【プロローグ】
――この地に魔王現われしとき、ソールの御使いたる黒髪の勇者現れる。
勇者は三人の仲間と共に闇を討ち、世に平穏をもたらす――
それはソール教に伝わる予言。人に授けられた神の意志。
そして……今となっては事実。
約一年近く前に『魔王』が倒された。黒い肌とひとつだけの瞳を持つバケモノ。
それが訪れた後には魔物が大挙して押し寄せてきたという。
『魔王』を打倒したのは、予言にあるとおり黒髪の『勇者』ノクティルーカ・ミニュイ・ジュール。アージュ王の子オーブと『戦女神』と呼ばれた騎士ソワレの次男である。
彼には三人の仲間がいた。勇ましき女戦士ユーラ・レアルタ。比類なき魔導師ポーラ・ルーチェ・トラモント。
太陽神の愛し子ウェネラーティオ・フィデス。
彼らの活躍がなければ『魔王』を倒すことなど出来ず、人々は辛酸を舐め続けることとなったであろう。故に彼らは称えられ、名を知らぬものなどないほどに名声を得た。
だが、同時に『勇者一行』を快く思わぬものたちもまた、大勢いた。
風が木々を揺らす。
そんな小さな音が、妙に大きく聞こえる。
「どういうこと?」
さりげなく聞き返した女性の声。
しかし、彼女をよく知る少女には揺らぎがあることが手に取るように分かる。
そうさせてしまったのは自分だと、申し訳ないと思いつつも少女は告げた。
「何でも聞いてくれるって、言ったでしょ?」
浮かべた笑みは自虐的になっていないだろうか?
向かい合う姿は合わせ鏡とまではいかないものの、よく似ていた。
薄紫と雪色――色合いの違いはあれど、同じ銀の髪。
紫水晶とりんどうの花――世にも珍しい紫の瞳。
身長や体型に差はあるが、面立ちも雰囲気も……年のころもよく似ている二人。
「私の命を差し出せば、みんなを助けるって『あいつら』は言った。
でも、約束を守るなんて思えない。信用なんて出来ない」
視線をそらし、嫌悪をこめて口にする。
この子がここまで感情を露わにするのも珍しい。
「守りたいけど守れないのなんて嫌。
守れなくちゃ意味がないの……もう、決めたの」
震える声で少女は言い切り、顔を上げる。
いつもいつも見守ってくれた相手の目をまっすぐ見て話す。
自分の名付け親。そして、育ての親といっても過言ではない女性。
「だからお願いアース」
必死に嘆願する少女。
だけどアースにとってそれは遠い昔……まだ少女がほんの小さな頃に何度かされた『お願い』と同じ響きを持って聞こえた。
そう。昔からアースはこの少女――姪っ子の『お願い』には弱いのだ。
だから、答えなんて問われなくても分かっている。
分かっていた。こうなることは。
手を貸してしまった――かといって手を貸さないなんて選択は最初からないことも知っている。
ただただ自分を責めつつ、アースは見上げる。
水晶のようなものに覆われ、閉じ込められた姪の姿を。
大きすぎる力を操りきれなかった未熟さ故か。
それとも、元々ヒトには許されない領域に踏み込んだ見せしめだろうか。
どちらだって変わりっこない。
彼女が動かない。自分では彼女を解放できない。
それはかわりのない事実なのだから。
「ねぇ、ポーリー?」
聞こえるはずもない。だけどアースは静かにやさしく話しかける。
「自分が本当に親ばかだって思うけれど、仕方ないわよね。
実際、あなたのお願いを聞かないなんて出来ないんだから」
くすくすと白々しく響く笑い声。
「でも本当は……」
何もない石造りの部屋に反響する戸惑いの声は、とても、寂しい。
「そんなお願い、聞きたくなかったよ」
吐かれる空気のように小さな声を聞くものは、誰一人としていなかった。