【第十話 喪失】 6.届かぬこころ
翌日は気持ちがいいほどの晴天。この空のように、すべてが気持ちよく済めばいいなぁと思いつつ、セティは歩く。
父と兄のことは正直ショックだ。
けれど、二人ともきっと何か理由があってのこと。
だから会って話せばきっと教えてくれる。
けして暗くならず……むしろいつもと変わらぬ明るさで先頭を行く彼女を、ブラウは不審気に見ていた。
元々セティは楽天家で、あまり先のことを深刻に考えないところはある。が、逆にどうしてそこまでと思いつめることも多い。特に家族のことに関しては。
父親と兄が行方不明になった時だって、口では自分が魔王を討つと威勢のいいことを言っていたと思えばよく泣いていた。
それを思うと、今の状況が少しおかしい気がする。空元気というわけでもなさそうだし。
悩むブラウの心境を知らぬまま、セティはくるりと振り返り、地図を持っているミルザムに聞いた。
「ここを抜ければそろそろ見えてくるんだよね?」
「そうだな」
すれ違う人も少ないせいか、彼はフードを取り払っている。リゲルはしっかりとかぶっているが。
どちらかといえば、前衛の彼女がフードをかぶらないというのなら分かるけれど。視界の問題とかで。
「まだいるといいけどね」
半分祈るようなリカルドの台詞には同じく頷く。追いつけなかったというのが一番辛い。
順調に進んだおかげで日はまだ中天に差し掛かっていない。
そろそろ森を抜けようかというときに、人影が見えた。
すぐ脇の気に背を預けて佇むのは白い法衣姿の青年一人。
ちらちらと光をはじく銀の髪が、遠目からでも良く分かった。
思わず、足が止まる。
そんなセティを笑うかのように青年は姿勢をただし、行く手を阻むように道の中央に立った。
どくりと心臓が脈打つ。
正面から見ても、そうとしか思えない。
姿も、声も……泣きたいくらいに懐かしい。
「ようやく来た、か」
けれど紡がれる言葉は追憶より遥か遠く。
「こんなに待つなら、あの時始末しておけば良かったな」
向けられる眼差しもまた、ひどく凍てついていた。
「お兄ちゃん……」
「セレスナイト! お前何やってんだ!」
小さな呼びかけに応えはなく、代わりのようにブラウが怒鳴る。しかし『セレスナイト』は一瞬視線をやっただけで、またセティに視線を戻した。
ざりと砂を踏む音がして、『セレスナイト』が一歩近づく。
反射的にあとずさったのは何故だろう。
兄としか思えない相手が、兄とは思えない行動を取るからだろうか。
会って話せば、今までどうしていたのかとか聞けると思っていた。
お兄ちゃんなの? そうじゃないの?
……どうして……こんなことになってるの?
わたしのことが分からないのかな?
退いたセティに代わり、ミルザムが一歩前に出た。
右腕が彼女を守るように横に出され、ばさりとマントが翻る。
「いずれの神が存ぜぬが……お戻り頂こう」
「へえ?」
彼の言葉に興味深そうに口の端を上げる『セレスナイト』。
その眼差しは、圧倒的な強者のもの。
「やれるものなら……『やれ』」
言葉と共に右手の林が光った。
何が起きたのかと疑問に思う前に轟音が響く。けれど痛みはない。
理由はすぐに知れた。
先程ミルザムが伸ばした右手。握られた一枚の紙。
どういう術を使ったのか知れないが、そのおかげで守られたのだろう。
煙が薄れて見えた姿――攻撃の主は術が防がれたことにも動ぜずゆらゆらと立っていた。
「『魔王』?!」
悲鳴のように声を上げるセティと違い、クリオもリゲルも武器を手に斬りかかる。
予想していたのだろうか。こうなるであろうと。
兄を問い詰めることも嘆くことも出来ずに立ち尽くすセティ。
楽観的に見すぎていた感は否めない。でも……
戦況は良いと言えない。四対一だというのに『魔王』は慌てた様子もなく淡々と術を放つ。
威力がしゃれにならないことは周囲の状況があらわしていた。それを防いだり避けたりしているリゲルたちは凄いとしか言いようがない。
「『奇跡』を持つ娘」
いつの間にか近寄っていた『セレスナイト』。
セティへと伸ばされる手はかつて何度もあったことで、つい反応が遅れる。
今の彼は決して『味方』ではありえないのに。
『家族』の面影にただ立ち尽くすセティ。
しかし、『セレスナイト』の手は細さの残る彼女の首を鷲掴んだ。
込められていく力。息が詰まるのは当然。
けれど苦しいのは息か、それとも心だろうか。
「にい……ちゃ」
呼びかけに応えはなく、嫌々と小さく首を振ることも出来ず。
ぎりぎりの淵というところで手を外される。
たまらず咳き込み、地に座り込むセティ。
そんな『妹』の姿を『セレスナイト』はつまらないものを見るように眺めた。
「ハズレか。ここまですれば出てくると思ったんだけど」
気だるそうに呟き、仕方ないといった様子で未だ咳き込むセティの胸倉を掴み上げる。
「ついでに回収しておこうかな」
凶悪なその顔。けれどどうしても兄以外のものには見えない。
泣きそうになるセティに追い討ちがかかる。
どくりと体が脈打つ。
急に寒いところへ飛び出たように震える体。抜けていく力。束縛から解放されれば己の身体を支えることも出来ずにその場に崩れ落ちてしまう。
何が起こったのかと視線を上げれば、『セレスナイト』の右手で輝く黄色の光。
いつかの街で見た、光。
白い騎士に追われた荷台の上で現れた光と同種の――『奇跡』。
かつてノクスたちが、そして教会が今も必死に探しているそれをコインのようにもてあそぶ『セレスナイト』の姿を、セティはただ見つめていた。
悲しいのと苦しいのがごっちゃになってわけが分からない。
頭だって痛いし、節々もなんか痛い。
「お……いちゃ……」
「ん……?」
呼びかけたのは無意識だったのか、その小さな声に彼は少し思案するそぶりを見せた。
分かってくれたんだろうかとセティは小さな望みを抱く。
わたしだと、妹だと分からなかったから……だからこんなことになっていたのかと。
「ああ、そうか」
納得がいったというように晴れやかに笑う。
「止めを刺さなきゃいけないんだっけ」
言葉と同時に掌に生まれる光。
動くことの出来ないセティはただ呆然とそれを見るしかない。
ブラウの声が聞こえたのと、人影が割って入ったこと。
そして、割って入った人影に光がぶつかって飛ばされた一連が妙にゆっくりと見えた。
「うるさいな」
面倒そうに言い捨てて、『セレスナイト』は空になった己が両手を忌々しそうに見やる。
迎撃に使った魔法の光はその効果を表し、襲撃者を地に伏せさせた。
しかし、先程セティから奪った『奇跡』もまた、その姿をなくしていた。
言うことを聞かない体に鞭を入れて、肘をついて顔を浮かせれば、思ったよりも近くに倒れていた姿は。
「ミルザムさん……」
腹部を暗く染めたまま辛うじて息をしている星読士。
たった数日、共に旅をしただけの彼がセティを庇って傷ついた。
それも――傷つけたのは自身の『兄』。
「ど……してっ」
怒りをこめて彼を睨んでも何の効果も与えられず、新たな光を手に彼は優しく微笑んだ。
「『さよなら。セティ』」
名を呼ばれたことか、それとも迫る恐怖にか。泣きそうな顔をした彼女に、ひとかけらの情も見せず『セレスナイト』は術を放つ。
色々と考えたのだと思う。
こんなところで死んじゃうのかなとか、母さん一人になっちゃうなとか。
いっぱいいっぱいだった心がはちきれてしまったんだと思う。
だから、光が透明な壁に阻まれ四散したときには、安堵するほど現実を感じられなかった。
「ふぅん?」
術の不発に驚くこともなく、『セレスナイト』はつまらなそうな表情で倒れ伏したままのミルザムを見やり、小さな笑みを浮かべて笑う。
ああ。はにかむようなその顔は、何度も見たことがあるのに。
「まあいいか。『役立ってくれたし』ね」
紡がれる言葉はひどく冷たく、固まるセティに見向きもせずに彼は踵を返す。
「行くよ。『ソール』」
言葉に従い、不安定な動きで近寄る『魔王』。
あちらの戦いの様子なんてセティはまったく分からなかったが、こちらの旗色は悪くなかったらしい。
片腕のないまま、されど一滴の血も落とすことはなく『魔王』は『セレスナイト』に付き従い後を追う。
得体の知れない二人連れは道を行き、緑に紛れて見えなくなった。
「タチバナ殿!」
「ミルザムさん!」
悲痛な二人の叫びに、ようやく少しセティの意識が戻る。
何とか首を動かせばリカルドに抱き起こされ、ブラウに癒してもらっている彼の姿が見えた。
青い顔。衣服の色は一層濃くなり、細く浅い息を繰り返しているミルザム。
これからしばらく一緒に仲良く旅が出来るものだと思っていた相手。
いつの間にか『居ること』が普通になっていたリゲルのように。
じっと見つめるセティの視線に気づいたのか、彼はやわらかく笑った。
「悪いね……これが、俺に出来る……最期の仕事だったんだ」
「なにを」
言葉が続かない。
リカルドが傷に障るからしゃべるなと言ってる。
ブラウだって、治療する側がそれでいいのかってくらい悪い顔色。
でも彼の発言は、あの言いぶりだと、まるで死ぬことが分かっていたようではないか?
「ああ。仕事は終わったけど……教えることが残ってた」
絶句するセティに安心させるように淡く微笑む彼は、落ち着いた声音で言う。
「これが……『奇跡』の正体だ」
意味不明の言葉。それが、彼の最後の言葉。
ふぅと辛そうな息を吐いて、かくんと首が傾ぐ。
声にならない叫びを上げるセティ。名を呼び身体をゆするリカルド。
苛立ちをそのまま大地に拳ごと打ちつけるブラウ。
鈍いその音を合図にしたかのように、ミルザムの姿がぼやけていった。
「え?」
瞬きをしても目の前の現実は変わらず、むしろどんどん彼の姿が消えていく。
空から降る雪が、掌の熱で溶ける速度と同じくらい急速に。
支えていたリカルドの腕をすり抜けて、薄れた彼の背中が地についた。
「な」
ブラウが困惑の声を上げる頃には、あのやわらかそうな髪と同じ紺色の、固くてごつい石だけが残された。
両手を広げたくらい――大き目のパンくらい――の石は、白々と太陽の光を照り返す。地面に広がっていた赤い滲みは、いつの間にか石と同じ色の小石に変わっていた。
「石になった……?」
「なに……これ?」
どうして、人が石に変わってしまうの?
どうして、こうなったの?
もう……
「なんなんだよーっ」
セティの叫びだけが空に虚しく響いていった。