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ソラの在り処-蒼天-

【第八話 血縁】 6.知らされることのない縁

 久々に家族で過ごす食卓は、お客が一人追加されても和やかなものだった。
 母に言われたとおり、セティは兄の部屋を大急ぎで片付けてリゲルを案内する。
 本当は、兄の部屋を勝手に使って欲しくはないのだけれど、かといって自分の部屋に招くのも憚られる。
 ごゆっくりと告げるだけで、セティはそのまま階下に向かった。
 後片付けを手伝わないといけないし、あの場にはあまりいたくない。
 兄の部屋はあの日からずっとそのままで、いつ帰ってきてもいいように整えてある。それを懐かしいと思う反面、兄の姿がないことに悲しくなってしまうから。
 居間に戻ると祖父の姿はなく、洗い物をしているらしい母の背中が見えた。
「母さん、手伝うよ」
「あら。珍しいわね。ちゃんとリゲルさんを案内したの?」
「したよ」
 母の横に並んで、洗われた食器を拭きながら答えるセティ。
 少し拗ねたような返事にイルゼは苦笑する。
 彼女はセティが苦手とするタイプだろうから、仕方のない反応かもしれない。
 見透かされてるなあと思いつつ、セティは意を決して口を開いた。
「母さん」
「なぁに?」
「母さんさ」
 そこで一度セティは言葉を切り顔を俯けた。
「リゲルのこと、知ってた?」
 息を飲むような音が聞こえたのは気のせいだろうか?
 何も言わない母に不安は募る。
「リゲルのお兄さんは父さんの親友だったんだって。
 なのにその人を父さんが斬ったんだって」
 相手から聞いたことだから真偽は定かじゃない。けれど。
「母さんは、何か知ってるんじゃないの?」
 責めるような言い方になってしまったかもしれない。
 発言を悔いたセティの耳に、深い深いため息が聞こえた。
「リゲルさんから聞いたの?」
 答えることも出来ずただ頷く。
「そうね。じゃあ、少しお話しましょうか」
 穏やかな母の声に、ほっとしてセティは顔を上げる。
 あっちに座っててと背を押されて居間のテーブルに戻ってしばし、湯気を立てるカップを二つ手に持って、イルゼはセティの向かいに座った。
「何から話せばいいかしらね」
 淡い黄色のハーブティのカップを手に、イルゼは考えるように呟く。
「初めて彼女に会ったのは、セティがまだ赤ちゃんの頃だったわ」
「え」
 そんな小さな頃に会ったことがあるのかとセティは目を見張る。
 イルゼの視線はカップに固定されていて、娘の反応に気づかない。
「父さんが思いつめた顔をしてこっそりと出て行ったから、追いかけていったのよ」
 当時を思い返しているのだろうか、嘘が下手なんだからと苦笑してイルゼは話を続ける。
「若い女の子と向かい合って何をするんだろうと思ってたら、いきなり戦い始めるんだもの。母さんびっくりしちゃったわ」
「ちょ、ちょっと待って!」
 慌てて言葉を遮り、セティは問いかける。
「わたしが赤ちゃんだったらリゲルだって小さいんじゃないの?」
 リゲルは多分同年代だと思っていた。だって外見はどう見たって同い年。
 それとも実は、異常に若作りで母くらいの歳なのだろうか?
「『彼女達』は私たちとは寿命も、歳のとり方も違うんですって。エルフに近いのかもね」
「じゃあ前に会ったときと同じ姿だったの?」
「そうよ。じゃないといくらなんでも分からないわよ」
 苦笑して言われて納得する。
 確かに赤ん坊の頃に会ってたからって、成長したら分かるわけない。
 それに当時の父さんと戦う事だって出来るわけ……
「戦ってたの?!」
「そうよ」
 今更ながらに反応した娘に苦笑しつつ、イルゼは困ったように続ける。
「リゼルさんのほうが父さんより強く見えたから、母さん気が気じゃなくて」
 言われた内容にセティが息を飲む。
 が、イルゼは気にしないように話し続けた。
「斬りあいながら口論して、結局はリゲルさんが帰って……父さんが言うには、退いてくれたんだけれどね。それから一度も会ってないわ」
「口論?」
「一方的に父さんが言われてるだけだったけどね」
 それはなんとなく想像できる。
 お墓の前での様子とか、あんな感じで父さんにも言ってたんだろうな。
「父さんね、殺されても仕方ないって思ってたんですって」
 語られた事実にセティは声もなく固まる。
「酷い話よね。母さんたちのこと考えてないんだもの。
 でも――それだけのことをしてしまったって言っていたわ。
 詳しくは教えてくれなかったけれど」
「じゃあ、父さんは本当に……」
 リゲルのお兄さんを傷つけたんだろうか。
 不安そうな目で母を頼るセティ。
 イルゼはかすかな笑みを作って告げる。
「父さんね、すごく後悔していたのよ。他に方法はなかったんだろうかって。
 けど何度考えてもそうするしかなかったって悩んでたわ。
 あの子に恨まれて当然で、許されるわけないって」
 そう言われてセティは考える。
 父さんもお兄ちゃんも魔王に殺されたと思ってる。
 セティが勇者になったのは、仇を討ちたいからという理由もある。
 だから実は、リゲルの立場はよく分かるのだ。
 お兄ちゃんを傷つけられたらきっと怒るし簡単には許せない。
「父さんは、リゲルのこと知ってたんだ」
 それを理解したくなくてわざと会話を逸らせば、なぜか母はしばし沈黙してから頷いた。
「――妹みたいに思っていたとは言っていたわ」
「そっか」
 頷いて、また気づく。
 さっき自分の状況に置き換えて想像したけれど……リゲルにとっての父さんは、わたしにとってのブラウみたいなものかもしれない。
 なんともやるせないため息が出た。
 わたしとブラウがケンカするのは普通のことだったけど、お兄ちゃんとブラウがケンカすることもあった。
 殴り合いのケンカをして二人とも傷だらけになったことだって何度もある。
 それが、ケンカじゃなかったら――?
 考えたくない。
「母さんが知ってるのは、それだけ」
「うん。ありがとう」
 すっかり冷めてしまったハーブティを飲み干して、セティは立ち上がる。
「もう寝るね。おやすみなさい」
「はい。おやすみ」
 すぐに眠れるかなんて分からないけれど、挨拶をしてセティは自室へと戻っていった。

 階段を上る足音が聞こえなくなってからイルゼはハーブティを一口飲んだ。
 ほんのり甘いそれは、残念ながら何の慰めにもならない。
 意図的に話さなかったことがある。
 オリオンは幼い頃にリゲルの家に養子として迎えられたという。
 家族を傷つけたからこそ、彼は罰を与えられることを強く求めたのだろう。他でもない、彼女に。
 セティは『父が親友を害した』と認識していると知って話をあわせてしまった。
 リゲルがどう思ってそう表現したのかは分からない。単純にもう家族と思っていないだけなのかもしれないが。
 許して欲しい、なんて都合が良すぎるだろう。
 そういえば、夫から頼まれごとがあったのだった。
 あれはどこにやっただろう。明日には渡さなければ。
 ハーブティにぽつりぽつりと広がる波紋。
 それを気にせず――あるいは気づかずに――イルゼは口に運ぶ。
 先程よりも少しだけしょっぱいハーブティを飲み干せば、気分も少しは上向くだろう。