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ソラの在り処-暁天-

【第六話 神変】 1.小さな違和感

 ポーリーが泣き止んだのは、音のせいだった。
 力強い太鼓の音。高く奏でられるのは笛の音だろうか。
 二人でほぼ同時に顔を見合わせ、外の様子を確かめるために窓を開く。
 音の洪水。そう表現するに相応しい人々の熱狂が風に乗って運ばれてきた。
 枕に埋めていた顔を動かしてポーリーは耳を澄ませる。
 なんだかとても楽しそう。
「おまつり?」
「騒ぎ的には祭並み。つか祭以上?」
 涙の残る声に、ノクティルーカは答えつつ戻って彼女の枕元に座り込んだ。
 ぱちぱちと瞬きしたポーリーは、現状の把握が出来ていないのだろう、不思議そうな顔をしている。
「今ここな、ミルザムたちと同じ国の人が住んでるんだ」
「え?」
「だから……早い話がお前はあの人たちにとって『お姫さま』だろうな」
 おひめさま。
 口の中で繰り返してポーリーは考える。
 セラータではそんな扱いをされたことなんてない。
 けれど思い出す。叔母に言われて続けてきたこと、ただ一度だけ会った母から聞いたことを。
 ポーリーは、母がいた国――そこの王族なのだと。母はかつてその国で王位についており、ポーリーはその座を継ぐ者だと。帰国を、とてもとても望まれているのだと。
 素直に信じられなかったのは、『ミュステス』として迫害されてきたせいだろうか。都合の良いときだけ祭り上げられる。そう思っていなかったとは言えない。
 母や叔母は、身内だからやさしいのだと思っていた。
 スピカやカペラ、ミルザムだって、自分達の小さい頃を知っているから優しいだけで、見たことも会ったこともない相手が自分を嫌っていないだなんて信じられなかった。
 万歳と声が聞こえる。姫様万歳と。
 その『姫』が自分を指しているのなら――私は一体、どれだけの人をワガママで振り回したんだろう?
 また、涙が滲んでくる。
 零れ落ちそうになった涙を掬ったのは、温かな彼の指だった。
 思わず、といった様子でノクティルーカを見つめるポーリー。
 床に直接座り込んでいるせいか、ベッドに横になった彼女とはちょうど視線の位置がほぼ同じ。表情は変わらず、いっそ無表情と言っていいほどで、なのに彼女に触れる指先は優しい。
 ポーリーが泣いていると彼はいつも最初『泣くな』といい、後に『泣け泣け』と諦めたように口にして、泣き止むまでずっと側にいてくれた。
 慰めるように頭を撫でたり、肩をぽんぽんと軽く叩かれたこともある。
 けれど、こうやって涙を拭われたことは、ない。
 びっくりしたせいか涙はすぐに止まり、ポーリーはまじまじとノクティルーカを観察する。
 しばらく会っていなかったせいか、彼はまた成長したように思えた。――自分は成長していないのにと『寿命』のことまで思い出して、また悲しくなる。
 表情の変化に気づいたのだろう。
 今度は宥めるように優しく頭を撫でられる。
 ええと? 私、どうしてこんなに甘やかされてるの?
 疑問と同時にふつふつと沸き起こる羞恥。
 頬が染まってしまわぬうちに――見られたくなくて、ポーリーは掛け布団を持ち上げて顔を隠す。
 だって、すごく恥ずかしい。嬉しいけど恥ずかしいっ
 布団の中で縮こまるポーリーを眠りたいととったのだろうか。
 隠れていなかった頭を撫でられて、それから額を出すように髪を梳かれる。
 露になった額に掌ではない熱が触れてすぐに離れた。
「おやすみ」
 ささやくような声と共にノクティルーカの気配は離れて、扉の音が続く。

 扉が閉まる音がしてしばし。
 硬直のとけたポーリーは、のろのろと額を押さえた。
 誰あの人!?
 ポーリーが思ったのは無理からぬ事かもしれない。
 彼女が戸惑ってしまうくらい、かつての彼と今の彼の接し方は違っていた。
 今まではどれだけ強請っても挨拶のキスしてくれなかったのに!
 そう。自分には馴染みのない風習だとか言って、それとなく誤魔化して。
 嫌っているからしないのではないとは知っていた。
 ……お別れの前にはルカからしてくれたし。
 だから、多分照れていただけ。
 彼女が良く知る彼は、こんな分かりやすい甘やかし方をしなかった。
 なんで、変わってしまったんだろう?
 理由なんて、本当はよく分かっている。自分のせいだ。
 無茶をしすぎたという自覚はある。
 すごく心配されていたことも……分かる。
 でも、変わって欲しくないというのは我侭だろうか。
 キスされたくないとか、そういうわけじゃないんだけど。
 理由なんて一言でいえる。
 恥ずかしい。ただそれだけ。
 照れる。でも嬉しい。
 額を押さえていた手をゆっくりと下ろす。
 やっぱりまだ本調子じゃないから疲れやすい。
 ため息をついた拍子に、手首にはめていたままの青い花の腕輪を見つけて、ポーリーはまた一人赤面して枕に顔を押し付けることになった。

 開かれたままの窓から聞こえてきていた騒ぎも、夕刻を迎えれば落ち着きをみせた。それでもやっぱり空気はどこか浮ついていて、ポーリーは嬉しく思う反面酷く申し訳ない気分になった。
 たくさんの人に謝らないといけないなとぼんやり考えている間に、夕食の時間になったらしいノックの音に返事をすれば、現れたのはノクティルーカだった。
「え?」
「えってなんだ。夕食だぞ」
 少し不満そうに答えた彼は両手で盆を持っている。
「今回はスープだと。明日からはお粥だってスピカが言ってたぞ」
「本当? 何のスープ?」
「野菜メインのだけど、具はないぞ」
「……ないんだ」
 まだ駄目なんだと呟くポーリーに苦笑して、ノクティルーカは盆を置く。
 後から入ってくる人はいない。どうやら他に介助はいないらしい。
「腕上げて」
「う……うん」
 言われるがままに布団から両手を出して腕を上げると、それを掴まれて引っ張り起こされた。
 ……もう少し、起こし方に気を使って欲しいと思うのはワガママだろうか。
 それから支えのためだろう。背中に枕や丸めた布団(隣のベットのもの)を置かれて、膝の上に盆ごと載せられた。
「いただきます」
「召し上がれ」
 両手を合わせて挨拶をして蓋をとる。
 ふんわりと上がる湯気。
 あ、おいしそうと早速さじですくって一口。
 美味しくないことはない。ただ、味が薄いだけ。
 まだ胃腸に負担をかけるわけにはいかないからと言われているので、我慢しなければいけないと分かっていてもなんだか悲しい。
 味気ないなあ。はやく普通のご飯が食べたいな。
 そう思えば自然と食も進まなくなる。
 ゆっくりゆっくりとスープを口に運ぶポーリーをノクティルーカはじっと見つめていた。
「ノクスは? お夕飯食べないの?」
「さっき済ませたから気にしなくて良いぞ」
「……そう」
 見られてると食べづらいんだけどなと思いつつ、それを口に出すのは憚れた。
 部屋に一人ぼっちにされるのは――嫌だ。
 まだ体調が良くないからと気遣われていることは分かる。でも、嫌なのだ。
 だからといって、ずっと見られているのも……
 とうとう手の止まってしまったポーリーにノクティルーカが問いかける。
「食べないのか?」
「うー……ん」
 ポーリーの反応をどうとったのか、ノクティルーカは食事を盆ごと彼女から取り上げた。
 自然と恨みがましい視線を向けるポーリー。
 ……食べないわけじゃないんだけど。
 元々少し食いしん坊の彼女は出されたものは全部美味しく頂く主義だ。
 多少味が気に入らないからといって食べない理由にはならない。
 そんな彼女の視線に気づくことなく、彼はさじでスープをかき混ぜ、納得したのか差し出した。
 スープをすくったさじを、ポーリーの口元へ。
「ほら、あーん」
 続いて言われた言葉に硬直しつつも当然彼女は混乱する。
 ちょ、何言ってるのこの人?!
 そんなことしなくていいから。自分で食べられるから!
 反論しようと口を開くと、待っていたかのようにさじを口に入れられる。
 とりあえず口に入った来たスープは飲み込んで、少々怒ってポーリーは叫ぶ。
「ルカっ!」
「ん?」
 悪びれもなく次とばかりにスープをすくっている彼の姿に眩暈を覚えるが、とりあえず言わないといけないと叱咤して告げる。
「じ、自分で食べられるから」
「そうなのか?」
 食べるのも辛いのかと思ったと悪びれなく言う彼。
 ぐさりと突き刺さったのはなんだろう。それだけ心配をかけてしまっていたということを再度突きつけられて、しゅんとなる。
 でも本当に、どうしちゃったんだろう? ぐるぐると回る頭で、ポーリーはとても真剣に考えたが答えなんて出るわけない。
「無理はしなくて良いからな」
 次いで言われた言葉には心底気遣っている様子が伺えて、なんだかもう考えるのが馬鹿らしくなってきた。
 『病気のときくらい、甘えて良いのよ』。
 思い出したのは、優しい叔母の言葉。
 『むしろ、甘やかせるのが嬉しいんだから』。
 そう言って世話を焼いてくれた。
「ルカ」
「ん?」
 少し、どころではなく、恥ずかしいけれど。
「やっぱり、食べさせてくれる?」

 病人用に薄めの味付けでつくられたスープはやっぱりすこし塩気が足りなかったけど。目覚めた当日とは思えないくらい食欲旺盛に、ポーリーは全部食べきった。