【第四話 成就】 3.焦りと確信
『奇跡』を使ったせいか、やたらと疲れた身体を引きずってノクティルーカは宿まで戻り、ベッドに突っ伏した。下で会ったリゲルに、ソレイユたちが帰ってくるまで寝ると宣言したから、たぶん問題ないだろう。
うつらうつらと夢と現の狭間を彷徨いながら、今日までの日々をなんとなく思い出す。
逢いたい。助けたい。彼の人を想い、緩やかに眠りに落ちるその時に、聞きなれぬ声を聞いた気がした。
『大丈夫。貴方ならきっと集められる。――がきっと、助けるから』
目が覚めたのは、連続して叩かれる戸の音があったから。
「あーにーうーえー」
こんこんとリズムをつけての妙に楽しげな呼び出しに、ノクティルーカはわしわしと頭をかきつつ起き上がる。
寝起きはそこまで悪い方じゃない。多少ボーっとしているが。
戸を開ければ、もっと強く叩こうとでも思っていたのか、大きく腕を振り上げていたソレイユが気まずそうに手を下ろす。
「ただいま戻りました、兄上。もしかしてお休みでした?」
「ああ。ま、起きるつもりだったからいい」
そうですかと応えて、弟は室内に入って持っていた荷物を下ろす。
「今みんな下にいるんですよ。暑いし、おやつにしませんか?」
ソレイユの提案にノクティルーカも頷く。
寝起きで水か何かを飲みたいと思っていたところだ。ちょうどいい。
「じゃあ、下りるか」
「はーい」
屈託なく話し続けるグラーティアと、厳しい反応ながらも決して邪険にはしていないリゲルに、ノクティルーカの足は止まった。
先ほど彼が宿に戻ってきたときには、テーブルにはリゲルが一人で何かを飲んでいるだけだった。が、しかし今はそのテーブルに四人が座っている。
ナンパかと一瞬だけ思うが、同席している男に見覚えがあった。
淡い金髪の、どこかつかみ所のない男。
アルカですれ違ったあの『勇者』の同行人だったはず。
呼びかけて席に着くと同時に、グラーティアがカップを手渡してきた。
「どうぞ。美味しいですわよ」
そう言ってにっこりと笑顔。なんとなく胡散臭く見えてゆっくりと一口含む。
ぱっと広がるぶどうの甘味とオレンジの酸味。それから少しのアルコール。
まあ確かに美味い。
ゆっくりと味わっていると急にカップを持った左手が痛んだ。
疑問と同時に心臓がはねる。
『奇跡』は移ったんじゃなかったのか?
それとも、渡された相手が近くにいる?
ノクティルーカが反応を起こすよりも早く、彼の隣に座ったリゲルの正面に人が立つ。動きやすそうな軽装で、日によく焼けた肌と黒い髪。そこに収まる蒼い石のはめ込まれたサークレット。
同席している相手の顔から、近くにいることは分かっていたが。
その子供はびしっとリゲルに指をつきつけ言い放った。
「なんで父さんのこと悪く言うのさ?」
しんとテーブルが静まり返った。
口をつけていたカップを戻してリゲルが顔を上げる。
「この状況で、一言目にそれですか」
反応から、やはり知人だと察せられた。
かといって仲は良いとはいえないようだが。
「知り合いか?」
「はい、一応」
「一応じゃないだろ!」
ノクティルーカの問いかけにリゲルは静かに返し、子供が反発する。
「父さんの墓前であれだけ意味深に文句言ってたくらいだから!」
いつそんなことを言ったんだと思う。
アルカですれ違ったときにはすでに結構険悪っぽかったから、それ以前の話だろう、きっと。
なら自分達にはあまり関係ないとばかりに、ノクティルーカたちは傍観を決め込んだ。
「ええ。『あの男』のことはよく存じております。
が、貴女のことは殆どといっていいくらい知りません」
「あんたがわたしのこと知らなくっても、父親の悪口言われていい気しないことくらい分かるだろ。なんで父さんのことあんなに悪く言ったのさ」
どんなことを言ったのだろうと、少しだけ好奇心が湧く。
「理由を聞けば納得するとでも?」
揶揄するようなリゲルの問いかけに、子供は一瞬だけ口ごもる。
それから、まっすぐな目で彼女を見返した。
「聞いてみなきゃわかんない。
聞かなきゃあもっと分かんなくて嫌になるから、しつこく聞く」
強情だなと思えばリゲルも同じ事を思ったのか、呆れたように少し息を吐いて、カップを置いた。
「兄を斬られました」
さらりと告げられた言葉は、声に似合わぬ重い内容。
「親友と呼んでも差し支えないくらい仲の良かった私の兄を、斬りました。
命に関わる傷ではなかったとはいえ、兄は二度と剣を持てぬようになりました」
内容のわりに、リゲルからは恨んだ様子は見受けられない。
自身で昇華してしまったのか、それとも――憎くとも憎みきれないのか。
だが。
ノクティルーカは考える。
この子供の父親は『彼ら』かもしれない、と。
基本的にミルザムやリゲルと同じ『彼ら』は、自身の国に引きこもったままだ。
任務や自身の好奇心から国外に出るものも少なくないとはいえ、ほとんどは国から離れることはないと聞く。故に、国外で知り合いが出来ることは少なく、元々身内だと考える方が納得がいく。
ポーリーと同じ『彼ら』とヒトの混血、とまでいかなくても、ノクティルーカたちのように祖先の誰かが『彼ら』なのかもしれない。
「それは……その」
「弁解も謝罪も、本人以外からは聞く気はありません」
何か言いかけた子供に対し、聞く耳持たぬとリゲルは切り捨てる。
「ちょっとりっちゃん」
「聞かなければと言ったのは彼女です」
子供の仲間が窘めるが、リゲルはどこ吹く風とばかりに流す。
「うん分かった。文句は言わない」
そして子供もまた、そういった。
明らかに混乱しているだろうこわばった顔。
表情よりも、まるで子供に反応するかのような左手の痛みがノクティルーカは気になって仕方ない。
「私にここまで言わせたのですから、名乗ったらいかがですか?」
「……セティだよ。セレスタイト・カーティス」
リゲルの問いかけに、反発するかに思われた子供が名乗る。
「天青石っていうんだ。女の子には珍しい名前だね」
ソレイユの感想でノクティルーカはようやっと目の前の子供が少女であったことに気づいた。言われてみれば、体格が男にしては華奢だ。
「あ、僕はソレイユ。レイって呼んで」
「わたくしはグラーティア。ティアと呼んでくださいませ」
「こっちが兄上、ノクスだよ」
ニコニコと朗らかに続けられる自己紹介。
呼ばれてノクティルーカはちらと視線を上げる。
「へえ『勇者』と同じ名前なんだ」
「単純な名づけだろ」
やはりというか、反応された。
めんどくさそうに続けた言葉に納得されてほっとする。
まさかその『勇者』本人とは言えない。
ついでに言えば、ソール教に祭り上げられた事実すら腹立たしい。
「で、こっちが」
「りっちゃんことリゲルちゃん。こう見えてすっごい強いんだよね」
「自らの身一つ守れずに、一人旅などできるはずがありません」
「や、それ言われちゃあ身も蓋もないんだけどね?」
淡い金髪の男とリゲルのやり取りもまた親しいもの。
自分達に合流する前にいろいろあったんだなとノクティルーカは見当をつける。
「僕はリカルド。で、こっちがクリオ姐さんと神官のブラウ」
きゃいきゃいと騒ぎながら会話は続き、終いには夕食へなだれ込んだ。
その間ノクティルーカは思考に沈んでいた。
共鳴している――のだろう。『奇跡』は元々一つのもの、だからこそ互いに引き合い呼び合う。左手の痛みはその証。
さて。どうやって手にしたらいいか。
まだ稚い『勇者』を観察しつつ、考えた。
空を彩る星々は、変わらず光を放っている。
いつものようにそれを読み解いていくノクティルーカ。
出た答えは『北へ』。
戻れというのか?
それとも、移ったほうの『奇跡』が北に向かっているとでも言うのだろうか?
見上げ続けるのに疲れて、壁にもたれる。
頬を撫でる夜風はかなり涼しい。そろそろ部屋に戻った方がいいだろうか?
左手はもう痛まない。麻痺してしまっているのかもしれないが、一定以上に近づかなければ反応しないものかもしれない。
だというのに、ぴりっとまた痛みが走った。
ささやかな音を立ててドアが開いた。
出てきた人物は二、三歩進んで立ち止まり空を見上げる。
薄暗いながらもそのシルエットは昼間に話した『勇者』セレスタイトだった。
「フリストと違う」
紡がれた言葉に苦笑する。気づけばつい口に出していた。
「大陸北部と南部とじゃ違って当然だ」
人がいると思わなかったのか、大仰に肩を揺らして彼女はゆっくりとこちらに向き直った。
「え……と……ノクスさん?」
「なんだ?」
「なに、されてるんですか?」
星を読むということは、実は結構特殊技能だ。
何せ腕のいい星読士は王宮に召抱えられることが多い。
故にノクティルーカはただ天を指差す。
「ああ。綺麗ですよね」
返された言葉。
案の定、ただ星を眺めていたと思われたことにほっとして、また星を見やる。
今度読み解くことは、この子供の『奇跡』を手にすることが出来るか否か。
読み解くことに必死になっていると、視線の端でセレスタイトが大きく身震いするのが見えた。
「早く寝た方がいいぞ」
「……はい」
不満そうな様子がありありと感じられて、レイみたいな反応だなと思う。
自分を思って言ってくれているのは分かるけれど、なんか腹たつという様子。
「じゃあ、おやすみなさい」
挨拶を彼女に返そうと開いた口を止めたのは、小さな、でも鋭い声。
「いたっ」
視線をやれば、右手で左手を包み込んでいるセレスタイトの姿が見えた。
特に怪我をしていない左手を不思議そうに眺める彼女に、自然とノクティルーカの眉が寄る。
「やはり、預かり手か」
ポツリと呟いた声が聞こえたのだろうか、顔を上げるセレスタイト。
「何か言いました?」
「いや。早く寝るんだな」
どうやら内容までは聞き取られなかったらしい。
ほっとして追いやるようにノクティルーカは言い捨てて、また空を見上げる。
完全には納得いかなかっただろう。けれど扉のしまる音がした。
問い詰められなかったことを幾分安心してノクティルーカは星を読む。
けれど、出た答えは――
予想外に早く目が覚めた。やることもないので、そのまま散歩に出る。
太陽が昇りきる前の空気がさわやかなのが、せめてもの救いだった。
夢見が悪かった。それも酷く。
大丈夫だと、誰も絶対に死なせないと、自分が守ると言い切ったポーリーが、次の瞬間氷に閉ざされる。
悪夢だ。けれどきっとそれは事実なんだろう。
どうやったかなんて分からない。でも多分間違っていない。
気の向くまま、足の向くままに村を歩き、ふと入ったわき道でその足が止まった。
道の中ほどにひっそりと建てられた石柱はノクティルーカの膝丈ほどで、何のためにあるのか分からない代物だった。
そばに寄って見ると、刻まれていたのは懐かしい地名。
ヒューレーの街。
そっけないその書き方に、気づけば手を伸ばしていた。
覚えている。この街の名前を。
『奇跡』を押し付けられて、逃げるように来た町の名前。
ポーリーと再会し、旅に同行することになった街。
本当に、変わったんだなと思う。
国が興り、亡くなり。街の名前が変わっている。
三百年の月日が流れたことは聞いていたし、何度かそれを突きつけられる体験もした、けれど。
それでもこうやって思い知らされる。
感傷を断ち切ったのは、左手に走った痛みだった。
つくづく――『奇跡』は呼び合うものらしい。
名残惜しく石柱を撫でて、手を離す。
自然とため息が漏れたけれど、気持ちを切り替えて、『同類』に向き直る。
「あ。その」
「早いな」
何か言いかける彼女を遮って言うと、セレスタイトはほっとしたような笑みを浮かべた。
「えと……ノクスさんも早いですね」
「まあな」
それだけ言って、後は話すこともないとばかりに背を向ける。
もうここに用はない。
セレスタイトの持つ『奇跡』はノクティルーカの手に入らない。
自分が石を手にするには、北へ向かわなくてはいけない。
ならば一刻も早く向かうべし。
自然と、宿に向かう足は速くなった。
出るぞといえば、予想していたらしくソレイユはすでに旅装を纏っていた。
自身も手早く準備を済ませ、女性陣を待つ。
「お待たせいたしました」
朗らかに出てきたグラーティアは、見慣れぬ包みを持っていた。
「お弁当、作っていただきましたのよ」
楽しそうに笑う。
気を使われていることに気づいていないわけじゃない。
そこまで焦ってるんだなと心のどこかで思うけれど、かといって冷静になりきれているとは思えない。
楽しみだなとだけ告げて、階段を下りた。
反応の薄い兄の背を眺めてソレイユは息をつく。
まずいなぁと。
今まで空振り続きで、兄はかなり参っているように見える。
元々、ポーリーのことには過剰に反応する性質だったから余程。
早く見つかるといいなぁ。
階段を下りると、昨夜打ち解けた冒険者一行が食事を取っていた。
「おはようございます」
朗らかに挨拶をしたのはグラーティアで、弾かれたように振り返ったセレスタイトの顔がほころんだ。
「ティア」
「おはよう」
「りっちゃんもおはよー」
「おはようございます」
挨拶を交わし終えると、盗賊風の男性――リカルドが残念そうな声を出した。
「え、りっちゃんたちもう行っちゃうの?」
「無論。先を急ぐ旅ですから」
相変わらず切り捨てるような言い方をするリゲルに、それでもくじけずにリカルドは笑いかけた。
「またどこか出会えると良いね」
「機会があれば」
「そうだね。また会えたら話してね」
「もちろんですわ」
じゃあと軽く手を上げて、ノクティルーカたちは宿を出て行く。
来た道を戻る、というのは結構嫌になることだが、北へ向かうとなると戻るしかない。そこそこに均された道を先陣切っていくソレイユがにこにこと語る。
「面白い人たちでしたねー」
「ええ。ご一緒できたら楽しいでしょうね」
「またどこかで会えたりして。
ねぇ兄上、そうだったら面白いと思いませんか?」
「そうだな」
グラーティアとソレイユの楽しい話題に同意を示し、ノクティルーカは呟く。
「場合によっては、会いに行く必要もあるかもな」
ノクティルーカが手にすることはない『奇跡』。
だが、ポーリーの復活に必要な『奇跡』。
ならば、またどこか出会うのだろう。
――そう遠くないうちに。