酔っ払いの正気と本気
えーと……この事態は何なんだろう。
額に手をやって考えたところで悩みは解消しない。
……飲みすぎたわけじゃない。大体、あたし今日は一滴も飲んでないし。
酒の臭いに当てられて……もない。今開けられてるのって、缶一つだけだし。
頭痛の原因に視線を送っても相手はまったくひるまない。
むしろ微笑みかけてくる。
にっこりと嫌味などない……混じりけのない好意の笑みを。
どうしたものかと考えるあたしに対し、従者は完全に傍観者に徹している。
むしろ、笑いをかみ殺し損ねて唇がふにふに微妙に引きつっているのがにくたらし。
とはいえ――この事態を招いたのは、間違いなくあたしなのだ。
用意されたのは清酒とワイン。それからブランデーなどなど。つまみはそれなりに。
テーブルにドンと揃えられた宴会仕様の食事に、多分疲れて帰ってきたのだろうアポロニウスは入口で固まった。
「おっかえりー」
「……不法占拠するな」
「失礼な、上司の許可は取ってるわよ」
「シオンか?! シオンなのか!!」
「残念、団長です」
真実を告げた薄の言葉に、アポロニウスは今度こそ崩れた。
「……個人的にはシャワーでも浴びて休みたいんだが」
「ああ。じゃあ早くね。お酒飲んだら入浴はちょっとやめといたほうがいいものね」
「……意地でも飲ませる気か」
「とうぜーん」
今回、これに踏み切ったのはアポロニウスが酔った所を見たことないと薄が言ったからだ。
あたし自身何回か食事の席で飲酒した彼を見ているが、確かに酔った様子は見られなかった。
強いのかとも思ったけど、本人曰く『弱いから節制しているだけ』という。
けれど、ほぼ強引に行われたという薄と槐さんとの男だけの飲み会でも酔った様子は見られた様子がなかったという。まあ、顔は赤くなってたらしいのだけど。
そこでアポロニウスを酔わせてみようと今回酒宴を催してみた。
実際のところ、ここ最近あたしもストレスたまってたからお酒飲んで愚痴りたかったのもある。
つまんない愚痴を覚えてても仕方ないし、べろんべろんに酔っ払ってたら記憶も飛ぶかなーと思っていたんだけれど……ちょっと甘かった。
諦めた様子でとりあえずシャワー浴びて部屋着に着替えたアポロニウスに、はいどーぞとそこらの缶チューハイを手渡してから数十分。見事に、酔っ払いが出来上がっていた。
「……弱いって本当だったのね」
「まあ、仕事明けで疲れもあったんじゃないですか?
なんだかんだ言ってもPAって肉体・頭脳ともに使う仕事でしょうし」
「うん、疲れてたんだ」
思わず感想を漏らすあたしたちにこっくりと頷くアポロニウスはかなりいい感じ。
ぽやっとしてて、風呂上りということも手伝ってほんのり肌がピンク色。
「ちょっとここ最近立て込んでたから……でも、良かった」
「? 何かいいことあったの?」
「コスモスと会えたから」
さらりと言われた言葉に……不覚にも危うくグラスを取り落としそうになった。
「また頑張れるなって」
「あら、それは光栄ですわね」
ふふふと笑うことが出来たのは……うん、おばーちゃんに感謝。本当、ちゃんとしつけてもらってると思う、あたし。
もっとも、動揺したのは薄には隠しきれてるわけがない。令嬢モード入ってるとか思ってるんでしょうよ!
「へぇ。アポロニウスは公女に会えると頑張れるのか」
余計な一言は相変わらず健在のようね、給料減らしてやろうかしら。
あたしの内心には関わらず、アポロニウスは頷いた。
「コスモスはいつも……特に目の前のことには真剣に取り組むだろう?
だから、僕も負けていられないって思うんだ」
そういう意味で……というより、そう見られてるんだ、あたし。
結構嬉しいなー、なんて思いつつも気になるのは。
何故に一人称が違う? もしかして、頭の中退化しちゃってるのかしら。
呆れるあたしと反対に、薄はにやりと意地悪く笑って問いを続けた。
「アポロニウスは公女をどう思ってるんだ?」
「んー……眩しい」
光が目に入るのかしら?
ちょうどあたしの背中方向に窓があるから振り向いたけれど、元々この部屋に西日は入ってこない。眩しいなんてはずはない。
「自分で言ったことやしたことには責任を持つし、話してて楽しい。頭の回転もいいし……かわいい、というよりは綺麗なの、か?」
そこで首を傾げるな。ってか褒められてるのかしら。
「じゃあ姫は? お師匠様」
ちょっと気になったので、あたしもついでに聞いてみる。
いっつも何かにつけて師匠怖いを連発しているわりに、尊敬もしてるみたいだし。
「かっこいい。男前」
……うん、結構予想外な返事が来たかな?
「魔法も体術も出来るんだぞ、すごい。敵わないなって思うけど……少しは近づきたい」
「あー、確かに姫はすごいわよねー」
同意しつつ思う。素直に答えてるっぽいし、これってとても楽しいんじゃ?
あーでも、仕事面とか考えるとまずいわよね。シオンに忠告しとこっかしら。
「じゃあさ、アポロニウスの初恋って姫?」
「ちがう。師匠は姉さん……? 母さんみたいでもあったし……父さん代わりも?」
だから首を傾げるなと。あーでも、ちっさい子ってこんな感じで話すわよね。
「ご飯作ってくれたし、遊んでて振り返るとちゃんと見ててくれた」
「……もういいから。なんか切なくなるから」
そういうのって満面の笑みで言うことなの? 想像すると本当に切ないんだけど。
「どうして師匠のこと気にするんだ? 僕はコスモス好きだぞ?」
「あー、ありがとうね」
本気で小さい子相手に話している気分になるわねこれ……って!
「薄!」
嫌な予感に視線を厳しく従者を見やれば。
「録音させていただきました」
いい笑顔で親指立てるな!
そして、冒頭に戻る。
「頭痛いのか? 大丈夫か?」
「頭痛の種が何言ってるのよ。あんた本気で外堀埋められてるのよ?」
答えるけれど、酔っ払い相手に会話が通じてると思えない。
姫(保護者)に引き取ってもらおうかしら。
「賢者様は出張中ですよ。アポロニウスもそれを知ってるからたがが外れてるんじゃないですか?」
「解説どーもありがとね」
「誰に何を言われたのか知らないが、気にするな。
コスモスは十分魅力的だし、陰口叩くような相手は相応しくない」
「慰めてくれてありがとう……方向おかしいけど」
ため息一つ。うん、素面だから辛いのよ。
「飲も。薄」
「はい公女。アミ・シャルメの五年物です」
さっさとソムリエもどきになった薄に酌をさせてやけくそ気分で一杯目を煽る。
本当、飲まなきゃやってられるかって感じよね!
「コスモスは気風がいいな」
そういうとこ好きだとニコニコ笑うアポロニウス。
――元々、見目は悪くない。というより、上の中くらいの相手。
素面で口説かれたら、耐え切れる自信がない――なんて思ったのは、酒に酔った気の迷いだろうか。
「ってな感じで褒め倒された」
にこにこにこと意地悪くいうあたしに、紅茶の用意をしているアポロニウスはむっとした表情で返す。
ちなみに宴会は二時間と経たずお開きになり、あたしはすぐにいつもの客室に戻ったが、
薄は残ってまだ飲んでたらしい。
あたしは適量で止めたし、アポロニウスはあんな状況だったからそれ以上薦められることはなく、つぶれて二日酔いで苦しんでるのは薄一人だけ。
カップをこちらに渡しつつ、ため息混じりにアポロニウスが答えた。
「言われなくても覚えてる」
「え? あんな酔っ払ってたのに?」
「酔っても記憶が飛んだことはないからな。一度も」
おかげで失態は全部覚えてるんだぞ、かえって忘れたいくらいだと愚痴る彼。
「じゃあ、アレは本心だと思っていいのかしら?」
「ああ。まあ、ないものねだりという奴だが」
あたしに供したのと同じ紅茶を飲みつつ、どこか拗ねたように言う。
「私は選択肢が二つ以上あると、必要以上に迷ってしまうからな。
すぐに決めることのできる決断力や、間違いがあったのなら臨機応変に対応できる能力は羨ましい。だから『眩しい』んだ」
「褒めてくれたことにはお礼を言うけどね」
どうやら本当に覚えてるみたい。詳細まで詳しく覚えてるのかはわからないけど。
こりゃ、酒の席だからって迂闊なこといえないわね。
……例えば真面目に口説かれたら、耐え切れそうにないかなって思ったこととか。
「おかわり。次はミルクティーね」
「はいはい」
そもそもあたしに、耐える気がないってこととか――ね。
おしまい
アップを忘れていた6周年記念SS。
なんだかんだで安泰な二人。こんなだから周囲から早くくっつけと思われてます。