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ソラの在り処-蒼天-

【第七話 遭遇】 7.消せない痛み

 『奇跡』を持ってるね?
 どうして? どうしてそんなことが分かるんだろう?
 でも、あの時あの街で、ラティオさんにも簡単にばれてしまっていた。
「くっ」
 考える間に指に力が込められる。
 息苦しさに顔をしかめても、犯人の表情は一向に変わらない。
『その奇跡、僕に、渡……?』
 聞こえる声はぽつぽつと聞き取りにくい。
 手を首から外させようともがくが、思いのほか力が強く反抗しきれない。
 反論したくとも肝心の喉を押さえられていては何も言えず、ただただ屈してなるものかという矜持だけで相手を睨みつける。
 睨みつけた相手の顔は人形のように平坦で、瞳に何の色も映してはいなかった。
 表情を変えぬままに、赤毛の青年は指に力を込める。
 路地裏のこんな人のいないところで助けを求めるのは難しい。
 現に誰も気づいていないようだ。でも。
 帰りが遅ければ誰かが気づいてくれる。きっとクリオたちは来てくれる。
 それまで、負けてたまるもんかッ
 滲んできた視界の中でも相手を睨みつける。
 耳障りな金属音が聞こえたのはその時だった。
 急に楽になった呼吸。
 先ほどまでの圧迫に耐え切れず、セティは膝をつき咳き込む。
 ぱたぱたと、雨の降り始めのような水音がした。
 おかしいなぁ。空は晴れているのに。
 再度聞こえた耳障りな金属音。
 ちょうど顔を上げれた瞬間に白い布が翻った。それが、自身の首を絞めていた相手のものだと気づいて後ろに下がりそうになる足。
 しかし彼の向こうに見えた姿に息を飲む。
 半ばほどで折れた細身の剣。
 それを手にし、息も荒く青年を睨んでいるのは小柄な影。
 セティが嫌っているといってもいい、リゲルだった。
「リ……」
 名を呼ぼうとしたところを視線で制される。
 そこで、ようやく気づいた。
 普段かぶっているフードが落ち、リゲルを囲む地面が無数にえぐれている。
 彼女自身も無事ではなく、左の肩に黒いしみが出来ていた。
『だ……れ?』
「真砂七夜に仕える、(つつみ)清姫(きよひめ)と申します」
 聞きなれぬ言葉で返答する彼女に、よく分からないなぁとセティはのんきにも思った。
 戦う相手に、どうしてそこまで礼を尽くすのだろう?
 ぐらりとセティの体が傾ぎ、耐え切れずに大地に伏せる。
「――、お覚悟を!」
 立って、ここから逃げなきゃいけないのに、足が動かない。
 喉の奥から、熱いものがこみ上げてくる。
 無造作に投げ出したままの掌が、地面が濡れていることを教えてくれた。
 雨、降ったのかな? それとも元々濡れてたんだろうか。
 何とか顔だけを動かして彼女達の方へと向ける。
 折れた剣を構えて青年に向かうリゲル。
 おかしいな、一番強いはずの彼女がこんな必死な顔をしているなんて。
 青年が腕を一振りする。それだけで地面が大きくえぐられて、赤い雫が飛ぶ。剣を地面に突き刺すことで、何とか転倒を免れたリゲルが肩で大きく息をしている。
 あちこちを暗い色に染めた彼女の向こう、路地から白い影が駆けて来た。
 白のローブに赤い髪。
 セティを襲った青年に似た、けれどまったく似ていない彼。
 とても驚いた顔をして、同時に辛そうに顔をゆがめて何かを叫んだ。
 なんて言ってるんだろう? 何で、聞こえないんだろう?
 疑問に思ったそれを最後に視界は狭まり、セティの意識は闇に溶けた。

 目が覚めると、見慣れた顔に覗き込まれていた。
「セティッ」
「もう大丈夫?」
 ほっとした表情をするリカルドとクリオはともかくとして、ブラウこわいから。眉間に皺よってさらに怖いから。
「あれ?」
 何でわたし寝てるんだろう?
「無事でよかったわ」
「はー、よかったぁ」
 大きなため息を吐いてリカルドが身を起こし、不思議そうな顔のセティに気づいたのか苦笑する。
「血まみれで帰ってきたときにはどうしようかと思ったよ?」
「血まみれ?」
 言われた言葉を反芻して、それでもセティは首を傾げる。
 身を起こそうにも少し動いた瞬間に左右から手が伸びて抑えられるのは、どういうことだろう。
「ああ、起きたか」
 他と比べて平坦な声。
 白いローブと赤い髪に、ぴくんと体が跳ねる。
「ラティオさん」
「顔色は悪くないな」
 診断のためだろう顔を近づけてくる彼。瞳は、似ても似つかない海老茶色。
 知らず、詰めていた息を吐く。
「で、何があったんだ?」
 問い詰める声にはちゃんと感情が込められていて、また、肩の力が抜けた。
「えーと」
 答えに詰まる間にも、部屋中の視線がいたい。
「道歩いていたら、迷っちゃって……」
「それで下町にいたのか」
 納得したようなラティオの言葉に、ブラウの目つきがまた怖くなる。
 どこに行こうがわたしの勝手じゃないかと言えればいいのだけれど、こんな状況で言えるはずもなくセティは話を続ける。
「そしたら、ちょうど角を曲がって行った人が、ラティオさんに似てて。
 単純に赤毛で白い服着てたってだけなんだけどねッ?!」
 ブラウが今にもラティオさんに掴みかかりそうになったから、慌てて語尾を上げて音量も上げる。
 セティの心配に気づいたのか、ブラウの動きを阻害するためにかリカルドが彼の肩に腕を回す。
「ちょっと似た人がいるからってついて行っちゃ駄目だよセティ」
「うん、反省してる」
 見かけたとき、最初に呼びかけてみればよかったんだ。
 人違いなら反応はないだろうし、そうすればあんな目にも。
「そういえば、リゲルは?」
「左肩を筆頭に全身切り傷、擦り傷おまけに打ち身だらけ。
 ほぼ癒したが、動こうとするから強制的に眠らせておいた」
「そ、う、なんだ」
 予想以上の怪我の様子に口ごもる。
 ちくんと胸が痛むのは気のせいじゃない。
 セティの父親は、リゲルの兄の敵だと言っていた。
 けれど、結果的にリゲルはセティを助けてくれたことになる。
 あのまま首を絞められていたら、きっと今ここにいられなかった。
「びっくりしたよー。りっちゃんてば全身ずたぼろなのに背筋伸ばして帰ってきたんだもん。ラティオさんだって爆発に巻き込まれたのかってくらいぼろぼろだったし、大怪我してるセティ背負ってたし」
「大怪我?」
「わき腹をやられていた。覚えてないのか?」
 治療を担当したらしいラティオに言われても、いつやられたのか分からない。
 そっとシーツの中で手を動かし、撫でてみても違和感はなかった。
「で、誰にやられたんだ?」
 苛立ったように――ように、じゃなく実際にかなり憤っているブラウの問いに、セティは目をそらして答える。
「見かけてついていった、赤毛で白いローブの人。
 年はラティオさんと同じくらいだったけど……目が金色と銀色だった」
「金目と銀目? 左右の色が違ったって事?」
「そう」
 こくりと頷くセティ。
 特徴はとてもある。ありすぎるといっていいくらいに。けれど。
「なんだってセレスが襲われたんだ」
「……知らないよ、そんなの」
 素っ気なく言い返したのは、怖いから。
 理由に気づかれたら、わたしが『持っている』ことに気づかれたら。
 ――巻き込むのが嫌だから。
 セティがこれ以上しゃべらないと踏んだのか、いつも以上にきついブラウの視線がラティオを射抜く。
 けれど彼は肩をすくめることなく言い返した。
「さっきも話したが、急に走っていったリゲルを追いかけていって、何とか追いついたと思ったら二人して血だまりに沈んでいた。それだけだ」
「あんたは見たのか?」
「犯人を、か? 遠目でなら、な。もっとも、爆風を食らってすぐに見失ったが」
 不満そうに答えるラティオに対し、ブラウはさらに睨みつける。
「ああ、本当に爆発に巻き込まれてたんだ」
 しみじみとしたリカルドの声。よくよく観察してみれば、なるほどたしかに彼の服は一部がほつれていたりしていた。
「セティを狙ったのか、それとも『勇者』を狙ったのか。
 わからないけれど、気をつけたほうがよさそうね」
 神妙にクリオが言って、立ち上がり手を叩いた。
「さあ、もうセティは大丈夫だから部屋から出るように。
 セティも女の子だもの。いつまでも男がいていいものじゃないでしょう」
 叱るように、有無を言わせぬように告げるクリオ。
 真っ先にリカルドはへらりと笑って手を振った。
「じゃ、ゆっくり休むんだよセティ」
「明日また診せるようにな」
 次にラティオがそういって部屋を出て、しばらく何かを言いたそうにしていたブラウがきつい眼差しをくれた後に背を向ける。
 そんな彼らを苦笑交じりに見やって、ゆっくり寝るのよと言い聞かせて、最後にクリオが出て行った。
 しんとした部屋に取り残されたセティはなんとなく寝返りを打つ。
 外はとっくに日が暮れていて、本来なら夢の中にいる時間帯。
 『奇跡』を狙う者がいるってことは分かっていた。
 けれど、脳裏に甦る……倒れそうな身体で敵に挑むリゲルの姿。
 自分のせいで怪我をした人がいる。
 その事実が痛かった。