【第八話 血縁】 5.かつてあった絆
いつまで続くのかと心配した沈黙は、ひとまずイルゼが帰ってきたことで破られた。両手にたくさんの食材を抱えて戻ってきた母親を見て、セティは思わず声を荒げる。
「母さん、どれだけ買ってきてるの?!」
「ついつい買い過ぎちゃったわ」
ふふと楽しそうに笑う母親から大きな包みを受け取ると、確かにそれはずっしりと重い。
「たくさん買うなら、荷物くらい持ったのに」
「でもお客様を待たせるわけにもいかないでしょう?
ちゃんとおもてなししていた?」
「えっと……たぶん?」
痛いところをつかれて、逃げるように台所に食材を置きに行く。
お茶を入れてからずっと沈黙してましたとは言える筈がない。
だって何の話をすればいいのかなんてまったく分からないのだから。
普段はクリオが話をふってくれたり、リカルドが盛り上げてくれるから、それに乗っかってしまえばいいけれど、基本的にリゲルは話さないし、セティも苦手意識があるが故に話を振りづらい。
「リゲルさんは苦手なものあります?」
「いえ」
「久々に食卓が賑わってうれしいわ。しっかり食べていってくださいね」
「はい」
背後から聞こえてくる母の、妙に楽しそうな声にセティはなんとなく面白くない気持ちになる。
久々に帰ってきた自分よりも、『子供が世話になっている仲間』の方が優先されてしかるべきなのは分かっているのだが。
「今日はゆっくり泊まっていって下さいね。
セティの話をたくさん聞かせてください」
「え?」
今、聞いてはならないことを聞いたような気がする。
そう。聞くはずのない言葉を。
「母さん、今なんて?」
ぎぎぎっと、錆びた蝶番のように振り向いた娘に、母はこともなげに告げた。
「今日はリゲルさんに泊まっていって頂こうと思って」
「いやだってリゲルはラティオさんの護衛で! 教会に戻らなきゃ」
「ええ。だからちゃんとお話をして、許可を頂いたわよ」
ほらと結ばれた紐のようなものを取り出すイルゼ。
リゲルはそれを両手で恭しく受け取り、解いて開いていく。
あ、紙だったんだ。
正体に初めて気づき、セティは見たことのない『紙』を観察した。
羊皮紙のようにごわごわしていないそれは、何度も折りたたまれていたにもかかわらず、開いて読めるのだ。羊皮紙では、まず折りたたむことが難しい。
すごいなぁ。あんな紙があるんだ。
読み終わったのだろう。リゲルはまた紙を折って小さくしてから、イルゼに深々と頭を下げた。
「すみませんが、お世話になります」
「いいえ。我が家だと思ってくつろいでくださいね」
紙に気をとられている間に、宿泊が決定してしまった。
反対したって無駄だろうことも、そもそもセティには決定権がないことも分かっていたけれど、やるせない。
「腕によりをかけて作りますからね」
イルゼはリゲルに笑いかけて、娘を手招きした。
「なぁに?」
不思議そうに問いかけてくるセティに小さな財布を手渡しつつ、リゲルに聞こえないよう小声でささやく。
「金の小鳥亭でシュパーゲルクリームスープを買ってきて」
帰って早々お使いに行かされる事には少し考えなくもないが、買ってくるものがモノだけにセティはぱっと顔を輝かせた。
「いいの?」
シュパーゲルは春限定の味覚でセティの好物だ。
ああもう食べられる時期になってたんだ。帰ってきてちょうど良かった!
わくわくと見上げる娘に苦笑しつつ、イルゼは念を押す。
「なるべく早くね」
「うん。行ってきます」
元気良くかけていく娘の背を見送って、イルゼはお茶を入れなおした。
夕食の下準備として大きな鍋に水をたっぷり汲んで火にかけることも忘れない。
湯気の立つハーブティをリゲルに差し出して、向かい合うように椅子に座る。
先ほどまで見られていた楽しそうな様子は微塵もなく、ただ真剣な面持ちで茶を飲むリゲルを見つめていた。
「こうして、お話しするのは初めてですね」
何を話そうかと悩んだ挙句、出てきたのは普通の言葉だった。
けれど、彼女はそれで察してくれたらしく、心持ち頭を下げた。
「以前はご挨拶もせず、申し訳ありません」
返された言葉を内でゆっくりと咀嚼して、核心を――イルゼにとって確かめなくてはならないそれを――問いかける。
「お聞きしたいことがたくさんあります。
ですがその前に――『キヨヒメ』さんとお呼びした方がいいですか?」
「いえ。リゲルとお呼びください」
予想はしていたものの、イルゼは動揺を隠し切れなかった。
先に問うた名は、随分昔にただの一度だけ聞いたもの。
だからこそ、イルゼは頭を垂れた。
「お知らせすることが出来なくてすみません」
先ほど墓参りをしているときに言いたかった。
セティがいるからこそ口を開かなかったが、夫が死んだことを伝えなくてはと思っていたのだ。方法がなかったから、今までそれは叶わなかったのだけれど。
「あの人のことは、いつ?」
「一年と少し前に」
返事の言葉は簡潔で、けれど怒りと感じさせるものだった。
イルゼ自身も色々と思うことはあるが、彼女は悲しみよりも怒りが勝るのだろう。もしかしたら、怒りしか感じていないのかもしれない。
イルゼが初めてリゲルに会ったのはセティが生まれて間もない頃だった。
今と違い町外れの小さな家に住んでいた頃。
ある日、夫が剣だけを持って家から出て行った。
近隣の魔物を倒してくると言っていたけれど、いつもと違い防具の類は一切身につけていなかった姿に不安を覚えて、イルゼは後を追った。
まだ小さすぎる子供たちを預ける相手もいなかったため仕方なく連れて行くことにして、そっと後を追った。
見つけたのは、町外れの空き地。
互いに剣を手にして、夫が向かい合っていたのが彼女だった。
いくつも年下に見える少女に、明らかに圧倒されている夫が信じられなかった。
戦士としての名声を得始めていて、騎士団に属している人たちと互角以上に戦うことが出来ていたのに。
「本当に、あの人ったら酷いんですよ」
思わず漏れて出たといった様子の言葉に、意図を察しきれずにリゲルは顔を上げる。まっすぐなその瞳にどこか同じものを見つけて、イルゼは苦笑した。
「人の気持ちを考えないで勝手に決めてしまうのですから」
彼女も思い当たる節があったのだろうか。ほんのすこしだけ口がへの字に近くなる。その反応を見て、イルゼも苦笑を和らげることが出来た。
そういえば、夫に宣言したのだった。頼みを引き受ける代わりに愚痴を言わせて貰うと。
けれど。
「お話したいこと、お聞きしたいことがたくさんあります。
が、あの子には知らせたくないのです」
「蚊帳の外に出す、と?」
試すように問いかけるリゲル。しかしイルゼもひくつもりはない。
「知らなくていいことはあります。あの人も、教えることを望んでいません。
――私にすら、教えたくなかったようでしたから」
「確約は出来かねます」
祈るようなイルゼに、リゲルはきっぱりと返す。
「私は『知りません』でした」
反論しようと口を開いたイルゼよりも先に紡がれた言葉。
何のことか分からず当惑する彼女に視線を向けることなく、独白のようにリゲルは続ける。
「ある日突然、兄が害され義兄がいなくなり――裏切り者を斬れと言われました。
何が起きてどうしてそうなったのか、何も知らされないままに」
同じことを繰り返すのかと問いかける瞳に、イルゼは口を閉じた。
「問われたならば答えますし、必要だと感じたならすべてを話しましょう」
それでも、告げられた内容にほっとする。
彼女からは積極的に話さない――そういうことだろう。
「わかりました……ありがとうございます」
それだけを告げて、イルゼはすっかり冷めてしまったハーブティを飲んだ。
込み入った話はもうしない方がいいだろう。きっとすぐにセティが戻ってくる。
話さないか、話すにしてもどこまでを話すのか。
決めるまでは慎重にいきたい。
「続きはまた後で。夕食、楽しみにしていてくださいね」
お湯が沸いたら食事の支度を始めよう。
気持ちを切り替えて、イルゼは席を立つ。
そんな彼女を物言いたげな目で見上げながら、結局リゲルは口を開かなかった。
その後、お使いを終えて帰ってきたセティが微妙な雰囲気に居た堪れない思いをすることになる。