【第二話 彼らの思惑】 3.在りし日への想いと旅立ちの妨げ
思い違いだろうか……
アポロニウスは自問する。
ここは、よく似ている。
いまや乏しくなってしまった記憶を探る。
思い浮かぶのはかつてすごした日々、師匠との修行。
テーブルの上に置かれたままで身動きを取ることが出来ないからはっきりとしたことは言えないが、やはりここはよく似ている。
かつて師匠と暮らした家に。
もしかしたら同時期に建てられたものなのかもしれない。
建物の流行り廃りは服の様に早くない。
昨日までいた建物も見覚えのあるつくりをしていたし。
それにしても現在は一体どういう世界なのだろう。
自分がこの姿になってから、どれだけの月日が流れたのだろう……
過ぎ去りし過去に思いをはせ、懐かしい顔が脳裏に浮かぶ。
父と共に初めて師匠に会った日、通された居間は、やはりこの部屋に似ているような気がする。
屋敷内を見回ることが出来たならそれを確かめることも出来るだろうが。
最後に師匠と別れたのはいつだったか……
確か笑顔で送り出されたような気がするが……
そこまで考えてはっとする。
……記憶の中の彼女との別れは牢屋の中ではなかったか?
ツミを犯したから、牢に入っていた……はずだ。
今生の別れに笑顔で送り出すような人では、ない。
ならば何故笑顔で送り出されたなどと思った?
疑問は大きく膨らんでいく。しかし確かめる術は……無い。
すべては、はるか昔のことなのだから……
薄が静かに部屋から出て行く。
そして扉が閉ざされる。まるで彼の記憶をも封じるように……
「やっぱりない、か~」
魔法協会の図書室で大量の本を机に積み上げて机に突っ伏しポツリと漏らす。
そんな簡単に見つかるとは思って無かったよ? そりゃ。
でもここまで手がかりが無いと、ねぇ?
まぁ本来の目的は果たしたし、そっちの方は結果を待つだけの状態で、今してる調べ物の方はおまけなんだけどさ?
それでもめげずにあたしは一応考えてみる。
アポロニウスは魔法のことを知っているし、魔導士だってことは確かめた。
だから何か情報が無いかと思って協会にきたのだけれど……
個人個人の情報がすべて残っているとは考えづらい。高名な魔導師なら逸話とか残ってなくも無いのだけれど……あいにくあたしの知識では『アポロニウス』の名前は聞いたことないし、シオンも知らなそうだったしなぁ……
つまり資料はまったく無い。もしくは隠されているかのどちらかだろう。
てか、アポロニウスがいつの時代の人だったか聞いてなかったし……
やっぱあたしはどこか抜けてるんだなぁ……
これ以上はここで調べ物してても意味が無いような気がするし……そろそろ場所を変えようかな。
と、思案していると机に影がさした。
どうやら客人がきてくださったらしい。
本当のことをいえばあまり会いたくはないのだけれど。
「久しぶり」
茶色の瞳が和やかにこちらを見返してくる。彼を見上げてあたしも一応微笑んだ。
「ご機嫌麗しゅう……フランネル殿下」
場所を移して協会内の休憩室。
さすがに図書室で堂々長々と話をするわけにも行かずここにきたのだけれど。
コーヒー片手にちらりと彼の方を見てみれば視線に気づいて微笑み返してくる。
『殿下』って呼び方でピンときた人もいるかもしれないが、彼はこの国の第一王子様。
でも『おーじさま』という呼び方は……二十八という年のことはさておいて、ラグビーか格闘技でもやってたのか? ってくらい体格のいい人には向かない呼び名だと思う。正真正銘の偏見だけどさ。
「ますます綺麗になって」
「まあ。お上手ですのね」
ひかないでくださいお願いします。あたしも自分で言っててトリハダたちそう。
でもでもあまり下手な受け答えをするわけにはいかない。不敬罪に問われてしまうし。
それに一応公女だしね、教育はびしっとされてるのよ。あのおばーちゃんに。
「噂で聞いたんだけど……国を出るって言うのは本当かい?」
「どちらでそんな噂を? 国を出る、だなんて」
地獄耳め。誰だばらしたのは!
それとも監視されてたかな。国家権力って嫌だね。
「わたくしはただ旅行に行くだけですわよ?」
『冒険』とか『旅』っていったほうが正しいような気はするけど。
そんなこと正直に話すいわれは無い。
「旅行って……どこに?」
「まだ決めておりませんの」
にっこりと笑顔で拒否する。うっかり言おうものならついて来かねない。
「心配なんだよ。君のことが」
じっとこっちを見つめてくる顔はとても真剣なもの。
に見えるのだろう。普通の人には。
「ご心配には及びませんわ」
あたしには……ゆがんだ顔にしか見えない。逃がしてたまるか……そう言う顔。
こういうとき、あたしは自分の目が嫌になる。すべてを……真実を見通すこの千里眼。
見るのは自分にとって都合がいいものばかりじゃあない。
「わたくしの『剣』は頼りになりますもの」
「君の護衛を疑うわけじゃないけれど……」
あたしがにっこりと笑って見せると思案気に言う。
ちっ 薄連れてきてればよかった。
殿下の護衛のSPが立派に隠れているけれど、千里眼の前ではそんなもの無意味。
護衛か、それとも別の思惑でもあるのか。
「やっぱり危険だよ。公爵令嬢が一人旅って言うのは」
「あら。お母様も結婚前から世界中を旅をしてましてよ」
おかーさんは結婚前から……ていうか、今のあたしと同じ年くらいから世界をまたにかけてのボランティア活動をしていた。国境無き医師団みたいなものかな?
医師免許や看護士免許を当時は持っていなかったのだけど、水属性の魔導士で、水を生み出したりする術や回復魔法はお手の物。
何より『水』はとても大事だから、行く先々でかなり歓迎されたらしい。
その旅の最中におとーさんとも出会ったって言うしね。
「それはそうらしいけど」
と、そのときあたしの『目』は心強い味方の姿を捉えた。
なおも言い募る彼にあたしはわざとらしく時計を取り出す。
「あらもうこんな時間。そろそろ失礼いたしますわね」
「なら送って」
「殿下のお手を煩わせるわけには参りませんわ」
その声は右手から聞こえた。
そこに佇んでいたのは黒を基調としたクラシカルな衣装に身を包んだマギーの姿。
黒は魔道の色。この国では常識だ。
いつもはメイドをしているマギーだけど、実は立派な魔導士。
そして彼なら知っているだろう。マギーの魔導士としてのウデも。
にっこりと微笑んで、しかしきっぱり拒絶してマギーは言い放つ。
「お話の途中失礼いたします」
これで話はおしまい、と言いたいらしい。
微笑にダブって般若の顔が見えるよあたしには。
「マギー」
あたしが呼びかけると、今度は本当の笑顔で。
「お迎えに参りましたお嬢ちゃま。奥様がお待ちかねですわよ」
「ええ。では殿下、ごきげんよう」
そうしてあたしたちは協会を後にした。
「ありがとうね。助かったわマギー」
「いいえ当然です!
いくら殿下とはいえあんないかにもな教養もない筋肉バカが私のかわいいかわいいお嬢ちゃまに近寄るなど!!」
いきなりな過激な発言。
昔ほどじゃないけど王家をバカにすると不敬罪に問われるんだけどなぁ。
ま、すでにうちの敷地内だし、他人はいないからいいか。
諜報員の類は昔からよく来て入るみたいだけど、ほぼ例外なく木々の肥やしになってしまったみたいで、いまや近寄る人はいないしね。
でもマギー本気で怒ってるよ……マギーの王族嫌いは今に始まったことじゃないけど。
王族嫌いって言うより貴族嫌いのほうが正しいかも知んない。
伝統を大事にするっていうのは別に悪いことじゃないと思うけど、それを鼻にかけたりなんかしてるとたしかにハラたつ。
「権力争いにこともあろうにお嬢ちゃまを巻き込むなど!!」
そう、マギーの貴族嫌いの一因は権力争いの醜さにある。
後を継ぐために親戚同士、兄弟同士の争いを続けるのは、はたから見てると醜いし、悲しい。
一般家庭の遺産争いを考えてもらえれば簡単に想像つくだろうけど。
うちは遺産争いとか後継者問題なんかはほとんど無い。
マギーが家に仕えてくれるのはそういう理由もあるからだろう。
『後継者がすべての遺産を受け継ぐこと』という不文律があるからっていうのと、進んで後継ぎになろうという人間が少ないことが大きな理由。
大体は本家で一番魔力の強いものがなることが多いし、本家に血が近ければ近いほど、近寄ることを拒む人が多い。
残念ながらその理由は公には出来ないし、一族では『成人した』とみなされていないシオンもいまだ知らない。
だから話せない。
「権力争いか……巻き込まれた……のかなぁ……」
どうしてもぼやいてしまう。
『巻き込まれた』というのは正しくない、と思う。
権力争いの渦中にいるようなもんだし。
この国は女王国家。王家の女性にのみ王位継承権は与えられる。
公爵家は王家とのかかわりも多いから、一応王位継承権があったりする。
殿下があたしにちょっかいかけてくるのはあたしが王位継承権を持っているせい。
捨てたいが、そう簡単に捨てるわけにもいかず、スノーベル本家の女達は結婚と同時に放棄するのが慣わしになっている。
「しょーじき、王位なんて欲しくも何ともないんだけど」
「そうでしょうとも」
マギーがすごい勢いで首を縦に振る。
「お嬢ちゃまはお優しいですから王位についたりしたら、お体によくありません」
あたしが優しいかはともかく確かに体にはよくなさそうだ。
あんまり体強い方じゃないし。面倒事は極力避けたい。
「ところで、お嬢ちゃまはどちらに帰られますの?」
「んー」
家に帰ったらシオンがいる。シオンがいるときっとうるさい。
「森の家の方」
「かしこまりました。あとで夕食を運びますからね」
マギーにうなずいて、ふっと妙な感覚が走る。
見られてる? 方向は……家のほう。
力を使ってみてみると、案の定おばーちゃんが見てる。
「帰らないといけないみたいね」
そうして家に帰ると、もっとややこしいことが待っていた。
テーブルの上に一通の白い封筒。
不機嫌な顔でおばーちゃんはそれを示す。
「誕生パーティの招待状がきているよ。王子から」
は?