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ソラの在り処-蒼天-

【第五話 波瀾】 3.舞台へと現れる

 どきりと決まり悪く、大きく鳴った心臓に反射してセティはおもいっきり顔をそらす。そんな様子を見ていただろうに、リゲルは変わらぬ表情のまま視線を外へと向けた。
 リゲルの様子を恐る恐る伺ったセティが首を傾げかけ、止まる。
 森の中。あまり幅のない道。急に緊張感を出した『味方』。
 ふいに感じたかすかな既視感が、誰かの慌てたような舌打ちで確定した。

 舌打ちと、高い金属音が聞こえたのとはどちらが先だったのか。
 一撃を受け止めたのはフォルだった。
「ったく、とんだ依頼だなっ」
 憎まれ口を叩きながらも迎え撃つ彼。
 そして増える、剣戟の音。
「クリオッ リカルド!」
行け(イーテ)! 炎の矢(イグニス・サギッタ)!」
 セティの悲鳴に応じるように高々と唱えられた呪文。
 現れた炎の矢が襲撃者達をそれぞれ狙う。矢は見事に襲撃者を捉え、あるいは避けられ地面を穿ち、砂煙があたりに広がる。
「行け!」
「行く!」
 呼びかけのような命令と応えのような宣言はほぼ同時。
 セティが口を挟む間などなく鞭の音と馬の嘶きが鋭く聞こえ、大音響を撒き散らして荷台は街道をつき走った。

 外の景色がすごい勢いで流れていく。
 先ほどまでの、病人に気遣うようなゆっくりとした歩みはどこへ消えたのか、がたがたと激しく揺れる荷台。
「ちょ、ちょっちょっ!」
 振動と動転のせいで言葉がうまく出てこないセティ。しかし言いたいことが分かっているのか、返事をしたのはレイだった。
「打ち合わせてたんだよッ」
 そういう彼の顔も少し青い。
 御者席からこちらを覗き込み、必死に荷台につかまっている。
 何でだろうと思ったら、前見てると怖いからと返された。
「な、なんで逃げてるの?!」
「昨日と違って手練だからな、固まってるわけにはいかないだろ」
 軽く答えたノクスは拳骨で弟を前に向かせて手綱を預ける。
 任されたレイは慌てながらも何とか馬を制御し、ほっと息を吐く。
 ここで横転などしようものなら目も当てられない。
 兄へと文句を連ねようとするが、それより早く数条の炎が前へと駆けていった。
「魔法」
 こんな状況ながらもセティはぽけっと感嘆の声を上げた。
 自分がほぼまったくといっていいほど扱えないもの。
 ノクスさんは剣士だと思っていたのに、魔法も扱えたんだ。
「レイ、馬任せたぞ」
「兄上の鬼ーッ」
 焼けっぱちに叫ぶ弟と逆に、不安定な御者席にもかかわらずノクスは立ち上がり剣を一閃する。
 きぃんと小さな音を立てて何かが弾かれた。
 なんでこんなものがと思ってようやく気づく。
 むやみに魔法を放つ訳ない。
 敵を迎撃するために、そしてさっきの金属音は反撃をされたのだと。
 また金属音が、今度は後方からした。
 慌てて首をめぐらせると、仁王立ちになったリゲルの背が見えた。
 相変わらずフードはかぶったままに、広げられたマント。
 布で絡め取られ勢いを失ったのだろうダガーが荷台の床に落ちていた。
「呆けている場合ですか」
「なんでこんな狙われてるのさ」
 彼女の妙な落ち着きぶりに、思わずセティは疑問をあげた。
 セティは知らないが反対側でルチルもこくこくと頷いている。
 昨日盗賊に襲われたのは……まあ納得できる。
 ああいった輩はどこにでもいるものだから。
 けれど今回は――相手は盗賊ではない。
「狙われているからでしょう。厄介な相手に」
 言いつつセティのほうへと蹴って寄越されたダガー。
 投擲用に作られたのだろうそれの刃に、何かの文字が刻まれていた。
「……あだ……ぎ、うむ?」
警句(アダギウム)?」
 つっかえつっかえ文字を読み上げたセティにルチルが顔色を変える。
「ご存知でしたか」
 少し意外そうな声音。
 彼女も感情を出すことがあるのだと、セティは妙に感心してしまった。進行方向側から聞こえてきた、妙に怖い舌打ちは意識の外に追いやることにする。
「どういう意味?」
「不倶戴天の敵です」
 短く答えてリゲルは肩越しに振り返った。
「足止めをします」
 それだけを告げて、後はよろしくとばかりに彼女は暴走する荷台から飛び降りた。視界を占めるリゲルのマント。抜き放たれた剣に赤い糸が絡まっているように見えた。
 リゲルが危うげなく地面に降り立つのと、その後ろに人が崩れ落ちるのはほぼ同時。フードとマスクで顔を隠した白尽くめの人物。
 同じ格好をした連中がこちらを追いかけようとしてリゲルに阻まれる。
 敵は複数。統率も取れている。何者なのかなんてこと分からない。
 ただ、予想もしなかった相手に目をつけられたんじゃないだろうか。
 生まれた少しの恐怖を、セティは消すことができなかった。
「い……も、こう」
 ガラガラと大音響を立てて爆走する荷台の上で、小さな声が漏れた。
「レジーナさん?」
 慌てたようにルチルが顔を近づけて、何とか言葉を拾おうとする。
 セティも揺れに気をつけながら耳を近づけた。
 この揺れだから気分が悪くなってしまったとか、どこか痛いかもしれない。
 けれど彼女はとても静かな面をしていた。
 だというのに、開かれた瞳に灯る、凄絶な色。
「ソール……連中は、手を……選らばな……」
 セティもルチルも紡がれた言葉の意味を知るのに時間がかかった。
 瞳を瞬かせ、レジーナがルチルを――その胸にかかる聖印を見つめ……いや、睨んだことでようやく理解する。
「憎い」
 こんなに短い言葉。分かりやすい言葉を理解できなかったのは、レジーナが笑みを浮かべていたから。とてもとても愛しそうにソールの聖印を見て、優しい笑みを浮かべていたから。
 瞳には、隠すことのできない憎悪の炎が燃えていたのに。
「だから」
 聖印に向けてそっと伸ばされた手。
 レジーナの瞳に更なる色を見つけて、ルチルは反射的に身を引いた。
 それは――
「あげる」
 何よりも鮮やかな、狂気の色。

 馬が嘶きを上げて暴れた。
 動転しながらも御者を任されたレイは必死に手綱を操り何とか落ち着かせる。
 それから、隣にいるはずの兄をちろりと横目で探した。
 ノクスは道を遮ろうとしていた敵を魔法で威嚇しており、先ほど大きく揺れたときにかなりバランスを崩していたことは視界の端で捕らえていた。
 かすかな望みを託して見た先に、やはり兄の姿はなく――振り落とされたのだと判明してしまった。
 ああ、絶対怒られる。
 とほほと肩を落とした瞬間、全身が総毛だった。

 がくんと大きな揺れに、セティもルチルも身動き一つ取れなかった。
 ただ、寒い。温度が一気に下がってしまったかのように。
 寒くて寒すぎて、カタカタと震えていることにすら気づけない。
「目覚めよ。静謐の石」
 声の主は床に寝転んだままのレジーナ。
 言葉一つ紡ぐのにも難儀していたと思えないほど、滑らかに綴られる。
「気高き至高の紫。
 酔いを覚まし正気を保つ、調和を生み出せしもの」
 ルチルに向けられた手に何かが集まっていくのが分かる。
 ずきんと、共鳴するかのように痛む左手。
「後継 ここに現れり
 これより行うは 我が最後の使命」
 そこでようやくセティは気づく。
 レジーナがルチルに向けた手もまた――左。
 自らの痛みを生み出す存在と同じものを宿していることに。
 まるで最初からあったかのように、筋張った掌の上に現れる石のようなもの。
 淡く透明でいて、どこか深さを感じさせる紫。
 セティは知っている。これが何かを。
 けれど、ルチルはただ恐怖に身を震わせている。
 そんな彼女をとても優しい笑顔で――底の知れぬ恐ろしさを秘めた目で――レジーナは見つめ、祝福の言葉を続ける。
「我に授けられし 称号。
 我に預けられし 紫水晶。
 我に与えられし 使命」
 ふぅわりと、光がルチルに向かう。
「『静謐』の名に於いて、汝に『奇跡』を」
 その言葉を合図に、紫の光を撒き散らすそれは、耳障りな音を立ててルチルの左手の甲に収まった。