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ソラの在り処-暁天-

【第四話 成就】 4.糸をよりあわせて

「で? この落とし前はどうつけてくれるのさ?」
 顔には微笑み、声は柔らか。しかし纏う空気は絶対零度。
 これ以上ないくらい不機嫌な上司を前に、彼は縮こまって頭を垂れた。
「それは……その」
「祝の君がこういう行動取るって事くらい分かってて当然だよね?
 短期間とはいえ仮にもお側にいたお前が分からないはずないよね?」
 ぐさぐさと突き刺す言葉に、男は言葉もない。
 言われ放題な男は白い鎧姿の騎士。
 対する声は未だ少年の域を出ないボーイソプラノ。
 騎士に比べあまりにも頼りないその容姿。しかし瞳の力や纏う雰囲気は少年が圧倒的。
「しっかたないから、盗っておいでよ。あれ」
「とるって」
 主語のないその命令に騎士は脂汗を流す。
「その位して当然だろ? そうでもしなきゃ清算できない失態だよネ」
「で……ですが」
「本来なら許されない失態だし。
 ボクとしてはここで手打ちにでもしたいくらいなんだけど」
 軽くさらっと言われた言葉に騎士は硬直する。
 やりかねねぇ。この人ならやりかねねぇ。
「でもまあ流石にカペラに恨まれたくないからしないよ、今は」
 最後に力を入れられて、内心だけで号泣する。
「だから――少なくとも二つ。それだけ手に入れるようにしろよ、サビク」
 厳しい声で言い切った少年に、サビクと呼ばれた騎士は深々と頭を垂れた。
 反省しきりの騎士を白い目で見やって少年はそっと嘆息する。
 ここまでは。ここまではミルザムの読みどおり。
 あの子供が持つ『奇跡』はノクティルーカが持つことが出来ない。
 彼が手にするべきは、別の『奇跡』。
 三つ。
 それだけの『奇跡』があれば、ちい姫を取り戻すことが出来るのだ。
 末姫にお越しいただければ簡単なのに。
 唇をかみ締めるも、それは叶わぬ願い。
 ちい姫と逢ったのはほんの二回。
 婿になるノクティルーカだって同じだけしか逢ってない。
 でも思ったのだ。幸せになって欲しいと。だからこそ、自身の最善を尽くそう。
 そのためにサビクを巧く使わないといけないのが問題なんだけどネ。
 それが一番難問なのだとプロキオンはため息をついた。

 同じ頃、ノクティルーカもため息をついていた。
 分かっていたことだった。ああ、分かっていたことだったのだ。
 言い聞かせるように念じてエールを口にする。あの街を出てからの時間を考えれば、そろそろあってもおかしくない状況だった。
「どうかお戻りください!」
「いやですわ」
 だから、この不毛な言い争いも、想像してしかるべきだったのだ。
 和やかに過ぎるはずだった夕食時に、闖入者はやってきた。
 宿の戸を大きく開いたのは、眩い金髪に白の旅装を纏った女性。
 一目見た瞬間に嫌な予感がした。
 なぜなら、彼女の旅装はソール教の神官用のものだったから。
 彼女はぐるりを店内を見回して、予想通りというか、ぴたりと視線を止めた。
 ノクティルーカたちのいる場所――より正確に言えば、グラーティアの姿を見つけて。
「グラーティア・フィデス様、ですね」
 足早に近寄った彼女はにこりと笑みを浮かべて、そういった。
 ルチルと名乗った女神官は最初こそおとなしく話しかけていたが、笑顔ながらも頑として否を言い続けるグラーティアに腹が立ったのか、どんどん声量はエスカレートしている。
 だんと大きな音がしたかと思ったら、ルチルはテーブルに両手をついて立ち上がっていた。グラーティアが気を利かせて隣の席に移っていなければ、今ので料理が幾つか駄目になっていただろう。
 やりきれない気持ちで眺めると、ルチルに引きずられてきた青年と目が合った。
 フォルトゥニーノ・シリオットと名乗った青年は、ご愁傷様とでもいいたそうに手に持ったカップを少し持ち上げた。
 暗色に近い髪に映える光沢を放つサークレット。
 まったく、いつの間に『勇者』とやらは量産されるようになったのだろう。
 そんなことを思っていると、戸の開く音が聞こえた。
 哀れな来客だなと思う。もし自分がこの場に出くわしたら、何も見なかった事にして回れ右をするだろう。
 しかし、ノクティルーカの予想に反して戸が閉まる音はせず、代わりに弟ののほほんとした声が聞こえた。
「あ、ブラウだ。それにリカルドさん」
「りっちゃん」
 ここでも会うか、こん畜生。
 口に出していたなら間違いなく怒られる言葉を胸中で呟いて、すっかり見知ってしまった顔ぶれを迎え入れた。

「偶然ってすごいねぇ」
「偶然って言うより……僕らを追いかけてきたんじゃないの?」
 当然の顔をして同じテーブルにつき、運ばれてきたワインを嬉しそうに口にしてリカルドはしみじみと呟き、ソレイユが揶揄しながらも半ば本気で問いかける。
 ノクティルーカにしても、それは少し疑っていた。
 考えられるのはグラーティアを追いかけてきたということと、セレスタイトが本人の自覚がないままに『奇跡』の引き合う力のままに追いかけてきてしまったか。
「自意識過剰なんじゃねぇのか。それとも追われる理由があるのか」
 皮肉げに言う神官――ブラウにソレイユは隣のテーブルを指差す。
 そこには先程よりもよほどぴりぴりした空気を纏った連中がいるはずだ。ノクティルーカは見もしない。得るものがないのに誰が虎穴に望んで入るものか。
「なに、あれ」
「あー『説得』してるらしいよ」
 少し引きつったようなセレスタイトの言葉に、ソレイユは諦め九割くらいで答える。
「説得?」
 なぜか不思議そうに問い返す彼女。
 しらばっくれているのかと思ったが、とりあえずノクティルーカは口を開く。
「どうせお前らも知ってるんだろ。あいつも『勇者』らしいからな」
「しつこいことです」
 重々しく同意するリゲル。
 こいつも、かなりきてるみたいだな。
 もともとあまり融通が聞かない性格のようだし、『彼ら』は基本的にソール教に手厳しい。そうなってしまった理由を知ってしまえば、分かる気はするが。
「さあ、理由を!」
「理由なんて『嫌だから』に決まっておりますわ」
 白熱する隣のテーブルに酒場にいる大半の視線が集まるが、ノクティルーカは気にせずエールのカップを傾ける。
「ならば、どうしてそこまで嫌がるのです? どなたか嫌いな方でも?」
「ええ。山ほど」
 その筆頭がバァルとかバァルとかバァルとか。
 殺されかけた恨みはまったく薄れていない。当然だが。
 それに――これはあくまでも想像でしかないが、ポーリーがああなる状況を作り出したのはバァルではないかとノクティルーカは思っていた。
 そうせざるをえないように追い詰めたのだと。今はもう、存在しない相手だとしても……腹立たしいことは変わらない。
「ですがソールの巫女ならば博愛の精神で」
「まぁ。ソールの名で博愛なんて。
 あれは教義からして自己中心的なものですわよ?」
 だろうなと胸中で応う。
 それと同時に、一応これでも小さな頃は普通にソール教を信じてたはずだけどなとか思う。忌むべきは神ではなく、こうした謀をする人間かもしれないが。
「もういいだろうルチル。このお嬢さんは自分の意思で出てきた。だろう?」
 まったくやる気のないフォルトゥニーノの言葉にルチルは激昂して立ち上がる。
「まさか家出を推奨するというのではないでしょうねフォル!
 あなたそれでも勇者ですか!?」
「だーかーら、俺は勇者でも何でもねぇって言ってんだろうが」
 忌々しそうなその言葉に、ああ同類かとノクティルーカは納得した。
 同じように担ぎ上げられて面白くないんだなと。分かる分かる。
「おだまりなさい! そもそもあなたは勇者としての自覚が少なすぎます!
 仮にもセラータ王より『勇者』の地位を拝命しておきながらその体たらく」
「へーへー。さっさと別の奴見つけて消えてくれよ」
「そんなことできません!
 どれだけ納得いかなかろうとやる気がなかろうとあなたが勇者なんですから!!」
 食堂中に響く大声に一人二人と人が席を立っていく様子を見て、ため息が漏れそうになる。
 これは立派な営業妨害だ。もう少し注文を追加した方がいいかもしれない。
 ……するか。迷惑料がわりにルチルとやらに払わせよう。
 そんなことを思っていると、がたごとという音を立てて椅子ごとグラーティアが戻ってきた。
「お久しぶりです。セティお元気でした?」
「うん。ティアも元気だった?」
「ええ元気ですわ。ああいうのが近づいてくること以外は」
 同感同感。
 沈黙を保ったまま、ノクティルーカは追加で運ばれてきた料理を口にする。
 兄の姿を見てソレイユも大幅に注文を追加した。
 注文時に代金はあちら持ちでとルチルを指差しているあたり、要領がいい。
「ってグラーティア様! 私の話はまだ終わっていません!」
 叫び声の勢いそのままに、無視していたかった存在がこちらへとやってくる。
「そう仰られても、わたくしのほうにお話しすることはございませんわ」
 可憐な少女に似合わぬ舌打ちに、少女勇者は固まった。
 気持ちは……わるい、分からない。
 瞬時に思い浮かんだグラーティアの兄の姿。
 兄妹ならありえすぎると思ってしまうのはノクティルーカが悪いのだろうか?
 しかし、ソレイユもリゲルもまったく顔色を変えていないことから、この認識は正しいのだろうきっと。
 グラーティアに向けて何か言おうとしていたルチルは、一瞬だけ気圧されたように止まって、それから信じられないものを見たように大きく目を見開いた。
「『勇者』?!」
「え?」
 ついていけてないのか呆けるセレスタイト。
 しかしグラーティアはこれを好機と取ったか、それとも最初から目的だったのか、上品な笑みを浮かべて言った。
「そうですわ。フリストの勇者、セレスタイト・カーティスさんですわ」
「フリストの?」
 ルチルの柳眉がさらに釣り上がったのを見て、駄目押しのようにセレスタイトの首に腕を回し、ぎゅっと抱きつくグラーティア。
「わたくしたち、お友達ですの」
 しばし沈黙が落ちた。
 固まっていたルチルがふるふると震えたかと思うとキッとセレスタイトを睨みつけた。
「あなた!」
「はいっ?!」
「勇者の身でありながら、巫女を誑かすとは何事ですか!」
 烈火の如き怒りの声に食堂は静まり返った。
 けれど、ノクティルーカは妙に悟った様子で一連の事態を傍観することにした。
 まあ、たしかに間違えても仕方ないかもな。
 まったく反応を示さない相手に業を煮やしたのだろう。
 再度口を開き糾弾しようとしたルチルを留めたのは小さな笑い声だった。
「ぷ」
「く」
 一度噴出してしまったためか、声には出さないもののリカルドが笑いをこらえて痙攣し、クリオも苦笑している。
 笑うのは失礼と分かっているから耐えているソレイユも、真っ赤な顔をして肩を震わせているのでは意味がないだろう。……珍しくリゲルまで顔を背けている。
 反応が理解できないといった様子のルチルに対してグラーティアは笑った。
「ルチルさんたら酷いですわね。セティさんは女の子ですわよ?」
 絶叫のような謝罪と大爆笑が起こったことは、言わずもがなであろう。

 気が付けば、宿はノクティルーカたちが独占しているような状況だった。
 こんな状態にしてしまった原因たる二人に代金を持たせて、なるべく飲み食いすることに決定し、食事を再開してしばらく。
「あのさティア」
 おずおずと問いかけてきたセレスタイトに、グラーティアはにこやかに返した。
「なんでしょうセティ」
「ティアは神殿から家出したの?」
 今この質問を出すかと思ったが、聞かずにいられなかったのだろう。
 以前会ったときにも、唐突にリゲルに問いかけていた。
 ぱちぱちと瞬きをしてグラーティアは憂鬱そうに答えた。
「セティまでそんなこと言いますのね。
 まあ……あちらから見れば『家出』かも知れませんわね。
 わたくしにとっては『脱出』だったのですけれど」
「脱出?」
「ええ。わたくしは人質ですから。
 兄様が教会を裏切らないため、言うことを聞かせるための人質。
 そして、おば様を縛りつけるための人質でもありました。
 おば様は殺されてしまいましたけれど」
 『おば様』が誰を指すのかなんて、聞かなくても分かる。
 ポーリーの母親。会ったのは一度きりだけど、もう少し年を経たポーリーの姿を見ているようで不思議だった。
「そんな、教会がそんなこと」
「権力のあるところってそういうもんだと思うよ」
 うろたえるルチルに言い聞かせるように呟いたのはソレイユ。
 こいつも、少し前までは教会に疑問に思ってなかったんだろうけどな、なんて思う。その『少し前』は、実はかなり昔のことになるのだけれど。
「兄上だって教会に利用された挙句、僕も巻き添えにされて殺されかけたし?」
 面白くなく続けた言葉にセレスタイトの顔がこわばった。
 その変化に、ノクティルーカは興味をひかれた。
 信じられないのではなく、信じたくないのでもなく、ありえる話だとでも思ったんだろうか?
 もしセレスタイトが『預かっている』ことを自覚しているのならば、十分考えられることだ。以前会った時には自覚なんてまったくなさそうだったが。
 鈍痛を訴える左手。
 いつになったら俺は、あの子を助ける力を得ることが出来るのだろう?

 そして翌日。宿を出る頃には、とんだ大団体になっていた。
「何故ついてこられるのですか?」
「セラータに戻るだけです。私はセラータの勇者の従者ですから」
南国(クネバス)行ってみるか」
「フォルー?」
 後ろがかなり騒がしいことになっているが、ノクティルーカは振り返らない。
 こういったものは無視するに限る。
 迷惑な神官・勇者コンビもだが、娘達も姦しい。
「わたしはただ、ちょっとでもティアと旅できたらって思ってるだけで」
「あら。それは光栄ですわね。ではティアのお願い、聞いていただけます?」
 本来なら聞いていて微笑ましいはずの言葉に、妙に嫌な予感がした。
「探し物を手伝って欲しいのですわ」
「探し物?」
「わたくしのお友達に……というより、ノクス様の恋人が呪いにかかっていますの」
「をい」
 さらりと落とされた爆弾は流石に無視できず、反射的に振り返っていた。
 っていうか『奇跡』持ちに『奇跡』探させる気か?
 流石に口に出すことは出来ずに黙っていると、のんきな弟が余計なことを言い出した。
「違うよティア。恋人じゃなくて婚約者だよ」
「あら。そういえばそうでしたわね」
「レイ」
 思わずぐったりとした声を出せば、ソレイユは大仰に驚いてみせる。
「え兄上。今更ポーリー見捨てる気ですか?
 見てるこっちが辛くなるほどベタぼれのクセに」
 誰が見捨てるか。あとベタぼれ連呼するなと思いつつ、リゲルの視線が痛い。
 彼女にとっては上司にあたるポーリーを無碍にされたら怒るのはわかる。
 そんな気はこれっぽっちもないが。
「お前の番になったら同じこと言うぞ」
 思っていることの一割も口に出すことは出来ず、それだけを言って足を速める。
 さらにからかわれるのは勘弁願いたい。
「ちょっといじりすぎたかなぁ?」
「単純に照れていらっしゃるのでは?」
「なんかいっつも怖い顔してると思ってたけど、そっかー。
 そんな事情じゃ不機嫌にもなるよねぇ」
 好き勝手な感想が飛んでくるが、無視無視。
 知らずかみ締めた唇。
 のんびりとしたこの空間は、本当なら嫌いじゃない。
 けれど、なんでここにポーリーはいないんだろう。
 ぐるぐる回る思考に、ノクティルーカはふっと息をつく。
 ああ、本当に、重症だ。