【第二話 邂逅】 4.見えない糸で結ばれた
それからは沈黙が続いた。
皆、ただ歩くことだけに集中する。
めったに訪れることのない機会だから見ておきたいといえば、見ておきたい。
神殿自体が意匠を凝らしたつくりをしているし、ステンドグラスもきらびやかで、目を奪うものは多い。
だが、先導するバァルはそれを許すつもりはないようだ。
ここで修行している彼にしてみれば見慣れたものなのだろう。
ゆったりとしか見えない動作で、それでもセティが急ぎ足をしないといけないくらいの速さで廊下を移動し続けている。ほんの少し気を取られて立ち止まろうものなら、あっという間においていかれるだろう。
こつんこつんと廊下を行く足音。途切れることのない聖歌。
容赦なく差し込む日光。
太陽の力が一番強い場所のはずなのに。
何故だろう。影を、強く感じる。
「こちらです」
唐突なバァルの言葉に我にかえる。
かなり歩いたから、神殿の奥のほうだということはわかる。
だがバァルが示す扉は……小さかった。
無論、人が通れぬほどの大きさというわけではない。
ごく普通の扉。木製のそれ。
「ここ、なんですか?」
セティの持つ知識では、法王というのはソール教で一番偉い人のはずだ。
となれば当然、フリストという国の王のように、広々とした謁見の間に招かれることを予想していたのだが。
目の前の扉を見つめる。
どう見ても木の扉。何か細工が凝っているとか、木に似せた違う材質というようでもなさそうだ。木自体が高いのかもしれないが……
想像との違いに何も言えないセティをよそに、バァルは軽くノックをした。
「法王猊下。バァルが参りました」
一呼吸ほどの間をおいて、バァルが扉を開ける。
知ってる香りと慣れぬにおいが空気に混ざって溶けた。
ブラウからもたまに感じられた香り。ソール教が好んで使う香。
それから、古い書庫に入ったときのようなにおい。
視線で再度促されて、まずセティが室内に入る。続いてブラウ、クリオ。
リカルドが扉をくぐったのを見届けてから、バァルも室内に入る。
殺風景な部屋だった。
フェルンにあるセティの自室より少し広い程度。
小さなサイドテーブルと椅子、そして寝台があるだけの寂しい部屋。
そして、寝台には一人の老人が横たわっていた。
昔は鮮やかだったのだと察せられる、褪せた金の髪。
彫りの深い相貌に浮かぶのは苦悶の表情。不規則な浅い呼吸。
病を患っているのだろうか。
「法王猊下」
バァルの呼びかけに、老人がまぶたを上げる。
空を映した青い瞳がバァルを捉え、次にセティを見つめた。
「あ、は。
はじめまして法王猊下。お目にかかれて光栄です」
急に緊張してきて、慌ててセティは頭を下げる。
「フリストを代表し魔王討伐の任につきました『勇者』セレスタイト・カーティスと申します」
挨拶をしながら、あらかじめ用意していたものを取り出す。
フリストの紋章と流麗な文字が書かれた質のいい羊皮紙。
フリスト王直々の『勇者』任命書。
失くすな、扱いは丁重にと散々お小言をもらった品だ。
任命書はバァルが受け取り法王の元へと届けられる。
法王の視線が書類をすべり、唇が小さく動いた。
「フリストのセレスタイト・カーティスを『勇者』と認める。
一刻も早く魔王シャヨウを滅せよ」
しかしその言葉を紡ぐのは一司祭であるはずのバァル。
「……との仰せです」
訝しげな視線に気づいたか、彼はこう付け加えて微笑んだ。
「ええと……わたしは勇者に認定された、ということでしょうか?」
「猊下はこのような状況ですので、続きはまた明日にでも」
不安そうなセティの質問に、有無を言わせぬ笑顔で答えるバァル。
「まだ終わってないということね。
なら、私たちはどうすればいいのかしら?」
「部屋を用意いたします故、今宵はこちらでお休みください」
クリオの言葉にもあくまでにこやかにバァルは答える。
反論を閉ざすよう神官を呼びつけ、部屋の用意と案内を言いつけるバァル。
納得などするはずはないが、セティたちはなす術もなく部屋を追い出された。
それではごゆっくり。ありきたりな言葉とともに扉は閉じられ、部屋を与えられた四人は顔を見合わせる。
しっかりと整えられた寝台。サイドテーブルと椅子が一つずつ。
宿泊するには文句が無い場所だが。
「なんか、なし崩し的に泊まることになっちゃったけど」
困った様子を隠さないのはセティ。
何が困るかというと、彼らはすでに町で宿を取っている。
おまけに、荷物のほとんどはそちらに預けたまま。
明日もまた法王と面会することを考えれば、確かにこちらに泊まった方が楽とは言えるが。
やり切れなさそうにため息をついたのはリカルド。
がりがりと色素の薄い髪を掻きつつ、それでもへらりと笑って告げた。
「じゃあ僕が解約手続きと、ついでに荷物も持ってくるよ」
「お願いね」
「まかせといて!」
ひらりと手を振って、一人部屋から出て行く彼の後ろをブラウが追った。
「どこか行くの?」
「見学」
そっけなく告げて、彼もまた部屋を出る。
ばたんと閉じられた扉に、少々不満そうにセティが愚痴る。
「普段まじめじゃないくせにー」
「こういうところに来たからこそ、まじめになったんじゃあないの?」
くすくすと楽しそうなクリオの言葉に、ほんの少しだけ恨めしそうな視線を向けるセティ。
「それで良いのかなぁ?」
「さあ、私はソールの神官じゃあないもの」
「クリオッ」
すねたように怒鳴れば、クリオはますます笑みを深くした。
「大神殿に泊まるなんてめったにできない体験だものね。
私もブラウを習って見学に行くけれど……セティはどうする?」
「んー、今はいいや。後で行くかもしれないけど、留守番しとく」
「そう? じゃあよろしくね」
行ってらっしゃいと見送るセティに笑顔で答えて、クリオは部屋を後にした。
一人部屋に残された彼女は、ぽすんと寝台に腰掛ける。
シーツは洗濯された綺麗なもの。
サイドテーブルも椅子も使い込まれているけれど、逆にとても丁寧に扱われてきたんだろうと思われる。
法王に会って、矢張り緊張していたんだろう。
なんだか疲れた気がする。
転がったままに部屋をぐるりと見回す。
一人用にしては少し大きい部屋。取ってあった部屋に比べてよいものだと断言できる。
とくに、壁にかけられたタペストリーなんて意匠が凝っている。
金髪金目で描かれているのは多分太陽神ソールだろう。彼に跪く信者たちに、両手を広げて迎え入れる――祝福を与える様子が描かれている。
寝転がっているため天地逆に見えているが、多分その解釈であっているだろう。
ちゃんと起き上がってみようかな、などと思っていると、突然、壁にかかっていたタペストリーが翻った。
闇を抱えた深い穴が姿を現し、そこから頭がひょこりと生えた。
滑らかな髪は鳶色。闇に浮かび上がるような肌は、白くてすべすべしてそう。
年のころなら多分セティと同じくらい。
大きな瞳がセティを捉えて、小さな口が開かれる。
「あら」
見た顔だった。そう、つい先刻ニコルス司祭と話をしていたあの少女。
確か、名前はグラーティア。
「見つかってしまいましたわ」
いたずらがばれてしまった子どものように小さく舌を出す彼女。
「とりあえず、動かないでくださいな」
続いて紡がれた言葉。それに反論しようとして口が動かないのに気づく。
目を見張るセティに満足したように、グラーティアは穴から這い出る。
全身を覆うような布のローブ。それでも動きやすさを重視しているように見えるから、旅装には違いないだろう。
何かの魔法だろうか? 口を動かすことすらままならず、おまけに抗いがたい眠気が襲ってくる。
「出てきて大丈夫ですわよ」
「ティアって意外と大物だよねぇ」
彼女に言葉に答えたのは、苦笑したような男の声。
身軽そうにひょいと出てきたのは黒髪の、グラーティアと同じ年頃の少年。
ただしこちらは見た目からして旅装。
マントと革鎧、腰には一振りの飾り気の無い剣。
一見、細そうに見えるけれど、それなりには鍛えているんだろう。
次に出てきたのは青年。少年とよく似た面差しで、浮かべる表情は厳しい。
少年が駆け出し冒険者というならば、青年はベテランといった風格。
あの時追いかけていた『りっちゃん』と一緒に行動していた面々。
ざわりと、肌が粟立った気がした。
青年戦士がセティを見てほんの少し眉をひそめたけれど、彼女は気づかなかった。ここにいる姿の見えている彼らではなく、いまだ姿を見せぬ――だがすぐに見えるであろう『りっちゃん』を思っていたから。
この後ろから出てくるのはきっと、彼女だ。
何をしているのか見逃すまい、何を企んでいるのか問いただそう。
そう強く思っていても、枝から離れたりんごが地に落ちるように、まぶたは重く、今にも落ちそうになる。
そしてセティの予想通り、青い髪の少女が顔を出した。
眩しさに細められた紫の瞳が、セティを見つけ、ほんの少し大きくなる。
反射的にセティは彼女を睨んでしまう。
何をするつもりだ。
そう問いかけるつもりで。
だけど。
ゆらゆらと波間に漂うような心地よさ。
声が聞こえる。自分の名を呼ぶ声。
起きなきゃとは思う。
だけどここは――現と夢の狭間は心地よすぎて。
もう少し寝ていたい。
その願望は叶えられることはなかった。強く頭を叩かれたから。
「いったーあ。なに、するんだよぅ」
「ぐーすか寝てるからだ」
「ブラウの言い分はともかく、鍵もかけないのは無用心だよセティ」
意味のないうなり声を上げて、セティは身を起こす。
ぼんやりした視界に仲間の姿を認めて、こくんと首をかしげた。
「どーしたのさ。何かあった?」
「夕食だから呼びにきたのよ。ほら、しゃんとして」
苦笑交じりにクリオにいわれて、ようやく頭が働き始める。
そんなセティを見て、ブラウはさっさと踵を返して部屋を出た。
彼の髪――真っ黒なそれを見て、ふとセティは思い出す。
眠る直前に、ブラウのものとは違う黒髪を見たような気がする。
でも、なぜ? 誰の?
胸に生じた疑問は、頼りになる姉貴分の声で宙に溶ける。
置いていかれないようにセティはあわてて立ち上がり、仲間の後を追う。
枕にしていたせいだろうか。
左手に残る痺れが、少し――ほんの少しだけ、気になった。