【第四話 成就】 8.始まりの場所に戻りて
はぁと最後に大きく息を吐いて、ノクティルーカは立ち上がった。
虚脱感はもうない。手の痛みも大分なくなった。完全になくならないのは仕方ないだろう。それこそ、セレスタイトがいる限りは。
とりあえず皆と合流した方がいい。
相変わらず倒れ伏したままのルチルを肩に担いでノクティルーカは道のほうへと歩いた。
たったっとリズム良く走りながら、リゲルは剣を振るう。
種族の違いゆえの身体面での差を覆すのは難しく、白い騎士たちは次々と倒れていく。
振るう剣は相手から奪ったもの。
こんな奴ら相手に自分の大切な刀をわざわざ痛めたくなどない。
鎧の継ぎ目を狙い、切りつける。
奪った剣はあらかじめ術で切れを鈍くしている。刃のないそれは鈍器。
とはいえ、鉄製の鈍器で殴られれば痛いことには変わりない。
主に狙うのは腕と足。武器を持つことが出来ないように。先に進めないように。
行く手を阻む者達を殴り倒しながらリゲルは進み、最後の一人らしき相手に向かって剣を投げつけた。
派手に倒れる音だけを確認し、走る。
両側から迫るような木々が視界の邪魔をするが、荷台が見えた時点で気配を殺し、そっと近づいた。
敵は三人。荷台の側には、囚われたセレスタイトの姿。
騎士の一人――サビクがこちらに気づき、そっと立ち居地を変えた。
「フリストの勇者、セレスタイト・カーティスか」
聞こえた来た声に耳を澄ませる。
「お前も持っているな」
暗い悦びを宿した声にリゲルは唇を引き結んだ。
やはり、持っていましたか。
『奇跡』持ちのノクティルーカと同じような違和感を感じていたから、もしかしたらと思っていた。
「神の力は人の身に余る。それは我らが預かろう」
騎士の言葉にカチンと来たことは否定しない。
だから、高らかに反論する。
「そういう貴殿とて人の身でありましょうに」
はっとして振り向く騎士に斬りつける。
鈍く響く金属音。
反応は悪くはない。後ろに軽く飛んで間合いを開け、刀を正眼に構えなおす。
騎士もまたリゲルに向き直り、堂々とした口調で言った。
「我らはソールの僕。主の望むとおりに動くことこそ定め」
「ソールの望みではなく、あなた方の望みでしょう」
意志を奪い、自らに都合よい傀儡としておいて何を言う。
苛立ちそのままに睨みつければ、傲慢な言葉が返った。
「無礼な」
「どちらが?」
リゲルは空いていた左手で身に纏っていたマントとフードを剥ぎ取った。
はらりと視界に入る青い髪。
『警句』なら、それが何を示すかなんて知っているだろう。
案の定、騎士の動きが止まる。
「盗人風情が。『我ら』から尊き方々を奪っておきながら抜け抜けと」
ゆったりとした足取りで騎士へと向かっていく。
「一人で三人に勝てるとでも?」
揶揄の声に潜むは獰猛な牙。
人質になっているセレスタイトは抜きしても、甘すぎる。
一対三ではない。
「いや、二対二だ」
やたらと軽い否定をして、サビクが元同僚を殴り倒す。
「なっ」
驚く騎士には悪い――いや、悪いとは思わない。
サビクは重い兜を外してにやりと笑う。
敵に潜まれていたことを今まで知らなかったのだろう。
もっとも、知られていてはこちらが困ったのだろうが。
ともあれ今が好機とばかりに、森の中で様子を伺っていたノクティルーカは最後の言葉を口にする。
あまり背後に気をとられていてはまずいと思ったのだろう。
騎士はリゲルに向き直ろうとしたが、その身は動かない。
術が成功したのがわかってノクティルーカはそっと息を吐いた。
麻痺の術なんてあまり使ったことがなかったから、実は少し不安だったのだ。
騎士が慌てている間にも、リゲルは刀を納めて近寄る。
彼女は固まったまま動けない騎士の持つ剣を奪い。
「しばらく眠りなさい」
積年の恨みとばかりに騎士の脳天に一撃を加えた。
ずいぶんの景気のいい、後を引く音が消えぬうちに、派手な音を立てて騎士が地面に落ちる。
痛そうだとは思ったがそれだけ。
もう潜む必要はないとばかりにノクティルーカは立ち上がった。
三歩と進まぬうちにリゲルがこちらを見て軽く頭を下げる。
「助かりました」
「なら、よかった」
ノクティルーカの応えに、ようやくこちらの存在に気づいたセレスタイトが振り向く。ぱちぱちと瞬きをしたかと思ったら、途端に青ざめた顔で立ち上がった。
「ルチル!」
ずいぶんの慌てた様子のセレスタイトを制して、ノクティルーカはルチルを荷台に横たえる。
「大丈夫なの?」
「ぱっと見、外傷はなかったぞ。俺が見つけたときにはもう倒れてたがな」
ここにきて気づいたが、ルチルは『奇跡』を拒否したのだと思う。
拒否できるものなのかとなんだか妙に感心してしまった。
自分のときは拒否なんて思いつきもしなかったし。
担いでいた方の肩が重い気がして軽くまわすと、案の定ごきごきといった。
視線に気づいて顔を上げると、そこには白い鎧姿の騎士。
髪は黒に近い深い色。神官には相応しくない厳つい顔をした相手には見覚えがあった。
「たしか、サビク……だったな」
呼びかけに、慌てたように騎士――サビクは地に膝をついて頭を垂れた。
「ご無沙汰しておりました月の君」
ああ間違ってなかったと少しほっとする。
彼に会ったのは短い間だったし、間違えていたらと一瞬思ったのだ。
そんな彼らを見てどう思ったのか、セレスタイトがおずおずと追いかけてきた。
「えっと……知り合い? 敵じゃないの?」
彼女から見れば、そう思わないでもないかなどと思っていると。
「敵?」
剣呑な様子でリゲルが刀を抜き放ち、サビクの首に刃を当てていた。
「だっ なっ 鼓ッ?!」
「――冗談です」
慌てふためくサビクに対し、彼女はしれっと返して剣をしまう。
どうも、あまり仲は良くないらしい。
ミルザムたちとリゲルも、そこまで仲が良いようには見えなかったからおかしくないのかもしれないが。
「揉め事はよせよ」
「申し訳ありません、ノクス殿」
「俺はいーのか」
「当然です」
一応釘を刺すとリゲルは素直に返事をするが、サビクの言葉は容赦なく切り捨てる。
これは言っても無駄か。
喧々囂々と口げんかをする二人に嘆息だけが漏れた。
「あーにーうーえー」
遠くから聞こえてくるのんびりとした声に、ノクティルーカはふうと息を吐いた。手を振りながら駆け寄ってくる弟。
先程は時間がなかったから見逃したが、今回はそうはいかない。
のんきに笑顔で駆け寄ってくる弟に向かって拳骨を食らわせる。
大仰な悲鳴を上げて脳天を両手で押さえ、ソレイユはきっと兄を睨んできた。
「兄上酷いッ ちょっとは手加減してくださいよおぅっ」
「うるさい。どっちが酷い」
ぴしゃりと言うノクティルーカ。
原因が何かなんてソレイユも分かっているが、やはり言いたいことはある。
「うー。そ、そりゃあ……僕の手綱捌きがまずかったことは分かってますけどー」
「なら文句を言うな」
「でも、痛いですよぅ」
くだらない兄弟げんかに、まぁまぁとグラーティアが仲裁に入った。
「まぁまぁ。どうしても痛かったら、後でティアが治して差し上げますわ」
「わぁティア優しいっ」
「痛けりゃ自分で治せ。グラーティアは無事だったか」
「はい、無事ですわ」
にこりと笑う彼女。見た目からは確かに怪我はしていなさそうだ。
なんとかラティオの叱責だけは免れそうだと思っていると、不満そうな子供の声が響いた。
「再会を喜ばれるのもいーんですけど……移動しません?
他に通行人がないとは言えないんですから」
視線をやれば、そこにはフードをかぶった子供の姿。
円らな瞳はエリカの花のくすんだ紫。隠れきれない髪は川を流れる水の青。
見覚えのある姿からは少し年を経ているが。
「プロキオン?」
少し自信がなくて、問いかけの形になったノクティルーカの呼びかけに、子供はぱっと顔を綻ばせた。
「覚えていてくださったなんて光栄です月の君!」
うれしいですッと寄ってくる彼に鷹揚に返す。
というか、『彼ら』の中ではプロキオンは関わっている方だ。
相変わらず子供子供してるなと思ったら、彼はくるりと体ごと反転した。
視線の先には、ソール教会仕様の騎士。
「今度はちゃんと仕事、してるみたいだネ。サビク」
「……はい」
おもいっきり上から目線のその言葉に、何故かサビクは神妙に返した。プロキオンから先ほどまでの子供らしい表情は消え去り、酷薄さすら滲ませている。
「それから」
ゆるりとプロキオンの視線がリゲルへと向かう。
「リゲル、か。『会うのは初めてだね』」
「ええ。『初めまして』プロキオン殿」
以前にも会っていたことは伝えない。
ノクティルーカたちだけならともかく、他の目が多すぎる。
「どんな人?」
「助けてくれたんだけど、ねぇ。よく知らないよ」
「ああ。そういえばちゃんとご挨拶してなかったネ」
聞こえてきた声に、これ幸いとばかりにプロキオンは乗った。
「ボクはプロキオン。で、あっちのがサビク。
月の君――ノクス殿のお手伝いのために来ました」
「手伝い?」
胡散臭そうな声はフォルトゥニーノのもの。
込められた疑いにプロキオンは拗ねたように言い募る。
「だって、本当はついていきたかったのに『あんまり大人数になると目立つから』って我慢させられて。なのにいつの間にか教会のほうから手配されてるし、気が気じゃなかったんですよぅ」
「まあ、それは……悪かった」
マントを掴んで引っ張られて。小さな子が我侭言ってるような状況で反論できやしない。
それと同時に抱く疑問。俺たちの行動、全部報告されてるんだろうか?
「ともかく。こんなところにいつまでもいたら迷惑ですし、行きましょうー」
そう宣言してプロキオンはがらがらと荷台を押し始めた。
さすがというかなんというか。
子供の彼でも荷台をあっさり動かすだけの力があるらしい。
『彼ら』のことを知らないのだろう、セレスタイトやブラウはずいぶんびっくりしていたが。
うやむやのうちに出発するプロキオンにノクティルーカも続く。
手に入れたことは知っているのだろう。ならば、後は戻るだけだ。
ポーリーのいる六花の里はここからまだ遠いが……『彼ら』のことだ。あの時と同じように、手は打っているのだろう。
荷台には武装解除した襲撃者達をつめて、見張りにリゲルを置いた。
御者はサビクが務めて隣にソレイユを押し込み、残る全員は荷台を取り囲むように外を歩く。眠ったままのレジーナをリカルドが、気絶したままのルチルはフォルがそれぞれ背負って進む。
ノクティルーカはほぼ御者と同じ位置を歩いていた。
早く、早く。
急く気持ちを抑えきれない。
一刻も早く戻って、ポーリーを解放したい。
「どこまで歩くのー?」
だというのに、後ろから聞こえてくるのはのんきな声。こちらの事情を知らないのだから仕方ないとは思わないでもないが、それでも腹が立つ。
イライラを押し込めながら足を進める。後ろの雑音は気にしない。
そうこうしていると、後ろから元気な呼び声が追いついてきた。
「ノクス殿ーっ 月の君っ」
急ぎすぎて前に出すぎて急停止。
へへと笑みかけてプロキオンはノクティルーカの隣に並んだ。
「本当に、お疲れ様です」
「いや」
瞬時にして真面目な顔をするプロキオンにあっけに取られながらもノクティルーカは返す。
前から分かっていたことだけれど、『彼ら』は見た目と中身が一致しない。
「知られたら出てこられるとは思っていましたけれど……
『警句』がここ最近特に増長してるみたいなんですよね」
視線で問われたのだろうサビクがこくりと頷く。
だが、今のノクティルーカにそんなことは関係ない。
「どのくらいかかる?」
「すぐ、ですよ」
問いの内容を正確に理解してプロキオンは笑う。
「月の君も、前にヴァランガ平原から麦の君のところまで『飛ばれた』ことがおありでしょう?」
見上げてくる彼に頷くことで返事をする。
あれは驚いた。
大雪原に立つ一軒家。そこの扉を抜けたら森と山に続く長い階段がいきなり現れたんだから。
後で地図を確認して、その移動距離にもっと驚くことになったのだけれど。
「ここにもあります。六花の里まで一直線です」
胸を張るプロキオンにそうかとだけ返す。
そんなノクティルーカに、プロキオンは少しだけ寂しそうに微笑んで、後ろの様子を伺う。後ろでは警句が暗部だという、プロキオンたちにとっては今更な話題で盛り上がっていた。
「話が盛り上がってるところ悪いんだけど、そろそろ『入る』よ?」
呼びかけるだけ呼びかけて、プロキオンはサビクに指示を出す。
後ろから上がる非難を無視して、荷台は森の中へ進み、道なき道を行く。
森の中に入ってからは、なぜか誰一人言葉を発さず、沈黙のままに歩みを進めた。どれほど歩いたのだろうか。木々の密度が薄れ、視界が開ける。
「ほら、見えた」
プロキオンの言葉のままに視線を上げれば、どこまでも高い空が目に入った。
次いで、意外に大きく、はっきりとみえる城と街の遠景。
頬にあたる風の冷たさが急に増したのは、気のせいではない。
「え」
「さむっ 寒いよッ?!」
「あれどこの町だよ」
口々に騒ぎ出す後ろの面々など気にすることもなく、ノクティルーカは息をつめた。
今、口を開いたら……なんだか叫んでしまいそうで……こみ上げるものを耐える。
「あれはボクらの街で『六花』。綺麗な名前でしょ、雪の別称なんだヨ」
胸を張って言うプロキオンの言葉。
そう。戻ってきた。ようやく戻ってきたんだ。
「知られているほうの名前だとセーラ。
セラータ国セーラ。北の雄セラータの三百年前までの首都です」
淡々としたリゲルの言葉に、ぎゅっと拳を握る。
もうすぐ、助けられる。
三百年前……ここに迎えに来るはずだった彼女を。