【第七話 暗躍するもの】 1.ひと時の平安
魔法協会インスラトゥム支部の図書室。
今日も今日とて、名物になったやり取りが繰り返される。
「こすもすちゃああああんっ」
半泣き……いや、確実に泣きながら訴えるのは、濃緑色の協会要職者用ローブをまとう金髪の少年。
年のころなら十歳前後。
しかし、ピコピコと動く長い耳が実際の年齢と外見とが一致しないことを現している。
彼を一顧だにせずにあたしはペンを走らせながら問い返す。
「何ですか支部長? 私写本で忙しいんですけど?」
「うぐぅあああああっ」
いつものように返せば、相手もいつものように悲鳴を上げる。
他の利用者も慣れてしまったのか、何も言わずに見て見ぬ振り。
あたしの護衛にいたっては暇なのか船まで漕ぐ始末。
バイトを引き受けて半年が過ぎたころのこと。
時給プラスに写本の完成ボーナスがついて、おまけに生活費はほとんどかからないこの状況。
旅するための貯金は順調にたまっている。
「これ以上しないでっ お願いっ もっとローペースでぷりーぃずっ」
「そういわれましても……私今とにかく貯金しないといけないんで」
だってさぁ。
アポロニウスの本体は封印した人曰く『ブラン大陸のどこかの遺跡』らしいし?
一大陸をくまなく探すのってすっごく時間もお金もかかるし。
その遺跡がすでに発掘されてて一般開放されてればいいけど、そうでなかったら発掘もしなきゃいけないし?
発掘に関しては、考古学者の端っこにかろうじて引っかかっているとーさんに同行させてもらえばいいとしても、その肝心のとーさんとはまだ連絡取れないから、どっちにしたって時間つぶさなきゃなんないし。
この状況でバイトにいそしむ以外に何をしろと?
へらへらと人の悪い笑みを浮かべるあたしに、こういうとこはよく似てるだのと呟いたあと、支部長は口を開いた。
「お使い行ってくれない?」
「お使いですか?」
「そう」
見上げてくる瞳はまるで『この動物飼っていい?』と母親に訴える子供のよう。
子供の外見利用した見事な作戦ともいえるかもしれないけれど、あいにくあたしにはこの手は効かない。
「別料金ですよね?」
聞き返せば、案の定支部長は一瞬固まり、深い深いため息をついた。
ふっ やっぱりただで行かせる気だったか。
子供のおねだり攻撃なんか、シオンで慣れてるから怖くも何ともないやい。
……地面に寝転んで駄々こねられたり大泣きされる分、本当の子供のほうが厄介だしね……
「わかってたよ。写本の謝礼よりは落ちるけど……」
「別にかまいませんよ。賃金出るなら」
なんせあたしが本来所属してるのは故郷の協会だもん。
強制されるいわれはないし?
「アカシック・レコードに行って欲しいんだけど」
「あかしっく・れこーど?」
なんだそれ?
「ごめん仲間内での言い方だった」
きょとんとしたあたしに支部長は訂正を入れる。
この間行ったかどうかは知らないけれどと前置きして。
「PAに併設されている大図書館だよ。このメモにある本を借りてきて欲しいんだけど」
差し出されたメモを受け取る。
意外に流麗な筆跡でタイトルと著者名が書かれてあった。
……ってかこのタイトル……家の書庫で見たことあるし。
「一冊だけですか?」
「一人一冊までしか借りれないし、入るのにも大変な図書館だし」
入るのにも大変?
PAに併設されているということは危険な場所ってことよりもむしろ、入るための資格が厳しいってことか?
「……六級魔導士のあたしが入れるんですか?」
聞き返せば、意味深な笑みを浮かべて教えてくれる。
「館長は銀の賢者さまだよ?」
「なるほど……でも顔見知りだからって良いんですか?」
規則をそんなうやむやにしてもいいもんだろうか。
『スノーベル』だからってそんな風に特権もってていいのか?
「んー」
あたしの問いかけに虚空を睨んでしばし考え込んだ後、支部長はあっさりと言った。
「ま、いっか。
今進行中の案なんだけど、魔導士検定から実技を抜こうって話があるんだよね。
このご時世で実際に魔法使う人間なんてほぼいないでしょ?
だから知識のみで級を与えようってこと考えたんだよね」
「知識だけ……?」
「うん。君なんかは実技が駄目だから六級なわけで、知識だけなら確実に三級レベルに手が届いてる。
あの図書館には三級以上なら入れるし。
さっき言った案も多分問題なく通るだろうから、平気でしょ?」
いや平気でしょってあたしに聞かれても?
「それに実際問題として、三級以上の魔導師って本当に数少ないんだよ。
ここにはボクと副支部長の二人しかいなくって、彼も今出張してもらってるし、そんな中協会ほっといてボクが行くわけにも行かないし」
「切実なのはよく分かりましたけど……事後承諾って良いんですか?」
まっとうな疑問だったはずなのに、支部長はほんのちょっとだけ考えて。
「なんなら本部のエドワモンド副会長にも許可貰おうか?」
「いいですよンなことしなくたってっ」
大叔父さんにまで話がいってるってことは本気で成立寸前なんだろうし、あの人のことだからすぐに許可出すだろう。
ペンを置いて本にしおりをはさんで、書きかけの写本にはインクが写らないように薄い紙で軽く抑えてから別の紙をはさんでとじる。
一度大きく伸びをしてから立ち上がって支部長に問い掛ける。
「今から行けばいいですか?」
「いやそんなに急がなくても」
「え~あたし暇なのって」
性に合わない。
そんな風に軽く言おうとしたら。
すっとあたしの横に薄が立った。
「どしたの薄?」
彼は黙して応えない。
ただその反応がおかしいのであたしはそっとあたりをうかがう。
最近使っていなかった千里眼。
今日は人が多い日なのか、図書室にもロビーにもちらほらと人の影。
「コスモスちゃん?」
不審に思ったのだろう支部長が何か言ってくるが、分からない以上答えようがない。
「支部長」
黒いローブの男性がファイルを数冊片手に近寄ってきて。
見つけてしまった。
「こちらの書類を」
「何?」
そっちに行こうとした支部長の肩をがっしり掴んだままあたしは言う。
「お久しぶり」
そのあいさつに、『彼』はいっそ清々しいほどの笑みを浮かべた。
「おや気がつきましたか」
禍々しい赤い瞳を輝かせて。