lycoris-radiata
【第四話 花の都と繋がる絆】 3.幕引きの時
思わずうめき声を上げたコスモス。それまで動かしていた足もぴったりと止まる。
『どうした?』
「……うん」
レベッカはすでにいないというのにコスモスの口は重い。
『何を見た? まさか、誰かがあの門をくぐったか?』
揶揄するように問いかけるアポロニウス。
見えなければ分からなかった。
こちらの忠告を無視して、見学ルートを元に戻しているなんて。
確かにアポロニウスの言うとおり、人々はこぞって門をくぐっていた。
だが彼らは魔導士ではない。最悪の事態に導くような魔力を持っていない。
しかし、今見た状況はひどすぎた。
「逃げようとした館長が、魔封石――しかも品質いいのを大量に抱えて、挙句『スノーベル』のビオラを巻き添えにしてね」
力ないコスモスの返答に沈黙するアポロニウス。
周囲には昨日とは比べ物にならないほど、濃厚な魔力が漂い始めていた。
『吸魔石は』
「ばっちり粉々」
『惨状か』
「見えない人間が何言ってるのよ」
現実逃避気味の彼に、半泣きになりつつコスモスは言って走り出す。
とにもかくにも、現場に行って何とかしなくては。
『見なかったことにすることは出来ない、だろう?
自分に都合の良いものだけを見ることは出来ない。そう豪語したのはお前だろう』
「言ったけどね。確かに言ったけどね」
何故か歌いだしている絵画の横を通り過ぎて、包み込もうと飛び掛ってくる旗をかわし、彼女は吹き抜けを目指す。
思った以上に魔力に反応する仕掛けを施された品物が多かったらしい。
全部没収されてしまえと頭の片隅で思いつつ手すりにたどり着き、身を乗り出すようにして階下の様子を確認する。
右往左往する人々と、必死にそれを誘導する警備員が見て取れた。
変わらないままの門の姿。しかし物質的な重みを持って噴出す魔力。
門の側には両手両膝を着いたままのビオラと、薄に取り押さえられた館長の姿。
ゆっくり降りている時間なんてない。
コスモスは手すりを飛び越して宙へと身を躍らせ、魔封石から風を呼び出し、地面に放って衝撃を削ぐ。思ったよりも軽い音と共に着地した彼女の髪が、衝撃とは別の、魔力の塊ともいえる風になびく。
「なるほど。これはすごいね」
感嘆の色濃いバリトンに視線をやれば、地面に座り込んだままに門を見上げる青年の姿。不ぞろいな金の髪が風に煽られ、楽しげな笑みすら浮かべている。
『何をのんきなこと言ってるの!』
叱咤する声は涼やかなソプラノ。青年にかぶって見える少女のものだろう。
「同意ですわ」
冷たい眼差しで『彼ら』を見やり、コスモスは門へと視線を戻す。
「今はこの事態を収束させなければなりません。
ですが……後で詳しい話をしっかりと聞かせていただきますからね。ビオラ」
『我が主』
「我が主の御心のままに」
戸惑うような少女の声。青年は対照的に芝居がかった口調で深く頭をたれた。
先ほどからレベッカの声で避難誘導の放送が流れているし、警備員もその任務を全うしている。薄は下手人を連れて行かせるとして……
「導師ヴァレリ、ミズ・クレメンティ。吸魔石はいくつお持ち?」
「四個です!」
慌てて駆けつけてきたらしいクレメンティが声を張り上げ、ヴァレリは無言のままに術を発動させ魔力を吸い取っている。だが――足りない。
「ビオラは?」
「ここの片割れが一個と、協会仕様が三つ」
協会仕様の石では軽く見積もっても二十は必要だろう。
門の片割れの吸魔石がどのくらいの容量を誇るかは分からないが、壊れてしまっては元の木阿弥。いや、それ以上にもっとひどいことになる。
『コスモス』
「いい策があるの?」
呼びかけに問いかける。
コスモスは吸魔石を持っていない。
このままではどうあっても事態を収めることは出来ない。故に期待を込めて問いかける。
『魔力消去を知っているか?』
「知らないわ。古代魔法よね、アポロニウスのいた時代なら」
使えというのか、それを。
今、主流とされている魔法とは系統の違う……さまざまな効果はあるが、恐ろしく魔力を消費する燃費の悪い術を。
『一定の空間内の魔力・魔術の効果をすべて消し去ることが出来る』
「……それは、ずいぶん都合のいい術ね」
『防御魔導士の自作術だ。
直系子孫がその名を知らないはずないだろう?』
こんなときだというのにどこか余裕ぶって聞こえるアポロニウスの声。
魔物相手に戦ったことの無い自分とは、くぐった修羅場など比べ物にならないのだろう。
「名前はもちろん知っているけど、生憎呪文は知らないわ」
彼が落ち着いているというのに自分が取り乱すのは悔しい。
茶目っ気たっぷりに答えて弓手を中空へと差し出す。
「英知を封じし腕輪よ、その片鱗をここに示せ。出でよ、我が杖ウェリタス」
呪文に応えて現れる杖。
それを両手で握り締め、コスモスは不敵に笑う。
朗々と響くテノールの後に、柔らかなアルトが同じ言葉を紡ぐ。
歌のように韻を踏んだ呪文が紡がれるたび、術者を中心として足元に描かれる魔法陣。
淡い光を放ちつつ、円は大きく図形は複雑に広がっていく。
変化に気づいたのか。
ビオラは満足そうに笑みを浮かべ、ヴァレリは一瞥しただけで自らの作業に戻っていく。
クレメンティはただ一人、疑わしそうな眼差しを向ける。
「在るべきものを在るべき姿へ。相殺せよ、魔力消去」
コスモスの術に従い、杖の宝玉と魔方陣が光を放つ。
世界の法則が一時的に強化され、ありうるはずの無い物がかき消される。
魔力を帯びた風はぴたりと止まり、こんと小さな音を立てて、飛び回っていた石が床に落ちて転がった。
ふぅと軽く息をついてコスモスがゆっくりと杖を下ろすと、小さな拍手の音がした。
「流石は我らの主様」
片手に包みを抱えたまま、器用に拍手を続ける青年の白々しい仕草に、ヴァレリは重いため息をつき、クレメンティは半眼を向ける。
「さてと。後は自分で頑張りたまえ」
それは誰に向けたものか。
言葉が終わると同時に傾いだ青年の身体は見る間に縮まり、一人の少女の姿となった。
ひたとコスモスを見つめる少女は先ほどの青年と違い、生真面目で切実な印象を受ける。
「我が主。どうぞ、お納めを」
呼びかけと共に跪き、少女は抱えていた包みを恭しく差し出した。
受け取り包みを開いてみると、ずいぶんと古びた短剣が一振り姿を現す。
何を言いたいのか察しはつくものの、コスモスは何も言わず少女を見つめ返した。
「どうか、お力添えを。二人の再会を」
真摯に主を見上げる少女は、そのためにここまで来たのだと告げた。