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空の在り処

【第一話 回顧】 6.南斗と北斗

 正直、あの時のことは今でも思い出したくない。
 混乱した町で逃げ惑う人波の中、現達は引き離され、それでもとたどり着いた南梨の屋敷が一番襲撃を受けていた。
 ほぼ成り行き上、刀を持っていた現が朧たちを守る羽目に陥って……後ろから刺された。
 守っていたはずの相手、南梨惚兵衛。
「ちがう。『奇跡』はこの娘が持っている!」
 叫びは多くの敵兵を呼んだが、同時に味方も引き寄せた。
 影から現を守る任についていた忍達や時世七夜昇、早馬を飛ばしてきた火影七夜配下の武士達。
 混乱が収まるまでには時間がかかったけれど、攻めて来た敵兵はそのほとんどが討ち取られ、残り数人が捕らえられた。
 治療のためにと連れられた館は、かつても泊まった場所。
 強引に借り受けた広間には現に関わる人々と混乱に乗じて逃げようとしていた南梨たちと朧、そして火影七夜配下のそこそこの地位の武将が集っていた。
「貴様が姫を傷つけたのか」
 忌々しそうに吐き捨てたのは昇。福川の翁がいなければ、間違いなく南梨惚兵衛に斬りかかっていただろう。
 かなり凶悪な顔で睨まれているにもかかわらず、南梨惚兵衛は不敵にも笑い返した。
「はっ。大儀のための犠牲だ」
 嫌らしい笑み。一層怒りの色を濃くする昇を見下すようにして、惚兵衛は恭しく朧を示した。
 朧はそんな彼の様子など目にも入らないのだろう。
 今にも倒れそうなくらい青い顔をして、手を合わせて呟くのは現の無事を神に願う言葉。
 普通の親なら、娘がこんな状況になっていたら労わりの言葉をかけたりするものじゃないんだろうか?
 けれど惚兵衛は上るに向き直り、偉そうに言った。
「こちらに居わすお方をどなたと心得る。畏れ多くも先の昴・長庚星が四の星、想姫のご息女、朧姫にあらせられるぞ」
 名乗りに、火影七夜の武士達がざわめく。
 権力の中心は七夜一族に移っても、権威は星家のものだ。
 だから、星家のためなら家臣の命程度と言いたいのだろう。まして姫ならば次の世を継ぐ事だってありうるのだから。
 予想外の言葉に、さっきまで憤っていた昇も虚を突かれて黙り込む。真琴はいつも表情が変わらないから分からないけれど。
 このまま、あちらの良い様に言われてしまうのかと危惧した。けれど。
「成る程」
 妙にのんきに笑いながら、髭を撫でつつ飄々と笑ってみせたのは福川の翁。
「福川殿、何がおかしいのか」
「いやなに。そなたがそこな姫を監禁しておったのかと納得したまでじゃ」
「な」
 流石年の功。嫌味もばっちりに相手の嫌がるところを突く。
「無礼な! いくら福川殿といえど!」
「戯けが!」
 真っ赤になって怒る惚兵衛を昇が一喝する。
「お前が傷つけたあの姫こそどなたと心得る?!
 長庚星が末の姫……神の御子にあらせられるぞ!」
 昇の言葉を、どれだけの人間が理解できたのだろうか。
 静まり返った広間がなんだか可笑しい。
 だんだんと言われた内容が理解できてきたんだろう。惚兵衛の顔から色が落ちていく。
「ば……馬鹿な、そのような……」
「そうじゃ! 姫の名を語る不届き者じゃろう!」
 ざわめく南梨たち。火影七夜の部下達は困惑している。
 対して、福川の翁は落ち着いたものだ。
「その言葉、そっくり返して頂こう」
「朝敵が」
 吐き捨てるような昇の言葉に南梨が口を戦慄かせるが、意味のあることばを言う前に涼やかな声が割り込んだ。
「決め付けは早計でありましょう、『時世殿』」
 さらりと告げられた名に武士達はざわめく。
 しかしそんな空気など気にしないとばかりに真琴は言葉を続けた。
「末姫様のことについては火影殿がご存知でしょう。貴方のこともご存知なのでは?」
「晶なら分かるやも知れませんが……いや、いささか頭に血が上っておりました。
 かたじけない、『真砂』の真琴姫」
 苦笑しながら返す昇も侮れない。
 時世に真砂。同じ七夜一族の名を出されて火影の武士達はかなり動揺している。
 福川の翁達が恐れたのはこの場で口封じに全員殺されることだろう。
 今回の襲撃を『無かったこと』にしたい火影がそう考えてもおかしくない。
 むざむざ攻め入られるとは何たることかと咎められないわけが無いから。
 すぐにそれをしなかったのは、惚兵衛が敵の狙いを知っていたような口ぶりだったためと、昴の勅命を受けた福川の翁の存在があったから。
 それを察した惚兵衛が切り札ともいえる姫の存在を明かし、対抗するようにしてこちらも現の存在と、それから昇に真琴の身分を明かした。
 惚兵衛に味方するなら、火影七夜も昴に刃向かう存在として討たれる可能性がある。
 北斗七夜は自らの権力を絶対なものにしたいだろう。
 故に自らに降りかかりかねない火の粉は徹底的に排除する。そう、身内であろうと切り捨てる。
 それに、七夜の中でも力を持っている時世と真砂は水と油で互いに反発しあっているけれど、時と場合によっては手を組む。
 仮に一族のものを傷つけられたとなれば協力するだろうし、どちらが一番槍を取るか大将首を取るかで競い合うように相手を潰しにかかるだろう。
 結果、膠着状態に陥った。

 大人たちはその後も何か色々していたようだけれど、詳しくは知らない。
 わたしにとって、現の状態以上に重要なことなんてなかったし。
 現の怪我は深いもので、けれど確実に治療を施すなら都以外にない。
 長距離の移動が出来ないから、姉上自らが『空間』を繋ぎ、その場にいた主要人物を全員都に連れて行った。
 そこで分かったことは、現が生まれる前に外つ国へと降嫁した想姉上の身柄を、北斗七夜の前に権力を握っていた南斗が確保しようとしていたこと。
 言うまでもなく、南梨惚兵衛は南斗一族の人間だった。
 当時権力の中心にいた南斗本家は討ち取られたり、世俗から離れて寺に篭ったりしているらしい。でも、分家とかになると山奥に逃げたり外つ国に行ったものも多いとか。
 政争で負けた南斗が想姉上を使って再び権力の座に返り咲くことを企んでいたのかと思いきや、最初はそうではなかったらしい。
 都を追われ、各地を回り……ついには外つ国まで行った際に、もうこのままここで新しい自分達の国を作ろうと思ったのだと。
 けれど、一年――わたしたちにとっての一年で、ヒトにとっての百年――も経たぬ内に体調を崩し、儚くなる者達が多くなり困惑したと言う。

 それはそうだろう。
 『外』に出ると寿命が縮むなんてことを知っている人間は少ない。

 困惑した南斗は考えに考えてひとつの事にたどり着いた。
 星家だと。
 権力を奪われつつ、しかしけっして力を失わない星家の存在。星家がいることで寿命が保たれるのだと。

 一概に間違いとは言えない。
 わたしたちの命を握っているのはあくまでも『壱の神』。
 けれど、かの神に仕え、この地に留めているのは紛れもなく星家だから。

 そう考え付いた南斗は、外つ国へとやってきた想姉上に狙いを定めた。
 怪しまれず、出来れば自主的に来てもらうにはどうすれば良いかと頭を悩ませたらしい。
 そうして途方にくれていた南斗に声をかけてきたのが、異人の神官だったという。

 現のことばかりを気にしていたけれど、この時ばかりはもっと詳しく聞いておくべきだったと思う。何であの時聞いておかなかったのかと今でも後悔してる。
 南斗を唆して想姉上に関わらせ、朧を長期にわたり幽閉し、あの時現が大怪我をする羽目になった原因。
 その神官は鮮やかな金の髪と琥珀色の瞳を持っていたという。
 ――彼の名がバァルということ。後々まで因縁を持つ相手になるだなんて事は、あのときには分からなかった。