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ソラの在り処-暁天-

【第六話 神変】 4.立ち止まって、向き合う

 そして翌朝。
 待ち望んでいた――怖れていた――日が来た。
 案内されたのは城の上部、王族が住まうはずの場所。
 昔、ポーリーを可愛がってくれていたアリア王妃が使っていた部屋だった。
 けれどそこにかつての面影はなく、すっかり模様替えを行われ、さらに部屋で待っていたのは男性だった。
「久しぶりだな、ちい姫」
 そう言ってにっこりと笑うのは、ポーリーにとって叔父に当たるアルクトゥルス。以前会った時にも着ていた白と水色の服で、座ったままのために床に広がっている髪は深い海の色。
 記憶と変わらない姿に、少しだけほっとしてポーリーは呟いた。
「おじうえ」
「また会えて、嬉しいよ」
 入り口で立ち止まったまま動く気配のない姪。
 苦笑してアルクトゥルスは立ち上がり、彼女を招いた。
「まったく、無茶をして。心の臓が冷えたぞ」
 ぽんぽんと優しく頭を撫でられて、叔父を見上げていたポーリーが俯く。
 心配、されていた。
 その原因を作ったのは自分で、いろんな人に迷惑をかけた。
「ごめんなさい」
 謝った声は、自分でも小さすぎて聞こえないくらい。
 もっと、ちゃんと謝らないといけないのに。
 謝っても謝っても、謝り足りないくらいのことをしたのに。
 けれどアルクトゥルスはまたぽんぽんと頭を撫でて、少ししゃがんで姪の顔を覗き込んだ。
 互いに交わる視線。アルクトゥルスは寂しそうな笑顔をしていて、ポーリーは迷子の子供のように不安そうな顔で。
「もう、しないな?」
 一瞬何を言われたのか分からなかったポーリーが目を開くが、理解すると同時に小さく何度も頷いた。
「はい……はい!」
「なら、いい」
「え」
 そっと手が離れていく。
 言葉を勘違いしたのだろうか、見捨てられると思ったのか、また不安そうな顔をする姪に、噛み砕くように叔父は言った。
「悪いと分かって反省してる相手に、追い詰めるような説教しても意味がないからな」
 どこか悟ったように告げて、彼は背を向けて歩き、元いた場所に座りなおした。
「だが……これから話す事実は、そうはいかない」
 真面目な顔をして告げられた言葉に、ポーリーは息を飲む。
「長い話になる。入ってきて座りなさい。ちい姫もノクティルーカも」
 きっと傷つくだろう話。
 けれど、知っておかなければいけない話。
 自分の行動が何を起こしたのか。

 かつて、たくさんの家具が所狭しと並んでいた部屋。
 今は物がほとんどなく、開放感と同時に寂しさを感じさせる。
 運び込まれたのだろう畳の上に座布団が敷かれ、座しているのはアルクトゥルスとポーリー、そしてノクティルーカ。
 後ろでいつでも動けるように控えているのはプロキオンとミルザム。
 スピカは茶の準備やらでこまごまと動いていた。
 まず話されたのは、ポーリーが術を使ったあの日から三百年ほど経っていること。その間に色々あって、この街が『彼ら』のものになったこと。
「三百年?」
 信じられないといった様子で呟く彼女をノクティルーカは黙ってみていた。
 無理はない。ノクティルーカだって信じられなかった。
 けれど、彼女を救うために各地を旅して思い知った。
 変わっていた地形、かつて訪れた街の変化。それから――消えた祖国。
「なんで、そんな……私、皆を遠くに飛ばしただけだと」
「お前が使った術はこれだろう?」
 袂から紙を一枚取り出し、アルクトゥルスは姪に差し出す。
 しっかりと目を通してからポーリーは頷いた。
 城の奥に隠されていた図書室、そこで見つけた魔法書に載っていた術。
 転移の術。自分の意志のままに時をかけずに空間を渡る術。
 例えば、セラータから遠く離れた南国クネバスまですぐに移動することも出来るという――便利だけれど、使われることのない術。
「転移の術は、別に禁術でもなんでもない」
 さらりと告げて、アルクトゥルスは紙をまた戻す。
「人の身で扱うには魔力が足りぬだけのこと。
 『我ら』にとっては日常的……とは言わぬがよく使うものだ。――もっとも、最悪な失敗をすれば、空間がねじれて大変なことになるだろうが」
 そうなんだとポーリーは思う。
 あれだけの決意で使った術なのに、実は簡単に使って良い代物だったんだと少し拍子抜けする。
 逆にノクティルーカは納得した。
 だから不意に現れたり消えたりしていたのかと。
 それに――あの小屋や森の謎も解けた。
 いちいち術を使うのが面倒だとか、そういう理由で作ったのだろう。
「なら、なんでポーリーはあんな姿に?」
 禁術でないというのなら、なぜあんなことになったんだろうという当然の疑問に、アルクトゥルスは常々考えていたといった様子で答える。
「転移の術の反動ではない。
 ちい姫、あの時ノクティルーカたちをどこに飛ばそうと思った?」
「え? えっと……一番、安全な場所、に」
「なるほど、抽象的すぎたか」
 納得はしたが呆れたといった表情で彼は言い、諭すように話した。
「転移の術というのは、行き先をしっかりと思い描いていないと大抵失敗するものだ。そして、意外と知られていないが転移の術とはただ距離を移動するものではない。時と空とを一時的に操る術だ」
「時と……空?」
「あの時代――教会に狙われて、安全な場所などありはしないことは、うすうす気づいていたんだろう? だからという訳ではないが、『未来』なら安全だと漠然と思っていたんじゃないか?」
「そ……れは」
 問われてうなだれるポーリー。
 確かに、あの時代――ある意味今もだか――教会の影響力は強い。
 だが、今と決定的に違うのは過ぎた年月ゆえにノクティルーカたちの存在が『伝承』とされていること。
 存在を葬るために、徹底的に追い掛け回されることがないということ。
 とはいえ――グラーティアの存在が明るみに出た以上、それもどこまで続くか分からないが。
「それに時を越えたのは、術者がちい姫だから、という理由もある」
「どういうことですか?」
 なぜ、ポーリーが転移の術を使ったから、時を越えてしまったのだろう?
 首を傾げるノクティルーカを見て、アルクトゥルスは腕組みをして答える。
「我らの長、『昴』の血筋――星家の、特に女達は時と空に触れることが出来るし、またしなければならない」
「触れる?」
「操るというまではいかぬからな。
 この世界に出来た綻びを繕い、時に広げて迷い人を帰す。
 そういう役目を背負っているからだ」
「迷い人?」
 問い返したポーリーに、それも知らないのかと少し驚いた顔をするアルクトゥルス。気を取り直すように咳払いをして、話は続けられた。
「この世界は、どういうわけか他の世界との境界が薄いらしい。
 ――故に、迷い込む者が時折出る。神隠しとかあるだろう?」
「他の世界?」
「信じられなくても当然だ。
 月に帰ったかぐや姫然り、『異世界』等というものは御伽噺の類だからな」
 ふぅと軽く息をついて、アルクトゥルスはまた口を開いた。
「そもそも魔法とは、『魔』とは本来この世に存在しないもの。
 なら、その『魔』はどこから来た?」
「……それが、『異世界』だと?」
 訝しげに問うノクティルーカにしっかりと頷く。
「短絡的だと思うだろうが、生憎証拠があるんでな」
「証拠?」
「都にいけば山とある。
 今すぐ必要というなら、『我ら』の存在そのものが証拠だ」
「え?」
 言われた意味が分からずに問い返したのはポーリー。
「魔法とは、強い祈りや想いを形に変えるもの。
 面倒な手続きをしなくても火が使いたい。水が欲しい。
 『世界』に干渉することで、それが可能になる。
 強い強い望郷の念が空間を越える能力を生み出した。
 ……と、話がずれたな」
 こほりと咳払いをして、アルクトゥルスは姪っ子を見据えた。
「三百年の時が過ぎ、変化もまた多い。
 だが、お前達が無事生きていたことに関しては嬉しく思う。
 これが本題だが、ちい姫。お前はこれから、どうするつもりだ?」
 聞かれるだろうと覚悟していた言葉に、ポーリーは叔父を静かに見返した。
 いろんな人に迷惑をかけた。
 いろんな人が助けてくれた。
 そして、一番迷惑をかけて一番傷つけた人がいる。
「アースに」
 ぽつりと紡がれたのは、彼女にとってもっとも信頼する人。
 大好きで、母代わりで姉代わりの叔母。
「アースに謝りたい、です」
 私の身勝手で傷つけた。酷いことをした。
「それから……都に行って、知りたい」
 母の故郷のことを。さっき告げられた話についても。
「考えたい。私に……昴が務まるのか」
 勾玉と管玉のペンダントにそっと触れて、ポーリーは言う。
 昴のもとにあるべき三種の宝の一つだというこのペンダントは、母と過ごしたわずかな時間の証拠。
 会いに行ったポーリーに母が託したたった一つのもの。
 結局、形見のようになってしまった。
 『昴』の『後星』。次の王になるべき者だと、帰りを待つ人がたくさんいると言われてきた。
 実感は未だにないけれど、あの花火やお祭騒ぎで少し印象が変わった。
 本当に、ずっとずっと待っててくれた人がいるのかもしれない。
 『今すぐに継げという訳でも、必ず継げという訳でもありません。昴は、自覚無きものが背負うには重過ぎるもの』。
 託されたときに聞いた言葉は、とても重いもの。
 『覚悟なき者がその座につけば、悪戯に民を苦しめる事となります。民こそが国の宝。それを理解せぬ者に、資格はありません』。
 まだ、よく分からないことだらけ。
 たくさんの人の命を、責任を預かるなんて想像もつかない。
 けれど。私が昴になるのを望んでくれてる人がいるなら。
 なることで、恩返しになるなら、恩返しが出来るなら……なりたいなって思う。
「そうか」
 姪の独白に叔父は満足そうに――少しだけ寂しそうに笑って、また表情を引き締めた。
「末姫は今、真砂(まさご)の地にいる」
「まさご?」
「『我ら』の国の一地方だ。その地で軟禁されている」
「え」
「麦の君!」
「嘘を言ってどうする。真を伝えぬ方が悪い」
 咎めるようなミルザムの言葉にアルクトゥルスは平然とした顔で返した。
 その言葉に、嘘ではないのだとポーリーは悟る。
「なんで、アースが軟禁なんて……」
「そなたを……『次代の昴』を自らの手で封じたと、昴の御前に乗り込んで行ったそうだ」
「だってそれは私が!」
 悪いの私なのに。私が無茶を言ったから。アースは仕方なくしたことなのに!
「事実、そなたはあの状態だった。あの姿を見て、自供があったために拘束された。心配せずとも扱いは丁重だよ」
 取り乱す姪を落ち着かせるように言うアルクトゥルスだったが、ポーリーは混乱していて聞いていない。
「でも、本当に丁重かなんて分からないもの!
 辛い思いとかしてても、アース絶対に言わないもの!」
「大丈夫。本当のことが分かればすぐに釈放されるから。
 だから早く元気になって、迎えに行っておくれ」
「あ」
 ぱちりと気づいたように瞬きするポーリー。
 そうだ。
 あの場所にいたのは自分とアースだけ。
 だから、本当のことを知ってるのも自分たちだけ。
「はい。早く、元気になって、謝りに行きます」
「そうそう。それでいい。
 それに……末姫の軟禁先の城主は妻の従弟で、弟のようなものでね。
 何かあろうものならっていびり倒してるから大丈夫だよ」
 茶化して言ったのがよかったのか、ポーリーはようやく笑った。
 そんな姪っ子を見ながら思う。
 まったく、こんなに周りを心配させて。
 怒りの向き先は目の前で神妙にしている姪っ子ではなく、遠い空の下にいる妹だ。次代の昴――『後星』がポーリーに決まった後も、アースを『後星』にと推す声は減らなかった。
 今回の一件で、反対派――ポーリーを推す一派と、いずれ生まれるはずの明の子を推す一派――が『末姫が、昴になるために政敵を害した』と騒ぎたてた。
 これで、アースが昴になる道は、ほぼ潰えたといって良い。
 一度でも謀反の疑いをかけられた者が、その座を狙えるはずもない。
 もっとも……それこそがアースの狙いであり、また壱の神が憑いている以上どうやってもあの子が昴になることはありえないのだが。
 とはいえ、こういった思い切ったことをやるあたり、アースが昴になっていたらと思う気持ちも分からないではない。
「本当に、ままならないものだ」
 ポーリーたちの退出を待って、疲れたようなため息を漏らすアルクトゥルス。
 長年付き添ってきた従者達は揃って同意した。