【第八話 再会】 5.『奇跡』と『世界』
しっかりと決意を宣言した後、一転して先程の落ち着きを取っ払ったかのようにポーリーはまたも叔母に詰め寄った。
「都にはどうやって行けばいい? どの道を行けば一番早いの?
どうしたらアースを助けられるの?」
「落ち着いて。別に大変なことはないし、平気よ?」
先程の繰り返しにアースの苦笑も深くなるが、ポーリーは本気の目で言う。
「そんなの信じられない。アースは辛くっても辛いって言ってくれないもの」
「そう言われても」
ぷぅと軽く頬を膨らませての言葉に困ったように返す。
「多分、私以上に鎮真がきついと思うけど」
事実だ。
退室はしたものの、あまり遠くに行くことの出来ない鎮真は廊下で話を聞いていた。
そしてこっそり涙する。
こっちだって勅命じゃなきゃ引き取りたくなかったやい。
いびられ続けて胃が痛くない日なんてなかったんだぞと心のうちだけで呟く。
実際問題、さらにポーリーが来た――きてしまったことで、立場的にもかなりまずく、心臓にもさらに悪い事態になっているのだが。
「さっきの鎮真さんに言っても、アースは自由になれないんでしょう?
なら、やっぱり昴に直談判するしか」
「だから、落ち着きなさい」
そして人の話を聞きなさいと続けられて、大いに不満そうながらもポーリーは一度口をつぐんだ。
「でも……心配なんだもん」
結局黙ったままではいられずポツリと続ければ、分かっているといわんばかりに頷かれる。
心配してくれるのは嬉しいけどねと付加えて、アースは予想もしなかったことを言った。
「逃げようと思えば、本当はいつでも逃げられるのよ」
「え?」
きょとんとした姪の姿に苦笑して――話をちゃんと聞くように言い聞かせる口調で続ける。
「相手の出方を窺うために、ここにいただけなのよ」
「なんで?」
「何が起きてるんだ」
訳が分からないといった様子のポーリーと、逆に何かを確信したかのように問いかけてくるノクティルーカ。
対照的な二人を前に、アースは座りなおし問うた。
「話が長くなるけど、いい?」
まるで覚悟を問うかのような重い言葉。
戸惑うように、ノクティルーカとポーリーの視線が絡む。
何があるというんだろう?
不思議に思うし、聞くのが少し怖い気もする。
けれど……聞かなければ分からないことは多いし、ポーリーはすでに覚悟を決めている。
現に、こちらを見る彼女の目はどうするのかと問いかけてきていた。
自分は聞く、でもルカはどうするの、と。
彼女に関係深いことだけど……自分が関わってはいけないなんてことはないし、積極的に関わるつもりだ。
――これからも、一緒にいたいから。
ノクティルーカがしっかりと頷き返すのを待って、アースは話し始めた。
今と過去を結ぶ、長い長い話を。
「簡単に言えば、後継者争いが今も続いてるの。
今の昴の血統を推す一派と、姉上の子であるポーリーを推す一派」
手っ取り早い説明を選んだらしいアースの言葉に、ノクティルーカは納得する。
『昴』というのは自分の知っている『王』に近いものだという。ならば、一応王族の末席だった自分にとっては分かりやすいことも多い。
先々代の昴がポーリーの母親で、先代が現在の昴の母親。
ポーリーの母親は他国の介入のせいでその座を引き摺り下ろされたという。さらに、結果的にはそのせいで亡くなった。
仇をとったポーリーには十分すぎる大義名分がある。
けれど、今まで王座は決して空ではなかった。今の昴が守ってきていたから。
「最後に……私を推す一派」
「え?」
思わずといった様子で問い返すポーリー。
「まぁ、今回の一件で諦めたでしょうけど」
姪の様子を他所に、当の本人はやれやれといわんばかりに肩を落とす。
それを苦笑しながらも見守るカペラとスピカ。
長年一緒にいただろう二人の反応に、前からこんな感じだったのかなと思う。
『昴』は女系女子が継ぐといっていたし、ポーリーが生まれる前までは確かにアースも後継者候補だったのだろうけれど。
「まあ、後継者争いなんてものはいつの時代もあったことです。
問題は……その争いに他国の影が見えること。それも、ソール教会の影が」
「ソール教会?」
ある程度は予想された言葉。
なぜなら、ポーリーの母親やラティオたちが囚われていたのも、彼らの手によってだから。
「ええ。『神』と『奇跡』を作り出し、自分達の都合の良いように表で裏で世界を操ってきた相手」
「神をつくった?」
「『奇跡』?」
何を言い出すんだろうと如実に語る二対の瞳をまっすぐ見返して、アースはただ一度だけ頷く。
「ソール教会の『神』と言われているのは、『ソール』でしょう?
『彼』が何者か、もう知っているでしょう?」
問われれば頷くしかない。
「ラティオの……お祖父さん、でしょう?」
「ええ。彼の双子の妹が、先代昴の朧」
そう告げて、アースは膝の上に置いた自身の左手を守るように右手を重ねる。
「私の『石』は、彼女から譲られたの」
「そう、だったんだ」
初めて聞いた、とポーリーは小さく呟く。
アースが『奇跡』を持っているということは、いつの頃からか知っていた。
けれど、いつどうやって受け継いだか、なんてことは今まで聞いたことはなかったから。
「そして彼女は、『兄』から渡されたらしいわ。
誰にも渡さないで守り抜いて欲しい――僕自身からも、と」
「渡した相手なのに、守って欲しいって言ったの?」
「そう聞いているわ」
ヘンなのと呟くポーリーにノクティルーカも同意を示す。
自分が渡しておいて、自分から守って欲しいだなんて何故そんなことになるのだろう?
これから狙うとでも言うんだろうか?
誰かに強要されて渡せと言われたとか? それとも――
そこまで考えてはっとする。ラティオはなんと言っていた?
「ソール教会は長年『奇跡』を探している。
『ソール』は少なくとも『奇跡』を一つ持っていた。
なのに、それを教会の手の届きにくい場所へ――信頼できる妹へと渡した。
だからきっと、『ソール』は『奇跡』をソール教会には渡したくはなかったのでしょうね」
「『ソール』は意志を奪われて、『神』に祭り上げられたって……ラティオは言ってたけど」
聞いたままの内容を告げればアースも頷く。
「本当のことは分からないけど、多分そうでしょうね。
『奇跡』が何かを、『ソール』は知っていたでしょうし」
「『奇跡』は『奇跡』じゃないの?」
語られ続けた伝説そのままの、強い魔力を秘めた……魔力そのものともいえる石。
不思議そうなポーリーにアースは首を振る。
「ポーリーは一美の……ゴメイザのこと覚えてる?」
突然の問い。
ノクティルーカは誰のことか分からずにポーリーに視線をやる。
言われた本人は呆けたような顔をして、瞬きを三つ四つ。
ようやく言葉が理解できたのか、こっくりと頷いた。
――随分、懐かしい名前。
それは、ポーリーが生まれてから城を出るまで、一番近くにいた乳母。
「最期のことも?」
重ねられる問いに、ためらいながらも頷く。
正直、思い出したくはない。でも……忘れることが出来ないほどに、衝撃的な光景だった。
「……石になった」
聞こえるか聞こえないかと言った小さな答え。
ノクティルーカは首を傾げるが、他の者達は理解できたのか一様に沈痛な表情をみせる。
困惑する彼に気づいたのか、それとも別の理由があったのか。
「私は……特に血が濃いから出来るけれど」
そう、訳の分からないことを言って、アースは懐から布にくるまれた筒状の物を取り出した。
紐を解いてきらびやかな布から取り出されたのは、真っ黒な――木製らしい鞘に納まった短剣。
何をするのだろう? いきなり剣なんか取り出して危ないんじゃないか。
しかし誰も止めることなく、アースは自らの指を短剣で傷つけた。
何をしているのかと叫ぶより早く、ぽたりと一滴、赤が落ちる。
服にしみを作るはずだった赤は、たっぷりとした布地によって作られた斜面を転がり、ポーリーの膝元に到達した。
「え?」
室内の、そう強いとはいえない光を弾くちいさな球体からは、早くも紅の色が抜けつつある。
けれどこれは間違いなく、先程流されたアースの血で。
顔を上げれば、何事もなかったかのように呪文が唱えられ傷が塞がる。
しかし、指先に残った赤は、やはりさらさらと砂のように零れ落ち行く。
回復魔法と言えど、流れた血は戻らない。
だからそれなりの出血をすれば、傷口は拭わなきゃいけない。
――こんなすぐに固まったりしないし、色が変わることも……ないはずなのに。
「何かに滲み込まなければ……こうやって固まる。『私たち』は世界から拒絶されているから」
混乱した頭でそれでも思う。
確かに、これは聞く覚悟が必要な話だ。
そして……今からももっと……覚悟が要るのだろう。