【番外編】 衝撃の狂想曲
離宮の一室で、男性は低く呟いた。
「もう時間が無い」
女王はもう高齢だ。しかしサルビアは今年でもう十三。
自分が王位を得るチャンスは、残り時間はもう少ない。
この国は女王国家。王位に近づくにはなんとしても結婚しなければならない。
まず従妹のマイカイは女王に嫌われているから除外。
流石にサルビアに近づく事は困難だ。
母のパパメイヤンが継ぐのならば別に問題は無いが、手は打っておく必要がある。
残る王位継承権所持者はナルキッソス・システル・スノーベルの三公爵家の娘達に限られるが、システル家には娘がいない。年の低すぎるものやすでに継承権を放棄している者を除外すれば、花嫁候補はナルキッソスのコーラスかスノーベルのコスモス。
「コーラスとコスモス。どちらがより近いと思う?」
名前を出せば忠実な執事がすぐに返事をする。
「家格から言えばコーラス姫でしょう」
ですが、と執事は続ける。
「スノーベルは名があります」
かつて魔法国家と呼ばれた面影はいまや無い。
しかしスノーベルはいまだに『魔法使い』の代名詞的存在。
「居場所はわかっているのか?」
三年前にふらりと旅に出たまでは分かっているが、二年程前からその足取りはつかめていなかったはずだが。
「ディエスリベルに滞在中との事です」
「そうか」
執事の答えに低く呟き。ならば。
「行くぞ。ディエスリベルへ」
三年経って恐怖も薄れたのか、フランネルは結局懲りていなかった。
「なるほど……この街か」
情報を集めて向かった先は、ディエスリベルの首都ではなく一地方都市。
考えてみれば、彼女がここにいてもおかしくは無い。
ここは世界的にも知られた街。『PA』の本部があるのだから。
半年ほど前にPAに彼女の弟が所属したのは有名な話。
世界のどこを旅していたのかは知らないが、弟に会いに来たのだろう。
さまざまな国から来たのだろう。道行く人間はざっと眺めただけでも多様で、フランネルたちが浮いている様子は無い。そうはいっても連れはこの執事と今は隠れている護衛だけなのだが。
「しかしPAには基本的に入ることは出来ないだろう。そのあたりは考えているのか?」
「いえ殿下。コスモス公女はPAではなく、魔法協会の運営している病院に滞在されているようです」
「何? 病気か何かか?」
だとしたら手土産を考えねばならない。
しかし弱っている時に優しくしておくのは得策だろう。案外運がこっちに向いてきたか?
「そこまでは。とりあえず向かってみましょう」
言って執事は荷物を持って主の先を行く。
探し人はあっさり見つかった。
病院の敷地は結構広大で、魔法協会運営らしく広々とした薬草園を持っており、そこを見渡せる喫茶室らしき場所にコスモスはいた。
白いタートルネックのセーターで胸元には緑の石のペンダントが揺れている。
ティーカップを傾けつつ、手元の雑誌を指差しては熱心ににこやかに向かいの男性に語りかけている。
そう、男性に。
「誰だあれは」
自然と声が低くなる。
ガラスを隔てた薬草園側にいることもあり会話はまったく聞こえないが、仲がよさそうなのは一目でわかる。
パラミシアではフランネルとコスモスは結構知れた『事実』だったから彼女に言い寄るものは皆無といっても良かったのだが、流石に外国とあっては話は別。
この位置からでは相手の顔が良く見えないので、一定間隔で立っている木に隠れるようにして移動してその顔を確かめようとするフランネル。執事は何も言わず、ただ主に付き従うのみ。
そうして確かめた相手の男性の顔は……悔しい事にフランネルより上だった。
年は多分コスモスと同じくらいか少し上。
珍しいほどの鮮やかさを持つ赤い髪に少々切れ長な感のある緑の瞳。
黙っていれば冷たい印象を感じるが、時折浮かべる微笑は女性の目にはさぞ好ましく映ることだろう。
座っているため身長までは分からないが、ぱっと見は細く見える。とはいえそれは他の患者と同じように入院患者用の服を着ているせいかも知れない。
「コスモス公女はああいう男性がお好みなんですね」
「何を言うか! 計画のためにはコスモスの好みなど」
しみじみといわれた言葉にむっとして言い返しかけて気がつく。
今喋ったのは誰だ?
声のしたところからは、定期的にシャッターを切る音が聞こえてきて。
勢いよく振り向けば黒一色の服に身を包み、片手に収まるくらいのデジカメで写真をとり続ける桜月人の姿。
「おまっ」
「お久しぶりですね王子。ご趣味は出歯亀ですか」
にこりともせずカメラから視線を動かすことなく彼は言う。
忘れようも無い。三年前に城でフランネルを『脅迫』したコスモスの護衛である。
何か言われるかと警戒したが、フランネルにかまうことなく薄はかしゃかしゃと写真とりまくっている。問うまでもなく、視線の先には喫茶室で談笑する二人の姿。
「何をしている?」
何のために主を盗撮しているのか。
そういった疑問を込めて問うた言葉に、薄は相変わらず視線を変えぬままに答える。
「何って……既成事実の捏造を」
つまりはアイツをコスモスの恋人に仕立てると?
「捏造したら既成事実とは言わないだろう」
「噂を流せれば十分ですよ」
正確なはずの言葉は苦笑で返される。
「いつか事実になりますからね」
刃を含んでの言葉に、フランネルが返す言葉は無い。
真実はいらない。周りがそれを認めれば嘘も実に変わる。
そうやって自分も周囲を騙したのだから。
ガラス一枚隔てた向こうはとても楽しそうで、コスモスの話に耳を傾けていただろう青年は頷きつつグラスを手にとり傾ける。
親戚にはどうやっても見えない。
友人か、恋人同士といってもおかしくない雰囲気ではある。
となれば薄の目論見のように、騙される人間もいるだろう。
これは、なんとしても邪魔をしなければ。
決意を固めるフランセルの視線の先で、赤毛の青年は激しくむせ始める。
そんな彼を見て、コスモスはきょとんとした後激しく笑う。
いつも浮かべる微笑ではなく、フランネルの知らない笑顔。
それだけ青年に気を許している事がうかがえて、思わず事情を知ってるらしい薄に詰め寄る。
「何だあの赤毛はっ 一体どういう関係なんだっ」
「命の恩人ですよ」
さらりと答えられたその言葉。
命の恩人?
コスモスはそういえばこの三年あちこちを旅していた。
その間に何か命に関わる事故にあったというのか?
可能性に思い当たり、フランネルは納得する。
なら病院にいてもおかしくない。
事故の時に青年に庇われたか何かしたのだろう。
自分を庇ったせいで怪我をした彼に恩義を……そして恋心を抱いてもおかしくない。
「そうか……そういうことか」
勝手に解釈して納得するフランネルをほっといて薄はシャッターを切る。
まあ誤解するような言い方をしたのは確かだ。
赤毛の青年――アポロニウスが命の恩人ではなく、『コスモスが』アポロニウスの命の恩人なのだから。
しかしこうやって仲が良いと誤解させておけば後々事を進めやすいだろうし、『剣』としてはいい加減この馬鹿王子を『切っておく』必要もある。
爆笑していた主はいまだに肩を震わせていて、向かいのアポロニウスは少し不満そうに飲み物をわきへと追いやった。
もちろんその様子はすべて写真に収めている。無論こうやって撮られた写真が実家はおろか、近所の皆様にまで配られている事などコスモスは知るまいが。
しかし『王子の恋人説』を覆すにはこの程度の事はしないといけない。
以前にアポロニウスには『コスモスの盾になってくれないか』と話を持ちかけ、一応の了承はとってあることだし。
心の中で言い訳しつつもシャッターをきる手は止めない。
グラスに入った綺麗な緑色の飲み物。多分メロンソーダだろう。
物珍しさから頼んだのかもしれないが、アポロニウスの経歴を考えると炭酸飲料など飲んだことは……いや炭酸飲料の存在すら知らないだろう。もしかしたら分かっていてコスモスが薦めたのかもしれないが。
泣くほど楽しかったのか、目をこすってからコスモスは自分のカップに紅茶を注ぎいれて、それをアポロニウスに差し出す。
「おや」
「は?」
そうしておいてコスモスは、アポロニウスのメロンソーダを手にとって半分ほど一気に飲んだ。
無論薄がそのシーンを逃すはずは無い。
隣で王子が震えているのは分かるがそんなもの薄が知ったことじゃないし。
アポロニウスは呆れ半分と言った表情で何事かを呟き、自身も紅茶を飲んだ。
「人が口をつけたものに、口をつけるなどと……」
震える声で言う王子。
コスモスに恋人なんていないとたかをくくっていたからショックだったのだろう。
打ち合わせなんてしてないのにナイスです公女。
心の内でそっとエールを送る薄。
これで完璧に刷り込み完了。王子にとってアポロニウスは『コスモスの恋人』として認識された。
とはいえこの執念深い王子がこれで諦めるとは思えない。
まあ一次襲撃は撃退ってとこですかね。
かしゃりと撮ると、ブザーが鳴ってデータがいっぱいになったことを知らせた。
これからの襲撃はどうかわしましょうか。
そんなことを思いつつ、薄は今日の写真の選別に入った。
おまけ
「さてこの文字はなんでしょう?」
指差した先の文字を拾って答えが出るまでには数秒。
「ディエスリベル」
「はい正解~」
ぱちぱちと拍手して次の問題を出す。
うんうん。国名と地名はちゃんと覚えたわね。
テーブルの上は互いが注文した飲み物と筆記用具、それにノートと雑誌が数冊。
昼食後ぽかぽかと日のあたる景色のいい喫茶室に二時間ほど居座っての勉強会はすでに日課になっていて、すっかりここはあたし達の指定席。
喫茶室のメンツもそれは心得ているので邪魔はしない。
とは言っても会話はすべて古代語だから、口出しできないだけかも知れないけど。
病室で勉強してもいいけどここにいれば食べ物も飲み物も頼めば出てくるし、部屋に閉じこもりっぱなしじゃあ気も滅入る。
「アポロニウスが勉強嫌いじゃなくて助かったわ」
心の底からの感想に、アポロニウスは苦笑して返す。
「地名や国名の発音はそう変わらないだろう」
「それはそうだけどね」
あたしとしてもようやく『人間の』アポロニウスに慣れてきた。
一人でいる時もついついアポロニウスがいる感じがして話し掛けてしまう癖はまだ抜けきってないのは何とかしないといけないけど。
でもやっぱりずっとイヤリングだと思ってたのがいきなり人の姿になると変な感じ。
ごまかすように紅茶で喉を潤す。
でも美味しくない。
顔には出さずに内心でごちる。
紅茶を頼めばポットで出てくる。二、三杯は飲めるからたまに頼んではいるものの。
こんな場所だから葉から淹れろとはいわないけど、淹れ方一つでティーバッグでもかなり美味しくなるんだけどな。
向かいに座るアポロニウスもメロンソーダに口をつけてしばらく固まったかと思うとむせ始めた。
えーと?
あ、そっか。炭酸なんて飲んだ事無いよねぇ。
そう思ったら笑いがこみ上げてきて止まらない。
爆笑してるとアポロニウスに恨みがましい目で睨まれた。
「ご、ごめっ……すっかり忘れてたっ」
美味しいジュースだよ、ためしに飲んでみればって薦めたの、あたしだし。
笑いすぎて出た涙をぬぐって、ポットの紅茶を淹れて差し出す。
「口直しにどーぞ。そのかわりそっちちょうだいね」
「別の頼まなくて良いのか?」
カップを受け取りつつ聞くアポロニウスに当然の事のように返す。
「そしたら結局残すでしょ? もったいないじゃない」
言って一気に半分ほど飲む。
だいたいこの国の人間って使い捨てしすぎてるのよね。
まだ使えるものとか捨ててるし、食べれるのに捨ててるし。もったいないお化けが出るぞ。
甘いジュースはそう好きじゃないけど、炭酸のしゅわしゅわした感じが恋しくなる時もある。たまに飲むからこそ美味しいのかもね。
「師匠と同じことを言ってるな」
「小さいころから知ってるしね」
にっこりと返せば、それもそうかと呟いてアポロニウスも紅茶を飲んだ。
あ、そういえば。医師からアポロニウスの外出許可でたんだっけ。
とりあえず変な病原菌はなかったからって。だったら。
「そろそろ街で実践もしてみようか。バスの乗り方とか買い物の仕方とか。
覚える事はたくさんあるんだから」
「分かってる」
あたしの提案にアポロニウスは軽く頷いた。
「じゃ明日晴れたら決行ってことで。どこ行こうかな~」
この国に来たものの。あたし結局今まで観光らしい観光してないし。
勉強にかこつけて観光楽しんじゃえ!
うきうきしてあたしは情報誌をめくっていた。
そう。
今日どんな報告がもたらされ、明日何が起こるかも知らずに。