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ソラの在り処-蒼天-

【プロローグ】

 暖炉の熾火にあたり、とろとろとまどろむ少女の頭のなでながら、青年はポツリポツリと語り始めた。
「むかしむかし、あるところに仲の良い兄妹がいました。兄は争いごとが嫌いな性格でしたが、妹は剣の腕がたち、少しばかりお転婆でした」
「おにーちゃんとおんなじだね」
「ははは、そうかな?」
 気持ちよさそうに寝転んでいた少女は、顔を上げてにかっと笑う。
「うん。だっておにーちゃん、やさしいもん」
 そんな妹を寝かしつけるために、青年はぽんぽんと軽く叩きながらお話を続けた。
 暖かな家族の団欒。これが得られるのはあと少しの間だけ。
 惜しむように慈しむように。
「ところが、ある日兄は宝物を盗んで逃げてしまいました」
「ええー、どろぼうはわるいことだよ?」
「うん。悪いことだね。
 だから、宝物を盗んだ兄を妹は追いかけました。
 宝物を取り戻し、兄を討つ為に」
「うつ?」
「倒すってことだよ」
 きょとんとした妹に分かりやすく言い換えれば、反芻して少女は不満げに唸った。
「けんか、だめだよ?」
「……けんかじゃないんだよ。悪いことをしたら、怒られるのは当然だろ?
 セティもいたずらしたら、父さんや母さんに叱られたろ?」
「ん」
 なおも納得いかなそうな妹に対して話を続け、青年はぽんと終わりの言葉を告げた。
「そうして、兄は妹に討たれました。おしまい」
「おもしろくないー」
「あはは、セティにはまだ早かったかな?」
 文句をたれる妹に苦笑して、青年は一瞬だけ切ないような苦しいような表情を見せる。
「つまんないのヤ。ゆーしゃさまのおはなしして?」
「分かった分かった」
 けれど、妹のおねだりにすぐにまた顔をほころばせて、どの話をしようかと考える。勇者の話といっても色々ある。父だってそのくくりに入るのだ。
 ただセティのお気に入りはソールの勇者・ノクスだから、彼の話をすればいいだろう。けれど。
 期待一杯の瞳で見上げる妹に真面目な顔でお願いする。
「でもセティ。忘れないでね、今の話」
「う?」
 こくんと首を傾げる彼女。いつものように微笑を返すことなくもう一度言う。
「おにいちゃんが悪いことしたら、セティが懲らしめてね」
 真面目な顔でそんなことを言い出す兄に何を思ったんだろうか。
「だいじょーぶだよ」
 少女は小さな手を伸ばして。
「おにーちゃん、わるくないもん」
 めいいっぱい腕を伸ばして何とか届く兄の頭をぽんぽんとなでた。
「参ったなぁ」
 悪くないだなんて、そんな嬉しいことを言ってくれるなんて。
 でも――そんなことないんだ。だから、今言ったことをちゃんと覚えていてくれればいい。
 覚えていてくれるだけで、いい。

 聞こえてくる子ども達の声に苦笑する夫。その姿を視界の端に捉えて、彼女はからかうように問いかけた。
「痛いのではありませんか? 耳が」
「お前まで責めないでくれ」
「責めたくもなります。セティはまだ小さいんですよ」
 妻の言葉に二の句を継げず、白々しく咳払いをしてようやく口を開く夫。
「私が行けば、少なくとも君たちの生活は安全だ」
「あなた」
 咎めるような声。
 心苦しく重いながらも、彼は言葉を続ける。
「少し気になることもあるから、セレスは連れて行く」
「どうしてですか? セレスまで連れて行く必要は」
「あるんだ。分かってくれ」
 どれだけ懇願されたとしても聞く耳を持たないといった様子の夫に、妻は毅然として言い返す。
「嫌です。あの子はもう私の子です」
 妻の視線が恐ろしくて、彼は顔を上げることが出来ない。
 彼女もまた、視線が合うことを畏れていた。
 時折見せる感情の一切無い、あの瞳で返されたなら、きっと反論できないだろうから。
「うん。ありがとう母さん」
 沈黙を破ったのは話題の主だった。
「でも、急にそんな話始めないでよね」
 少し怒ったように言うのはセティを思ってのことだ。
 何も知らないセティが聞いても分からないことだろうと思うが、いつ何のきっかけで知られてしまうか分からない。
 初めて気づいたように渋い顔をする両親に念を押すように言って、セレスは顔をほころばせる。
「母さんがそう思ってくれるてるのはすごく嬉しい。
 でも僕は……ううん、本当に行かなきゃいけないのは僕だから」
 何事か訴えようとする母を手で制して、彼は悲しい笑みを浮かべる。
「セティが生まれてすぐ……『彼女』が来たときのこと、覚えてるよね?
 このままここにいたら、きっとまた不幸を呼ぶよ。
 今度は『彼女』みたいに引き下がってくれるか……ううん、きっとそんな融通付かない相手が来るだろうね。そんなことに母さんやセティを巻き込みたくない」
 それこそ関係ないことだと、母親として彼女は言いたかった。けれど。
「ごめんなさい」
 深く深く頭をたれたセレスに何も言えなくなる。
「僕は貴女から夫を、あの子から父親を奪っていってしまう。
 僕一人じゃ何も出来ないから」
「セレスナイト!」
 顔を上げたセレスにようやく出すことの出来た叱責の声。
 しかしセレスは気にした風もなく父――養父へと視線を向ける。
「オリオン――いや、ベテルギウス。準備は出来てるか?」
 先ほどまでの親しみも、気兼ねのなさも一切無い、命令を告げる声。
「はい……殿下」
 問われた方もまた、膝を折り頭をたれて答える。
「明日は出立だ。万全の体調にしておくように」
「かしこまりました」
 彼女は言えない。言うべき言葉がみつからない。
 親子ではなく、主従へと戻ってしまった二人には。
 痛いほどの沈黙の後、セレスはふわりと表情を緩めた。
「じゃあ。お休み、父さん母さん」
「ああ。お休みセレス」
 そう返事を返す夫もまた、見慣れた姿に戻っていて。
 今さっき見たものは、すべて夢幻であったならいいのにと、二階の自室へと向かう養子の姿を見て思う。
「あ、母さん」
「なあに?」
 振り返り、問いかけてきた息子に努めていつもの調子で返す。
 彼もいつものように返してきた。
「帰ってきたらさ、ビーネンシュティッヒ作ってよ」
「本当に……甘いのが好きなのね。虫歯になるわよ?」
 苦笑しながら答えると、両手を顔の前でぱんっと合わせてじっと見つめ返してくる。
「分かったわ。たっぷり作ってあげる」
「やった」
 セレスはガッツポーズなどしてリズム良く階段を上がっていく。
 足音が完全に消えてから、夫はポツリと礼を言った。
「ありがとう」
「お礼ですか?」
 くすりと笑って問い返せば、彼もまた苦笑を浮かべて問い返してくる。
「すまないと言ったら、君は怒るだろう?」
「当然です」
 重々しい口調で軽く頷いて、妻は夫に向き合う形をとった。
「家とセティを頼む」
「はい」
「それからもう一つ」
「……『彼女』のことですか?」
 先んじて問えば、彼は重々しく頷いた。
 セレスとの会話でも出てきた『彼女』を思い出すと、妻は微妙な気持ちになる。
 初対面はどう考えても悪印象だった。
 しかしその理由を夫から聞いた後では、『彼女』の態度も納得できる……というより、当然の態度だろう。
 顔に出てしまっていたのか、夫は少しだけ眉をひそめていた。
 咳払いなどして表情を取り繕うと、背後の戸棚から布で包まれた棒状のものを取り出した。
「万一訪ねてきたら、これを返して欲しい」
「よろしいのですか? 貴方の大切な剣でしょう?」
 受け取りながらも問いかければ、彼は仄かな笑みを浮かべた。
「大切だが、元々は義兄が持つべきものだった。
 義兄を剣が持てないようにしてしまった今、あの子が本来の持ち主になる」
「分かりました。必ずお返しします」
 この人は、帰る気がないのかもしれない。
 もう二度と、ここに戻ってこないのかもしれない。
 ふと心によぎった思いに、言葉が口からこぼれ出た。
「でも、あなたの愚痴も言わせてもらいます」
 妻の言葉に彼は一瞬虚をつかれた様な顔をして笑い出した。
「やめてくれ。また追いかけられて斬りつけられる」
「あら。自覚はありましたのね」
 くすくすと妻も笑い、静かで優しく……寂しい夜は更けていった。

 それは、家族がそろっていた最後の日。
 翌日から家は寂しくなって、しばらく後にはもっと活気がなくなることになる。

 たくさんの黒い服の人。みんなみんな泣いている。
 おじいちゃんもお母さんも、いつもはむすっとしてるブラウも泣いてる。
 お父さんとお兄ちゃんは遠くに行ってしまったんだって司祭様は言っていた。
 旅に出てるから、遠くに行くのは普通なのに。へんなの。
 もう帰ってこないんだよって言われても、遠くに行ってるなら帰ってくるのにも時間がかかると思っていた。
 あのときのわたしは、とても子どもだった。