【第一話 回顧】 7.和平と取引
現の傷が癒えぬ間にも、事態は悪い方へと転がっていった。
他国から攻められるということは……戦を意味する。外敵から攻められることの少なかった国では珍しい類の。
戦を仕掛けてきた国の一団は第五王子が指揮を取っていたらしい。
王子は戦いの折に戦死をしていたのだけれど、相手国はそれを理由にさらに攻め込むと宣言してきた。
こちらだってやられてばかりじゃない。
迎え撃つ準備は万端に整え――提案があったのはその時だったという。
何があって、どうしてそう判断したのかは分からない。
わたしが知っているのは、風の兄上が単身で敵国を攻め、甚大な被害を与えたと言うことだけ。
知ってることは本当に少ない。せっかく姿が見えないのだから、あちこちで入りしていればよかったと、今でも思う。
でもきっと、怪我に伏した妹一人を残してどこかにいくなんて……成長した今でも出来ないのだろうけれど。
戦は、始めるにはたやすいが終らせるのは難しい。
この国と敵国との戦は、力を急激につけてきたという『ソール教会』の仲介で終結した。
そして……終らせるためにこちらが支払った代償が、姉上の退位とソール教会への引渡し。それから、風兄上の命。
兄上の暴走を止められなかった責任を取っての退位なら、まだ分かった。
でもなぜソール教会に囚われなければいけないのか。そう思ったのは一人二人ではない。
かくいうわたしも、こればっかりは気になったのでこっそり話を聞きに行った。
姉上と朧の様子を観察して、二人っきりでこそこそしてるときは特に気をつけたし、他人には気取られなくても『人』の範疇に入らないわたしなら集められる情報は多かった。
だから、あの話を聞くことが出来た。
侍女たちすらも下がらせて、部屋に残ったのは姉と朧の二人だけ。
最初に話されたのは朧のこれまでの生い立ち。
両親のこと、それから現に渡った『奇跡』のこと。
「行方不明だった兄が突然姿を現したのにも驚きました。
あれをわたしに手渡して、誰にも渡さないで守って欲しいと。
ただそれだけ告げていなくなってしまって……」
「旭でしたね、貴方の兄は」
「はい。赤い髪で、私と同じ金銀の瞳と持っています。
性格は……父に似て、優しすぎるところがありました」
初めて聞く甥っ子の情報。ふぅん、朧にもお兄さんがいるんだ。
「その……『奇跡』が母様だというのは、本当ですか?」
どうしても信じられない、そういった表情で聞く朧。
「どうして人が石になるんです?」
「そなたは、想から何も聞いていないのですね」
ふぅと軽く息をついて、姉上は視線を落とした。
「あの事件の折、そなたは現の姿を見ているはずです」
びくりと朧の肩が震える。
わたしからすれば、何でそこで現の話になるのかが分からなかった。
けれど、答えはすぐにもたらされる。
「血が……すぐに固まったように、見えました」
こぼされた言葉を信じられない思いで聞く。
すぐに固まった? 血が?
「そうです」
答える姉上は表面上か割った様子は見受けられず、ますます混乱する。
だって、どうして血がすぐに固まるの?
「あの子は特に『あちら』の血が濃い。
本来、この世界の住人ではない『私たち』は死と同時に石に変わる。
――故に、大地に還える事はできません。
想は身体を分けられて尚、生きていますが……長く続けばどうなるか分かりません」
膝上で握られる拳。
言ってる姉上も辛いんだろうな、と思う。
会ったことがない姉上だからあんまり実感ないけれど、わたしでも辛いもの。
「欠片をすべて集めれば、戻してくださると。ですから――捜索だけは続けるように」
「……はい。伯母様」
改めて実感したのかもしれない。朧の顔が曇る。
だって姉上はここを出て行かなきゃいけない。他に何かいい方法があるのかもしれないけれど、姉上はそう決めた。
「即位の儀は明後日に行います。そなたは当日まで精進潔斎に励むように」
「その件で、お話したいことがあります」
姉上の言いつけに、朧は硬い声で切り替えした。
「省略して欲しいのです。
わたしを後星にすることなく昴へと任命し、その場に神宝を置かないでください」
え、それって。
「朧?」
姉上も不思議に思ったのか問い返す。
けれど、朧はむしろしっかりした口調で言い募る。
「そうすれば、私が正当に位を継いだ事にはならない」
「朧」
「正当に継いだわけでなければ、いつでも元に戻すことが出来る。
違いますか?」
「――決まったものを覆すのは難しいものです」
「けれど、大義名分さえあれば可能でしょう?」
外見年齢的には変わりがない二人の視線が交わる。
正直、わたしはそんなこと考えたことなんてなかった。
朧は昴になったフリをするの?
そんなことしたら、後世でなんていわれるか。
「昨年、わたしは子を生まされました」
え?
突然の告白にわたしは戸惑ってしまう。
いつでも冷静な姉上はただ静かに先を促された。
「子は――娘でした。十をすぎれば傀儡として据えられると……わたしは思います」
「朧」
労わるような姉上の声。
あれ……つまり……それって……?
「伯母様。私は……娘にまでこのような思いをさせとうございません」
「ええ」
静かに泣き出してしまった朧。慰めるように姉上が言葉をかけられる。
なんだか、ここにいちゃいけない気がしてわたしは抜け出した。
三日後、朧は無事に即位し、姉上を国を出て行かれた。
和平の代償に亡くなられた兄上は御霊と化してしまい――その御霊を鎮めるため、麦の兄上夫婦が北方の、外つ国へと封じられた。
都に残ったのは現一人。
普通なら流されるか、寺に入るかさせられるのだろうけれど、『壱の神』の器ゆえにそういったことは無かった。
でも、かえってそのことがあの子を苦しめていたのかもしれない。
宮中で余所者扱いされるのは朧で、今までずっと可愛がられてきていたのは現だったから。
本来の場所を取り戻せとささやくもの。
朧に近づいて、逆に現を邪魔に思うもの。
そういった者達が後を絶たなくなったから。
今までは慰めてくれる兄弟がいた。
――気心の知れた部下や侍女たちがいるのがせめてもの救いだけれど。
能登や眞珠は前にもまして甘やかすようになったし、星読みの橘正告も何くれと気にかけてくれた。
「姫様、いい事を教えて差し上げましょう」
「いいこと?」
「ええ」
所々収まりの悪い髪を撫で付けつつ、内緒話をするように正告は声を潜ませる。
「姉上様が――琴様の婚姻が近いと、占いに出ました」
「本当ですか?」
「ええ、お幸せになられるようですよ」
「よかった」
「ちょっとその話詳しく聞かせなさい正告」
「そうじゃ、出し惜しみするな正告」
「お前らいつの間に沸いて出た?! 姫様だけにお伝えする、とっておきの占いだから駄目だ」
三人の些細なやり取りは、心を許せるものだった。
福川の翁もしょっちゅう訪ねてきてくれたし、時世七夜昇と真砂七夜真琴は文を送ってくれた。それから――鎮真も。贈り物をしてくれた、癪だけど。
そんな中、一人だけ変わり者がいた。
布良源助。一応高位の文官だけど、現の姿を見るたびに青ざめて逃げるのだ。
……前はそんなことなかったと思う。どっちかっていうと現が気に食わないのが良く分かるような態度だったし。
だから、今の状況なら見下したりとかするものだと思っていたのだけど……どういうわけか数日後に源助は宮中からいなくなった。辞職したのだという。
源助の態度の違いの理由がなんとなくながらも分かったのはかなり後。
姉上が結婚されて、女の子が生まれて……いろいろあって――
娘であるポーリーに自分が隠し持って行った神宝を預けた後、姉上は亡くなられた。
犯人は黒い鬼。
この一件の前にも現やポーリーを襲った鬼は……けれど、最後に討たれることになる。
ポーリーたちによって、母の仇として。
まるで、倒されることを望んでいたように。
本来なら話はそれで終わるはずだった。
先の昴であり、母の仇を討ったポーリーは『正統な後継者』として都に行き、あるべき場所に収まる。
それでめでたしめでたし。
けれど、事態はそう動かなかった。
その時にはもう昴の座は朧から娘の明に移っており――朧が危惧していたように、明は十歳にならぬうちに即位した。朧の突然の崩御によって――揉めに揉めた。
権力を持つ七夜内でも明を推すものとポーリーを推すもの。
現がいるじゃないかと今だにいうものと分かれて好き勝手に騒ぐのだ。
どうやって収拾つけたらいいかなと思っていたところに――さらに混乱させるようなことをポーリーが言って、現がそれを了承してしまった。
でもじゃあどうすれば良かったのかなんて、わたしには分からない。
実体のないわたしができること――そんなこと、とっくに考えつくしていたから。