがそのようなことをするはずがない!」
 その認識は間違っている。
 確かに現は家族を大切にするけれど、何よりも誰よりも優先するのは民のこと。
 だって、そう育てられたから。
 よき昴になるようにと、民を愛し慈しむ国母として。
「何故そう思われるのでしょう?
 星位争いなど珍しくもございませぬ。競争相手を減らそうとするのは当然のこと」
 温度のない声に昴が沈黙する。
 流石に、踏んだ場数の違う北斗たちは落ち着いている。少なくとも表面上は。
「後星を害し、御自らその座に着かれようとしたと?」
 昴の代わりに口を開いたのは北斗の一人、巨門。
 現は沈黙を返すのみ。
 巨門は導を後星に据えることに反対していた。
 いずれ生まれてくるであろう、昴の娘こそがその座に就くべきだと。
「何故……後星は、導姫は」
「先々代の昴の――姉上の、娘」
 呆然とした昴の言葉を継いで現は事実を告げる。
「血縁で言えば姪にあたります。昴――貴女の母・朧も」
 今の昴がその座にあるのは、外国から――ソール教からの干渉があったから。
 昴の座は現の母から長姉へと受け継がれていた。
 昴の祖母は現の次姉にあたるが、朧が昴に祭り上げられた際には――いや結婚する際に星籍を離れている。
 この事実に、疑いを抱かぬものなど皆無といって良い。
「不敬な!」
「いくら現殿下と言えど!」
 口を荒げたのは巨門と文曲。
 どちらも朧を昴に祭り上げた張本人。
「やめよ」
 けっして大きくない、それでも有無を言わさぬ声に押し黙る北斗たち。
「現姫には禁足を申し付ける。破軍」
「はっ」
 突然名を呼ばれて、彼――破軍は畏まる。
「傷つけることは許さぬ。無論、自害もだ」
 これで話は終りだと言いたそうに昴は打ち切り、おのおのに退出を命じた。
 昴が背を向けて奥の部屋に消えると、他の北斗も表面上はおとなしく従い――しばらくして、部屋には現と破軍だけが残される。
 禁足を申し付けられるのは予想の上だけど……よりによって何故破軍になのかしら。
 むっとするけど仕方ない。
 他に預けられるよりは、味方が多いだろうって言うのはあるし。
 なにせ昔馴染みだし、彼の義姉……正確には従姉は、兄の嫁だから『家族』といってもいい。
 それに彼はわたしの存在を知っているほぼ唯一といっていい相手だし。不本意ながら。
 ただ破軍を――真砂(まさご)七夜(ななよ)鎮真(しずま)を信頼できるかといわれれば否。
 信用できる部分も多いのだけど……現に懸想している相手を信頼できるわけがない。
 まあこちらも、その感情を利用させてもらうつもりだけど。
 いつまで経っても動かない現に対して、鎮真がおずおずと立ち上がった。
 相変わらず中性的な面立ち。
 武官用の束帯姿は似あわないとは言わないけれど、着慣れていない感はある。
 姿を見せないわたしの視線にたじろいだわけではないだろうけど、数歩離れたところで膝をついて呼びかけてきた。
「殿下」
 呼びかけに、ゆるゆると顔を上げた現。
 ありもしない心の蔵がどくんと脈打ったような気がした。
 焦点を結ばない瞳。虚ろな顔。
「姫宮?」
 どこかあせったような鎮真の声に、ぱちぱちと瞬きを繰り返して紫の瞳が焦点を結ぶ。
「しづ……鎮真殿?」
 慌てたように言い直すその姿。
 安堵から大きく息をつく鎮真に、現は現は落ち着きなさそうに視線を走らせた。
「え、え?」
 わたしだってほっとした。
 何があったのか分からないけど……さっきの現は普通じゃなかった。
 『あれ』とは違う。でも、最近のこの子はこういったことが多い。
 急に、存在が希薄になるって言うか……
「ところで――何故嘘をつかれました?」
 わたしの意識を戻したのは鎮真の問いかけ。
「嘘などついていません」
 間髪いれずきっぱりと返す現。
 言われた鎮真はわずかに眉をしかめて問い返す。
「異なことを申されますな。
 真実すべてではない。でしょう?」
 ……さすが、くやしいけど分かってる。
 現の嘘はばれやすいから、基本的に彼女は嘘をつかない。
 けれど、騙すことは得意だ。……自身を騙しきることなんてしょっちゅうだし。
 情報のほんの一部だけを話して、相手に誤解させるように話を持っていく。
 さっきの話だってそう。
 導が氷のようなものに閉ざされた。――それは、彼女本人が使った術の副作用のため。
 この手で封じた。――人避けの結界を張ったのだから、封じたと言えなくもない。
 沈黙を守り通す現に根負けしたんだろう。
「姫の御身は我が家でお預かりすることと勅命を受けました」
 少し真面目な顔に戻って鎮真が告げた言葉に頷いて、現は立ち上がった。
 それから鎮真も立ち上がり、先導するように簀子を歩いていく。

 気取られぬよう妹の後ろを歩きながら、わたしはそっと息を吐いた。
 現の狙いは盤面をひっくり返すこと。
 次代の昴を巡る権力闘争。それを白紙に戻すこと。
 ソール教からの干渉がひどいのは朧だけじゃなかった。
 今の昴にだって、外国のものの影がかすかに見える――こちらは、北斗内部に組み込まれているかもしれないけれど。
 (ポーリー)に対してだってソール教は干渉しようとしていた。
 そういう意味では、彼女がとった行動に現が乗っかったともいえる。
 ソール教の干渉を断ち切り、『彼』を解放することができれば最良だけど……
 青い青い空を見上げて独りごちる。
 本当なら、この身を活かして色々と調べられればいいんだろうけれど。
 妹の側を離れたくない。
 そばにいたから何が出来るといわれてしまえば、答えることなんて出来ない。
 でも、それが……それだけが、わたしの存在理由だから。